先が見えている。


 彼からすれば、そう言わせて貰う他に無かった。

 

 古い冷蔵庫が低く発するような、退屈なノイズ。

 ウン十億はする機材が刻む、退屈なブリップ音。

 硬質で水垢や黴を思わせるような、退屈なイオン臭。

 なんの凹みも引っ掛かりもない、退屈な手触り。

 歯応えを持たず味の変化も無く吸い出すだけの、退屈な食事。

 “窓”の外を見れば、退屈な空が広がっていた。


 先が見えている。


 彼の先も、

 人類の先も、

 宇宙の先も、

 見える所まで、時が流れ着いてしまった。

 継ぎ足し継ぎ足し、運ばれていた結果、丁度自分の番で、終わりが来た。


 それは、まあ仕方のない事である。

 誰だって死に場所や死に方は選べない。

 自由に果てたように見えても、制限された選択肢から、最善を拾い上げたに過ぎない。

 完璧に在りたいように生きて、死んだ者なんて、世界のどこにも居はしないだろう。

 

 彼にとって残念なのは、吐きたくなる程に腹が立つのは、

 あつらえられた棺桶が、極めて趣味の悪い駄作であるという事だ。


 無機質に白く、無機質に静かで、無機質に規則的。

 彼は拘束されていない。食事だって用意されている。長い眠りに就く権利だって。

 で、だから何だと言うのか?

 それだけ揃えてれば、それで良いだろうと、人を舐めたその態度が、彼の神経を逆撫でする。


 人間は余剰を、無駄を楽しむものだ。ここには無駄が何も無い。全部が必要で、それ以上は許されない。

 「そんなに何も無いなら、電力が無くなる最期まで寝てればいいだろ」、そんな正論を吐く奴は、人間やるのに向いてない。


 ただ、理には適っている。

 これは刑罰で、ここは牢獄で、彼は思想犯だ。

 彼に与える罰としては、この上無く適切ではある。

 だから彼は苛立っている。その卒の無さが、余計に神経を煮え立たせる。




 恒星が燃え尽きると知った世界政府は、生存に足掻くのでなく、少しでも死に化粧を美しく盛る事に努めた。


 


 自動兵器による世界支配、そして統制。

 「卑俗」、「危険」、「不適切」な情報は破棄され、痕跡一つ残さないよう、徹底的に破壊された。

 世界平和すら成し遂げた、穏やかで高尚で賢明な人々。

 いつかこの星系に、高度なテクノロジーを持った何者かが来訪し、文明の痕跡を見つけたその時、彼らに対して恥じる所の無いような、惜しまれるような種族でありたい。

 移住やテラフォーミング用のあれこれを積んで行ける場所に、住めそうな星が一つも無かった絶望から、彼らは死後の墓碑銘を飾る事だけにかまけるようになった。

 破壊と再構成。改竄された歴史や文化。

 誰もが満ち足りていて、純白でフラットな町が広がっていて、黄昏の中で安らかな笑顔を浮かべ眠りに就く。

 来るかも分からない自分達より優れた何者かにマウントを取ってやろうという、さもしい考え方である。


 従う者には快楽塗れの理想電脳世界での尊厳死を与え、

 自棄で暴徒化する者は惨たらしく見せしめた後に嬲り殺した。


 どうせ死ぬなら楽に気持ち良く、それが普通だ。

 だから“みんな”が従った。

 けれどもいつの時代にも、往々にしてひねくれものが居る。

 彼がそうだった。


 旧時代の遺物に拘り、それを広めようとして捕まった。

 彼に与えられた罰は、彼自身の意思での服従だった。


 人一人を細々生かしながら、宇宙を遊泳させる事くらいは出来る。

 目的地の設定など不可能、そもそも行く当てが無い。

 奇跡的に未発見の星に行き当たったとして、安全に降り立つ用意が無い。

 それもクリアしたとして、入植する為の機材など積めない。

 しかし本当に、ただ長らえさせ、飛ばすくらいなら、それだけなら出来る。


 だから政府は、「推奨される」コンテンツを満載した宇宙船に彼を乗せ、そのまま星から蹴り出した。

 

 彼に残された選択肢は、三つ。


 一つ目。発電装置が壊れるか、発電自体が不可能になるか、或いは事故でぶっ壊れるか。その時までコールドスリープ装置の中でふて寝し続ける。


 二つ目。規則正しく起こし、規則正しく食事させ、規則正しい音を聞かせ、規則正しい映像を見せ、規則正しく寝かせる。その作られたルーティーンを、寿命を迎えるまで繰り返すか。


 三つ目。寝床の機能を使って、早々に安楽死と洒落込むか。


 彼には政府が用意した、政府にとって都合の良い道しか許されていない。

 だから どれを選んでも、ゴールは同じ場所に着く。


 彼が彼の意思で、政府にとって「良い」行動を選ぶ、という結果。


 無理矢理グロテスクな死に方をしても、AIが内装を綺麗に掃除してしまうか、自動操縦が意図的に小惑星だかに衝突して、全部バラバラにするだろう。

 高度文明が通りかかって、彼の死体を見つけた時、そこには平穏な世界の欠片に囲まれた、平穏無事な死体があるだけだ。

 だから彼らは思うのだろう。「ああこの人は、死を受け入れて、最期にちょっとした冒険をしたかったんだ」、と。

 素晴らしくクリーンで、美しい死に様。

 彼はあれだけ嫌いだった、政府のプロパガンダのダシにされる。


 厭な気分だ。

 しかしこの狭い空間に押し込められた時には、

 家具と言えばテーブルとベッド、後は機材とモニターと窓くらい、

 そんな部屋に入れられた時点で、

 彼の敗北は確定していたのだ。


 何者の心にも爪を立てないよう配慮された、曲とも呼べない短い信号の羅列を聞きながら、今日も彼は一日を終えようとしている。


 コールドスリープと、この味気ない生活。それを交互に繰り返して、狂うか折れるかするのを出来るだけ先延ばしにしている。

 諦めなければ、道が開ける可能性は消えない。そう妄信する事が、彼なりの抵抗だった。


 だが、延ばしているだけで、先が見えている。


 彼は窓の外を見た。一つでも変化を見つけたかった。


 そこにあるのは、黒い闇だけだ。

 浮いているのに、まるで吸い込まれ落ちているのだと、そう錯覚させる奈落。

 星も見えないのなら、暇潰しに数える事すら——


——いや、これは、


 暗過ぎる。

 いつもなら、違いの分からない光点が敷き詰められた、そういう空が見える筈だ。

 光一つ無いなんて、それはおかしい。

 彼は椅子から立ち上がり、窓辺に寄って外を見た。


——ブラックホールだ


 成程、本当に奈落だったわけだ。

 彼は、のだ。


 ここまで来て、これまで以上に、

 つくづく


 先が見えている。

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