南部鉄器の風鈴。
実によい音だ。
キンシャラと鳴る玻璃の風鈴もよいが、南部鉄器の音はどこか冷たく、よそよそしい。
清涼なこの音色に送られて、その一族の女は夏に逝くのだという。
主人公は四十歳手前。
独身で、子はいない。
死病にかかり、身辺の整理はあらかたすでに終えてある。
家系は自分が最後である。
母をはやくに亡くし、祖母に育てられた。
一族の女はみな夏に死ぬ。
そのことを教えてくれた祖母も、もう七回忌だ。
角灯籠が流れる夜の川。
孤独死を心配されている主人公は周囲の人たちの勧めで、緩和ケア病棟に入院することになる。もはや治療など意味がない。静かに終わりに向かって日々を送るのだ。
その耳はまだ風鈴の音をとらえる。
生きている限り夏はまだそこにある。
燃える紅葉を待ち、まぼろしの白い雪を夏の空に追う。
「私」は遠からず死ぬ。
川の先に灯りが消えていく夜の灯籠流しは、人生の流れの終焉を想わせる。
どんな生涯であってもやがては流れ去る。
カーディガンを羽織る。主人公はまた生きる。
介護担当の若者と出逢う。また生きる。
死を題材にすることは、ともすれば予定調和の平凡なものに陥りがちだが、最後の日々を丁寧に生きることはこんなにも尊いと、この静かな物語は控えめに教えてくれる。
夏の風鈴の音が送り出す命の先には、浄土の風鈴がきっと鳴っている。
あなたは、『夏の音』に何を思い浮かべますか?
蝉時雨と熱を孕んだコンクリートロード? それとも、川のせせらぎとお囃子のような子どもたちの笑い声? はたまた、西瓜を齧る軽快な音と縁側から見る緑葉?
沢山ありますが、代表的な『夏の音』といえばやはり風鈴の音色ではないでしょうか。
尾を引く、心洗い流すような澄んだ音。
この物語は、風鈴の音のように儚くも穏やかで、そして美しい。音の中に宿る記憶が万華鏡のように姿を変えながらも光り輝き続け、暗闇を照らしていきます。
命と、どう向き合っていくか。
大切なことを教えてくれる素晴らしい物語でした。
沢山の方に、お読みいただきたいです。