めんくいさまの御饌

ぴのこ

めんくいさまの御饌

 取調室に入り、最初に目に入ったのは美しい男だった。男は盲目であるにもかからわず、こちらの全てを見透かしているかのような悠然とした笑みを浮かべていた。

 現時点での被害者1万7912人。未曽有の神的災害を引き起こした張本人は、厳重な拘束を受けたまま椅子に座っていた。


「担当取調官の黒瀬くろせです。秦野夕一はたのゆういちさんでお間違いないないですね?」


 私は男に向き合い、淡々と告げる。私の職務はこの男から情報を引き出すこと。余計なことを考える必要はない。


「そうや、わしが秦野です。どうも大変なことになっちゅうみたいで、申し訳ない限りや」


「秦野夕一さん。年齢は18歳。住所は■■県■■■群■■村。8月1日未明に■■村に放火し、村から脱走。この火災による死者は115人。村の人口のほぼ半数であり、死者の大多数は高齢者です。貴方は脱走時になんらかの手段で神的存在の封印を解いた。そして、この東京に向かって移動。神的存在による被害はこの3日間で2万人に迫る…なぜこのような事件を起こしたのですか?」


「なぜと言うなら、めんくいさまのためと言うほかありゃせんよ。わしはめんくいさまが腹を空かせて可哀想やったから動いただけや」


「それだ。貴方がめんくいさまと呼ぶ神的存在…それについて話してください。そして、めんくいさまと貴方との関係を」


 私が問いかけると、秦野は天井を向き、遠い過去を眺めるような目つきを浮かべた。そのまま沈黙を貫くのかと思うほどの様子だったが、ある時ぽつりと口を開いた。


「…わしが盲目なんは赤子の頃からなんや。わしの村では、赤子が生まれ落ちたその時に赤子は目が見えなくなるんや」



 わしは父の顔も母の顔も、村の者すべての顔を知らん。生まれたその時から目が見えなかったからや。盲目なのはわしだけやない。わしの村では、すべての者が盲目やった。わしの村で生まれた赤子は、例外なく視力を失う。

 村の者の誰もが目が見えんのでは不便と思うやろうが、そこは赤子の頃からの盲目。慣れと、親兄弟の支えがあって、物心つく頃には不便なく暮らせるようになっとった。多くの者は目が見えんかわりに耳がよく聞こえるようになってな。音の反射で、ものの位置がわかるんや。わしも耳は良い。そのおかげで、生活で壁にぶつかったことは無かった。


 村には、めんくいさまの婿が必ずひとりはおった。めんくいさまは、村からひとり婿をお選びになる。めんくいさまに選ばれた者は、村長に優遇されとった。わしの前に選ばれていた者は、喜郎よしろうという男やったな。

 

 わしがめんくいさまと初めて出会ったんは、わしが何歳の頃やったか。声変わりし始めた頃で、めんくいさまも「男らしい体つきになってきたわあ」と言っとったな。

 夏の夜のことやった。ああ、目が見えんといっても昼間はぼんやりと光を感じるんや。その光が完全に途絶えると、夜になったとわかる。その夜、わしは急いで家へ帰っとった。夕暮れ頃から川沿いでうっかり昼寝してもうて、目が覚めたら夜やった。音の反射で多少は周りの様子がわかるとはいえ、なんも見えん夜闇は恐ろしいもんや。夜はしんと静まっとるから、耳で拾える音も少ない。

 そんな時、声が聞こえた。

 ゆういち、ゆういち、と若い女の声や。

 はじめに感じたのは恐怖やった。村の女の誰にも、こんな声の者はおらん。村には老婆が多いが老人には当然こんな声は出せんし、若い女の中にも似た声の者は思い浮かばんかった。

 逃げ出そうとしたはずやった。そのはずやったのに、わしの足は自然と声のするほうへと向かっとった。その声が、めんくいさまのお声があまりにお綺麗で、艶やかで、逆らえなかったんやな。

 鈴のような声やった。

 よく響いて、暗闇の中でも道しるべになる。盲目のわしにとってはまるで、光のような声。


 ふわり、と花のような香りがした。本能的に心が落ち着くような、優しい香りやった。気が付けば、抱き締められていた。さらさらとした上等な着物の感触と、やわらかな女の体の感触がした。夜闇が、光り出したように感じた。

 ああ、と瞬間的に理解した。めんくいさま。めんくいさま。貴女が、めんくいさまなのですね。


「ゆういち、よお育ったなあ。男らしい体つきになってきたわあ」


 この方のお姿が見られんことが、悔しくてたまらんかった。頭上から響く声は透き通るようで、優しい響きを孕んどった。こんな美しい声の人が、どれだけ美しいお姿なのか。わしの目に視力が無いことを、生まれて初めて憎んだ。


「うち、昔っからゆういちのことを見守ってたんよ。可愛い子やなあ、うち好みの良い男に育つでって。でもな、でもな、よしろうがおったやろ。良い男ならもうおるのに、こんな小さい子供を“次”にするんは流石にはしたないやろって。そう思ってたんやけどなあ、今のゆういち、こんなに立派に育ってるやんか。もう我慢できんくなって」


 めんくいさまは、わしを抱き締めながら早口でまくし立てた。無礼なことやが、まさに恋する乙女のようやと思った。

 その夜、わしはめんくいさまと夜通し過ごすと、夜明けに村に戻って父に言った。めんくいさまに出会ったと。


「お前めんくいさまに選ばれたんか!!!!」


 父は困惑に、多分な喜びが混じった声色で叫んだ。わしに視力があったら、物凄い形相の父の顔が見えていたやろうな。

 両親はわしを連れて村長の家に行くと、村長に報告した。めんくいさまに我が子が選ばれたと。

 村長は低い声で唸り、両親ではなくわしに向かって告げた。喜郎が昨晩死んだと。お前がめんくいさまの次の旦那になるのだと。そして、この村が数百年にわたってめんくいさまを封じていることを。このことは他の誰にも教えてはならんと釘を差しながらな。



「…■■村が行っていた封印術については情報を掴んでいます。村人全員の視力を犠牲とすることと、常に一人を婿として捧げることを条件として、神的存在を村の中に閉じ込める封印術。あなたはどのようにして封印を解いたのですか?」


 私が十数分ぶりに口を開くと、秦野は静かに頷いた。


「そう伝わっとるな。わしの村は、めんくいさまを村の中に閉じ込める封印術を施したと。代償は村人全員の視力と、絶え間なく男を捧げること…なあ黒瀬さん、


「…何?」


「わしは封印を破ってなどおらん。めんくいさまを村に留まらせたんは、めんくいさま自身の意思や」



 めんくいさまと出会って幾年も経った頃、わしはめんくいさまに、最初にこの村に来た時のことを聞いてみた。


「んー…嫉妬せえへんで聞いてな?この村でなあ、初恋の人に出会ってもうたんや」


 めんくいさまは、おそらく頬を赤くしてたんやろな。そう感じる声色で言った。


「ゆういちはぼんやりとしか見えんと思うけどな、うちの体ってきらきら光っとるんや。まあ分散すればそんなに目立たん光になるんやけどな。基本的には人の大きさの体でいたいやんか。でも、そうすると人里にいたら目立つやろ?そういうわけで人の少ない山奥に来たんや。あと当時のうち、ちょっとヤンチャしてて悪い噂も立ってたんよ」


 めんくいさまの体が光っとることは感じておったが、めんくいさまの口からはその時初めて聞いたな。だがそれよりも、わしは話の流れを読んでヤンチャとは何かと尋ねた。


「うちなあ、人の目が大好物なんよ。目玉そのものというか、視力…光を見る力やな。人の目玉の中に入って、視力を食べるんよ。やから村で新しい命が生まれたら、その子の視力を食べとる。昔は、この村だけやなくてこの土地のそこらじゅうで人間を襲っとったんよ。それである日、この村にやってきたうちは、ある男と出会ったんや。男はうちを見上げると、恐れるでもなく、感嘆したようにこう言った……“人間って、光るんですね”」


 それはまた、変な男だと思ったもんや。発光する女を見れば、普通は怖がるもんやろ。それなのに、出てくる言葉がそれとは。


「あの人は面白い男やった。楽しい話が尽きない、愉快な人やった。おまけに顔も男前でなあ。うち、それなりの面食いやけど顔より中身に惹かれたんはあの人が初めてやったな」


 めんくいさまは、話しながらもくすくす笑っとった。思い出し笑いやな。その男が、今もめんくいさまの楽しい思い出として大切に刻まれてることが、わしも嬉しくなったもんや。同時に、少し妬ましくも。


「あの人との暮らしは、それなりに長く続いた。村の人々はあの人とは違って、うちを神様だなんだと崇めてなあ。うちを女房みたいに見ていたんはあの人だけやった。せやけどある日、あの人は病で倒れた。病に苦しみながら、あの人は言った。わしが死んでも、君はここにいてくれ。村の者は君を神として崇めとる。君が去れば村は混乱する。君の大好きな目玉なら、村人に捧げさせる。それにわしは、わしが眠るこの地に、君がずっといてほしい。他の男を見繕うのはいいが、ここを去るのはやめてくれ」


 めんくいさまが語る言葉は、かつての男の口調そのままなんやろう。そう感じた。


「最期まで面白いことを言う男やったなあ。うちが好きなんはあの人で、村のことはどうでもええんやけど。でも結局、村を去ることはせんかった。あの人みたいな男前を次々に旦那にして、定期的に捧げられる人の目を食べて、そんな暮らしで今まで生きてきたわ」


 村人の目を食べ、婿を見繕い続けて村に留まってきた。せやからそれがめんくいさまを封印する術やと誤解されて伝わったんやろ。

 …めんくいさまは、おそらく自分でも気づいとらんかったんやろうな。わしも指摘できんかった。貴女、その男に心を囚われとるままなんですねって。

 その代わり、一言こう聞いてみたんや。


「めんくいさま。その人とわし、今の貴女のお気持ちではどっちが大事やろか?」


「ええ~~?それは…それは、ゆういちに決まっとるよ」


 その答えを聞いて、わしは卑しくも笑みを抑えきれんかった。その笑みを隠すように、わしはめんくいさまの手を取って、もうひとつ質問をした。


「めんくいさま。貴女は本当に、今の暮らしで満足なんか?好物の人の目はたまにしか食べられず、獣の目を代用にする。そんな暮らしでは腹も心も満たされんやろ。わしは、貴女に思うがまま食べてほしい。過去の男ではなく、わしの想いを聞いてほしい。この村から出て、今までの飢えのぶん、思う存分に食べてほしい」


 惚れた人が飢えていたら耐えられん。腹いっぱい食べてほしい。そう思うのは当然やろ。



「そうやろ、黒瀬さん」


「ふざけるな!!!!」


 私は思わず激昂した。冷静にと、そう努めていたはずだった。だが私は、秦野に怒りを抑えられなかった。こいつは、そんな理由で神的存在を連れ出し、これほどの神的災害を引き起こしたのか。

 8月1日の午前から、■■県を発生源として突発的に視力を消失した者が現れ出した。失明した者は急増し、3日の夕方の報告では1万7912人が視力を消失していることが判明した。実際の数字は2万を超えるだろう。運転中の者が突然視力を失ったなどの原因で起きた事故も多く発生しており、死者数は留まるところを知らない。

 本部の調査で、■■県から流出した神的存在による大規模な神的災害であることがわかった。神的存在は光の粒子となって広範囲に広がったまま■■県から東京へと向かい、進行経路の人間の視力を奪っていった。

 神的存在がいつ“満腹”になって被害が収まるのか。あるいはこのまま際限なく人々の視力を奪っていくのか。全く予想がつかない状況だ。


「神的存在…お前が言うめんくいさまは光に似た性質を持つ。仮に光速で移動できるなら、世界中の人々が一瞬で視力を奪われる事態にも発展しかねない。■■村から東京への移動に3日もかかったのは光の速さでは移動できないからか?それとも…お前がいたからか?それならば何故、奴は姿を現さない?そもそも何故!奴は人の視力を奪うんだ!!」


「めんくいさまは光…確かにそうやな。めんくいさまはもうどこにでも行ける。もうどこにでもおる。めんくいさまが視力を奪う理由?そんなん、めんくいさまだからに決まっとるやろ」


 突然、視界が暗闇に染まった。


「人の目が大好きで、人の目を喰らう。せやから」


 暗闇の先から、秦野の声が。暗闇の中の、すぐ近くから。


「目ん喰いさまって言うんや」


 眼球の中を、なにかが食い荒らす音がした。

 

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