第6話 大団円

「タイムループ」

 というものを何度も繰り返していて、ある時、

「自分は何をやっているんだ」

 ということに気づくことがあるだろう。

 というのは、そもそも、

「時間を何度も繰り返したとして。その答えはどこにあるのか?」

 ということではないだろうか?

 もし、

「タイムループ」

 の回数に、制限というものがあったとすれば、

「限られた回数の間に、答えを見つける必要がある」

 ということになるだろう、

 ではそもそも、

「未来においての答えというのが、どこにあるのか?」

 ということを分かっている人がいるのだろうか?

 もっといえば、

「見つかる答えというのは、その人にだけ言えることで、他の人にとって、最悪の結果になることであったもいい」

 ということなのだろうか?

 そもそも、

「歴史を勝手に変えてはいけない」

 という発想は、

「一人のために、皆が犠牲になりかねない」

 ということからきているのではないだろうか?

 それを思うと、

「歴史を変えるということがどういうことなのか?」

 と考える必要があるということである。

 答えを探すということは、

「未来の果て」

 まで見ないといけないということになる。

 しかも、その答えというものが、

「自分だけの世界で完結してもいいことなのか?」

 という、いわゆる、

「歴史というものの倫理」

 とでもいえばいいのか、しかも、そこはに、

「人間だけでなく、すべての動物に言えることなのかもしれない」

 といえる。

 ひょっとすると、

「100年後は、人間が支配している世界なのかも知れないが、これが、200年後には、別の生物が支配している世界なのかも知れない」

 ともいえるだろう。

 しかも、その世界は、

「別の動物が、ただ繁殖したことで、他の生物が死滅したということで、人間もいなくなっている世界なのかも知れない」

 といえるだろう。

 あるいは、

「他の生物が知能を持ち、人間を支配するくらいの高等生物になっていて、いわゆる、生物分布というものが、まったく違っているかも知れない」

 ということだ。

 昔は、そういう映画が多かったではないか。

「未来に、人間が別の生物に支配される世界」

 ということで、それが、元々地球上にいた生物なのか、他の星からの侵略なのか分からないが、そうなると、

「その時点では答えはない」

 といってもいいかも知れない。

 あくまでも、答えを見つけるとすれば、それは、

「人間世界」

 ということになるのだ。

 地球というものを、

「人間が支配している」

 という考えも、一種のエゴである。

「別に支配しているなんて思っていない」

 というかも知れない。

 しかし、

「自分たちの都合で戦争を起こし、動物を使って戦争をしたり、動物たちを巻き込むように、無差別爆撃をするのだから、

「支配していない」

 などというのは、

「詭弁に過ぎない」

 ということになるだろう。

 そんなことを考えていると、

「どこに答えがあるのか?」

 ということを考えるのが、どこか、

「バカバカしい」

 と考えるようになったのだが、その時、どうしても頭に引っかかってしまったのが、

「10分前の女」

 という発想であった。

 その女、どちらかが、

「自分の幻ではないか?」

 と考えてしまう。

 なるみは、りなを自分だと思っているのか、それとも、りながなるみを自分だと思っているのか、そのカギを握っているのが、

「まさと」

 ではないかということであった。

 ここにも、

「見つかるはずがない」

 と思える答えを探している人がいる。

 そんなことを考えていると、

「時間が絡むことを考えている人間は、無意識に、何かの答えを探そうとしているのかも知れない」

 と考えるのであった。

 昔見た歴史映画の中で、

「歴史が必ず答えを出してくれる」

 というセリフがあり、確かに格好良かったというのは覚えているのだが、何か、とてつもない違和感があったことも覚えている。

 それを今考えると、

「歴史が答えを出してくれるというが、その答えがどこにあるというのか?」

 ということであった。

「不老不死」

 というのも同じことで、

「自分の知っている人が皆死んでしまって、それでも、生き続けなければならない」

 ということに、果たして耐えられるだろうか?

 西遊記委などでは、

「妖怪が求めているもの。それが、不老不死」

 ということであったが、違和感がないと思えるのだが、これが人間の発想であれば、

「これ以上の理不尽な発想はない」

 といってもいいのではないだろうか?

 つまりは、人間の本能として、

「寿命が来たら死ぬのだ」

 という当たり前のことを、摂理という風にとらえ、不老不死などというものは、

「まやかしでしかない」

 という発想に落ち着かせるようになるに違いない。

「この感覚がロボットに持つことのできないフレーム問題を、無意識にでも解決できるくらいの頭脳を持ったのが、人類なんだ」

 ということになるだろう。

 だから、

「不老不死」

 であったり、

「フレーム問題」

 の解決ということで考えられるロボット開発が、自然と、

「フランケンシュタイン症候群」

 というものに結びついてくるということになるというのは、

「自然の摂理」

 というものに、匹敵するものなのかも知れない。

 だから、

「答えが永遠に出ない」

 といえる歴史を、

「交わることのない平行線」

 として考えたとすれば、そこに生まれるのは、

「未来には、答えなどない」

 ということである。

 しかも、未来にいきなり飛ぶということは、結局最後には、

「現代に戻る」

 ということで、

「過去に戻る」

 という発想でもある。

 ここで一つ大切なことであるが、

「未来が、もし変わってしまったら、過去も違う」

 ということになるのではないだろうか。

「過去からの積み重ねが未来であれば、歴史が変わってしまうのであれば、過去も違う歴史ではないか?」

 といえるからだ。

 だから、

「歴史に答えなどない」

 というわけで、別の時代に行くことが歴史を変えることになるので、

「タイムスリップ」

「タイムリープ」

「タイムループ」

 すべては、

「歴史のタブー」

 ということで、

「あり得ないこと」

 という結論になるのではないだろうか?

 遠藤は、そんなことを考えながら、自分の部屋で、一人の女を待っていた。

「今日はどっちが来るんだろうな?」

 と、待っている女は、

「なるみ」

 なのか、それとも、

「りな」

 なのか?

 今は、その答えだけで、満足だったのだ。


                 (  完  )

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歴史の答え 森本 晃次 @kakku

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