デバガメ

るかじま・いらみ

 デバガメ

 これは私が大学生のときに、本当に体験したお話です。


 当時、私は駅近くのアパートに下宿していました。

 親からの仕送りで生活していたため無駄遣いするわけにいかず、節約のために安い定食屋に毎日のように通い詰めていました。

 その定食屋は下宿先からはかなり遠いところにありました。

 きちんとした道を通ると、自転車でもかなり時間がかかる距離です。

 そのため途中にある大きな森林公園を近道として利用していました。

 自転車に乗ってJRの駅前から公園に入り、ど真ん中をまっすぐ突っ切って走るのです。

 公園内の大きな池のほとりに沿って走る小道からT字路に出れば、あとは定食屋までほぼ一本道。

 こうすることで大幅なショートカットになるわけです。


 その定食屋はほかの大学の生徒もたくさん来ておりました。

 壁一面の棚には漫画本がぎっしり詰め込まれていて、食事を終えた学生たちが閉店する午後十時まで漫画を読み耽っていました。

 そして、その定食屋のすぐ隣には小さなゲーセンがありました。

 一ゲーム五十円で遊べる、暗くてタバコ臭くて熱気のこもる、一時代前の古き良きゲーセンでした。

 私はいつも定食屋で夕飯を食べたあと漫画を飽きるまで読み、その足でゲーセンに向かって紫煙にまみれながら日付が変わるまで遊んでいたのです。



 それは、ある蒸し暑い夏の夜のことでした。


 私はいつも通り、定食屋で夕飯をすませたあとゲーセンに入り浸り、深夜一時近くになってから帰ることにしました。

 行きと同じく、帰りも森林公園を通ってショートカットです。これもいつものことでした。

 深夜の森林公園は、昼間とはまるで違って見えます。

 街灯はまばらにしかなく、木の枝が空をおおっているので月明かりも届きません。

 そのせいでとても暗く、樹海にでも迷い込んだかと思うほどでした。

 道が舗装されているおかげで自転車で進むのは容易でしたが、車輪の横に付けられた小さなライトではほんの数メール先を照らすのがやっとで、とても周りなんか見えません。

 昼間はジョギングをしたり散歩したりする人たちが多くいますが、深夜はほとんど人通りはなく、たまに犬の散歩をする人に出くわす程度です。

 公園内には大小さまざまな人工池があり、夜に風が出ると水面が撫でられて音を立て、木々が不気味にざわめき、暗闇がいっそう不気味に思えたものでした。


 当時の私は若いのもあって、少し恐いもの知らずでありました。

 こんな暗い森林公園のなかを、「いつも通ってる道だから問題ない」と平気で自転車をかっ飛ばしていました。

 その日も、誰もいない暗い公園内を力いっぱい自転車をこいで走っておりました。

 大変蒸し暑い夜だったので、スピードを出すと気持ちよかったのです。


 あともう少しで駅前の出入り口というところで、私はふと自転車のスピードを緩めました。

 近くにひょうたん型の小さな池があり、そこにおあつらえ向きに柳の木が生えていました。

 その柳の木の下に、浴衣姿の女の人が背中を向けて立っていたのです。

 視界の端に入ったその女の人が、なんだか気になりました。

 最初、なぜその人のことが気になったのか自分でも分かりませんでした。


 なんだろう、何か変な気がする。

 何が変なんだろう?


 自転車に乗ったまま、自問自答しました。

 女の人の立ち姿には違和感がありました。

 女の人は背中を向けて、ただ立っています。

 柳の木の下でひとり、浴衣を着た女の人が後ろ向きで立っているだけです。

 顔は後ろを向いているので見えません。

 しばらく遠くから見つめて、ようやく違和感の正体に気づきました。


 女の人の腕が、脇腹から生えていたのです。

 普通、人の腕は肩から生えています。それが、その人は肩よりずっと下、脇腹から生えていたのです。

 しかもその脇腹から生えた両腕は、左右逆になっていました。

 左右逆の両腕は、女の人の背中側にかるく曲げられ、まるで背中向きにお辞儀をするように手を合わせていました。


 私はゆっくりと、自転車を旋回させて、女の人のほうへ進めました。

 心臓が激しく鳴り始めました。


 やばい。

 見てしまった。

 これはホンモノじゃないか?


 そういうカタチのお化けが出るなどと聞いたことはありませんし、そのような都市伝説も地元にはありません。

 確信はありませんでした。しかし否定もできませんでした。

 もう少しだけ近寄って見てみようと思いました。

 幸い、女の人がこちらに気づいた様子はありません。


 ちゃんと見て確認したい。

 確認しなければ気になって今日眠れない。

 でも、ヤバいことになったらどうしよう?

 そうだ、たしか駅前に交番があった。

 ヤバくなったら、あそこに駆け込もう。

 いや、こういうこと、交番は役に立つのか?


 ブレーキを使って、女の人のほうにゆっくりと自転車をにじり寄せました。

 すると、浴衣姿の女の人に動きが見られました。

 静かに、こちらに向かって会釈したのです。

 背中向きで、頭を後ろに傾け、腹から生えた手を膝元に合わせて。丁寧に。

 声が聞こえました。

 女の人が立っている柳が風に吹かれて揺れました。

 声は風に乗ってただよってきます。


 あぁあ……。

 はぉおおぉ……。


 苦しむような、悲しいような、切ない声が低く聞こえてきました。

 すると見えたのです。

 女の人の向こうに、男の人の頭がありました。

 男の人はかがんでいるのか、頭がかなり低いところにあり、両腕を女の人のおなかあたりに回して抱きしめていました。

 女の人の腕は、ちゃんと肩から生えていました。少しのけ反った姿勢で、腹側で男の人の頭をかかえていました。


 ………………。

 う……ん。


 男の人の顔はどこにあったのか、みなさまのご想像にお任せいたします。


 私はさとりました。


 これ、のぞきだな。

 自分が。


 ふたりは、人目につかないところで愛を交わしている、ただのカップルでした。

 そっと私は自転車の踵を返し、できるだけ音を立てないよう十分に気をつけて、その場を立ち去りました。

 もちろん交番に駆け込んだりはしませんでした。



 ……おしまい、おしまいです。

 すいません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

デバガメ るかじま・いらみ @LUKAZIMAIRAMI

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ