最終話

「うわあああっ」

 二人は叫んで玄関に走る。ピッケルを構えた巨漢が先回りをして立ちはだかる。和室に引き返し、縁側から飛び降りた。竜弥は足を止めて軒下にかけられた黄色い鳥が入った鳥かごに手を伸ばす。

「なにやってんだ、早く逃げよう」

「こいつを持って行く」

 竜弥は鳥かごに向かってジャンプした。着地と同時にピッケルが腹を掠める。


「行くぞ、透」

 竜弥は庭に転がった鳥かごを持って走り出す。坂道を駆け上がり、廃線のレールに沿って必死で走った。レールの先が分岐し、ひとつは閉鎖された坑道へ繋がっている。

「こっちだ」

 竜弥と透は狭く暗い坑道の中を突き進んでいく。まるで道標のように坑道に吊られたランタンに火が灯る。足元は漏れ出した地下水で水浸しだ。濡れた身体から熱が奪われてゆく。二人は放置された削岩機の影に身を隠した。耳を澄ますと、巨漢の重量級の足音が近付いてくる。


「昔、ここが閉山になると決まったとき、鉱夫の一人が仕事を奪われたと暴れだし、ピッケルを振り回して何人も殺したらしい」

「なんでぼくたちを狙うんだろう」

「誰でも良かったんだ、そいつは一緒に飯を食った仲間も殺したんだ」

 揺れるランタンが迫り来る巨漢の影を描き出す。急なカーブから肩で息をしながら殺気を漲らせた巨漢が現われた。いびつな能面のようなガスマスクの下で巨漢が笑った気がした。


 竜弥は針金で鳥かごの黄色い鳥をつついた。驚いた鳥が激しく鳴き始める。そんなことをすれば気付かれてしまう。透は竜弥の行動が理解できず、愕然とする。

 おもむろに巨漢が狼狽え始めた。鳥の声に怯えているのだ。隙を突いて竜弥は天井からぶら下がったチェーンを思い切り引っ張り、手を離す。チェーンにぶら下がった鉄骨が巨漢の腹に激突する。衝撃で巨漢は転倒し、もがき苦しむも、すぐに立ち上がり怒りを剥き出しにして向かってくる。

「ぼくも手伝う」

 透も飛び出してチェーンを力一杯引く。


「グゥオオオオオ」

 巨漢はくぐもった呻き声を上げる。

「今だ」

 竜弥と透は同時に手を離した。しかし、巨漢はスピードの乗った鉄骨の攻撃を受け止めた。透は鳥かごを持ち、巨漢に突きつける。興奮した鳥の鳴き声に怯えた巨漢の隙を突いて、竜弥が勢いをつけた鉄のトロッコをぶつけた。

 バランスを崩した巨漢は背後に口を開けた深い坑道へ真っ逆さまに落ちてゆく。断末魔の唸り声が坑道内に響き渡り、そしてまた天井から落ちる水滴の音しか聞こえなくなった。


「こいつはカナリアだよ。毒ガス検知に使われていたのさ」

 竜弥は鳥かごを掲げ、にんまり笑う。坑道の中でカナリアが鳴き、巨漢は恐怖に錯乱したのだ。

 坑道を出ると、山の向こうから朝陽が昇り始めていた。汽笛の音が聞こえる。二人は坂道を駆け下り、さいはて駅を目指す。無人改札を抜けた駅のホームでは、オレンジ色の鉱山列車が白い蒸気を吐きながら停車していた。行き先案内板はたまゆら駅だ。


「この列車に乗れば、御子神村に帰れる」

 透は列車に乗り込んだ。行こう、と竜弥に手を伸ばす。

「俺は行けない」

 竜弥は物憂げな顔で首を振る。出発の汽笛が鳴る。朝陽を反射して蒸気がきらきらと輝いている。

「なんでだよ竜弥、一緒に行こう」

 透は竜弥の手を引く。竜弥はゆるりと手を振り払った。

「俺は行けないんだ。ここは死者の里だ。お前は迷い込んだだけ」

 生暖かいものを感じて、手を見ると赤黒い血がべったりと付着していた。竜弥の額から鮮血が流れ落ちる。


「俺、昨夜おやじに殴られて」

 朝陽が昇り始め、竜弥の姿が透けてゆく。汽笛がもう一度鳴る。鉱山列車が動き始めた。

「お前は行くんだ、透」

 透は強い力で突き飛ばされ、列車のベンチに倒れ込む。

「竜弥っ」

 格子窓から身を乗り出してさいはて駅のホームを振り返る。消えゆく竜弥が手を振った気がした。鉱山列車は汽笛を二度鳴らし、おばけトンネルに突入する。長い長いカーブの続くトンネルはそのまま山を一周するかのように思えた。透は抗いがたい眠気に襲われ、瞼を閉じた。


 目を覚ますと、透は錆び付いた鉱山列車のベンチに倒れていた。ここは列車の墓場だ。竜弥の姿は無い。割れた屋根から差し込む木漏れ日が苔むしたデッキの上で気まぐれに揺らめいている。

 透は列車を飛び出し、竜弥の家へ走る。

 竜弥の家の前には村中の者が集まっていた。透は野次馬をかき分け、最前列に割り込む。駐在さんが顔を真っ赤にして暴れる竜弥の父を宥めている。祖父は肩を落として啜り泣いていた。


「竜弥くん、かわいそうに」

「打ちどころが悪かったって」

 野次馬たちは竜弥を口々に憐れんでいる。彼らはつまらない村で起きた大事件に興味津々なのだ。もう動かない竜弥を乗せた救急車のサイレンの残響がいつまでも耳の奥に木霊していた。


 ***


「じいちゃん、さいはて駅のお話聞かせて」

 陽だまり揺れる縁側に腰掛けた透の隣にこの春中学生に上がる孫の智史がやってくる。喜寿もとうに過ぎた透の髪はすっかり白くなり、背の丈はずいぶん縮んでしまった。

「智史はこの話が好きじゃのう」

 智史はいつもさいはて駅の話を聞きたがる。透と竜弥がおばけトンネルを抜けてさいはて駅に辿り着き、不思議な山里を探検した話だ。物語では竜弥は怪物を倒したヒーローだった。


「じいちゃんと竜弥君は今も友達なの」

「ああ、そうじゃ。ずっと友達じゃ」

 透の萎びた心臓が鈍い疼痛を覚える。

 耳元で微かな羽音が聞こえた。季節外れの白い蝶が肩にとまっている。透は緩慢な動作で蝶を掴まえようとする。蝶はふわりと飛んで庇の向こうに広がる青空に吸い込まれていった。不思議なことに、しわくちゃの手の中に切符が握られていた。


「これは」

 切符には改札の鋏の跡がある。霞む目を凝らしてみると、日付は今日、行き先はさいはて駅。

「もう眠い、少し眠ろう」

「じいちゃん、ぼくカブトムシ採りに行くよ。大きいの捕まえたら見せにくる」

「ああ、楽しみに待ってるよ」

 駆け出す智史に透は手を振る。そして、切符を手の中に包み込み、瞼を閉じる。

 遠くなった耳の奥に鉱山列車の汽笛が聞こえたような気がした。

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たまゆら駅 神崎あきら @akatuki_kz

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