宝石市の闇

第11話 Crystal

少し肌寒くなり、服選びが楽しくなる季節。 








 その日はバッキンガム宮殿の近くにある、とあるカフェの店内にて、家業関係の仕事終わりにアフタヌーンティーを楽しんでいたノア達の元に突然、その男がやってきたのである。




「秋はますます紅茶を飲むのに良い気温をもたらすね……あ……このサンドイッチ美味しい」


「そうですね、秋は短いですが楽しい季節……」




 バーノンが言い終える前にその男は洒落た店内を急ぎ足で進み、ノア達の席まで走ってきた。




「ハァ……ハァ……ここにいたのですね!!」


「……ん? チャーリー様ではないですか! どうしたんですか? そんなに急いで……」




 ノアがもぐもぐという効果音が付きそうなほどにサンドイッチを口に入れて、次の段のスコーンを取り、それを慎重に半分に割っているときにやってきた男は「チャーリー・モルガン」といって、ノアの弟である。




 彼はノアと同じ白髪で、かなりのくせっ毛なので、所々毛先が跳ねまくっている。そして前髪を真ん中で分けており、常に糸目でたれ目である。




 基本的に誰に対しても穏やかな雰囲気で接するが、兄に対しては無自覚に愛重めのブラコンを発揮するタイプである。




 彼は現在家業の宝石商を兄に代わって経営しており、先ほどノア達は彼の仕事場に様子を見に行ってきたばかりなのである。


 最近は特に忙しいらしく仕事場に泊まり込んでいたので、久しぶりに会ってきたという状態なのだが、なぜか彼は急ぎ足でここまで追いかけてきていた。




 紅茶で一旦、口に入っているものを自身の腹に流しこんでからノアは口を開いた。




「うーんと、何か言い忘れたことでもあるのか?」


「えぇ!! そうなのです!!」




 チャーリーは満面の笑みでノアの隣に座り出し、ピッタリと腕にくっつく。




 それを見たバーノンは眉間にしわを寄せたのだが、座っている二人は気づいていない。




「実は……兄さんと一緒に行きたい場所があるんです……!」


「なるほど? それ、手紙で連絡してくれればよかったんじゃ……」


「いいえ!! 急ぎなので!!」




 チャーリーは食い気味に否定する。




(……なんだろうこの反応……既視感があるな……こんな反応する奴がもう一人いたような……)




 ノアはその正体を思い出そうとしたが、面倒になったので考えるのをやめた。




「分かったよ……それで? その、僕と行きたい場所ってなんなんだ?」


「はい、それは……「万国産業製造品大博覧会」です!!」


「あぁ……確かハイドパークでやっていたね?」




 紅茶を口に含みながら、ノアは面白そうだと微笑んでいた。




(まぁ、そこなら行ってもいいかな……)




 ノアはバーノンに目配せをする。




 バーノンはその意図を理解したのか、軽いお辞儀をした後に店を出た。




「そうです!……あれ、バーノンはどこに?」


「馬車を呼びにいったよ」


「え……と、それじゃあ、今から一緒に行ってくれるのですか!?」


「勿論、かわいい弟のためだからね」




 そう言っていつの間にかすべて食べ終わっていたノアは、再度ゆっくりと紅茶を一口飲み、チャーリーに向かって微笑んだ。




(兄さん…………好き…………!!!!!!!!!!!!)




 無自覚にチャーリーのブラコン度を加速させるノアであった。








 紅茶も飲み終わり、二人は立ち上がって店を出た。




 先に店を出ていたバーノンが、店の前に馬車をしっかりと用意していた。


 バーノンが扉を開け、手を差し出すと、ノアはそれにつかまって馬車に乗り込む。


 


 チャーリーはその次に乗り込むが、差し出されたバーノンの手を無視した。


 実はこの二人、お互いを毛嫌いしているのである。その証拠に、バーノンもそれを見てひきつった笑みをしている。




 この時のチャーリーはこんな事を思っていた。




(……ふん、毎日兄さんと一緒に合法的に過ごせるからって調子に乗りやがって……お前なんていつか追い出してやるんだからな……)




 対してバーノンはと言うと。




(まったく……最愛のご主人様の前だから色々と見過ごしてやっているというのに……弟だからって勝手な振る舞いが許されるとでも? お前殺すぞ)




 どこか殺気立った空気が二人の間に流れているが、ノアは気づいていないようで、一人博覧会について考えていた。




 そんな中なんとか体裁を保とうと、クルッと馬車の方を向いたバーノンのそのひきつった笑顔に車内のチャーリーも同じように笑い返す。




 ノアはそれを見て「仲いいんだな~この二人は……」と感心していた。




 バーノンが馬車の扉を閉めようとすると、ノアが一言だけ声をかけた。




「バーノン! 私達は先に行く。後は頼んだぞ」


「かしこまりました」




 扉を閉めてから深々と礼をして見送るバーノンを横目に馬車は走り出す。




 現在いるバッキンガム宮殿付近からハイドパークまでは約四分のとても短い道のりである。馬車に乗るほどでもないと思うだろうが、貴族のステータスとして馬車移動は必須なのである。








 馬車が目的地そばの道の横に止まると、すでに空が暗くなり始めていた。




 手綱を引いていた御者が扉を開け、二人が馬車から降りると、その道にはすでに多くの人々が着飾った格好でハイドパークへと歩みを進めていた。ノア達もその人の波に混ざって歩き出した。




 だんだんと二人の視界に入ってきたのは「万国産業製造品大博覧会」、現在で言うところの「万国博覧会」の会場である。




 その会場は英国の叡智と豊かさを表現したような巨大なガラスの建物になっている。夜も神々しくライトアップされ、圧倒的な存在感があるその建物は「クリスタル・パレス」と呼ばれている。




「なんて素晴らしい建物なんだ……クリスタルね……いい名前だな」


「やっぱり美しいものが好きな兄さんが喜ぶと思いました! もうすぐ展示が終わるとのことでしたので、今日中に来てよかったですね!」




 そう微笑むチャーリーは、楽しそうにしているノアの横顔をチラッと見た。




(……なんて、ほんとは久しぶりに兄さんと過ごす時間が欲しかっただけだけどね!)




 ノアはだんだんと近づいている建物を見つめていた。




「そうだね……」




(美しいな……新聞や噂では色々と批判が多かったが……みな楽しそうだ……)




 ノア達は感想を言い合いながら、ゆっくりと列にそって進んでいく。




「そろそろ入場料を払う場所ですね……僕が払うので兄さんは僕の後ろにいてください」


「分かった。ありがとう」




 二人は無事入場し、様々な各国の展示を見始めた。


 展示品には当時の産業革命を象徴する蒸気機関車も置かれていたが、もちろん鉱物や宝石も多くあり、ノアはそれを見るたびに興奮を隠せなかった。




 しかし、周りには一般市民もいるような状況であったので、彼は何とか貴族として振る舞い続けた。完全に興奮を隠せていたかどうかはわからないが。




 そうして会場のすべての展示を見終わった二人はゆっくりと周りの紳士、淑女と挨拶を交わしながら会場を出た。




(やっと出れたな……ふぅ……)




 会場内にいた他の貴族が次々と顔を合わせるたびに声をかけてくるので、ノアは仕方なく相手をしていた。




 そのせいで、長時間の滞在を強いられ、かなりの疲労感を感じていた。




 二人は馬車の元へノロノロと歩き出す。




「大丈夫? もうすぐ馬車に乗れるから頑張って、兄さん」


「大丈夫……うん……ぼくは大丈夫……」


「それ大丈夫じゃないやつだよ??」




 そこに突然、道の反対側にいた貴族の男が声をかけてきた。


 男は杖を持ちながら、ゆっくりと近づいてくる。




「おや、あなたは……モルガン侯爵では?」


「……あなたはアダムス侯爵」


「お久しぶりですね、最近はご活躍の声をよく聞きますよ。この前はパーティーを開いていらっしゃいましたよね?」




 ノアはそれを聞いて、一瞬だけ顔を歪めた。




(……会いたくない奴に会ってしまったな)




 ノアは面倒だが表情を取り繕って微笑むことにした。




「えぇ……5月頃に」


「やはりそうでしたか……とても素晴らしいものだったと聞きましたよ。それにしても、卿もこのような出し物にご興味があったのですね?」


「いえ、我が弟に誘われたものでね」


「ほう……あぁ、申し訳ない。いらっしゃったんですか、チャーリー・モルガン殿」




 アダムス侯爵はまるで今気づいたという体でチャーリーに声をかけた。絶対に視界に入っているというのに。




(……コイツ、わざとチャーリーを無視していたな……)




「えぇ……こんばんは、アダムス侯爵様」


「家族水入らずの団欒にお邪魔してしまい申し訳ない。では、また」


「お元気で」






 そうノアが言い放った後、アダムス侯爵は人の波に消えていった。




「……遠回しに嫌味ったらしい言い方をする方ですね……」


「そうだな、わざとおまえを無視していたしな」


「ほんと失礼な方ですよ……兄さんに向かってなんて威圧的な……」


「アダムス侯爵は警戒しておく必要があるが、チャーリー、おまえが気にする必要はないよ」


「でも」


「監視はバーノンに任せてある。バーノンはそういうことなら信頼を置けるからな」




 そう言った瞬間にノアの後ろからフッと息がかかる。




「……それは誉め言葉ですか?」


「うわっ……耳元で囁くな!!!!」




 いつの間にかバーノンが馬車を移動させ、そばまで来ていたようだ。




(……心臓に悪いな……まったくバーノンは!!)




 驚かせてきたバーノンに少しムカつきながら自身が疲れていたことを思い出し、軽く虚無の表情になってしまう。




 そんなノアを挟んで二人は言い合いを始める。




「いつ来たんですか?……ていうか兄さんに近寄るな(ボソッ)」


「ついさっきですが……今、なにか仰いましたか??(圧)」


「いいえ?なにも?(圧)」








「ねぇ……僕疲れたんだけど……早く馬車に乗らないかい?」








 勢いよく二人はノアの方を振り向き、頷くと「「乗ります!」」と叫んだ。




 三人が乗り込み、動き出した馬車の中でチャーリーは人の声で賑やかな会場を尻目に微笑む。


 馬車は思い出を乗せてロンドンの道を走り去っていった。


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