団地の変態

梅緒連寸

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 ボロボロに綻びて縫い糸が露出したサッカーボールが跳ねる音が、ボン、ボン、と深夜の団地棟に反響する。持ち主が誰なのかもう分からないそのボールはいつも公園のどこかに転がされ、風が吹いては揺らされ、雨が降っては濡らされ、そして時には不良少年の暇を潰すために蹴飛ばされる。住居棟を中心にして住民たちが車を止めるスペースがぐるりと囲い、駐輪場やボイラー室や倉庫が点在し、余ったスペースを子供の背丈のようなフェンスで区切りようやく生まれた空間がこの公園だった。騒げる時間はとっくに過ぎているが、誰も咎める者はいない。


「最近この団地も子供が少なくなってきたよな。」


 オキシドールで脱色した真っ白な毛先の髪が夜風に軋む。

 そんな自分よりもさらに頭が白い友人は鉄棒に腰かけ、そのまま器用にくるりと背中から一回転する。その様子を一瞥し、瑠希也るきやは戯れに転がしたサッカーボールを歩いて追った。


「確かに。俺が小学生の頃はもっと違ったけど」


 言葉にすると、瑠希也の脳裏で鮮明にかつての喧騒とざわめきが呼び起こされる。

 瑠希也は5歳の頃からこの団地に住んでいる。友人の言葉通り、最近はこの辺りに住む子供だけではなく住人そのものが減少傾向にあった。

 地方の自治体が運営する団地を入居予約でいっぱいにできるほど活気があったのは今や遠い昔の話だ。市の流出人口の問題や、国の少子化の問題や、色々な理由が絡み合っていたが、1番の理由はやはりこの団地いったいの薄気味悪さにある。

 晴れた日でもなんとなく薄暗く見えるような色彩の乏しい建物の地肌と、手入れをされず放置されて繁茂した根の強い植物のコントラストが荒廃的な空気を漂わせる。

 老朽化した設備の交換は一向に進まず、ひび割れてデコボコになったアスファルトはそのまま放置されている。自転車に乗る住人は敷地内のどこがハンドルを取られるポイントなのかしっかり覚えこんでいた。

 同じ間取りの賃貸相場より家賃が安くても、駅から遠く通勤には不向きの立地にあり、やや小高い山がすぐ裏にあるため虫が部屋に入り込みやすく、建築時のバランス窯と和式便所の設備がそのまま残されている住宅に新しく住もうとする家族世帯は多くない。住むのはそういった悪条件を安さの前に呑まざるをえない境遇の世帯、あるいは数年しのぎのつもりが出る機会を失い、新たな住まいを探すほどの余力もない世帯。貧しさや苦しさは皆同じようでいてどこか異なり、うっすらとした連帯意識に同族嫌悪が伴う気配を誰も言葉にしない代わり、同じ空気を吸い吐くことで団地の外の人間とは少しずつ隔絶されていく。

 それでも。こんな場所でも、昔はよかったと皆口をそろえて言う。

 うるさくて、乱暴で、共有場所で何の遠慮もなく遊びまわる子供たちがいたころのほうがまだましだったと。


 張力の減ったサッカーボールを蹴り回ることに直ぐ飽きて、瑠希也は滑り台に登った。

 団地の中にある公園にはいくつかの遊具が設置されているがもっとも存在感を放つのはステンレス製の滑り台だった。その後ろには先端が膨らんだ形の給水塔が晴れの日も雨の日もそびえ立ち、巨大な影を作る。必然的に子供たちの視界に入るそれらはまるでふたつでひとつの巨大な宇宙船のように思え、頂上から地面までたかだか2メートル程度の高さをより遥か高みに押し上げているように見えていた。

 底板は子供達の尻や靴底で磨かれた過去の傷跡を残し、間近に立つ外灯の薄明りに鈍く反射している。

 経年劣化により錆が浮いた2人乗りブランコはチェーンの隙間で子供が指を詰める事故が発生して以降、カゴごと撤去され今では揺れる影ひとつなく誰も手が届かない鉄棒のように枠だけを残している。


「昔は公園に行けばいつでも誰かがいたけどなあ。あの時はいくらでも遊び相手がいたのに今じゃ全然だ。もうオマエしか残ってない。」

「イヤそうに言うなよ」

「イヤなもんか。お前がまだ残ってくれててこっちは嬉しいよ。」

 キシキシと金属が擦れ合うかのような含み笑いが響く。


 この公園がすでに瑠希也たちを楽しませるような場所ではなくなっている事は分かっていた。ブランコは外された。積み上げられたタイヤも撤去された。体重が重くなったから、滑り台だってのっそりとした速さしか出ない。かつての滑り落ちる一瞬に吹きつけた爽やかな風を感じる事はもうない。

 それでも、自分の部屋にいたくない時はここだけが行き場所だった。

 瑠希也の家はずっとここから変わらない。自分の親はここで死ぬのかもしれない。自分はどうだろう。この鉄錆の世界から出ていく日はいつか来るのだろうか。


「けど、人が少なくなって来た割に、変な奴は増えてきたよな。知ってるか?C棟のイカれたジジイ。」

「知らねえ。誰そいつ」

「なんか、電気の光が死ぬほど嫌いなんだって。だから最近この団地に引っ越してきたらしい。」

「ああ、この辺り近くに店とかなんもないから夜めっちゃ暗いもんな」

「自分の家の電気つけるのも嫌いでよ、日が落ちたってずっと真っ暗な家ん中で過ごしてるらしい。あと家電とかも、電源入ってたらライトつくじゃん?あれが嫌だから夏でもクーラーは一切つけねえんだって。」

「確かにイカれてるな」


 ぱち、ぱち、と頭上の街灯で音が鳴る。見上げた瞬間、ちょうど感電死した羽虫がぽろりと落ちていった。地面には死んだ虫が無数に転がり、物言わぬ黒い点模様となっている。


「あいつ目障りなんだよな。死んだらいいのに。」

 白い友人が、C棟にむかって指をさす。白い爪は先端がボロボロに削れている。がちがちと威嚇するような歯を打ち鳴らす音が夜の中に響く。

「あーむかつくほんと死ねよ死ね死ね死ね死ね。」


 ただのおかしな老人相手に何もそこまで言うことはないだろう、と内心思ったがわざわざ反論をしてまで得るものもなさそうなので、瑠希也は黙って聞き過ごした。違う話をしたい、と言いたい気持ちの代わりに足元の砂を蹴って音と土埃を立てる。


「あの糞ジジイ。ほんと鬱陶しいんだ。」

「……実際に会ったことあるんかよ」

「あるよ。あいつイカれてるから、団地じゅうの階全部回って、全部の通路の電気消してくんだよ。そしたら俺が行くとこなくなるじゃん?そしたら俺は逃げるしかないじゃん?そしたらこの公園にくるしかないじゃん?」


 そしたらさあ。しまいには俺のことバラバラにしたんだよ。


 ぽん、と間の抜けた音が響いた。

 足元に屍蝋のような色をした剥き出しの腕が転がる。

 瑠希也が声を上げる前に友人は素早くそれを掴み上げ、元々腕が付いていた穴に嵌め込み直す。


「いっぺん外されると、すぐちょっとしたことで外れるようになるんだよ。なあ?」


 嵌め込まれた腕は向きが噛み合っておらず、正面に立っているのに肘がこちらに見える。

 鼻から下いっぱいに笑った口が広がる。正方形の歯が並ぶべき列を無視してぎちぎちに詰まり切っている。

 そこら中から猛烈に濃い錆のにおいが漂ってくる。


「お前にも覚えがあるだろ?昔よくこうやって1人で遊んでたもんな。誰とも話さずお人形遊びしてたよな。お前ずっとぼっちだったもんな。関係ないよな。ここに誰がいてもいなくても。」


 そうだ。

 そうだった。

 この公園で話す相手なんか、俺にはいなかった。

 この、白い少年は、


「俺と遊ぶしかないようなやつは、一生ずっとひとりぼっちなんだよ。」







 お゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛。


 獣の咆哮のような雄叫びをあげて、イカれたジジイ、本名・杉田藤生すぎたふじおが全速力で駆けてくる。最初は黒い影のようにしか見えなかったが、近づくにつれて公園の外灯がだんだんとその鬼気迫った顔面を照らしていく。

 目の当たりにした怪異にさらに前触れもなく別の怪異が迫る迫力に瑠希也の身体は強張り、今いる場所からぴくりとも動けなくなった。悲鳴をあげたくても喉が搾りきられたかのように細くなり、声にならない声しか漏れてこない。

 公園のフェンスを軽快に飛び越えた杉田は速度を緩めず瑠希也のすぐそばを走り抜け、その向こうのに飛び蹴りを仕掛けた。命中した直後に突如として少年の姿は消え失せる。しかしその寸前、両手両足が胴体からいとも容易く外れているのを瑠希也は確かに見た。杉田はというと蹴りが当たった瞬間に体を捻り、背中で受け身を取りバウンドして勢いを殺す。ずざあっ、という音と共に砂埃が舞い上がった。

 消え失せた友人がどんな顔をしていたのか、奇妙なことに瑠希也はこの一瞬でまったく思い出せなくなっていた。最後に見た、蹴りを入れられる瞬間にはたしかに見覚えがあった。昔自分が唯一の遊び相手にしていた、チープな人形と同じ構造をしていた。

 そして杉田が着地をするまでの刹那、耳元で声が聞こえた。位置関係的にそう聞こえるはずはない、近くからのささやき声だった。


「どうせまた来るけど。」


 事態を飲み込み切れない瑠希也は一部始終を突っ立ったまま眺め、やがて頭を抱えてその場に座り込んだ。

 この公園にはいつもひとりで来ていた。白い少年など、友人どころか知り合いにもいない。ついさっきの事だったはずなのに、なにがきっかけだったのかが曖昧で思い出せない。なぜ初対面のあいつを昔からの友人のように認識していたのか。自分はいったい何を話していたのか。突然現れたこの男は何なのか。一刻も早く逃げ出したいが、どこに向かえばいいのか、家に逃げ帰れば部屋番号を知られることにならないか、だったら他にどこへ行けばいいのか。


 瑠希也がパニックに陥っている間も杉田は倒れ込んだままだった。体感でものの数分間、そのまま身じろぎもせずに地に伏していた。あまりにもずっとそのままで、瑠希也がゆっくりと冷静を取り戻す時間がたっぷりとあった。男は俯せになったままで顔が見えず、様子がうかがえない。着地の衝撃で気絶、いやいっそ死んでいるのかもしれないと心配になり始めたところで男はおもむろにゆっくりと立ち上がる。瑠希也の悲鳴は聞こえないかのようだった。

 ヨレヨレのランニングシャツや無造作に伸びた黒髪や無精髭やあらゆるところが砂まみれだった。手足の至る所に擦り傷が出来ていたが気にも留めず、杉田は尻についた砂利を掃った。

 老け込んではいるものの、老年にはまだかろうじて差し掛かっていない容貌だった。瑠希也からすればジジイと呼ぶよりはオッサンという感覚に近い。


「あの、オッサン」

「イッツ・マジック」

「ハァ?」

「オッサンという名の住民はいない。正しく杉田さんと呼べ。無礼者が。殺すぞ」

「ええ、はあ、すんません」


 どう見ても変態にしか見えない男が想像よりもはっきりとした音程で返事をすることに瑠希也は面食らった。


「杉田さん、あの。アイツはなんなんすか」

「光と闇が両方そなわり最強に見える」

「はいっ?」

「光があるせいでいかれた奴を呼び込む。あいつらは淘汰されて数を減らしてもいなくなりはしない。暗い場所以外にも進んできて、最後には光に近づくことができるくらいにまで自分を作り替える。いわゆる変態というやつ」


 瑠希也がこれまで培った十数年の人生観においてこの場で変態と呼ぶべきは杉田ただひとりだったが、よく分からないなりに助けてもらったらしいことは理解できたため何も言わずにうなずいた。

 話しぶりは確かだが、話の内容がまるでわからない。


「どういう意味っすか?アイツなんだったんすか。幽霊ってことすか」

「ガキ、お前は幽霊の意味も知らんのか」

「ええ・・・」


 Z世代の若者らしく瑠希也はその場でスマホを操作し、ブラウザに『幽霊 意味』と打ち込んだ。その結果が出るまでの動作を杉田が黙って待っているのがなんとも奇妙だった。


「さまよう死者、って意味らしいっす」

「だから全然違う。アイツは死んですらない」

「そうなんだ・・・」

「いかれた奴らはみんなしぶとい。よくない光に寄り集まってくる。虫とおんなじだ」

「よくないんすか」

「御来光以外の光は全部よくない。その中でも夜を照らすような作り物の光は悪いものばかり引き寄せる。だから陽が落ちたら暗いところしかよくない」

「大変すね」


 要するに今まさに公園を照らす外灯が悪いと言っているようなのだが、瑠希也にはどうも合点がいかなかった。起こったことは異常だが、目の前にそびえる外灯自体は普通の様子にしか見えない。下からのぞき込むと目がくらんでふらついた。

 杉田はそんな瑠希也を馬鹿にするように鼻を鳴らし、ランニングシャツの裾に手を突っ込んでばりばりと腰をかきむしる。手首の裏には頭の上に丸い形状を乗せた女の絵が彫り込まれている。


「こんな体験したら俺も今後夜に外を出歩けないんすけど」

「お前はさっさと帰って部屋ん中暗くして寝ろ」


 言われた通り渋々帰ったはいいが、一瞬見えた杉田の入れ墨がなんとなく気になって部屋の中で再びスマホでの検索をかけた。女を基にしたデザインは多種多様で、瑠希也はそれが神の姿だと知らなかったため、正体がわかるのに時間がかかった。

 天照大御神。国を造った神の左目からうまれたもの。太陽の象徴。



 杉田はやたら大きな厚紙に走り書きした氏名を集合住宅用のポストに過剰な量のガムテープで貼り付けていたので、後日それを目にした瑠希也はようやくフルネームを知ることが出来た。

 これまで知らなかったが杉田の狂人じみた行動・言動は団地の大人たちの間では知れ渡っており、さりとて犯罪に触れるような迷惑行為はぎりぎり行っていないため、成すすべなく腫れ物のように放置されているのだと瑠希也の親は話していた。

 一階の階段の真横にあるポストは歩道から見てもよく目立つ。部屋番号を確認して、階段を上がり、ドアの玄関チャイムを鳴らす。が、思ったような手ごたえが指先に伝わらない。何回か押してみても、やはり他の家のものを押したときの感覚が伝わらない。電池が抜かれていることに気付いた瑠希也は、ドアを直接叩いて杉田を呼んだ。

 ごそごそとドア越しに動く気配はするが、様子をうかがっているのかすぐに扉は開かれなかった。やがて解錠の金属音が響き、数センチほど隙間がひらく。


「ガキか。なんだ」

「ちょっと渡したいものあるんで、もう少し開けてもらっていいすか」


 暫しの無言の間、ゆっくりと扉は開く。ぼさぼさの頭でぎょろぎょろと血走った眼を剥くようにしてこちらを見下ろす杉田は昼間に見てもやはり不気味だった。決して悪人ではないと頭ではわかっていても、次の一瞬でなにをしてくるのか行動が読めず、纏う雰囲気が剣呑すぎる。

 予想通り室内灯はついておらず、窓から漏れる自然光によって部屋の輪郭が映し出される。『最近引っ越してきた』というのは事実だったようで、まだ封じられたままの段ボール箱がいくつも積み重なっていた。その隙間を埋めるように古い本が積み重なり、その奥には万年床らしきものが敷かれている。


「やっぱ明かりつけないんすね」

「いらん!そんなもの」

「本読むとき困るんじゃないすか」

「昼間に外で読んだらいい」


 うっすら感づいていたが、やっぱり杉田は無職なんだろうなと瑠希也は思った。社会性が感じられないし、あまりにも暇そうだと思ったのが理由だった。


「でもそろそろ暑くなってくるし、さすがにクーラーとかつけないとやばいっすよ」

「ふん。夏のほうがマシだ。日が長いからたくさん読める」

「本読む前に熱中症で死ぬって話してんだよ」


 言葉の応酬では暖簾に腕押しの状態が続くため、手っ取り早く現物を見せることにした。傍らに置いた旧式の扇風機を持ち上げ、扉の隙間に無理やりねじ込む。


「何十年も前のやつなのにまだ全然動くんすよ、すごくないっすか?ナショナルってメーカーなんか聞いた事ねえし。最近の家電みたいな電源ランプがついてないんすよ」


 杉田は黙ったまま扇風機を奥の部屋に運び込み、コードを伸ばした先のプラグを壁のコンセント口に差し込む。途端緑色の羽が回りだす。

 送られる風に吹きつけられ、真顔の杉田の髪は真横になびく。最初から首振り機能のスイッチが入っていたようで、風は奥の部屋にも向かい、古書の頁を何枚かめくった。

 なにを言うでもなく、杉田はカチカチと扇風機のボタンを押した。この扇風機にはリモコン機能は存在せず、アナログなスイッチを押し込めば動作、もう一度押し込めば解除となる。瑠希也の祖母の家で使われていたらしいそれは紆余曲折の末に長年押し入れの中にしまい込まれ、つい昨晩何年か越しに表に出された。年季の入った汚れ具合だが、前後のカバーと羽をモーターから外し、風呂場で洗い、瑠希也の手でも再び組みなおせるほど扇風機の頭部の仕組みは単純だった。

 電源ランプがない。それはすなわち杉田の忌み嫌う発光が起こらないということだった。なにも言わずに操作を繰り返しているのは、気に入ってもらえた証拠だと受け止めた。


「よかった。電化製品自体はいいんすね、光ってさえなかったら」

 精一杯の皮肉を込めたつもりだったが杉田にはなんとも響いていない。


「あのー、変な事訊いてるなとは思うんすけど、俺ってこれからどうしたらいいんすか」

「レストインピース」

「死ねってこと!?」

「普通に学校に行って夜は家から出るな。あいつが見えるような人間は御来光によってのみ守られる」

「太陽が出てるうちしか外にいられないとか、大人になったら暮らしていけねーじゃん」

「そんなことない。今の時代、人間はいろんな暮らしができる」


 無職(推定)が言うと説得力がある。ただし杉田のような生き方しかできないのかもしれないのであればそれは絶望でしかない。絶対に俺は違う生き方を探してやる、とひそかに心に誓う。

 用は済んだし、違う生き方を目指すのであればこれ以上与太話を交わしたところで特に得るものもないため、じゃあ、と籠った声を出してさっさと踵を返す。日中は互いに暇をしているので、必要なことはこれからじっくり訊けばいい。階段を1段2段下りかかったところ、まだ閉まりきっていない扉から声が追ってきた。


「ガキ。こういういらんやつがあったら、また貰ってやらんでもないぞ」

「うっざ・・・中年男のツンデレうっざ・・・・・・」


 今度こそ帰ろうと足を踏み出したが、寸前で思いとどまり振り返った。


「今更なんすけど、ガキって名の住民はいないんで、ちゃんと名前呼んでもらっていいすか」






 五月晴れの真っ青な空が頭上で広がる。まだ頂までは上がりきっていない太陽を白くぼやけた虹が貫き、長く伸びて地平の境を曖昧にする。

 無人の公園の中心で、ボロボロのサッカーボールがぐるぐると回転している。

 公園からすこし離れた先にだれも座ることなく佇むベンチ。その傍らに作られた花壇。ここだけはいつも団地の敷地内で美しく整えられていた。どんな人物が手入れしているのか誰も知らないが、いつでも季節の花を咲かせるその様は住民の心を和ませる数少ない場所だった。

 赤いサルビアが植えられた花壇の中、日焼けして白くなったソフトビニールの人形がねじ切れた手足や首と共に半ば埋まって、花の下に茂る葉によって太陽から隠されながら、無数の根と絡み合っている。

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