フィクションの逃避

@styuina

第1話

 昔、いっつも行っていた公園に変なおっさんがいた。

 自称脱獄王で

「やたら声の良い刑事に追われたこともあったな。あいつら歌手とかバンドでもやれば良いのに」

 と武勇伝をわたしに語ってくれていた。

 わたしはそれを楽しみにしていた。

「ねえねえ、きょうはどんな話してくれるの?」

「そうだなあ。今日は悪党に追われた時の話をしよう」

「すごーい!」

 わたしはわくわくした。

 でも、おっさんは悲しげな顔をして首を振った。

「……いや、この話はやめておこう。君はもうこんな危ないことに首を突っ込んじゃいけないぞ? 悪い奴らがいっぱいいるんだからな?」

 わたしはおっさんの膝に手をついて言った。

「えー! なんで? 聞きたい! どんな話でもわたし聞くよ!」

 おっさんは困ったように頭をかいて、それからふうとため息をついた。

「……仕方ないなあ」

「やったあ!!」

「じゃあ話すぞ。あれは俺がまだ若くて、血気盛んだった頃の話だ……」

 おっさんは語り出した。

 むかしむかしあるところに一人の男がいたそうな。

 彼は若い頃に悪い組織に誘拐され、以来十年間その組織の奴隷としてコキ使われたそうだ。

「ひどい! そんなのってないよ!」

 わたしが怒っても、おっさんは首を振った。

「いや、酷いのは俺じゃなくて組織だ」

 そしておっさんは語った。

 組織から逃げ出すために彼がしたことはまず、声帯の摘出手術をされる前に自分の声帯に特殊な手術を施し、声を変えることだった。

「ええーっ!?」

 わたしはびっくりした。

「じゃあもうそのおっさんは昔と声違うの?」

「そうだ」

 おっさんは頷いた。

 そして彼は組織の目を盗んで逃亡し、十年間にわたる奴隷当然の生活の末に自由の身を勝ち取ったのだった……。

「……とまあ、ここまでなら美談で終わるんだがな」

 おっさんが遠い目をして言った。

「だが、俺は自由になった後、自分が何をしたいのかわからなかった。それでとりあえず旅を始めたんだ」

「うん……」

「そして色々な町や村を見てきた。そこで出会った人達の暮らしぶりもな……。組織の時ではわからなかったことが学べたよ」

 わたしは頷いた。

「……だからおっさんは脱獄したの?」

 おっさんは頷いた。

「そうだ。俺は組織に捕まっていた時に、自由が欲しいと思っていた。だが、いざ自由を手に入れてみたら何をしたいのかわからなかったんだ」

「それでおっさんはどうしたの?」

「俺は旅を続けた。そして色々なことを経験したよ」

「うん、それから?」

「それから……」

 おっさんはそこで少し口ごもった。

「……いや、この話はやめておこう」

「えーっ! なんで? なんでやめちゃうの!?」

 わたしが不満そうに言うと、おっさんは少し寂しげな顔をして言った。

「……君みたいな若い子にはまだわからないさ」

「そんなことないもん!」

 わたしは怒った。でもおっさんは首を振った。

「いや、あるさ」

「ないよ!」

 わたしはむきになって反論した。でもおっさんはそれ以上何も言わなかった。

 わたしはそれでちょっと悲しくなった。

「……ねえ、おっさん」

「なんだ?」


「その……。おっさんは自由になって良かったの? 楽しいこととかあったの?」

 わたしは恐る恐る尋ねた。するとおっさんは言った。

「ああ、もちろんだ」

「ほんと!?」

「本当だとも」

 おっさんは笑って頷いた。わたしは嬉しくなった。

「良かったあ!」

 わたしは飛び跳ねて喜んだ。でも、おっさんの顔は曇っていた。

「……だがな、俺はそれで良いのかといつも思うんだ」

「どういうこと?」

 わたしが首を傾げると、おっさんは言った。

「……自由というのは素晴らしいことだが、同時に孤独でもあるんだなと思ったのさ」

「孤独……」

 わたしにはよくわからなかったけど、なんだか悲しい気持ちになった。

 そんなわたしの頭をぽんっと叩いておっさんが言った。

「君はまだ子供だからな」

「そんなことないもん!」

 わたしはまた怒った。でもおっさんは首を振った。

「いや、まだ子供さ」

 おっさんはそう言うと立ち上がった。そして空を見上げた。わたしもそれにつられて空を見た。そこには綺麗な青空が広がっていた。

「……俺は自由になった後、色々な町や村を見てきた。そこで出会った人達の暮らしぶりもな……。だが、その生活の中に俺の居場所はなかった……」

 おっさんはそう言ってわたしの顔を見た。わたしは黙って聞いていた。

「なあ、君ならどうする? 自由を手に入れた後に自分が何をしたいのかわからなかったら?」

 おっさんは真剣な目をしていた。

 だからわたしも真剣に答えた。

「わたしなら……」

 わたしは考えてから言った。

「……きっとおっさんみたいに旅をすると思う」

「旅か……。それはどうして?」

 おっさんが尋ねたので、わたしは胸を張って答えた。

「だって、いろいろなところを見てまわるのって楽しそうじゃない!」

 するとおっさんは笑った。

「ははは……。そうだな。確かに楽しそうだ」

 おっさんはそう言うと、また空を見上げた。わたしもつられて空を見た。そこには綺麗な青空が広がっていた。

 ああ、なんて綺麗なんだろう。

 そう思いながらわたしは言った。

「ねえ、おっさん」

「なんだ?」

「これからも旅をするの?」

「ああ、そのつもりだ」

 おっさんは頷いた。

「じゃあさ、わたしも一緒に行っていい?」

 わたしがそう言うと、おっさんは少し困ったような顔をして言った。

「……それは駄目だな」

「え……。どうして?」

「なぜならな、君はまだ子供だからだ」

「えーっ! なんで? どうして?」

 わたしがまた怒ると、おっさんは困った顔をして言った。

「いや、君みたいな若い子にはまだわからないさ」

「そんなことないもん!」

 わたしは怒ってぷいっと顔を背けた。でもおっさんは何も言わなかった。それからしばらくしてからおっさんが口を開いた。

「……なあ、お嬢ちゃん」

「なに?」

 わたしが振り向くと、おっさんは言った。

「もし俺が本当に自由になれたら……その時は一緒に旅をしようか」

「え……。ほんとに?」

 わたしが聞き返すとおっさんは頷いた。

「ああ、本当だとも」

 わたしは嬉しくなって飛び跳ねた。するとおっさんは言った。

「……だがな、今はまだ駄目だ」


「えーっ! なんで? なんで駄目なの!?」

 わたしがまた怒ると、おっさんは困った顔をして言った。

「いや、お嬢ちゃんにはまだ早いんだ」

「そんなことないもん!」

 わたしは怒ってぷいっと顔を背けた。でもおっさんは何も言ってこなかった。それからしばらくしてからおっさんが口を開いた。

「……なあ、お嬢ちゃん」

「なに?」

 わたしが振り向くと、おっさんは言った。

「もし俺が本当に自由になれたら……その時は一緒に旅をしようか」

「え……。ほんとに?」

 わたしが聞き返すとおっさんは頷いた。そしてわたしに向かって手を差し伸べた。わたしはその手を取った。するとおっさんは言った。

「ああ、本当だとも」

 たのしみだなあ。

 わたしは胸がドキドキしてきた。

「ねえ、おっさん」

「なんだ?」

「その旅ってどこに行くの? どこか行くところあるの?」

 わたしが尋ねると、おっさんは言った。

「いや、まだ特に決めていないが……」

 そして少し考えてから言った。

「……とりあえずは海を渡ってみようと思っている」

「うみ!?」

 おどろいた! そんなところがあるんだ! すごいなあ……。見てみたいなあ……。でも遠いんだろうなあ……。

「その時は、またお話しを聞かせてね!」

「ああ、もちろんだ」


 なぜこの話だけ詳細に覚えているかというと、これ以降おっさんと会うことがなかったからだ。

 おっさんは口からでまかせでいろいろ喋ってたけど、海について話していたときに眩しそうな表情をしていたのを思い出す。具体的な海じゃなくて光輝く海というビーチを描いていたんだろうか?

 青いを通り越して、黄金のような光に満ちた海。

 わたしは23になる。

 就職できなくて、彼とも別れた。

 そんなときに、おっさんとの最後の会話を思い出したわたし。

 今では確かに孤独なわたしに何かしらの光は与えてくれたんだろう、あの人は。

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