イシノメ

実緒屋おみ/忌み子の姫は〜発売中

イシノメ

 わたし、盛原もりはら有香ゆかには友達がいません。小学校、中学校、そして今通っている高校と、ずっと。


 両親は共働き。そんなわたしの面倒を見てくれていたおばあちゃんも、鬼籍に入って数年が経過しています。


 とは言え、別に寂しいとかは感じませんでした。


 慣れっこ……というのでしょうか。いじめられているわけでもありませんしね。皆、大抵わたしのことをいないもの扱いするくらいなんです。


 だから最初、凄く驚きました。クラスメートの二人がわたしに話しかけてきたことが。


  ※ ※ ※


「ねぇねぇ、盛原さん。いつも一人で何見てんのぉ?」

「小物入れ? それ可愛いじゃん」


 放課後の教室。岐阜県の田舎にあるK高校――わたしが通っている学校の2-Bには、わたし、そして巻野まきのさんと金生かのうさんだけがいました。


 他のクラスメートたちはもう帰ったのでしょう。気付けば三人だけ。


 わたしは困ってしまいました。どう、人と話していいのかわからないから。


「えと」

「中見せてよぉ。わ、何これ、宝石!?」

「あー、きれーい。本物なの?」

「本物って言うか……半貴石なんだ。価値はないよ」


 私が口をもごもごさせながら言うと、二人は顔を見合わせます。当然だと思いました。半貴石と貴石の違いなんて、本格的な専門家でも意見が分かれているのですから。


「この赤いのはルビー?」

「ううん、ガーネット」

「えー、こんなに赤いのに違うんだ、へー」


 わたしの小物入れには、今までネットなんかで買い漁ったいろんな石が入っています。おばあちゃんが宝石集めを趣味にしていた人だったので、貴石――いわゆるサファイアやエメラルドなんかの小さな欠片も持ってはいます。でも、それは大切なものだから小物入れに入れていません。


 巻野さんと金生さんは、無遠慮に中に入っている半貴石のビーズへ触れてきました。


 カーネリアン、アクアマリン、ラピスラズリ、天眼石。全部大切なわたしの友達です。見ているだけでわたしを癒やしてくれる、大事なもの。


 それでも触られることに、不思議と嫌な気はしませんでした。わたしのように石へ興味を持ってくれればいいな、と思ったし、止める勇気もなかったからです。


「巻野さんと金生さんは、その、えと、なんで……」

「いっつも一人でこれ見てたじゃん? ウチ、盛原さんが何してるか気になっちゃってさぁ」

「あたしこれ好き、青いの」

「そう、なんだ……それはソーダライトだよ」


 うまく笑えているかわかりません。でも、せっかく話しかけてくれたから、場の空気を悪くするのも気が引けました。

 

 ごまかすようにうつむくわたしを、興味津々というように巻野さんが見つめてきます。


「ね、盛原さん。今日の夜ヒマぁ?」

「夜……?」

「あたしらがいつも行く場所あるんだけど、盛原さんも来ない?」

「どうしてわたしを?」

「石のこと、もっと詳しく教えてよぉ。三人だけの秘密ってことでさぁ」


 その言葉に、わたしは舞い上がってしまったのでしょう。秘密、お誘い。今までになかった友達同士のやりとり。寂しくはないと言っても、憧れがなかったと言えば嘘になりますから。


「あ、あんまり遅すぎるのはだめだけど」

「オッケーってことぉ?」

「う、うん」

「盛原さんってノリいいじゃん。この石、持ってきな。七時に集合ね! 場所は……」


 指定された場所は、学校裏にある山に通じる森でした。今は初夏。七時くらいならまだそんなに暗くならないはずです。わたしは小さく、それでも嬉しくて頷いていました。


(虫除けスプレー、あったかな)


 そんな呑気なことを考えながら、わたしはその日、はじめてクラスメートと下校しました。


 これから起こる出来事も知らずに。


  ● ● ●


 わたしが巻野まきのさん、金生かのうさんと森の入口で待ち合わせをし、山の麓へと入ったのは七時過ぎ。辺りは意外に暗くてびっくりしましたが、巻野さんたちは何度もここに来たことがあるようで、少し安心しました。


 違う学校の話、男子生徒で誰が好きか、それからちょっと恥ずかしい話題なんかを口にしながら辿り着いたのは、一つの廃社でした。ボロボロで、朽ち果てて、今にも崩れ落ちそうな大きい神社。鳥居だって壊れています。


「こ、ここなの?」

「そうだよぉ。中、意外と丈夫だからさぁ、安心しなって」

「あたしお菓子持ってきた」

「どうせうまか棒でしょぉ?」


 戸惑うわたしを尻目に、二人は堂々と中へ入っていきました。梢が揺れる音、空にまだ残る黄昏色が不気味で、わたしも慌てて後を追います。


 中は多少、腐った木の匂いがしました。それでも巻野さんの言うとおり、柱は虫に食われていません。懐中電灯やお菓子のゴミ袋、そんなものも転がっています。


「けっこーあたしら、ここ使うんだよねー」

「こんな不気味なとこを……?」

「誰も来ないしさぁ。男と会うには楽なんだよぉ」


 わたしはそうなんだ、としか言えませんでした。空調も効いていないのに寒気がします。内側から鳥肌が立つような感覚もしました。空気は外とは違いよどんでいて、それでも巻野さんと金生さんは平気な顔をしていました。


 きっと慣れれば大丈夫なんだろう、と思い直し、わたしも二人と円を囲むように座ります。


 石のことを聞かれ、話しているうちに、空気の濁りも寒気も気にならなくなりました。もっぱら喋っているのは二人で、わたしは聞き手に回っていましたが。それでも緊張が解けてきたのでしょう。ここが廃社だというのに恐怖心も抱かず、おしゃべりに夢中になっていきました。


「ふーん、パワーストーンって浄化? しないとダメなんだぁ」

「う、うん。悪い気を吸うって言えばいいかもしれないけど……」

「水ぶっかけりゃいいんじゃないの?」

「水に弱い石もあるから。セージでいぶしたりするのが一般的かな」


 あくびをしながら言う金生さんに苦笑し、わたしは持っていた小物入れを撫でます。めんどくさ、と二人が呟きましたが、ただ笑うだけにとどめました。


「ところでさ、あたし面白い話知ってるんだけど」


 と、金生さんが一瞬の沈黙ののちにすかさず切り出します。身を乗り出したのは巻野さんでした。


「なになに、どんな話ぃ?」

「一声呼び、って知ってる?」


 転がっていた懐中電灯を手に持ち、光を顎の下から照らして金生さんが不気味な顔を作ります。


「山でね、ただ「おーい」って言われても声を出しちゃダメなんだって。それは化け物の仕業。必ず二回以上声がかかったときにだけ返事をしないと……」

「しないと?」

「あの世に連れて行かれるとか……」


 きゃあ、と巻野さんが可愛い声を上げました。ケラケラ笑うのは金生さんです。


 一声呼び――わたしはおばあちゃんから聞いたことがありました。確かに金生さんが言ったとおりで、山に入る人たちは二声続けて互いを呼ぶようにしていたそうです。


盛原もりはらさんは知ってた? これ」

「う……ううん、知らなかった。怖いね」

「でっしょー。他にも怖い話、あたしいくつも知ってるんだー」


 とっさに嘘をついたのは、一応空気を読んでみたからです。自慢げにする金生さんの気分を悪くさせたら、と思うと、自然と首を横に振っていました。


 そして、ちょっと気味悪そうにしている巻野さんを怖がらせるためか、金生さんが短い怪談話を連発します。都市伝説、七不思議……わたしもネットを見るのは好きだったので、その多くは聞いたことがありました。


 けれど知らない素振りをして、巻野さんときゃあきゃあ二人で騒いでいた、そのとき。



「おーい」



 唐突に、男の声音でそんな声掛けがされたのです。


  ● ● ●


 シン、と一瞬にして神社内は静まりました。目を見開いているのは巻野まきのさんも金生かのうさんも、そしてわたしも同じだったはずです。


「おーい」


 声は、続きます。巻野さんが目だけで、金生さんを見ました。金生さんはふるふると首を振り、巻野さんを指さします。巻野さんも思いきり首を横に振っています。多分、知り合いの声かどうかを確かめているのでしょう。


 全身が粟立つ感触に、わたしはぞっとしました。二人がわたしを見ます。わたしも、二人と同じ仕草を作りました。


 声は外からではなく、神社の中で響いているような気がしました。それを二人は悟ったのでしょう。すかさず立ち上がった刹那、その動きを止めるようにゴトゴトゴトッ、と激しい、何かがぶつかる音がしました。


 涙目になった巻野さんが、立て付けの悪い扉を必死に開けます。金生さんも無言でそれを手伝い、本殿の戸は無事に開いたのですが――


「おーい」「おーい」「おーい」「おーい」「おーい」


 大きくなる声を無視する私たちの目に飛び込んできたのは、濃霧でした。


 灰色と緑を混ぜたような霧が立ち込めています。一メートル先も見えません。


 ゴト、ゴト、ゴト。


 神社の天井近くから大きな音が響きます。何度も、何度も、何度も。声が静まった直後、激しくなる怪奇音に、ついに巻野さんが涙をこぼして悲鳴を上げます。


「イヤっ!」

「待って、まきちゃんっ」


 わたしは声も出せず、動くこともできませんでした。だから見たのです。わたしを置いて逃げ出した二人へ向かう影が。


 影、いいえ、それは大小様々な眼球でした。


 赤い瞳を持った目玉だけが、ただ震えているだけのわたしの前を通り過ぎ、濃霧の中に消えた二人を追います。


 何が起きたかわからないままのわたしは、ただ怖くて、混乱して、その場に立ちっぱなしでした。


 そのとき、コツンと天上から落下音がしました。小物入れを抱き締めてそちらを見れば、黒ずんだ勾玉が一つ、懐中電灯の明かりに照らされています。


 直感的にわたしは理解しました。これは、この神社のご神体だと。


 石は、気を吸います。悪い気も、良い気も。それがご神体であるなら、なおさら浄化が必要だったでしょう。


 でもわたしにはどうすることもできません。幸い……と言っていいのか、目玉はここに出てきませんでした。


 逃げるなら今しかない。そう思い、小物入れを抱き締め、すり足でゆっくり、ゆっくり、音を立てないように必死で一歩を踏み出します。


 霧の中は、気持ち悪くてどうしようもありませんでした。粘つくような、体にまとわりつくような湿り気。呼吸をするだけで鳥肌が立ち、手が震え、叫んでしまいそうになります。


 元来た道はなんとなく覚えていました。だから、巻野さんと金生さんがいなくても帰ることができる――あの目玉とさえ鉢合わせしなければ。


 そう思ったとき、また、背後でコツンと音がしました。


 振り返ったわたしは息を飲みました。


 霧の中、それでもなぜかはっきりと見えたのです。……ご神体が。


 ご神体がわたしの背後、すぐ近くにあるのです。神社にあったはずのものが、どうして?


 どうして、どうして、と泣きそうになった刹那でした。


 突如、小物入れにあった石がじゃらじゃらと勝手に鳴りはじめたのです。わたしは狂乱し、それでも声を堪えて小物入れを遠くに投げようと――


 した、とき。


 小物入れの蓋が勝手に開きました。


 飛び出す石。月も星もないのに輝く石の全てが、赤く染まっていて。


 ――まるで兎の目玉のように、石は一斉にわたしを見つめてきたのです。


 悲鳴を上げたのか、泣き叫んだのか自分ではわかりませんでした。遠のく意識の中で、人影のようなものがわたしを見ていた気がする、それだけでした。


  ● ● ●


 ……それから、わたしがどうやって家に帰ったのか定かではありません。部屋の中、高熱を出してうなっていたとは両親の言です。実際、目を覚ましたのは三日後のことでした。


 巻野まきのさんと金生かのうさんは、森の中で倒れているところを友達に発見されたそうですが……頭がおかしくなってしまったそうです。今は病院に入院しているとかで、会うこともできません。


 あの事件以来、わたしは少し変わりました。


 ――石を食べているんです。


 部屋で一人、カーテンを閉めて、小物入れの中に入っている石を。


 絵の具を作るやり方で、できるだけ細かい粉末にして、食べています。


 小物入れの中には勾玉もありました。そう、あのご神体ですね。はじめて見たときは、どうしてこの小物入れに勾玉が入っているのかわからなかったのですが、今ならなんとなく理解できます。


 多分、神様は寂しかったのでしょう。人々に置いて行かれて、誰にも見られず、ないものとされて。


 まるでわたしのようです。


 あの霧の中、わたしを見つめていた誰かはきっと、神様でしょう。神様は独りぼっちのわたしと波長が合ったのかもしれません。それが良いものだとか悪いものだとか、もう、どうでもいいんです。


 体にいいはずない、ってわかってはいます。でも、目玉を。目玉をもっと潰さなきゃいけない。


 これらが神様の分身だとしたら、わたしは。



 えらばれたわたしはそれをすってたべてのんでかみくだいていきていかなきゃいけないんですだってそうでしょうかみさまがそうしろっていうんだからわたしはわたしじゃなくてかみさまのためにいきていかなくちゃいけないんですよあのふたりみたいにおびえたりしてにげたりなんてできないんですよ、もう。



 もう、にげられないの。





                      【完】

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