Act.2:境界の内側




◆一週間前・クレイマンズハウス◆




 メイザース最大の歓楽街を通るゴールデンアークストリートの一角に、裏専門のオークショニアであるドット・クレイマンのオークションハウスはあった。


 ショーパブを改造して作られた建物の作りは、かつての名残を思わせる華美な装飾や、ダンスホールの照明をそのまま転用したメインステージ。ギャラリーの壁に飾られた奇天烈な絵画の数々はドットの好みをベースに並んでおり、彼のこだわりと適当さをそのままレイアウトしたかのような、いかにもメイザースの小金持ちらしい様相を呈している。


 彼の扱う品々はどれもこれも盗品、盗品、横流し品、また盗品。ともかくまともなルートで流れてきた物は皆無に等しく、主宰のドット自身、まともなライセンスを得て競りを商っているのかも定かではなかった。


 とはいえ、このメイザースにおいて名刺や免許などといった類の肩書きが、キャンディの包み紙程度の価値しか持たないということは、この街の住人にとっては共通の価値観であり、筋書き通りに金と物が流れるのであれば世はこともなし。オークショニアに求められるのは、その筋書きをいかに円滑に、かつ確実に進められるかどうか、その一点に尽きる。


 その点で見れば、ドット・クレイマンという男の審美眼と司会としての手管、イベントを盛り上げるエンターテイナーとしての才覚には一定の評価があった。


 まあ、早い話、泥棒市場で商っていた転売屋が演出家を始めたら、たまたまウケてしまった。そんなイメージだ。そしてそんな彼をいち早く取り立てて、自らの興行の一環として組み込んだシンジケートの女帝、ノウェムもなかなか抜け目がない。


「さあ紳士淑女の皆々様ご覧あれ。今宵この時このクレイマンズ・ハウスのスポットを浴びる幸運に恵まれたのはこの彫像! なんでもさる帝国の片田舎、今は途絶えた名家が代々受け継いできた女神像を、どっかのバカが持ち出してピクルスの重石代わりに使ってたという曰く付きの品だ! スンスン……あぁ、ほんのりビネガーの香りがするが、刻まれた歴史は本物! 歴史的にも大変価値のあるこの『豊穣の女神像』 スタートは45万ミスルから!」


 メイザースに流れてきた曰く付きの品の代表みたいな女神像が、ドットの軽快な口上で祭り挙げられる。一体誰がそんなものを欲しがるのかと思いきや、意外にも競りは白熱の展開を見せていた。


 45万のスタート価格が5万刻みに上乗せされ、あれよあれよと落札価格は100万の大台に差し掛かろうとしていた。


 そんな逆バーゲンもかくやという様子を、会場警備についていた一人の男が鼻白みながら眺めていた。


「やだねえ、金持ちの道楽ってのは品がなくて。あんな海のものとも山のものとも知れないブツに大枚叩いてよお」


 暇に明かして堂々と煙草をふかしながら管を巻いているのは、この街では名うての何でも屋として知られる便利屋の男デュール。運び屋の仕事で腕も立つこの男は、仕事柄街中に顔が効く中立の人間として重宝されており、今回のような特定の派閥に依らない催しにおいては、小回りの効くフリーランスとして、よく声がかかる。


 今日彼がこの会場の警備についているのも、彼にとってはありふれた通常業務の範囲内というわけだ。


 クレイマンズハウスのオークションは通常のそれとは異なり、参加者は会場内のテーブルを自由に行き来し、各自談笑を楽しみながら進行する。競りに参加する際は、来場時にそれぞれ配られた専用のステッキを点灯させた上で指で金額を示す。いわばカクテルパーティのビンゴの代わりに競りを据えたような、一風変わった形のものであった。


 特にメリットがあるわけではない。単純に主催であるドット・クレイマンの趣味であり、それ以上も以下もない。

 というわけなので、会場には給仕役のバニーガルが各テーブルを巡り、ゲストたちのグラスに酒を注いだり、世辞に愛想笑いを振りまいたりしていた。


 そんな一風変わりつつも、あくまで退屈な警備仕事。しかも面白くも何ともない金持ち達の趣味を見せつけられる不快さの中で、デュールの興味を唯一引くのが、明らかに慣れていないピンヒールの足取りに難儀しながら会場内を回る一人のバニーガールだった。

 白髪のボブと兎耳のカチューシャが絶妙にマッチし、赤い瞳を隠す魔眼殺しのメガネが、可憐さの中に知的なフェチズムを思わせる。この会場の中でも一際異彩を放つ一人の少女であった。


「似合いすぎだろ。あいつ」


 爆笑したい気持ちを腹の底に強引に押し込め、尚も漏れ出す笑いに身を捩りながら、デュールはシャンパン片手に練り歩く少女の姿に釘付けになっていた。


 そんなデュールの視線に気がついたのか、バニー姿の少女は恥じらいと怒りに柳眉を逆立てながら、憤懣やる方ない様子でデュールに向かってにじり寄ってきた。


「笑いすぎだろテメェ、この野郎」

「だってよぉ、ブハッ。まさかここまで様になるとは思いもしねえもん」

「クソっ!クソっ! あの道化野郎、とんでもねえ役回り押し付けやがって」


 ステージで客どもを煽るドットを憎々しげに睨みつけながら、知性も可憐さもそこのけとばかりに、少女の口から罵声の言葉が滂沱と流れ出す。


 記憶を失い、当てもなくメイザースに流れ着いたこのアンという少女がデュールの元に身を寄せるようになってから二ヶ月。息を呑むような可憐さとは裏腹に、その性格はすっかりメイザース色に染め上がっていた。


「あーもう! マジでねえわ! ねえわ! なんだよ当日になっていきなり欠員ってよぉ。アタシにコンパニオンなんて務まるわきゃねーだろっての」


 わかりやすく地団駄踏むアンの動きに合わせて揺れるメガネが、秘め隠していた彼女本来の瞳の色をチラつかせる。


 彼女がかけている魔眼殺しのメガネは、ホムンクルスという特異な彼女の正体を誤魔化すための品であり、特殊レンズが彼女本来の瞳の色である赤の彩度を抑える役割を果たしている。


 そのおかげで、はたから見れば彼女の瞳はチェリーブラウンであり、特殊レンズが遺憾無く機能を発揮しているのは疑いようもない。にも関わらず、まるで彼女の内に沸き立つ感情を映し出すかのように、紅蓮の赤がレンズ越しにじわりと滲み出さんばかりだ。それが彼女の内側でわだかまる、沸騰寸前の不満の証拠であることを鮮烈に物語っていた。


「その割には好評みてえじゃねえの。見た限り、スタッフの中で一番忙しなく動き回ってるのはお前だぜ?」

「かれこれもう五回は尻を触られたよ。あのボケ共、仕事じゃなかったらぶっ殺してやるところだ」

「そいつは仕事に感謝だな。こんな香水臭い場所に血の匂いをぶちまけたら、いよいよ鼻が曲がっちまう」

「おかげで便所に行く暇すらねえ。どいつもこいつも人をこき使いやがって、いざとなったら奴らのグラスに用足してやる。どうせハンカチと尻の区別もつかねえノータリンどもだからな。構いやしねえよ」


 それは一部のマニアにとってはむしろご褒美なのでは……などという不粋は口が裂けても言えたものではないが、なんだかんだとこの社会に適応しつつあるアンの姿に、曲がりなりにも雇い主であるデュールとしては多少有り難くもあった。


 立場を弁えず誰にでも突っかかっていたあの頃であれば、手癖の悪い客の指がコンマ一秒尻に触れようものなら、即座に腕ごと斬り落としていただろう。が、今はそれを呑み込んで給仕役に徹する姿は成長と評すほかない。


「まあそう腐るな。ドットの野郎も報酬は弾むって言ってるわけだし、これもひとつの社会勉強と思え」

「オメーはそこでモクキメてるだけだからいいご身分だよな」

「いいから仕事に戻れ。ほれ、あそこ。グラスが空いてんぞ」

「ちぇー、面白くねえ」


 これまたわかりやすくむくれながら、やはり慣れないピンヒールの違和感に難儀する足取りで、際どいハイレグの尻を揺らしながらアンは戻って行った。


「やれやれ、俺もガキのお守りが板についてきちまったかな」


 誰にとなく呟きながら、デュールは大仰にかぶりを振る。


 ほんの数月前。運命のいたずらによって引き合わされたホムンクルスの少女と便利屋家業の一匹狼。このメイザースという、吹けば飛ぶような倫理の最果てで奇妙な縁に振り回されながらも、この男の強かさはそう簡単には揺るがない。


 だが、それも振り子如何であるという事を、今宵巻き起こる一世一代の乱痴気騒ぎを通して、彼は嫌と言うほど思い知ることになるのだが──しかし彼はまだ、その予兆にさえ気づくことはないのであった。


 迂闊にも。




◆◇◆




 気品という言葉から遠く離れた無粋さで、札束の飛び交うオークションの様子に眉をひそめる一人の老人がいた。


 ドレスコードに細心の気遣いを払って仕立てたダークブラックのスリーピーススーツ。威圧感のあるフェドーラハットに黒檀の杖という装いは、正常な社交の場であれば年相応の威厳と気品を醸しつつも、下手に目立つことのない最適な選択のはずだった。


 しかし現実はどうだ。目に付く誰もが過剰に飾り立て、下品なハイレグのバニーガールがバラバラの歩幅で会場内を闊歩し、ステージに立つオークショニアでさえ、道化だか伝道師だか分からないような格好で恥ずかしげもなくガベルを振り回している。

 会場警備についている連中もやる気があるのかどうか、隅の方で柄悪く佇んでいる銀髪の男ときたら、臆面もなくタバコを吹かし、その足元にはすでにいくつもの吸い殻が野放図に打ち捨てられていた。

 これでは時と場所を選んだ無難な正装で訪れたはずの自分が、まるで場違いであるかのような錯覚さえ覚える。いや、これはもう錯覚ではない。老人はすでに、明確なバカバカしさに感情を支配されていた。


 ──なんたる醜穢な……腐っても帝国の一都市に、まさかこんなにも堕落した街があったとは。


 メイザースの悪名についてはそこそこ覚えがあると高をくくっていたが、想像以上の惨憺たる有り様に、老人──Dr.バルサモのいわおのような顔に刻まれたしわは、より一層深さを増すばかりだ。

 

 彼がこうも矜持に合わないメイザースの街の、あらん限りの無粋さを集めて煮詰めたかのようなオークションパーティに足を運んだのは、無論そこに彼の求める品が出品されるからに他ならないのだが、それにしても先程からスポットに照らされる品々の胡散臭さたるや、だ。

 出自不明の女神像、抽象画と呼ぶにも無理のある落書きじみた絵画、オカルティズム満載の悪魔のものとされる遺骨。大昔の偉人から切り取られたという局部の死蝋、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ──


 怪しげな品目の数々を見ては眉をひそめ、これほどまでに俗悪な品物が堂々と取引される現場に居合わせる羽目になった己の運命を呪う。Dr.バルサモは、自らの右手に握られた黒檀の杖を僅かに軋ませながら、内心の不快感を抑え込んでいた。


 彼が目当てにしている品は、まだ競りにかけられていない。だが、既にこの場にあるはずだ。それが分かるのは、入念な下調べに加え、彼が数十年にも渡り追い求めてきた”ある感覚”が、微かに鼻腔をくすぐっているからである。


 不老不死の妙薬──それはただの比喩ではない。この荒廃した街で語られる全ての胡乱な噂話の中でも、最も荒唐無稽で、かつ最も危険な話題だ。その品を巡る争いが何人もの命を奪い、どれほどの巨万の富を飲み込んだか、バルサモは嫌というほど知っていた。というより、彼自身がその争いに深く関与してきたのだ。


 「まだまだ終わらないぜ諸君! 財布に余裕はあるか? よろしい! ならば次なる品を紹介する時間だ。さて、これは……」


 ステージ上でドット・クレイマンが誇張した身振りとともに次の品物を掲げる。その姿は道化じみているが、観客の視線を引きつける術にかけては確かな才能を感じさせる。


 バルサモはその様子を、目尻の皺ひとつ動かさず見つめる。次の品目が目当ての物である可能性は低い。それでも注意を怠ることはできない。この街に集う者たちは誰もが狡猾で、目的のためには手段を選ばない。彼がこれまで何度も生き延びてきた理由は、まさにその用心深さにある。


 「ロイヤルアルバトロスの羽根! 皇帝の冠を飾ったと言われる至高の装飾品だ!」


 ドットの声が会場を煽るが、バルサモはその瞬間、鼻で笑った。それが真作であろうとなかろうと、彼には興味がない。

 どれだけ珍奇な出品と、それに群がる俗物達に煙に撒かれようと、バルサモの嗅覚に触れた"あの感覚"だけが、彼の目的意識に明確なしるべを立てていた。


 この児戯にも等しいマネーゲームの中心に、間違いなく不老不死の妙薬がある──Dr.バルサモはそれを手にするために、自らの長い人生の中で培った全てを賭ける覚悟を決めていた。故にオークションの参加者達を、ただ俗物と切って捨てるだけではない。連中の一人一人が何に興味を持ち、いくら投資するのか、その癖をつぶさに観察し、来たる勝負の場で彼にに立ち塞がる敵が誰なのかを、慎重に見極めようとしていた。


 だが、あくまでもそれは、余所者が備えるメイザースへの警戒の範疇でしかない。


 この街の余所者に対する異常なまでの排他性……いやむしろブラックホールの如き重力場の苛烈さを前に、「警戒しすぎる」などという事は決してあり得ない。

 半端な悪党が一度飲み込まれたら最後、この街の重力に悉くを押しつぶされ、二度と街の外の世界を拝む事は叶わない。


 メイザースのこの特異点の如き特性が、まるで事象の地平線のように外部からの観測を困難にしており、いざその全貌を知ろうと思うなら、中に入り込むしかない。

 だがそれは同時に、この街の強烈な引力にその身を委ねることと同義であり、この街に踏み込んだ人間は否応なく、命知らずの烙印を押されることになる


 無理からぬ話ではあるが、昨日今日この街に訪れたばかりのバルサモには、もはやそれを知る由もない。

 この街に渦巻く力の法則を。そしてそれがいつどんな形で牙を剥くかも知れない、底知れぬカオスの前兆を。


「……ん?」


 ふと、視線を感じた。

だが、それがどこから発せられたものかはすぐには分からない。周囲を見渡しても、金色の羽根に歓声を上げる俗物達が無秩序に席を移動しているばかりだ。

 不快に眉をひそめながら視線を戻そうとした瞬間、その場の喧騒とは不釣り合いな静かな圧を持つ視線を捕えた。


 バルサモから数列離れた席に佇む、一人の女がいた。

 微笑を浮かべながらこちらを見つめる彼女は、その優雅さと冷たさが同居する佇まいにおいて、この場の誰とも異質であるように思えた。

 女は軽く会釈し、しかしその場を立ち去ることなく、バルサモを見据え続けている。


 腹に一物抱えた余所者の嗅覚を、誰よりも敏感に感じ取り、早くもバルサモという男の異質さを察したかのようなその笑み。

 バルサモはまだ、その視線が意味するところに気付いていなかった。

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黎明のアイコノクラスム 痕野まつり @atonovel

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