第四章─Ashes and Diamonds─
Act.1:観測者はかく語りき
第四章:─Ashes and Diamonds─
私の身体から松明のように火花の飛び散る時
我が身を焦がしつつ自由の身となる日を、私は知らない。
持てるものはすべからく失わるべき
残るはただ灰と、嵐の如く深淵におちゆく混迷のみ
永遠の勝利の暁に、灰の底深く
燦然たるダイヤモンドの残らんことを
──戯曲「舞台裏にて」
◆現在・PHN本社◆
悪徳の都、メイザース。
世界中の悪党が角突き合わせ、騙し合い、喰らい合う。街全体が一人の覇者を決める為に作られた蠱毒の虫壺のような、神でさえ見放した最果ての悪人街。
蠱毒と違う点があるとすれば、中に入れられたのが本能のまま喰らい合う虫ではなく、打算を覚え相互利益の概念を解する人間である点であろう。
移民政策の失敗に端を発し、今やマフィアやカルテルを初めとした黒社会の組織が幅を効かせるに至ったメイザースの姿は、一見すれば無秩序な混沌の坩堝と化している。
が、そこには拮抗した各勢力によってもたらされる確かな力学が存在し、そこには明確な法則が動いていた。
まるで星々が重力によって互いに作用し合うように、この街にもまた、いくつかの重力場が点在しているのだ。
ひとつは北方ゲリラをルーツに持ち、武力と麻薬のパワーで勢力を拡大した麻薬カルテル。
ひとつは歓楽街を牛耳り、広範な人脈を武器に政財界といくつものパイプを持つ犯罪シンジケート、スタシオン・アルク・ドレ。
そしてもう一つは、たった一人で巨大組織と渡り合うだけの戦闘能力を有し、弱きを助け強きを挫く鉄の女リルフィンゲル。
三厄災と呼ばれるこの三者を筆頭とし、このメイザースの綱渡りの均衡は保たれていた。
プロヴィデンス・ヒューマン・ネットワーク社もまた、このメイザースの力を司る重力場のひとつであり、その力の正体は「情報」だ。
かつて帝国の情報機関のエージェントを初めとした各国の諜報員たちがメイザースを拠点にする際、自然発生的に生まれたスタンドアローンのネットワーク。やがてそれは国家の
今やその組織は完全に街を覆う人の網と化し、完全中立の名のもとに、裏社会のあらゆる情報を扱う一大シンクタンクとしての立場を確固たるものとした。
組織をまとめるのは、メイザースでは「
社長室のプレジデントチェアに腰掛ける彼のデスク周りは、書類の束がまるで地層のように積み上げられ、その様はさながら紙の砦。PHN社の扱う情報がいかに膨大であるか、彼のデスクをひとつ見るだけでも一目瞭然である。
そんな雑然とした社長室にはもう一人、くつろいだ様子で来客用のスツールに腰掛ける者があった。
PHNにいくつか存在する調査部署の、とりわけ遺失物関係の調査を担当する部門に所属する一人の青年。一年を通して温暖な熱帯地域のメイザースにあっては蒸し暑いだけの厚手のローブを身に纏い、目深に被ったフードから覗く、くせっ毛の金髪とアイスブルーの瞳。感情変化に乏しくもどこか幼さを感じさせるのは、その実PHNの中核を担うサイコメトラー、「天網」のダンテであった。
普段は自分のデスクでのんべんだらりと過ごしているダンテが、こうして直々に社長室に訪れたのには理由があった。
一週間前、メイザースで開かれたとある闇オークション。シンジケートの息のかかった団体が主催しているという点を除けば、規模としてはなんてこともない、メイザースにおいてはごくありふれたイベントの一つだ。
出品される品々も、一部を除けば取り立てて物騒なものもなく、小金持ちの道楽という側面の方が強い。本来であれば話題にすら上がらない程のものでしかなかった。
しかしこうして、PHNの社長が直々に報告書を読む事態になったということは、件のオークションには、少なくともオクトラスの耳を
「例の件についての報告書を読ませてもらいました。メイザースらしいといえばそれらしい、実に興味深い内容でしたね」
「僕としては飛んだ骨折り損でしかなかったよ。みんな揃いも揃って偽情報に踊らされたんだから」
「半分は君の趣味でしょう? 八つ当たりは頂けませんね」
調査任務がよほど気に入らなかったのか、はたまた徒労に付き合わされたことに不満でもあるのか。なにやら虫の居所の悪いダンテを、オクトラスが柔和な声色で宥める。
「我々PHNが扱うのは情報。しかしそれは真贋にのみ価値を見出す鑑定士のそれとは違います。我々が真に注目すべきは、事件、事物に関わった者達ひとりひとりにまつわる「物語」なんですよ。そういう意味で、君が目の当たりにした事件は、多くの物語が交錯した興味深い内容でした」
「勿体つけた言い方してるけど、結局は誤解とヒューマンエラーの蓄積でしょ」
「誤解もエラーも、物語においては重要なファクターです。そこでの化学反応が思いもよらぬ手がかりを吐き出すこともある。そうして生まれた情報には、単なる伝聞や証拠の積み重ねからは得られない何か。月並みな言い方をするなら「真理」に近い何かがあるのですよ」
「その真理という名のゴシップのために、事件解決から一週間もかけて事後調査に駆り出されたって言うのかい?僕は」
「辛辣な物言いですね。まあ、業務外で得た秘密にこそ価値を見出す君からしてみれば、後出しで業務に当てはめられる時の不快さといったらないでしょうが」
「お察し頂き大変恐縮ですよ、シャチョー」
完全に不貞腐れモードのダンテが
収集家として極めて優秀な手腕を持つダンテがこうもむくれるのは、この報告自体が、彼独自の価値観に基づく主義にやや反するものだったからだ。
多くの情報に触れ、それを売買することによって成立するPHNの商いに携わる上で、ダンテが自信に課した信条は、「業務外で得た情報は自分の中だけに留めておく」事である。
それは彼にとって、金銭を媒介する商品に成り下がった無味乾燥的な情報を、金には変え難いお宝に昇華させる矜持のようなものでもあった。
曰く、「沈黙は金、秘密はダイヤモンド」だ。
秘密は誰にも明かさないからこそ未知数の価値を持つ。それに準えて言うのであれば、一週間前に、半ば趣味で首を突っ込んだ事件に関する情報を、後になって「業務命令」の名のもとに公開しなければならなくなったのだから、面白くないのは当然である。
とはいえ、調査にあたって会社の経費を用いている以上、それは彼個人の采配に収まるものではなく、あくまで社の成果物として扱われるのが妥当だというオクトラスの主張には、なんら瑕疵はない。
というわけで、オクトラスの経営的合理性の名のもとに無惨にも敗れたダンテは、「ここだけの話」という譲歩の元、事の顛末を報告するに至ったのである。
「では、改めて君の口から聞かせてもらいましょうか。君が言うところの誤解とヒューマンエラーに始まり、果ては三厄災が総動員され、結局誰一人として得をしなかった珍事件。不老不死の妙薬を巡る物語を」
俯瞰者としての立場を存分に楽しむかのように、オクトラスの口角が吊り上がる。
事の始まりは一週間前。例のオークションに出品された、曰く付きの品であった。
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