Act.12:慰めの報酬




 メイザースの中立地帯で悪党どもが憩うバー『エデン』がニューアルを果たしたのが、カレン・ニンフェアの事件が収束してから一週間ばかりが過ぎた頃だった。


 先の戦闘で負傷した肩の傷がまだ癒えていないデュールは、期せずして持て余した休暇を使い、新装開店したバーに早速赴くと、いつものごとく好物のシャルバチアの甘みに酔いしれていた。


「お兄さん、本当にこのお酒が好きなんですね」


 そう言って邪気のない声で話しかけてきたのは、バーのマスターにしてはいささか以上に似つかわしくない少女。かつてこの店を切り盛りしていたマスターの一人娘だという。


 一月半程前、この店はデュールを襲ったギャング共によって半壊状態にされ、巻き込まれたマスターもその凶弾にたおれている。

 そういう意味では、少女にとってデュールは親の死に因縁ある存在なのだが、そんな様子はおくびにも出す様子もない。

 そういう人間はこの街では珍しいし、マスターの死に少なからず関わってしまったデュールとしても、その珍奇さは決して心地悪いものではなかった。


「まあ、な。口に入れるもんくらい甘くたってバチは当たらねえよ」


 鼻と口に満ちる芳香に五感を委ねながら、あくまでも素っ気なくデュールは答える。

 甘党というデュールの意外な一面は、彼を知る者にとっては格好の揶揄やゆネタなのだが、幸いにして今はそういった無粋を働く者もいない。デュールは今、存分に好物にありつく事ができた。


 もっとも、完全に一人きりではないというのが唯一の不満点なのだが。


「おかわり」


 そういってすでに五枚の皿を積み上げ、フードファイターもかくやと追加の注文をする馬鹿──もといアンを横目に、デュールはこれ見よがしにため息を吐いた。


「あのなお前、今夜で報酬全部使い切るつもりじゃねえだろうな?」

「バカヤローおめえ、またぞろ店主に死なれでもしたら、今度こそこの飯にはありつけねえかも知んねえだろうが」

「バカはお前だ。縁起でもないこと言ってんじゃねえよ」


 二代目マスターを前にとんでもないことを言ってのけるアンをデュールが諌め、その様子をマスターたるルカが苦笑いで眺めつつ、


「このお店、イービスさんとノウェムさんが共同出資で建て直してくれたんですよ」

「へえ、旦那と姐御が?」

「ええ、イービスさんが人手を貸してくれて、ノウェムさんがお金を負担してくれたんです」

「そりゃいったいどういう風の吹き回しなんだか」


 休戦中とはいえ、両組織は今もこの街の覇権を巡って睨み合う敵同士。構成員たちの面子を思えば、こういった表だった友誼は決して好ましいものではないのだろうが、相変わらず二大巨頭の考えることはよく分からない。


 まあ、非合法組織の商売が必ずしも非合法なものだけで成立するわけではない、むしろ裏稼業を成立させるために、表ではクリーンな事業を展開しておかなければ話にならないのだ。カルテルのフロント企業である警備会社も、シンジケートの運営するカジノやクラブも、基本的には公に開かれた商売として運営されている。


「多分、あの人達なりのお礼なんだと思いますよ。デュールさんに対しての」

「俺に?」

「言ってましたよ。あなたがこの街の危機を回避したって」

「別にそんなんじゃねえよ。俺としても降りかかる火の粉を払わなきゃならなかったからな」


 ルカを通して彼らの意図を察したデュールが味な顔で煙草に火をつけた。要するに、ここが彼の行きつけであった事を知っていた彼らによる粋な計らいというわけだ。無論、マスターの死によって寄る辺を失ったルカに対する配慮もあるのだろうが、何にしてもそういうさり気なさを邪険に思うほどデュールも捻くれてはいない。


 そんな時、背後で店の扉を開ける音が響く。ただヒールが床を叩く音だけでもどこか雅な雰囲気を醸し、店内の注目を総なめにする来訪者の正体は、今しがた話題に上がったシンジケートの首魁たるノウェムであった。


あねさん……」

「やっぱり、いると思ったのよね」


 特に許可を求むこともなく、ノウェムはデュールの隣に腰掛ける。唐突な大物の来訪に、ルカも思わず表情が緊張に引き締まった。


「あ、あ、こんばんわ! ノウェムさん」

「そんなに緊張しなくていいのよ。ここは誰もが立場に関わりなく憩う貴重な場所。あなたはそこの主なのだから、毅然としていなさい」

「はい! でしたらご注文はどうしますか?」

「そうね、彼と同じのを。あ、ミントは抜かないでね」


 どういうつもりなのか、いまいち真意の読めない振る舞いにデュールにも困惑の色が浮かぶ。見たところ護衛を引き連れている様子もなく、今夜ノウェムは完全に一人でここまで来たようであった。


「何しに来た? っていう質問も変なんだが、どうしたんだい、姐さん」

「うーん、なんとなく?」

「なんとなくって……」

「本当に深い意味はないのよ。そういえば今日が新装開店の日だったなって思い出して、もしかしたらあなたも来てるんじゃないかって思っただけの、ただの寄り道」


 手早く注がれたグラスをくゆらせながら、どこかアンニュイな表情でノウェムが言う。それは決して真意を煙に巻くような感じではなく、本当にただの気まぐれのようであった。まあ、別に彼女の行動全てが、常に何か企みがあっての物などとは考えてはいないが。


「あたしからの贈り物は気に入ってくれたかしら?」

「あんたらしいとは思ったよ。報酬のおまけとしてはこれ以上ないくらいだ」

「そ。気に入ってくれたのなら何より」


 にこやかに微笑みながら、ノウェムはグラスの酒を口に含む。


「本当に甘いわね、これ」

「あんたが頼んだんだろうが」


 いわれのない文句にデュールが噛みつく。別に良いではないか、好きなものくらい飲ませてくれと。

 そんなデュールに対し、ノウェムはまるで旧い友を思うような郷愁を笑みに含ませた。


「あの子もね、このお酒が好きだったのよ」

「あの子……?」

「カレンよ」

「……そ、そうなんだ」


 どんな顔をすればいいのか分からない。自分が殺した相手が何を好んでいたのかなど、過ぎた今となっては知る意味もない話だ。

 とはいえ、ノウェムはそんな当て擦りのような真似をする女ではない。カレン・ニンフェアの過去を知る者として、ただ在りし日を思い出したくなった。そんな雰囲気だった。


「真面目と完璧主義がメガネかけたみたいな子だったわ。それだけに今回の件は本当に残念。秘書としては間違いなく優秀だったからね」

「だろうな。俺らもかなり辛酸を舐めさせられたよ。正直今回は運が良かった」

「運も実力のうちよ。というより、運以外の全てを埋め合わせた者にだけ、運を語る資格が与えられるのよ。そういう意味では、今回は本当に最後まで何が起こるのか分からなかったわ」

「買いかぶりすぎだ。今回俺がしたことは、進めるべきところに駒を進めただけだ。俺自身はほとんど何もしてない」

「そういう自分に厳しいところ、あの子にそっくりよ。あなた」

「そうかね。俺はあいつほど完璧主義じゃないんだがな」


 忌憚きたんなくデュールは思いの丈を述べる。不思議な感覚だが、自身とカレンに共通点を見出されたことに対する不快感はあまりなかった。彼女がデュールやノウェムに対して働いた狼藉ろうぜきは、文字通り万死に値する行為に他ならない。しかしその行動とは裏腹に、カレン・ニンフェアが抱いた理想には、どこか一途なまでの誠実さがあったのは事実なのだ。


 とはいえ、彼女の最大の瑕疵かしは、自身のその能力故に教訓を得られなかった点だろう。

 彼女の固有魔術である複製術式とはいわば、本来自身に降りかかるはずだった痛みや恐怖でさえ複製体に押し付けることを可能にする究極のスケープゴートだ。


 彼女がここまで狡猾に立ち回れたのは、自身に替わって複製体に失敗を経験させ、そこで得た情報をデータとして還元し、次手を講じる際に「いかに失敗しないか」という立ち回りを検討する材料にしてきた故だ。


 しかし彼女はその際、発狂のリスクを恐れて『痛み』という最も根源的な教訓を薬物を用いて排除することで、リスクと実益の天秤を徐々に狂わせて行った。そしてそのリスク回避が、結果として他者をかえりみない心、相手を選ばない無謀さの醸成に繋がったのだろう。

 

 実際、あの能力であれば、確かに相手を選ぶ必要はない。術式の秘密が割れない限り、本来であれば死に直結するようなトライ・アンド・エラーでさえも躊躇ちゅうちょなく実行に移すことができるのだ。そうやって、文字通り命をも顧みない失敗を繰り返すことで、カレン・ニンフェアはあのような大胆な計画を構築するに至ったのだろう。

 

 しかし、この街の法則は痛みと恐怖なしでは語れない。それを軽んじる者に、この街は容赦しない。確かに彼女の計画は、立ち回りそのものに関しては完璧に近い精度を誇っていた。しかしその実、幾度となく繰り返された無謀によって本質的なリスク感覚は完全に喪失しており、その無謀さが、最終的に彼女の破滅を招く結果となったのだ。


 結局のところ、どれだけ立ち回りを強化しても、どれだけ自身を鍛え上げようとも、命は一つという宇宙の真理からは誰一人として逃げることは出来ない。

 その認識の差が、総合的な実力面で拮抗していたカレンとデュールの明暗を分けたと言ってもいいだろう。


 とはいえ、全ては過ぎ去ったこと。過去に教訓と学習を得ることはあっても、そこに囚われることはない。すでにデュールの中では、カレン・ニンフェアという人物はただの経験として昇華されていた。それは相も変わらずエデン名物のミートサンドをかき込んでいるアンにとっても同じことだった。


 ただ──


「あいつは強かったよ。それだけは間違いない」


 すでに十に届こうとしている皿を積み上げながら、アンは飾りのない言葉でカレンを讃えた。


「あいつのジュツシキ? はきっと戦闘には向いてなかったんだろ? 正直アタシも舐めてたよ。魔術師がただの人間に負けることなんてないって。きっとすげえ努力したんだろうな」


 それは、デュールがカレンに対して感じていた一途さに通じる要素の一つであった。アンの秘密を鑑み、ノウェムにすべて明かすことはないが、ホムンクルスの人智を超えた身体能力に、生身で渡り合ったカレンの技術に関しては、ただの狡猾さでは語りきれない。


 あれだけの技術を身につけるともなれば、ただ奸智かんちなだけでは至れない。計算を超えた執念、「強くありたい」という並々ならぬ渇望がなければ、決して到達することの出来ない境地だったはずだ。


 古くからカレンを知るノウェムが惜しんでいるのは、まさにその部分だったのだろう。過酷な現実が日夜課されるメイザースという街で、一組織をまとめ上げるのは並大抵のことではない。誰よりも冷徹であることが要求され、乾き切った血と涙が降り積もる実利のすなはらを歩むノウェムとて、その渇望に目を背けることは出来なかった。


「本当、馬鹿な子」


 ノウェムは多くを語らなかった。彼女は組織の長であると同時に、組織そのものへの奉仕者、もっと言えば奴隷だ。その真理を知るがゆえに、彼女には故人を悼む権利は許されていない。特にこのメイザースにおいて、感傷的な弔慰ちょういは組織内の士気に直結する。常に正当な評価が求められる長に許されているのは、組織を逸脱した者に対する冷酷にして無謬むびゅうの鉄槌のみだ。


 それが、罪の花道を歩む奉仕者に課せられた『忠誠』と言う名の罰であり、そこに唾する裏切りは裏社会最大の侮辱として忌み嫌われ、それを犯した者に対しては、情け容赦のない報復が待ち受けている。


 故に、ノウェムはこの先もその真意を明かすことはないのだろう。組織の長として、然るべき振る舞いを貫くに違いない。そこまでして何を求めているのかはわからないが、少なくとも今この瞬間において、彼女はシンジケートという檻の中で咎を背負っていることだけは確かなのだ。


 その覚悟の片鱗へんりんを感じ取ったデュールは、せめてもの敬意として、言葉なきノウェムに替わってルカに注文を出す。


「ルカ、新しいグラスにもう一杯だ」

「かしこまりました」


 間もなくして注がれたグラスを、座る者のない席に静かに置いた瞬間、彼の心には深い静寂が広がっていた。カレンが全てを精算し、その命を捧げたことで、彼女への憎しみや怒りは、もはやデュールの中に影を潜めていた。

 カレンとの因縁も、彼女の死と共に一つの終着点を迎え、メイザースの街はその不変の輪廻を続けていく。彼らの物語は終わり、街の命脈は絶え間なく続いていくが、その輪から外れた者たちのことを振り返る者は誰もいない。


 今宵の一幕は、デュールにとって特別なものだった。誰にも気づかれず、誰にも知られることのない静かな祈りの時間。それは彼自身が、かつて敵対した者への最後の敬意を表す一瞬であり、同時に過去を手放し、新たな未来に向けて進んでいくための儀式でもあった。口を付けるもののないグラスを前に、言葉もなく、すっかり燃え尽きた吸い殻から漏れた煙が、まるで消えゆく魂のように、ゆっくりと薄闇の中に溶け込んでいく。


「一杯だけ奢ってやるよ、クソ野郎」


 儚くもその夢を散らした一人の挑戦者に対し、デュールは静かにグラスの縁を重ね合わせた。


「ありがとう、デュール」


 デュールの計らいを受け取ったノウェムが掠れる声でつぶやき、自身もまた注がれたグラスを軽快に合わせ、喉元まで出かかっていた思いの全てを、甘い芳醇と共に飲み干した


「やっぱり甘いわ、これ」

「そうだな。でもそれがいいんだ」


 デュールはそう言って自身のグラスを空けつつ、新しい煙草に火を灯した。その明かりを、ノウェムの頬を伝っていた一筋の軌跡が反射したように感じたが、それは見なかったことにしようと胸に決め、デュールはゆっくり、深々と、噛みしめるように紫煙を吐き出した。




 第三章 ─完─

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