誰もが認める優等生なあの子が不良だということを僕だけが知っている
吹井賢(ふくいけん)
【煙草と彼女】
部室にやってきた彼女は、先々代の戦利品だというソファーに座り込むと、
「―――ね、鍵」
と、僕に命じる。
パイプ椅子に座っていた僕は立ち上がると、すぐ後ろにある扉を動かなくした。
鍵を掛けたわけではない。ドアのレールに棒を差し込んだ。心張り棒、というやつだ。
僕達の間では、この心張り棒のことを便宜的に「鍵」と呼称している。
僕達、というより、僕と彼女の間では。
「あー、もう!」
彼女――
綺麗に切り整えられたショートカットが台無しだ。それでも彼女の魅力は一切、損なわれないけれど。少しばかり、変化しただけだ。あるいは本性が出ただけだ。如何にも成績の良さそうな、清楚な女子高生から、目付きの悪い、気だるげな不良少女へと。自他共に認める美少女であることは変わらない。
ついでにブラウスのボタンを二つ外したら、いつもの彼女の出来上がりだった。
「もー、やめだやめだ! 禁煙なんてやめた! 煙草やめるのをやめる!!」
常盤はそう吐き捨てて、背後にある空気清浄器の電源を叩くように入れる。
先代の戦利品が動き出すのを待って、彼女はボストンバッグの底に隠した煙草を取り出す。流れるように一本咥えて、そのまま火を点ける。手慣れてるなあと思うと共に、「お前に禁煙は無理だったんだよ」という感想を抱くも、口に出すと鞄を投げ付けられそうなので、やめておく。
そこに座っているのは、皆が知る、物静かで聡明な『常盤藍』ではない。
僕しか知らない、不良な『常盤藍』だ。
「あ゛~、いぎがえ゛る~」
煙草の灰を空き缶という簡易灰皿に落としながら、顔を机に沈める。ぐでり、という擬音が聞こえた気がした。そのままスライムみたいに溶けてしまいそうだ。
ニコチンを摂取して相当リラックスしたらしく、眦は下がり、目付きの悪さが緩和されている。
コイツ、眼鏡を掛けているから賢そうに見えている、つまり誤魔化されているだけで、目元だけ見ると、かなり鋭くて、剣呑な感じなんだよな。元ヤンって感じ。正しくは今ヤンなんだけど。現在進行形ヤンキー。
学年トップクラスの成績を有し、ここ、『数学部』なる謎の部活の部長を務めるほどに数学に秀でた常盤ではあるけど、同時に言い訳のしようがなく、不良なのだと思う。当たり前のように僕に命令してくるし、渋ると思いっ切り舌打ちをするし。正直、かなり怖い。
何より喫煙者だしな。
なお、数学部とは文字通りに数学を勉強する部活だ。部員は僕と彼女の二人のみだ。
場所は部室棟の最上階の一番奥。
事情を知らぬ者はこの教室を「倉庫」と呼ぶ。
身体を起こした常盤は、先と変わらず流れるような所作で煙草を咥えた。
「常盤」
「ふーっ……。何?」
「お前、どうして禁煙しようなんて思ったんだ?」
彼女はきょとんとした顔をして、こう訊き返してくる。
「え、言ってなかったっけ?」
「僕が聞いたのは、月曜だか、火曜だかの帰り際に高らかに発された『禁煙する!』と宣言だけで、理由も経緯も全く知らないぜ」
その時、訊ねても良かったのだが、彼女は「禁煙するぞ禁煙するぞ禁煙するぞ!!」と自身に言い聞かせながら帰ってしまったので、質問するタイミングを逸していたのだ。
常盤は、何を馬鹿な、というような調子で言う。
「高校生が煙草吸ってちゃマズいでしょ」
「…………」
「ーっ、はー……。何よ、黙って」
「……え、あの。今更、そんなこと言うんだ、って」
一本目を吸い終わった常盤は、トントン、と箱を叩いて二本目を取り出すと、そのまま咥える。そして、点火。
……うーん、一連の動作が鮮やか過ぎて、最早、美しささえ感じる。高校生の癖に堂に入っていると言うか、そう、貫禄があるのだ。
コイツ、本当に高校生か?
「マイセンは私と不可分の存在なの。両想いなの」
「だとすると常盤、今のお前は両想いの相手と一方的な都合で分かれようとした挙句に失敗し、みっともなくも僅か数日で復縁した情けない女になるが、それはいいのか?」
それに、その煙草、とうの昔に『マイセン(マイルドセブン)』から『メビウス』という名に変わったんじゃないか?
喫煙者の中では、まだ『マイセン』呼びが普通なのだろうか。
「うるさいなあ。いいでしょ、私の人生だから。あなたに不都合ある?」
「ないけど……」
お前の人生はお前の人生だから、僕が言えることは何もない。
……教師陣にバレた場合、僕も一緒に詰問されるのは、間違いないが。
それはゾッとする想像であったが、恐らく、そうなることはないだろう。
表向きの常盤は非の打ち所がない優等生だし、不良としての常盤は用心深く、周到だ。
じゃあ、なんで僕には不良だってことがバレているんだ、ということになるけれど、これは極めて悲しい事故の結末だった。端的に言えば、ある日、常盤が階段から落ちたのだ。
彼女の華奢な体躯だけは踊り場にいた僕が受け止めたのだけど、それで万事問題なし、とはならなかった。むしろ大問題になった。彼女の学生鞄の中身が盛大に散らばった結果、僕は彼女が隠していたマイセンを目撃してしまったのである。
即座に彼女は壁に僕を叩き付け、僕の首を絞めた。それはもう、見事な片十字締めであった。
『見た?』
『……っ、て……ぃ……!』
常盤の質問に、咄嗟に「見てない」と応じた――応じようとしたのだが、完全に極まってしまったが故に、返答は言葉にならなかった。
タップしてるのに完全無視だ。
このまま死ぬんじゃないかと思った。
『嘘。見たでしょ。見たからには、なってもらうから』
何に?という問いも、やはり言葉にならなかった。
というか、半分意識が飛び掛けていた。
しかし、僕の疑問は彼女に伝わったようで、常盤はニヤリと笑って言った。
『決まってるでしょ、共犯者によ』
その笑みは、あのクラスの優等生が浮かべるとは到底思えない、けれども、どうしようもなく彼女らしい微笑だった。
以降、僕は共犯という大役を仰せつかることとなったのだ。
回想終了。
閑話休題。
「何考えてたの?」
何本目かのマイセンを咥えた常盤は、しかし今度は火を点けることはなく、唇を動かし、紙巻きを上下させる。
僕は、大したことじゃない、と応じる。
「そういや、常盤」
「何?」
「お前、何歳くらいから煙草吸ってるんだ?」
「……中二?」
「そりゃ手慣れてるはずだよ!!」
思わずツッコんでしまった。
まあきっと、高校入学以降だろうと当たりを付けていたが、予想は完全に外れた。そりゃ堂に入るわけだよ。今、僕達は高二、吸い始めてからもう三年も経ってるじゃないか。
常盤はキッと僕を睨む。
「なんか文句でもあるの? 言っておくけれど、都会じゃ、中学くらいからグレる子って珍しくないんだから」
「その言い方だと自分がグレてることを認めてることになるけどな」
「少なくとも優等生ではないわよね。クラスの奴等、それに担任や学生指導の奴等も、私のこんな姿、想像もしてないでしょうね」
「……だろうな」
常盤はけらけらと笑う。ヘラヘラと、かもしれない。
つい三十分前まで、クラスに存在した物静かで聡明な常盤藍は何処に行ってしまったんだ。確かに窓際の席に座っていたはずなのに。
まあでも、と僕は思う。
あの近寄り難い、優等生な『常盤藍』よりも、今の彼女の方が話していて、ずっと楽しいと思ってしまうのだけれど。
「さて、と。じゃー、勉強しますか」
通算五本目の煙草を吸い終わった後、常盤は勉強道具を取り出す。
僕もそれに倣ってノートを広げる。
常盤はこんな風だが、ここでも真面目に勉強しているのだ。喫煙しながらではあるが。
流石はクラス一の優等生だ。努力は怠らない。
不良が優等生のフリをする、というのは、優等生が普通に過ごすことよりも、余程に難しいことなのだろう。
「どした?」
「いーや、なんでも」
思わず笑みを漏らした僕に、彼女は「ふーん……」と訝しむような視線を向けてくる。
なんでもないさ。
現状を整理した結果、ちょっとばかり、見直しただけだ。
僕のような、平々凡々な落ちこぼれでは到底、真似できない。
だからこそ優等生を騙る彼女を、否、事実として成績優秀者である彼女を尊敬する。
常盤藍は優等生であり、不良なのだ。
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