お化け屋敷の庭

小野塚 

『法照寺怪談会』徳永誠一郎

僕がまだ幼かった頃。祖母によく

連れて行かれた 大きな御屋敷 が

ありました。



僕の祖母という人は、若い頃に態々

フランスまで『リュネビル刺繍』を

習いに行く様な、当時にしては活発な

女性でした。それが高じて、他人ひと

教える迄になっていたのです。


『リュネビル刺繍』というのは、

薄い コットンチュール を枠に張り

生地の裏側から針を刺してレースの

様な模様を描いてゆく、フランス

発祥の美しい 刺繍の手法 です。


偶々、そんな 祖母の噂 を聞いた

屋敷の人から《身体の弱い娘の為に

是非とも刺繍を教えて欲しい》と

頼まれて、態々祖母の方から教えに

出向いていた様でした。


僕は、所謂 お祖母ちゃん子 で。


両親が共働きだった為、幼い頃から

主に祖母が僕の面倒を見てくれて

いたのです。

 しかも、僕の祖母ときたら結構な

で。大体、読み聞かせて

くれる本は悉く『お化けの話』か

『妖怪のはなし』でしたから、長じて

僕が  を好む様になったのも

少なからず祖母の影響でしょう。


祖母は月に二度程、その御屋敷に

幼かった僕を連れて通っていました。

本来、僕は  な訳ですが、

その家の人達は、僕にとても親切に

接してくれました。


祖母が娘さんに刺繍の手解きをして

いる間、僕は長い濡縁から庭の景色を

眺めたり、自宅から持参してきた

『お化けの話』を読んだりしながら

過ごすのが常でした。でもそれに飽きて

屋敷の中を好きに探検しても、誰一人

僕を咎めはしませんでした。


三時のお茶の時間には、よく冷えた

季節の水菓子くだものを出してくれたのを

覚えています。


白いレースのカーテンが、窓から入る

微風に揺れていました。

丸い硝子で出来た涼やかな金魚鉢の

中には、朱い金魚と黒い金魚が。

水草の間を優雅に泳ぐ姿をぼんやりと

見ていた僕は、そっと立ち上がり

部屋を出て行ったのです。


長い廊下の突き当たりには、テラスに

出られる大きな窓のある部屋があって

密かに僕のお気に入りでした。


部屋の中には、今はもう殆ど見る事も

なくなった 足踏みミシン が静かに

動いている。その横には、白く細い布を

まるで 木乃伊ミイラ みたいに幾重にも

巻き付けられた  が

ありました。


 どういう訳だが当時の僕は

見るのが好きだったのです。




いつからか祖母はもう、その家に行く

事はなくなり、代わりに自宅に来る

生徒さん達に専ら刺繍を教える様に

なりました。





それから何年かが過ぎて、あれは僕が

小学四年生になった頃の事でしょうか。



その頃、僕の学校では 肝試し が

ちょっとしたブームになっていました。

勿論、小学生の事ですから、それほど

本格的なものではなくて、近所にある

如何にも 場所 を探検

する程度のものでしたが。



「俺、を見つけたよ!」

クラスの人気者の甲君が。あ、これは

仮名です。その彼が『朝の会』が始まる

前に、得意気に言い出したのが事の

発端でした。じき夏休みに入るという

まさに 肝試し には打ってつけの

時期です。僕らは挙って彼の机に

集まりました。


「お化け屋敷って、本物?」乙君が

興奮して尋ねました。乙君というのも

仮名です。甲君と乙君、そして僕は

いつも一緒に遊ぶ『』と

呼ばれてました。


「本物だよ!夜になると声がするから

見てみると、沢山の人魂が白い尾を

引いて庭を飛んでるんだって…!」

「嘘だろ?それ、甲が見たのか?

噂じゃ当てにならないよ。」乙君が

反論します。「そこって、本当に人は

住んでないの?」僕も疑問を甲君に

ぶつけました。

「従兄弟のお兄ちゃんに聞いたんだ!

それ、トクんちのすぐ近くだよ?」

「聞いた事ないけど。」家の近くに

そんなものがあるなんて初耳でした。

もしかすると祖母なら知っているかも

知れませんが、僕には全く心当たりは

ありません。

「それなら、今日の放課後に偵察に

行ってみようよ!」乙君の提案で、

僕らは放課後その お化け屋敷 を

偵察する事になったのです。



果たして放課後になると、僕らは

意気揚々と下駄箱に集まって、甲君の

案内で お化け屋敷 を目指して

校舎を後にしました。


とはいえ、の帰り道です。

『高鬼』や『鞄持ちジャンケン』を

しながら歩いて行くと、いつの間にか

僕の家の門が見えて来ました。

 「あ、トクの家じゃん!」乙君が

言いました。「だから言っただろ?

トクん家から直ぐなんだってば!」

甲君は言いながら門を通り過ぎると、

隣との間にある細い路地へと進んで

行きました。


大きな柿の木の枝が、頭の上に

張り出してトンネルを作っています。



そして、僕らの目の前に ソレ は

 姿 を現したのです。



  大きな御屋敷でした。



多分、僕は此処に来た事がある。その

は確かにありました。ですが、

其処は お化け屋敷 と揶揄されても

仕方がないほど荒んでいたのです。


高々十年にも満たない間に、一体

どうしたらこれ程までになるものか。

門扉は錆びて固まっています。門から

玄関までは草丈の長い雑草が繁茂し、

家の外壁は蔦に覆われています。

伸び放題の庭木のせいもあるでしょうが

とにかく 昏い のです。



「え。全然、普通の家じゃないか。」

乙君が言いました。「…本当だ。ここで

間違いないんだけどな。前に従兄弟の

お兄ちゃんが言ってたのとは別の家

なのかな?」酷く気まずそうに甲君が

ポケットから紙を出して広げました。

「…◻️◻️っていう家。表札は…間違い

ないよな。」「……。」

僕は呆気に取られながら彼らの様子を

只々見つめていました。


本当に驚いた時。人は動けなくなる

ものなのでしょうか。


       と、その時です。


廃墟と言っても過言ではない家の中で

白い  が動くのが見えました。

「…ッ!」瞬間、全身に鳥肌が立つのが

分かりました。一刻も早く、此処から

逃げなければならない、そんな危機感が

みるみる増幅して行ったのです。


僕は無我夢中で駆け出しました。甲君も

乙君も、続いて走り出していました。






後から聞いた話では。



あの屋敷は、当時三十年以上

誰も住まず放置されていたそうです。

 勿論、今は『空家対策特措法』の

行政代執行で更地になっている様です。

でも、上物は建たないでしょう。




実は、僕の祖母も彼らと同じ経験を

していたのだそうです。それも、幼い

僕を連れて。



       だけど、あれは一体。



僕の記憶の底には、あの冷たく冷えた

マスクメロンの、蕩ける様な甘さが。

そして、の横に

立つ、白い トルソー が




今も鮮やかに思い出されるのです。







語了




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お化け屋敷の庭 小野塚  @tmum28

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