夏に石を掘る

佐藤宇佳子

真夏のとりとめのない妄想

 熱く焼けたレールの下から、錆で茶色く染まった石を掘り起こす。石も熱々に焼けてるから、慎重に。一個、掘り出した。しっかりとエッジの立った、立方体に近い美しい石だ。掘り出したあとの穴は、少しだけひんやり湿ってる。


 ちょっと離れたところに踏切がある。午後二時のたぎるような太陽に照りつけられて、遮断機の前で陽炎が踊っている。


 ときおり人が渡る。杖の爺さんがよたよた通り、ショッピングカートの婆さんがのろのろ通り、ベビーカーのおばちゃんが汗をふきふき通り、若い陰気な女がひたひたと通る。ときどきこちらをちらりと見るやつもいるけど、すぐに目をそらす。たまに目が合っても見続けるやつがいるけど、俺が肩を怒らせてゆっくりと近づこうとすると、慌てて逃げていく。ふふん、見てんじゃねえぞ。


 お、レールがぶるぶる震えはじめた。すぐさま線路から出て安全地帯に身を隠した。いっしょに作業していたやつらも、もうみんな退避している。俺たちの鼻先を二両編成の電車がガタンゴトンとおっくうそうに通過する。線路脇のヒマワリがうなだれたままバイバイと葉っぱを揺らめかす。列車がいなくなると、俺はまた線路に戻り、ざらつく石を掘り起こす。なんでこのくそ暑い時期にこんなことをするんだろうな。


 それにしても、今年は暑い。だんだん頭の中に霞がかかってくる。口を開けて、はあはあと荒い呼吸を繰り返す。だいたい、真夏にこの黒づくめの恰好というのが間違っている。きっちり夏向きに衣替えするところもあるというのに、なんで俺のところは年じゅう黒なんだ? 黒、くろ、黒、真っ黒くろの黒。モノはいいんだ、モノは。生地のつやなんて、そんじょそこらのブランドものなんて逆立ちしても敵わない上物だ。耐久性だって言うことなし。ざばざば洗ったって、ますます色つやに深みが出るほどだ。ただ、絶望的に暑い。


 次の石を掘り起こそうと力をこめた瞬間、頭がぐらりとして、俺は線路に倒れた。エコバッグを膨らませて踏切をもどってきていた若い陰気な女が、あわててこちらに駆け寄ってくるのが見え、俺はそのまま意識を失った。





 目を開けると、若い陰気な女と目が合った。女がキャーと悲鳴をあげる。はい? 人の顔を見ていきなり悲鳴ですか? おまえ失礼じゃね? なにさまのつもりだ、ああん? そう言いながら、飛び起きようとしたが、奇妙に体が重く、俺はすてんと後ろにひっくり返った。なんだこりゃ。体が言うことをきかない。え? ずいぶん太くて長い足だな。ん? 翼がない? 代わりに、なんだ、これは? 腕? 指? これって、もしかして、俺、人間になってる? 


 ちょっと、姉ちゃん、きゃーきゃーうるさい。ああ? どこから入って来たんですか、だって? 警察呼びますよ、だって?


 ――あんたが連れてきたんでしょ? 警察? 呼んでみろよ、無理やり連れ込まれましたって言うぞ?!


 ねえねえ、俺、人間? あ? 俺って人間に見えますかって聞いてるの。なに変な顔してるんだ。人間じゃなかったらなんだって言うんですかって?


 ――カラスだよ、俺はカラスだよ。カラス拾ったでしょ? なんでこんな格好になってるのか、俺が知りたいよ。


 は? 冗談止めてください? カラスが人になるわけないでしょ? ふん、じゃあ信じさせてやろう。


 なあ、陰気くせえ姉ちゃんよ、ここらは俺のシマだからな、おまえのことだって、ようく知ってるんだぜ。ゴミ出しは、火・水・土の週三回、いつもきっかり朝五時四十五分プラスマイナス二分。昨日はめずらしく五分遅れたけど、それはねえ、前の晩に同僚の女が来て、ふたりで夜中まであやしげなアニメ見てたからです。どんなアニメか、言ってあげようか? あはは、赤くなったな。


 は? 盗撮? すとーかー? あほか。


 うん、じゃあねえ、ベランダ見てみ、右の端っこ、俺が今朝したうんこ、あるだろ? それから、物干し竿の左端、俺がかじったあとがあるだろ? あとね、サボテンの鉢のなかに、きらきら光る緑色のガラスと青色のガラスが埋まってる。俺が隠したんだよ。どう? あった? あはは、青くなったな。


 信じた? それでいいんだよ。


 ねえ、水もらえない? 暑くって喉がからからなんだ。え、俺、熱中症で倒れたの? 線路で? ああ、くらくらして意識なくなったのって、そういうこと。お、ありがとね。うまいな、この水。姉ちゃんちのベランダの雨水とずいぶん味が違う。


 ああ、でもまだ暑いわ。え、そんなたっぷりしたダウンなんか着こんでるからだって? しょうがないだろ、カラスなんだから。


 ん? ちょっと待てよ、今、俺、人間だよね? ってことは、脱げるの? おおっ、ジッパーおりるじゃん! いいぞ、姉ちゃん。脱ぐ、脱ぐわ、俺、脱ぎますっ。


 うわっ、ほんとに脱げるやん! いっつも思ってたんだよね、犬のサマーカット、いいなあって。ヒツジやアルパカの毛刈りなんて、最高じゃんって。俺だってこのダウンをささっと脱ぎ捨てられたら――いや、捨てるのはまずいけど――どれだけ爽快だろうなあって。


 この黒ズボンも脱ご。これもさ、けっこうタイトで分厚いのよ。


 うっはあ、涼しいー、って、ちょっとちょっと、なんでけたたましい悲鳴あげて逃げるのよ? お隣さんが飛んでくるぞ。暇そうな爺さんなんだから。ああ? 前隠せ? は? なんですっぽんぽんかって? そりゃ、カラスですから。羽毛脱いだらまるはだか。当然でしょ? 


 お、ちょ、ちょっと、なに、なんで背中押すの? 脱いだんならついでにシャワーでも浴びてこい? んー? カラスに行水させる? いや、好きだけどさ。え? カラスはきれい好きですよ? 知らないの? あーはいはい、シャワー借ります、大人しく借りますよ。





 ――姉ちゃん、これ着替え? Tシャツとジャージ? ――だっせえ。裸でよくね? 俺の美しい胸筋、見てよ。ハトよりすごいだろ? 腹筋だってさ、ほら、見ろよ……って、悲鳴上げるな。はいはいはい、着ますよ。ああ、でもすっきりしたわ。シャワーありがとさんでした。


 え、なんで線路の石を掘り返してたかって? さあね。本能? あそこさあ、俺たちの縄張りなんだよね。暇に飽かせて、みんなが掘り返してる。あんた、毎朝、六時にあそこ通るから知ってるよね? 


 ん? なに、これ? ビール? ああ、よくアルミ缶が大量に捨てられてるやつね。なんかくっせえにおいの液体がちょっと残ってることもあるやつね。飲めって? 付き合えって? えー、カラスにビール飲ませる? 大丈夫かな? 俺、死なない?


 あ、うまい。へえ、人間の体だとアルコールもオッケーなんだ。これはいいわ。うははっ、冷たい、うまい、うまい。


 うん? 最近のカラス社会はどうかって? まあ、なんだなあ、良くはないねえ。なんたって、食い物が激減してるの。特に、夏のこの時期だとさ、まだ小さい子供連れのやつらもいるからさ、餌場争いは殺気立ってるよ。


 ビール、うまいねえ。あっという間に飲んじゃった。え? もう一本飲まないかって? いいの? 飲む飲む。ありがと!


 ねえねえ、お礼にさ、俺の最近のお気に入り、教えてあげよか? あのね、猫の餌のおこぼれ。ここのマンションの駐車場の隅でさ、夜の十時にこっそり餌やってる人がいるの。たっぷりやるもんだから、ネコが食いちらかすのね。で、残ったやつをいただくんだ。まあ、それでこの夏はなんとか食いつないでる、ここ一か月ほどはね。


 うん? 子供? 俺の? いたよ、でも、死んだ。二か月前かな。車にはねられた。巣立った直後だった。


 俺と相方と三羽で、巣から道路に舞い降りたんだ。あの子がまだかぼそい足で道路に降りたってさ、生まれて初めての一歩だよ。歩けるのが嬉しくてたまらない様子でさ、ひょこひょこと足を踏みしめて、尻を振り振り歩き始めた矢先だった。でっかいキャリアカーが減速せずに突っ込んできたの。


 あの子、車なんてきちんと見たことなかったからね。ぬぼうっと立ち止まって、真ん丸な目を見開いて、見てたんだ。相方が慌てて駆け寄ったけど間に合わなかった。巻き込まれて、一巻の終わり。相方も子供と一緒に巻き込まれちゃった。


 俺は最初から最後まで、見てることしかできなかった。初夏の太陽に照りつけられながら、バカみたいにくちばしを開いて見てた。


 二羽の死骸からゆるゆると血が流れ出した。血が乾いて、アリがたかって、ハエが寄ってきた。昼になって、夜になって、また朝になった。昼頃、トラックが止まって袋を持った作業員が出てきたかと思うと、火ばさみで二羽を袋に詰めて、運んでいった。あっという間だったよ。


 死骸が消えた瞬間、俺の心からもなにかがすっと消えた。それからだね、線路でレールの下の石を掘り起こすようになったのは。


 なにさ、悲しそうな顔して。こんなもんですよ。あの子も相方も、可愛かった。でもさ、しょせん鳥だからさ、すぐ忘れる。あいつらがいなくなって、もう二か月だもん。実は、顔だってほとんど思い出せない。姉ちゃんに尋ねられなかったら、あいつらがいたことも、もう忘れていたかもね。


 あん? もう一本飲めって? ありがとうね。うん。うまいです。おつまみ? 俺はカラスだからさ、肉が好き。ソーセージ? なにそれ、肉? じゃ、食べる。あ、うまっ、うまっ、うまっ。ちょっと塩辛いけど、すげえうまい。これ、あいつらにも食べさせたかったな。


 なあ、あんた。名前なんていうの? 鳶田? トビ? ――嫌な名前だな。トビちゃん、あんたさあ、なんで俺にこんなに親切にしてくれるの? 線路で倒れたカラスを拾ってくるなんて、そんな奇特な人、聞いたこともないよ。今日って仕事休みなの? ふうん。彼氏とか、いないの? トビちゃん、まだ二十代だろ? 休日にカラスかまってる場合じゃないだろ? そっか、俺が出て行けばいいのか。――ちょっと、手、つかむな。え、なに? 彼氏なんていない? 今日は飲みに付き合え? カラスと差し飲みなんて、トビちゃん、寂しいねえ。え、おひとりさまはお互いさまだろって? ね、カラスと張り合うなんて、人としてむなしくない? ま、いいけど。


 トビちゃんって仕事なにしてるの? スーパー勤務? どこの? ああ、駅裏のKマートね。あそこに行く客ってさあ、ガード堅いよね。コロッケとかパンとか、駐車場で食べ歩いていても絶対落とさないし、隙がないんだよな。え、知ってる知ってるって? 


 仕事ってさ、面白いの? ほら、人間って、たいていの人がいろんな仕事してるじゃん? 俺ら、そういうの経験ないから、気になるわけ。え? とくに面白くもない? そうなの? なんか、つまんなくない? だって、毎日仕事行ってるんでしょ? それで、面白くない、なんてさ。


 それならさ、俺と一緒に、石掘らない? それって面白いのって? いや、ちっとも。面白くないけどさ、すっごい夢中になれるの。無になって、のめり込んでいるうちに一日終わるよ? 充実感が半端ないから。


 こう、さ、くちばしをそっとレールの下に差し込むの。そうっとだよ、くちばし怪我したら、そのまま死ぬからね、そんで、ちょうど良さそうな石を探るのさ。これだっていうのが触ったら、つかんで、ひねって、抜き出すの。意外とね、このくちばしづかいに職人芸が必要なのよ。くちばしを軽く開いて石にぴたっとはまったときには、ぞくぞくするね。くちばしを回しながら引いたときにするりと出てくると、もう大興奮。石をそっと置いてから、ちょっと踊ったりしちゃうもん。


 へへ、やってみたくなったでしょ? え、そんなことするくらいなら、ポップを手書きしてるほうがましだ? ああ、そうですか。ポップにイラストを添えたら、先日常連さんに褒めてもらえたんだ? へえ、いいじゃん。そういうちょっとした喜びって、地味にいやされるよな。ま、でも、石掘りのほうが、百倍、やりがいがあるけどね。


 ねえ、俺、眠くなった。泊まってっていい? ここで横になるね。布団? ああ、いらないいらない。だってカラスだもん。ちょっと休んで、酒が抜けたら、出て行くわ。じゃ、お休み。





 トビちゃん、朝だよ。って、なんで飛びのくの、朝っぱらから元気だねえ、君を襲う気はないから、落ち着いてよ。一晩泊まらせてもらって、ありがとう。熱中症も、もう大丈夫だろ。陽が高くなる前に行くわ。


 俺の黒服――ああ、畳んでくれてたの、ありがとう。じゃ、ちょっと失礼して着替えさせてもらう。はいはい、見たくなかったら布団被ってて。それともなに? 本当は見たいの? 冗談、冗談。ズボン履いて、ダウン着て、ジッパーを上げる。これで、カラスに戻るかな――ん? 戻らないな。どうしたらいいんだろね? 外に出たらいいのかな? 


 わからないけど、ま、なんとかなるでしょ。とにかく、ありがと。一晩、楽しかったよ。縁があったら、またね。


 朝とはいえ、ダウンを着こむとやっぱり暑いわあ。それにしても、一向にカラスに戻る気配がないんですけど? どういうことです? 腹減ったなあ。マンションのネコの餌、さすがに夜が明けるともう残ってなかったしなあ。っつうか、この体、燃費悪そう。あの猫の食べ残しじゃあ、足りないね、きっと。


 とか考えているうちに、やっぱりここに来ちゃうのね、線路。お、やってますね、いち、にい、さん、よん……十三羽。よう、みんな、調子はどう――あ、ちょっと、どうして飛んで行っちゃうの。ねえ、俺だよ。昨日まで一緒に石掘りしてたじゃない? あーあ、行っちゃった。冷たいなあ。どうしよう、この格好で石掘りやってたら、あっという間に職質だよ。


 喉乾いたな。公園に行こうか。あそこなら水が飲めるはず。


 ――お、いいね、ここの水道水は冷たいんだよね。くちばしでハンドルをきゅっとひねったら水が出るからさ、いつも溜まり水じゃなくて湧きたての水道水をいただいてましたよ。わはっ、うま。冷えるわ。あ、ちょうどベンチが日陰だ。よっこらしょ、失礼して横にならせてもらおう。ふう、ちょっと休んだら、なんかいいアイデアが浮かぶかもね。むにゃ。





 なんだよ、誰だよ、ぐらぐら揺するんじゃねえ、つつくぞ! って、あ? トビちゃん? どうしたの? なんでここにいるの? ってか、俺、まだカラスに戻ってないの? あらら、どうしよう。さすがに困っちゃうね。


 でも、ま、いっか。もう、このまんま、だらだらとあの世を目指すってのも、悪くないかもね。


 ぎゃ? なんで抱きつくの? 暑いから止めて。


 ああ? うちにおいで? やだよ。陰気くさい女なんて、趣味じゃない。俺、こう見えてもキラキラ系ギャルが好きなのよ? 


 あ、でも、トビちゃんの真っ黒いポニーテールは嫌いじゃない。くちばしでつまんで、引っこ抜きたくなる。巣材にね。


 冗談、冗談。でもね、カラスをかまうのなんて、止めておきなよ。男、寄り付かなくなるぞ。ほら、離れろ。


 え? あんたにしとくって? だから、俺、人間じゃないんだって。


 え? あたしも? 目が覚める前はトンビだった?


 ――俺、Kマートの駐車場で、トビちゃんのこと追いかけていじめたことあるかもよ? なのに、俺でいいの? 


 忘れてあげる? じゃ、ま、いっか。

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