においがする

時輪めぐる

においがする

 祖父の病室に入ると、プンと臭った。

「おかあさん、なんか臭い」

 小学三年生の私は思ったままを口にする。

「えっ、どんな臭い?」

「生ゴミみたいな、腐った花瓶のお水みたいな。凄く嫌な臭い」

 母は、鼻をひくつかせる。

「……特にしないけど。いつもの病院の臭いよ」

 そうか、これはお母さんには臭いなんだ。


 その日、祖父は何故かソワソワとし、訪れた私達に「何で来たんだ!」と声を荒げた。

 その表情は、怒っているというより泣いている様に見えた。

「何でって……」

 母は言葉を失う。

 一昨日来た時は、喜んで迎えてくれた。帰り際には「もう少し居てくれ」「また来て欲しい」と懇願した祖父の言葉とは思えなかった。

「いいから、早く帰れ!」

 祖父は繰り返し、何も無いベッドの裾の方を見詰める。

「……おかあさん」

 私は母に目で訴えた。

「じゃあ、洗濯物を持って帰るね。着替えは此処。他に欲しい物はある?」

「無い。早く帰れ。もう来るんじゃないぞ」

 それは出来ないと思いながら、私達は必要最低限の事をして、病室を後にした。


「お祖父ちゃん、どうしたのかしらね」

「嫌な臭いがしたのと関係あるのかな」

「えーっ?」

 母は、怪訝そうな顔を向けた。

 私は以前、似た臭いを嗅いだのを思い出した。父が亡くなった時や、親戚の叔母さんが亡くなる前、あんな臭いがした。


 次の見舞いの日、祖父は危篤となり、駆け付けた皆が見守る中、亡くなった。



「この前、臭いがするって、言っていたね」

 火葬場の煙突から立ち上る白い煙を見上げながら、母が言った。

「うん」

「お祖父ちゃんの所に、お迎えが来ていたのかもね」

「私、ベッドの裾の辺りで黒い影を見たよ。怖いから言わなかったけど」

「……そう。アヤコには分かったのね」

 母が言うには、我が家は、霊感の強い血統だという。それは祖父や亡くなった父、私にも受け継がれていると。

「お母さんは、お嫁に来たから、そういうの分からないけど」

 祖父は、黒い影から母や私を遠ざけたくて、あんな態度を取ったのではないか。自分を連れに来た黒い影が、私達を一緒に連れて行かないように、或いは死の穢れが私達に及ばないように、心配したのではないかと、母は言った。


 アナウンスがあり、骨上げをした。

 優しかった祖父の心のように、真っ白で綺麗なお骨。

 母とお骨を拾い上げた時、花のようなお香のような、良い香りがフワッと鼻先を掠めた。

 祖父が別れを告げたのだと感じ、涙が溢れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

においがする 時輪めぐる @kanariesku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ