第84話 王国政府〜知らぬ間に加害者〜

 その日、王城はいつも通り穏やかに見えていた……が、とある一角だけは、ピリピリと緊迫した空気が漂っていた。


「……全く。とんでもない事態だぞ」


 椅子の上で頭を抱える国王ジェラルドの前には、法務卿であるエイベル・ロウ伯爵が青い顔で床に膝をついていた。


 ここは国王ジェラルドの執務室だ。いつもここで国王ジェラルドは、国の重要な案件に目を通し、たまに訪れる法務卿のエイベルや宰相ディルと業務連絡をやりあう場所でもある。


 そう。昨日もエイベルと来年度の税について、重要な協議を行っていた、かと思えば……


「卿の息子が、あろうことか闇ギルドと繋がっていたなどと……」

「わ、私は全く――」


 ……国がひっくり返るレベルの、やらかしへの説教である。なんとも温度差が酷い協議だが、こればかりはエイベルをしても「いや、知りませんけど」と言いたくて仕方がないだろう。


 今もまだ「まさかクリスが」と青い顔で首を振るエイベルに、国王ジェラルドは大きくため息をついた。


 ――そんな事など知らなかった。


 それしか言いようがないことくらい、ジェラルドとて分かっている。何せ、彼にとっても寝耳に水の報告だったのだ。


 いや、寝耳に水の報告のだった。


 それは昨夜、王太子エドガーが、学園の旧校舎にて、闇ギルドと思しき暗殺者に襲われた、と言う報告から始まった。


 その時居合わせた暗部の話によると、どうやらクリスが手引きしたようなのだ。


 辛くも暗殺者達を撃退し、数時間後に暗部が発見した闇ギルドのアジトから、様々な証拠が出てきた。


 不審死した貴族に関する真実。

 変死した枢機卿への暗殺依頼書。

 行方不明になった有名商会の会頭の末路。


 出るわ出るわ、今まで謎だった事件の背後に、闇ギルドがいたという確固たる証拠が。


 しかもそれだけではない。出てはいけないものまで出てきた。


 それが今、国王の頭を最も悩ませている二つの証拠だ。


 一つは、エリザベス及びランドルフ・ヴィクトールの暗殺依頼。名前などを残すといった馬鹿な事はしていないが、依頼の筆跡鑑定から、クリスであることがほぼ確定している。


 この事により、王太子暗殺未遂は、何らかの不手際でターゲットを間違えたと察する事が出来た。もちろん知りたくない事実だが。


 重鎮の息子が、隣国の貴族子息の暗殺計画など……王太子暗殺計画より頭が痛い問題だ。


 そしてもう一つ頭を悩ませている事が……


「教会も奴らを利用していたなど……」


 苦虫を噛み潰したようなジェラルドが言う通り、教会からも闇ギルドへ何度となく依頼が出されていた痕跡が見つかっている。


「ク、クリスをそそのかしたのも、教会では――?」


 恐る恐る口を開いたエイベルに、「滅多なことを言うな」とジェラルドが盛大に眉根を寄せた。


 確かにクリスは、元々教会の孤児院に預けられていた。その事はジェラルドも知っているが、それ一つで教会がクリスを唆したと言うのは早計だ。


「例えそうだとしても……その確たる証拠が出てはいない。そもそも、教会がなぜクリスを唆して、エリザベス嬢や、ヴィクトール子爵子息の暗殺を依頼する必要がある?」


 声を落としたジェラルドの言葉に、エイベルはただ黙って頷いた。完全に事実関係が確認できていない以上、クリスと教会の繋がり、そして教会の思惑までは分かっていない。


 とは言えクリスが、エリザベスや隣国の子爵子息を暗殺する理由も見当たらない。そうなってくると教会が絡んでいるのだろうが……教会にも動機は見当たらない。


 ――内乱を起こして、国力を低下させたかった。


 などという動機があったなどと、ジェラルドは夢にも思わない。その先に続く、教皇による国の乗っ取りも、全く予想すらしていない。


 いわば彼らも被害者なのだが、そんな思惑があったことを知らない以上、彼らの脳内は加害者のそれである。なんせ今彼らに分かっている事実は、クリスという政府重鎮の息子が、元侯爵令嬢と隣国の貴族子息を殺そうとした。それだけだ。


 仮にそれが外に漏れてしまえば……国際問題待ったなしである。


 つまり意図せず彼らは加害者になったと言える。だから今、彼らの脳内は加害者ムーブだ。なんとか事実を伏せなければ、という。


 そんな国王ジェラルド勝手に加害者だが、初め報告を聞いた時は、クリスさえ捕まえればいいと思っていた。


 仮にクリスさえ抑えてしまえば、あとはどうとでも誤魔化せる案件だ、と。


 クリスと教会が繋がっていようがいまいが、クリスとエイベルの責任かつ、王太子暗殺疑惑で片付けられるのだ。


 動機は何でもいい。それこそ、最近噂の聖女を巡る痴話喧嘩でもいい。


 王太子としての株は下がるかもしれないが、聖女と引き離す口実も出来る。そう思えば最も傷が浅く済むのが〝王太子暗殺未遂〟なのだ。エイベルには責任を取って退いてもらうが、その後は裏から手を回して、地方の官職くらいは与えられるだろう。


 だが事態はそう甘くはない。


 なんせ発見された闇ギルドのアジトは、酷い有り様だったと聞く。


 その場にいた者全てが、まるで大型の獣にでも食い散らかされたかのような、無惨な死に様を晒していたらしい。原型を留めておく者は殆ど居らず、多くの現場を経験してきた暗部ですら、目を覆うような内容だったらしい。


 強い怒りや恨みを感じた……そう報告されたジェラルドからしたら、闇ギルドが恨みを買うなど、別にさしたる問題ではない。だから殺され方だけなら、大した問題ではなかった。


 ただそれを成し得る人物が、一人しか思い当たらないのが問題なのだ。


「や、やはりブラウベルグ侯に聞いてみる――」

「滅多な事を口にするな……」


 ジェラルドの最も頭を悩ませている点である。ブラウベルグが関わっているだろう、という予想。


 ――およそ人がやったとは思えません。


 暗部の言葉が本当で、その惨状を侯爵家の手のものがやっていたとすると、かなり恐ろしい武力を有している事になる。それこそ、暗部をしてそう言わしめる程に。


 だがブラウベルグ侯爵以外に、考えられないのも事実だ。


 そうなってくるとやはり、ブラウベルグ候もクリスが真に狙っていた人間と、教会の後ろ暗い一面を知っていると考えたほうがいい。


 クリスを確保さえ出来れば、誤魔化せた案件が、被害者にも知れ渡っている。しかも、教会の後ろ暗い部分もである。


 クリスと教会が繋がっている。その可能性を被害者に突かれる、となると事態は一気に悪化する。


 〝王太子暗殺未遂〟だとしても、〝エリザベス及び隣国の子爵子息暗殺計画〟だとしても、国を揺るがすどころか世界を揺るがす大問題になりかねない。それを確たる証拠もなく、教会へ突きつけられるのか……答えは「否」である。


 教会が絡んでいるだろう証拠も、痕跡程度で確実なものではない。あの程度の証拠では教会を突くには弱すぎるのだ。


 女神の使者たる教会上層部が、彼らを国教として保護する国に仇をなした。もしくは隣国の貴族子息を暗殺しようとしていた。


 確たる証拠もなく、誰がそんな荒唐無稽な話を信じてくれるだろうか。下手をすれば、教会が先導する信者達の突き上げで、王国がひっくり返る可能性すらある。


 そのくらい教会を突くというのは、リスクが大きい案件なのだ。


 出来れば避けて通りたい。いや、今回の事実を〝王太子暗殺未遂〟として処理出来れば、教会には内々に「お前の所の証拠もあるよ」とこっそり伝えることすら可能だ。それだけで、教会に貸しを一つ作れる上に、彼らに対して優位に立てる。なんせ、彼らの後ろ暗い事を知っている、という事実があるのだから。


 もちろん教会とて、それを認める事はないだろうが、心情的には王国に対して強く出にくくなる。それだけでいい。今はそれだけでいい、というのに。


 だと言うのに、その事実をブラウベルグが知ってるとなれば……


 王国は真実を調査してくれますよね? 公国にも報告する必要がありますし。


 そんな被害者からの突き上げに、反論出来る余地がないのだ。少ない証拠でもって、玉砕覚悟で教会を突く羽目になりかねない。


「貴様の放蕩息子は、なぜあの時逃げたのだ」


 ジェラルドがエイベルを睨みつけた。クリスさえいたら、クリスを説得して口裏を合わせる事も可能だっただろう。


 ところがクリスは、あの後から全く姿を見せていない。


「きょ、教会がこっそり匿っている可能性は……?」

「あると思うか?」


 ため息混じりのジェラルドに、エイベルも力なく首を振った。ジェラルドが言う通り、教会がクリスを匿う理由がないのだ。


 仮にクリスと教会が繋がっており、あの惨状が教会が有する武力勢力によるものなら、クリスも同じ様にあの場で殺されているはずだ。それか変死体として、どこかの路地裏にでも棄てられているだろう。


 だが現場からはクリスを示す物は出てきていない。そして変死体も、である。つまりあの惨劇と、クリスの身柄を確保した勢力は教会ではない事だけは確実である。


 だからこそ、ブラウベルグに行き着いた事実でもある。


 闇ギルドが残していた証拠に関しては、「知らぬ、存ぜぬ。捏造では?」で貫き通せるだろう。が、クリスという存在についてはどうしようもない。仮にクリスの口から色々吐かれては、王国政府としても立場的に非常にマズいのだ。


「仕方がない。少々分の悪い賭けだが……」


 何かを思いついたジェラルドが立ち上がった。


「一先ず卿は謹慎だ。もし、息子から連絡があったら、即座に知らせよ」


 ジェラルドの言葉に、エイベルが深々と頭を下げて部屋を後にした。


「……教会か。忌々しい目の上のたん瘤め」


 苦々しく窓の外を見るジェラルドの瞳には、青空の下、輝く大聖堂が映っていた。



 ☆☆☆



「さて、クリス・ロウ君……。気分は落ち着いたかな?」


 ベッドに横たわるクリスに、椅子に腰掛けたセドリックが笑いかけた。


「ウチの可愛い妹を狙った理由を聞かせて貰えるかい?」


 優しげに笑うセドリックだが、その瞳の奥は全く笑っていない。正直重要参考人でなければ、八つ裂きにしても足りない程度にはセドリックも怒っている。


 だが今は情報が重要なのだ。


 夜通し施した精神安定の魔法が作用し、紅いものを見ても錯乱しない程度には精神が回復したのだ。


 恐らく王国政府も、クリスの身柄を探してウロウロしている事だろう。それどころか、侯爵家が身柄を確保していることにも気づいているはずだ。


 本来なら「知らぬ存ぜぬ」で突っぱねられる案件だが、今回はそうもいかない。


 影の報告によると、ランディ達も昨日の夜中に学園にいたらしい。つまり王太子暗殺未遂の現場近くにいた事になる。その事実と王国政府が欲する情報とを照らし合わせると、向こうが切るだろうカードはある程度絞れる。


 もちろん無茶なカードを切ることはないが、こちらへの揺さぶりをかけてくる事は明白だ。その時の対応次第では国が割れかねない。


 父であるブラウベルグ侯爵は、なるべく民に被害がないよう、国を割らずに王家の力を削ぐ事を考えている。ならばそれに応えるのがセドリックの役目でもある。


 だから時間との勝負だと、もう一度クリスへ微笑みかけた。


「で? 結局目的は何だったの?」


「……王国を――」


 ポツリと呟いたクリスが、虚ろな目で続ける。


「――王国を内乱に陥れるために」


 呟かれた言葉に、セドリックもミランダも思わず目を見開いた。王国政府の重鎮である法務卿の息子が、まさか王国を割ろうと考えていたとは、流石の二人をしても寝耳に水である。


 なんせクリスからの依頼は、「エリザベスを学園の敷地内で殺す」というザックリした内容でしかなかったのだ。


 驚きつつも、セドリックがクリスへ尋問を続ける。


「王国を割って、君は何がしたかったの?」

「僕じゃない……教皇が……この国を乗っ取る為の下準備」


 それだけ話したクリスが、ゆっくりと瞳を閉じた。無理もない。夜通し悪夢にうなされるようにガタガタと震え、満足に眠ることが出来なかったのだ。ようやく落ち着いて睡魔が襲ってきたという所だろう。


「……ミランダ。聞いたかい?」

「はい」


 苦い顔で頷いたミランダに、セドリックは大きくため息をついた。


「やっぱり彼は未来人かな……教会を潰すって」


 肩をすくめたセドリックに「偶然でしょう」とミランダが首を振った。


「……まあいい。重要な情報は聞き出せた。丁度カメラのお披露目を兼ねて父上も明日にはいらっしゃる。風向きは僕達にある、と見ていいかな」


「油断は出来ません。この盤面を指し間違えたら、かなり厄介ですよ」


 真剣なミランダに「分かってる」とセドリックが頷いた。


「でも何でかな。結構気楽なのは」


 おどけたようなセドリックに、ミランダも「奇遇ですね」と微笑みを返した。


「恐らくですが……仮に盤面を見誤っても、盤面ごと叩き潰すお方がいらっしゃるからではないですか?」


 苦笑いのミランダに「……あー。あるかもね」とセドリックも苦笑いを浮かべた。


「ま、相手の出方次第だけど、こっちも準備を進めとこうか」


 大きく伸びをしたセドリックの瞳には、青空のもと輝く大聖堂が映っていた。


「王国にとっては、目の上のたん瘤。それはこちらも同じ…か。少しだけ手伝ってもらおうかな」


 セドリックがカーテンを閉めたことで、部屋は完全に暗闇に包まれた。部屋の中には、クリスが立てる穏やかな寝息が響いていた。

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モブの俺が悪役令嬢を拾ったんだが〜ゲーム本編とか知らないし、好き勝手やります〜 キー太郎 @--0_0--

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