第83話 クリス〜死が来る〜

 それは全ての者に与えられし運命。

 貴賤の差なく、逃れられぬ、〝死〟という運命。

 だが恐れてはならない。それは来世への福音であり、女神の抱擁でもあるのだ。


 ただ気をつけねばならない。もしそなたの前に〝死〟が形を持って現れたのなら、それは死を告げる獣かもしれない。


 悪行を働き、女神に見捨てられし者の元へ現れる死を告げる獣。その名は――


   出典:教典第一巻『生と死』より



 ヘッドロックを掛けられていた男は、きっかり五秒後にはその首をへし折られて、路地裏に転がっていた。その死の様子を眺めていたクリスは、初めて〝死〟に何の感慨も浮かばなかった事に気がついていない。


 自身の心の変化など思い知る前に、自分の認識が甘かった事を思い知っているのだ。


 躊躇なく男の首を折る姿も。

 枯れ木をへし折るかのごとく、軽々とやってのけた姿も。

 そして今も、その事に微塵も後悔を見せていない姿も。


 どれもこれも、ランドルフ・ヴィクトールという男が、クリスの予想を超えているのだ。だがクリスは知らない。ランディの真の実力を。


 いや、ランディの上裸ローブ姿と、痛々しい右手のせいで見誤ったとも言える。


 とにかくクリスには、まだ少しだけ余裕があった。今もこうして、自分を覗き込むランディを前に、色々と考えていられる程度には――。


「な、何?」

「おたく……学園の生徒だろ?」


 眉を寄せるランディに、クリスは何と答えて良いものか考えていた。


 学園の生徒で、暴漢に襲われていたことにするか。

 それとも……そう考えたクリスだが、恐らく顔を見られている以上、下手な誤魔化しは駄目だと小さく頷いた。


「コイツラに追われて――」

「嘘だろ。お前、あの時ガラスから飛び出てたじゃねーか」


 ニヤリと笑うランディに、クリスの顔がわずかに歪んだ。


「学生が暗殺者の真似事か」


 ため息混じりのランディに、クリスは何も答えない。いや、答えられない。先程の会話の一部は聞かれている、そう考えた方がいい。それはつまり、クリスが連中をあの場所に手引しただろうことも、聞かれていると考えて間違いない。


 だから答えられない。それを答えれば、黒幕だと確定させてしまえば、地面に転がる男の後を追う羽目になることだけは間違いないのだ。


 そうして黙ったままのクリスを、ランディが左手一本で掴み上げた。首根っこの付近を、まるで猫のように掴み上げるランディに、「ちょ、え――」と困惑するクリスが思わずジタバタと足を動かした。


「お前、あいつらの巣に連れてってくれよ」


 事も無げに言い放つランディに、持ち上げられたクリスが眉を寄せる。


「は? 嫌だし! 死にに行くような――」


 そこまで口を開いたクリスが、青い顔でその口を閉じた。自分を覗き込むランディの瞳が、恐ろしいほどに冷え切っているのだ。


 あまりにも濃い殺気に、クリスはガタガタと奥歯が震えるのが分かる。


(完全に見誤った……これは――)


 手を出して良い存在ではなかった。そう思うよりも早く、ランディが口を開いた。


「頼むぜ……腹減ってるからよ。さっさと済ませてーんだよ」


 頼むよ、と言っているが、その瞳は「命令だ」、とでも言っているようだ。


 クリスはただ黙って頷くしか出来なかった。それは、暗殺者の集団を前にするよりも恐ろしい気配だったから。


「よっし。じゃあ道案内頼むぜ」


 ガラリと変わったランディの雰囲気に、クリスが目を白黒させながらも、彼らが身を隠すだろうアジトの場所を伝えるのであった。





 ☆☆☆




「……おい。誰もいねーじゃねーか」


 ジト目のランディに、「ち、違う。多分次こそ……」クリスが慌てて首を振った。


 これでアジトの場所はもう三つ目。流石に襲撃が失敗してるだけあって、クリスが知っているような場所に身を隠している馬鹿はいない。それは、作戦終了後の合流予定地もそうだ。


「あ、あと残ってるのは……」


 ブツブツと呟くクリスが、「本部は流石にないだろうし」と高速で頭を回転させる中、しびれを切らしたランディがクリスをもう一度目の前に吊り下げた。


「その本部とやらに行くぞ」

「い、いや。流石に連中も馬鹿じゃ――」

「うるせえ。金貰って暗殺するような輩は、全員漏れなく馬鹿なんだよ」


 鼻を鳴らしたランディの指示で、クリスは仕方無しにいつも通っていたスラムにある本部を目指した。


 時刻は既に真夜中を過ぎ、路地には殆ど人がいない。それはスラムに近づけば近づくほど顕著で……真っ暗な路地は、奈落への入口にしか見えない程だ。


「こ、ここだ」


 クリスがゴクリと生唾をのみこんだ。


「何だ。じゃねーか」


 その隣でにやりと笑うランディが、地下に潜む闇ギルドの人間たちの気配を察しているなど、クリスには理解できていない。ランディの言う「ご在宅」が、単純に一階で受付係をする、ブラフの住人だと勘違いしているのだ。


「いや、ここは――」


 受付の人間がいるだけで……そう言おうとするクリスを、「行くぞ」とランディが引っ張って扉を蹴破った。


「て、テメェ。人んちに――」


 歯の抜けた口で、唾を撒き散らす老人を、ランディの左腕が掴み上げた。


「うるせぇ。喋るな――」


 そのまま首をへし折ったランディが、爺を引きずるように、躊躇いなく地下への扉を開き、「じゃあな、案内ご苦労」とクリスを振り返る事なく地下へと消えていった。



 ☆☆☆


 クリスを放ってきたのは、別に逃げようがどうしようが問題ないからだ。既にこの建物の周囲は侯爵家の影が取り囲んでいる。


 ランディはクリスが闇ギルドの連中を、あの場に引き入れたことを察している。会話の一部始終が、聞こえていたからだ。


 なぜ、あんな場所に……などという馬鹿な事を言うつもりはない。


 あのタイミング、あの場所。そして闇ギルドの刺客。


 それ即ちここ数日七不思議を解明している、ランディ達を狙っての犯行だ。それが何の因果かキャサリン達を勘違いして襲った、とか言うところだと予想している。


 ランディからしてみれば、自分たちを狙っていた理由も、クリスの身分もどうでもいい。


 だからこれから向かう地下の連中と同じ様に、ぶっ殺してもいいのだが……


 セドリック達にしてみれば、クリスは重要人物なのだ。ある程度の身分があり――着ている服から身分が高いと予想している――学生である以上、その背後には保護者がいる。


 で、あるならランディの出番ではない。いくら狙われていたと言っても、完全な証拠もなくぶっ殺すわけにはいかない。ならば身柄を侯爵に引き渡し、色々な取引に利用してもらう方がいいだろう。


 あとはセドリックや、ルシアン侯爵が上手くしてくれる。


 だから、クリスについてはもうどうでもいい。


 そんなランディが爺を引きずって、地下へ続く階段をゆっくり降りる。一歩進むごとに、事切れた爺の足が「ガタン、ガタン」と階段を叩き、その音が大きく響いている。


 音を立てながらたどり着いただけあって、扉の向こうは殺気に満ちた臨戦態勢のようだ。恐らく逃げられる裏口もあるだろうに、気配がランディしかないので律儀に全員が待ってくれているのだろう。


(独りで来て正解だったな)


 大勢で乗り込んでは、連中もまた散り散りに逃げたことだろう。とりあえず、夜の街で鬼ごっこはしなくてよさそうだ、とランディは扉に向けて爺を放り投げた。


 扉をぶち破った爺が、地下室の中央にゴロゴロと転がる。


「よぉ……初めまして、でいいのか?」


 中に入ったランディの前には、無数の男たちが既に武器を片手に待ち構えていた。


「テメェは……」


 眉を寄せる髭面の男に、ランディは見覚えはない。見覚えはないが、彼らの反応を見るに、どうやらここ最近ずっとウロチョロしていた連中で間違いないようだ。来た連中は全員殺してしまったので、気配のすり合わせは出来ないが、まあ反応を見るに間違いないだろう、とランディが結論付けた。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……いっぱいだな」


 ニヤリと笑ったランディが、左手を前に突き出し、挑発するように手招き――。


 それが合図だったように、「やっちまえ」とリーダーが叫んだ……瞬間、数人の男が一気に吹き飛んだ。


 ボトボトと間の抜けた音を立てるのは、吹き飛んだ男たちの臓物や血だ。何が起きたか、全く理解が及んでいないリーダーや男たちが「は?」と間の抜けた声を漏らした。


「悪いな。テメーらみたく、馬鹿が二度と向かってこねーようによ。ちぃとにやるからよ」


 ニヤリと笑ったランディの姿が消える。


 かと思えば、そこかしこで男たちの頭が弾け、そして胴体に大きな風穴が開く。


 下半身だけを残して、上半身が吹き飛んだ男。

 壁に叩きつけられ、潰れたトマトのように全てをぶちまけた男。

 原型すらなく、地面にめり込んだ男。


 阿鼻叫喚の地獄絵図だが、響いていた悲鳴は一瞬で収まった。


 今はただ「ピチャ、ピチャ」と何処からか血が滴り落ちる音が部屋に響くだけだ。


 一瞬で作り上げられた地獄。

 それを前に一人残ったリーダーが、声にならない悲鳴とともに、腰を抜かしてひっくり返った。


「な、なんなんだよ……お前……」


 声を上ずらせるリーダーの前で、ランディは返り血に染まった左腕を振った。「ビシャ」と耳障りな音を立てて、赤黒い血が床にぶちまけられる。


「ま、待ってくれ――」

「馬鹿か。見せしめだっつってんだろ」


 鼻を鳴らしたランディが、後ずさるリーダーの胸を踏みつけた。


 地面に押さえつけられたリーダーが、「や、やめてくれ!」と声を張り上げるがランディは冷めた瞳でそれを見下ろすだけだ。


「『やめてくれ』って言われて、止めた事なんてねーだろ」


 冷たく吐き捨てたランディに、リーダーの顔が見る間に青くなり、そしてランディもゆっくりと足に力を込めて踏みしめていく。


 骨が砕ける音と、肉が潰れる音、そしてそれら全てをかき消すリーダーの悲鳴が部屋中に響き渡り……最期には「ブチっ」となにかを踏みつけたような音を残して、部屋には静寂が訪れた。


「さてと……俺は帰るが、あんたはどうすんだ?」


 ランディが振り返った先には、顔を青くしたクリスが立っていた。


「僕は…僕は――」


 震えるクリスの肩を、ランディが血のついた手で叩いた。


「ま、ホントは依頼主もぶっ殺してーとこなんだが……」


 そう笑ったランディに、クリスが「え?」と思わず顔を上げた。


「こんくらいやりゃ、相手もビビって馬鹿な企みを起こさねーだろ」


 その殺気の籠もった瞳に、クリスは理解した。全てを見抜かれていたこと、そしてそれでいて殺す価値もないと見逃されたこと。それに気づいたクリスは、へなへなと腰を抜かしてその場にへたり込んだ。


「あと、テメェの手からがしねーからな。悪者ごっこは家でやれ……坊っちゃん」


 それだけ言うと、ランディはクリスを置いて去っていった。


 残されたクリスが「は、はははは」と乾いた笑い声を上げた頃、その周囲に黒い人影が複数現れた。


 一瞬で取り囲まれた状況でも、クリスの表情が変わる事はない。ただ気が狂ったよう笑うだけだ。


「遊びだったんだ……所詮僕のは、遊びだったんだ」


 気が狂ったような笑顔で天を仰ぐクリスが、「ははははは」とまた大きな笑い声を上げた。


「手を出しちゃいけなかったんだ。アレは……アレは――」


 先程まで気が狂っていたように笑っていたクリスが、急にガクガクと震えて己の肩を抱いた。


「アレは……死そのもの。いや、告死の獣モルティクスだったんだ」


 そう呟いたクリスは、それ以降ずっとガタガタと震えて、「死が来る……告死の獣モルティクスが」としか話さなくなった。


 壊れたクリスの様子に、影がわずかに眉を寄せ「告死の獣モルティクスか……」と凄惨な現場を見渡した。


 教会において、死の間際に女神が遣わすと言われる告死の獣モルティクス


 善人には姿を見せず、優しい抱擁でもって。

 悪人の前には恐ろしい姿を見せ。


 それぞれ善人の命を女神の元へ運び、悪人の命は喰らい尽くすと言われる、大いなる存在。


 闇ギルドの暗殺者達が、こうも無惨に殺られている光景は、影をしてもクリスの言葉に頷きたくなる状況だ。


 それでもここに来た以上、彼らも彼らの仕事をせねばならない。未だ震えるクリスと影を一つだけ残して、残りの影が一瞬で散開した。


告死の獣モルティクス……が――」


 震えるクリスを、まともに話せるようにするには骨が折れそうだ。


「死よりも恐ろしいか……本当にあったとはな」


 影がそう呟いた時、他の影が各々の手に何かの資料を持って現れた。


「証拠は揃ったな」


 リーダーと思しき影の言葉に、他の影が黙って頷いた。


「お嬢様と、ランドルフ様の人相書きに……依頼書か」


 証拠を確認したリーダーの影が、「それと、それは置いていけ。」と各自に指示を出している。この現場からリズやランディを狙った情報を拾わせる必要があるのだ。


 相手にちゃんと情報を掴ませた上で、初めてクリスという駒が役に立つ。


「君の身は預かろう。心配するな。丁重にあつかう」


 影の言葉にクリスが反応することはない。それでも影はクリスを連れてその場を後にした。残ったのは、むせ返る程の血の臭いが立ち込める凄惨な大量殺人の現場だけであった。

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