第82話 キャサリン&クリス〜何とか致命傷で済んだな〜
グニャグニャと歪んだ景色が赤茶けた風景に変わり、四人を包みこんでいた妙な浮遊感も終わりを告げた。
「帰ってきたのか?」
周囲を見渡したランディの瞳には、現在を示す数字が描かれた楕円形の装置が映った。窓の外に目を向ければ、なるほど確かに見慣れた赤茶けた景色が広がっている。
どうやら間違いなく戻ってきたようで、その事実に全員がホッと安堵のため息をついた。
ルークの母。
エリーの過去。
色々とあったし、何より最後に聞こえた妙な声。どうやらエリーの身体は、ちゃんと何処かにあるらしいのだが……今は流石に帰って休んだほうが良いだろう。
「とりあえず、今日のところは帰ろうぜ」
大きく伸びをしたランディが、「腹が減ったしよ」と続ける。
「一度運動場とやらに転移してからじゃな。次元の穴も塞がねばならん」
大きなため息は、面倒だという気持ちの現れだろう。正直ランディもエリーも、一旦一眠りするために帰りたい所だが、それでは時間が止まったままなのだ。恐らく放っておいてもゆっくりと穴は閉じていくだろうが、それに任せていてはいつまで経っても時が動くことはない。
時が止まっているのなら、腹を満たすために火を起こすことすら出来ないだろう。それはランディにとっては正に死活問題である。
面倒ではあるが、やらねばならない。であれば、仕方がないと
「なら、さっさと済ませて帰るぞ。マジで腹が限界だ」
欠伸を噛み殺したランディに、「塞ぐのは妾なんじゃが」とエリーがジト目のまま転移で四人を運動場へと飛ばした。
「んで、なぜに俺は動けるわけ?」
微妙なポーズのまま、苦笑いのランディが口を開いた。
運動場へと転移した四人だが、止まった時間の干渉を受けたルークやセシリアは、来る前同様ピタリと動きを止めている。だが杖を掲げるエリーとその隣でポーズを決めていたランディだけは、なぜか動けるのだ。
元々ランディが動けていたのは、竜の血の影響と聞いていた。だが今ランディの身体の中に、竜の血はない。
ならば恐らく止まってしまうだろう。
そう思ったランディは、折角止まるならとポーズまで決めたというのに……何故か動けてしまっているのだ。
「恐らく竜の血の影響じゃろう」
「まだ残ってんのかよ」
顔をしかめるランディに「いんや」とエリーが首を振って、その原理を解説し始めた。
一度竜の血を取り込み、方法は無理やりだが竜の力を叩き伏せたのだ。つまり身体に宿した竜の力に打ち勝ったとも言える。
「今お主が動けるのは、お主が勝ち取ったお主自身の力じゃな」
目の前で杖に魔力を通すエリーに、「ふぅん」とランディが後ろの旧校舎を振り返った。そう言えば向こうは何か楽しそうな事をしてたな、と思い出したランディだが……一瞬だけ湧いた興味を直ぐに脇へと追いやった。
時が止まってる間に、王太子達の間抜け面でも……と思ったのだが、別にそれを見た所で何も面白くはないな、とランディの興味は、すでに目の前で杖を掲げるエリーに戻っている。
「さて、穴を塞ぐぞ」
「はいよ」
エリーがゆっくりと次元の穴を塞ぎ……それに伴って【時の塔】の姿も薄れていく。
「次は、普通のルートで入りてーな」
「次があるなら、の」
エリーが苦笑いを浮かべたのとほぼ同時、次元の穴が完全に塞がり、周囲が急に動き出した。
舞い上がっていた砂塵は風にさらわれ。
雲は暗い空を流れて。
揺れる枝葉がザワザワと葉擦れの音を響かせた。
「お!」
「あら?」
それと同じ様に戻ってきたルークとセシリアが、少し寂しそうに【時の塔】があっただろう場所を見上げた。
「長い長い冒険だった気がするが……」
「一瞬だったような気もしますわ」
感慨深く微笑む二人だが、何かに気がついたランディとルークが勢いよく振り返った。
しばらくして暗がりから現れたのは、数人の暗部だ。
「……巨大な塔があったと思うが」
「そうですね。我々も見た気がしますが」
すっとぼけるランディを、暗部の一人が注意深く観察する。
「……ランドルフ・ヴィクトール。来た時と格好が違うが?」
「塔にビックリして服が破れたんですよ」
ンな阿呆な。と言いたげな理論だが、事実一瞬で服が変わっている現象に、暗部が答えを出せるはずもない。吊られた右手も、妙な気配のする黒い外套も、暗部からしたら謎でしかないが、一瞬で変わった事を説明出来る手立てが彼らにはない。
それでもランディを訝しげに観察する暗部に、ランディがため息混じりに口を開いた。
「私の事より、あっち――」
ランディが旧校舎を指差し「大丈夫なんですか?」と首をかしげた。
「何か、盛り上がってますけど」
ランディの言う通り、今旧校舎の中はかなり殺気立って剣戟の音すら薄っすらと聞こえてくる程だ。
「たしかに今はそちらが優先か――」
そう呟いた暗部に続くように、数人の男女がその姿を一瞬で消した。〝王国〟という国に仕える彼らにとって、国に影響がありそうな巨大な塔は見過ごす事は出来なかったのだろう。
だが、今はそんな蜃気楼にも似た意味不明な現象よりも、王太子の安全を優先させるために彼らは旧校舎へと駆けていった。
「やたら殺気立ってたな」
「そりゃ、あんだけデカい塔が出たらな」
鼻を鳴らしたランディの前で、旧校舎の中から人影が幾つか飛び出した。
「アレは――?」
眉を寄せたランディの視線の先には、逃げ出す黒い影の中に紛れる学生のような男と、彼らを追う暗部の姿が映っていた。
☆☆☆
エリーが次元の壁を直した瞬間、旧校舎の中でも時が動き出していた。
「来るぞ」
迫る暗殺者を前に、エドガー達と暗部の二人は、キャサリンを庇うように円陣を組んで武器を構えていた。本来ならエドガーも護衛対象だが、この人数差なら戦える人間は一人でも多いほうが良い。
「支援、行きます!」
虚空から杖を取り出したキャサリンが、暗部も含めた全員にバフをかける。
筋力、知力、そういった力とつく能力を一時的に引き上げるキャサリンの支援魔法で、全員の思考が一気に加速された。
わずかにゆっくりとなった刺客の速度に、ダリオが先制攻撃とばかりに複数の火球をぶち当てた。
転がりながら消火する刺客を乗り越え、別の男たちが迫る。
それでもアーサーとエドガーは剣で。
ダリオは魔法で。
暗部の巧みなサポートの助けもありつつ、圧倒的人数差でも誰一人として脱落することなく、暗殺者達の猛攻をしのいでいた。
「エレメントのパワーアップ様々だな!」
アーサーの鋭い剣閃が、遂に暗殺者の一人を捉えて斬り伏せた。
「キャシーのバフも、だ」
エドガーの剣も、別の暗殺者の腕を吹き飛ばした。
人数差がある中で、まさかの反撃に暗殺者達がわずかにたたらを踏んだその時……ガラスを割って、複数の暗部が旧校舎の中に飛び込んできた。
エドガー達と合わせても十人ほど……だがエドガー達が想像以上に強く、加えて暗部が増えた事に、暗殺者達に大きな動揺が走った。
先ほどまでの時点で攻めきれなかったのだ。ここで伏兵の出現は彼らにとっては絶望的だろう。動揺する暗殺者達に、闇ギルドのリーダーもこれは分が悪い、と奥歯を噛み締めた。
ここでこれ以上引っ張った所でジリ貧なのは目に見えている。
「テメェら、退くぞ!」
叫んだリーダーが煙玉を放り投げた。
唯一残っている、人数差というアドバンテージを活かす為、逃げの一手に切り替えたのだ。
この場に王太子達がいる以上、暗部も全員では彼らを追うことは出来ない。全員がバラバラに逃げれば、何人かは捕まるだろうが、それでも全滅することはない。
そんな思惑で投げられた煙玉が、エドガー達の視界を一瞬で奪い、しかも――
「毒霧だ! 目と口を塞いでしゃがめ!」
誰かの言葉に、その場の全員が思わず口と目を閉じて身を屈めた。もちろんそんな事はない。ただのブラフだが、これ幸いとクリスも駆け出した。クリスもこの機に乗じて、逃げる算段に切り替えたのだ。
このままここに残っても、尋問の後に破滅しか待っていない。ならば、わずかな可能性にかけて逃げようと頭を切り替え、運良く逃げる暗殺者に紛れて旧校舎の外へと飛び出した。
必死で駆けるクリスと暗殺者達……それを追うように数人の暗部が夜の闇に紛れて旧校舎から飛び出した。もちろん人数差があり、バラバラに逃げているので、全員を捕まえる事など出来ないだろう。
それでも殺気立った暗部が暗殺者を追って闇に消えた頃、旧校舎の中ではキャサリンが残った皆に回復魔法をかけていた。
「ありがとう、キャシー」
「いいえ。皆さんに、大した怪我がなくてよかったですぅ」
相変わらずのぶりっ子だが、今は暗部もその回復魔法に感謝を示すように頭を下げている。実際キャサリンの支援魔法と、時折かけてくれる回復がなければ全滅もあり得たのだ。
「それにしても、なんでクリスが……」
ダリオが見つめるのは、先程までクリスが守っていた一角だ。今は暗殺者達に紛れて逃げているのだが、彼も先程までは肩を並べて戦っていたのだ。
「とりあえず、捕まえて色々吐かせないとな……それが友人である私達に出来る事だ」
苦い顔のエドガーに、三人が黙って頷いた。
彼らの夜の探検は、こうして苦い思いを残して一旦お開きとなったのである。
☆☆☆
「はぁ、はぁ……」
全力で夜の街を駆け抜けたクリスは、大きく肩で息をしていた。痛めた脇腹がまだ完治していないのもあるが、本気で死の気配から逃げたのは初めてなのだ。いつも自分が楽しもうとしていたあの気配が、自分の身に降りかかるとなると、ここまで恐ろしいものだとは思いもしなかった。
それでもなんとか逃げ切った、と「は、ははは」とクリスが笑い声を上げた。
それは逃げ切ったという喜びか。
それとももう戻れない絶望にか。
今は分からないが、それでも今この瞬間だけは勝ったと思い込みたいクリスが、路地裏の壁に身体を預けてもう一度大きくため息をついた。
「……これから、どうしよ――」
「決まってんだろ。掟に従い、死よりも重い罰に裁かれるんだよ」
クリスが見上げていた屋根の上から、一人の男が降り立った。
「……あんたは」
「よくも嵌めてくれたな」
憤怒に染まった表情の男は、闇ギルドの暗殺者なのだろう。怒りに顔を歪めた男が、クリスに一歩迫る。
「ち、違うんだ。アレは事故で――」
「知るかよ。事実は一つ。お前が俺達を嵌めたってことだけだ」
怒りに狂った男の、
「テメェは人質代わりになるかも知れねえからな」
クリスの胸ぐらを掴んだ男ががその顔面を思い切り殴りつけた。
「――グッ」
痛みにクリスから苦痛に満ちた声が漏れた。
「こんなもんじゃすまねえぞ。一緒に来い」
男が憤怒に染まった顔をクリスに近づけた時、その背後に大きな人影が現れた。クリスがその存在に初めて気が付き「あ」と声をもらした瞬間
「見ーつけた」
暗殺者の男の隣に並んだ人影が、その肩をがっしりと組んだ。
「……ランドルフ・ヴィクトール……」
呆けるクリスとは違い、男は不意に現れ肩を組むランディに「てめ、なにすん――」と叫んで暴れるのだが……その声は続かない。
まるで万力か何かで挟まれるように、男の頭がランディに引き寄せられていくのだ。完全にヘッドロックの形になった男が「おい、離せ」と喚くがランディはピクリとも動かない。
「お前ら、最近俺達の周りをチョロチョロしてたやつだろ……なあ、そうだろ?」
笑顔のランディに、ヘッドロックをかけられたままの男が、「し、知らねーって」と苦しそうな声を上げるのだが、ランディに「嘘はよくねーな」と一蹴されている。
「とりあえず、全員呼び出せ。お前らの組織の奴ら全員……五秒以内な」
この状況で無茶苦茶なことを言うランディに、クリスは良く分からないままその腰を抜かしたようにズルズルと壁際にへたり込んでいた。
クリスの耳には
「はい、ごー」
「ちょ、待て。無理だろ!」
「秘密の連絡方法とかあるだろ? ほら、よーーん」
「ね、ねえよ!」
と何とも場違いな声だけが響いていた。
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