第81話 いつも通り。それが一番の癒やし

「エレオノーラ様、ランディ。そしてお嬢様も、ありがとうございました」


 深々と頭を下げるルークに、「貸一つだかんな」とランディが悪い顔で笑ってみせた。湿っぽいのは似合わない。だから努めていつも通り振る舞うだけだが、その眦に浮かんだわずかな雫は隠せていない。


「塔に備わった機能で見ても、世界に大きな変動はない。であれば、妾にはどうでも良いことじゃ」


 吐き捨てて背を向けるエリーだが、僅かに震える肩に誰も何も言わない。この感情だけは、誰も彼も笑って良いものではない、と理解しているのだ。理解したうえで、それを隠そうとする彼女の優しさに、誰ともなく微笑みを浮かべて三人が顔を見合わせた。


 少しだけエリーが落ち着くのを待って、ランディがおもむろに席をたった。


「んで、俺達は今どこにいるワケ?」


 窓の外を見るランディの視線の先には、グニャグニャと歪む景色が広がっている。


「さあの。……どうも、千二百年前と時空が繋がっているらしいのじゃが」


 苦い顔で楕円形の装置を見つめるエリーの言う通り、なるほど装置の数字は、千二百年前を記している。だが、先程までのヴィクトール領と違い、景色はグニャグニャと定まる気配がない。


 そうして暫く待ってみるものの、景色に一向に変化はない。


「仕方あるまい。一旦戻るぞ――」


 エリーがそう言い、楕円形の装置に映された数字を触ろうとしたその時――


『皆さん――始めまして』


 窓の向こうから響いた声に全員がそちらを振り返った。見ると、歪んでいた景色の一部が、まるで穴でも空いたように一つの場面を映し出していた。黒髪の女性がどこかのテラスに立ち、眼下に広がる無数の人々に手を振っている光景だ。


「なんだこれ? 向こうに――」

「待て」


 眉を寄せ窓に近づこうとするランディを、エリーが険しい顔で制した。


「妾じゃ……」


 そう呟いたエリーの視線の先には、笑顔で手を振っている女性が映っている。長い黒髪と、赤い瞳。リズと瓜二つの整った美しい顔は、今は恥ずかしげに微笑んでいる。


「これが……」

「本当のエレオノーラ様」


 呆ける男二人の横で、「リザにそっくりですわ」とセシリアがポツリともらした。かと思えば、穴が閉じたように景色が消えて……今度は別の場所に景色が映し出された。


『なんで――』


 頭を抱える画面の中のエレオノーラは、どこかやつれて見える。


『エレオノーラ様……新たに一つの街が――』


 扉から顔を覗かせた兵士風の男の報告に、『そう……ですか』とエレオノーラが大きく肩を落として机に突っ伏した。


『どうして……なんで』


 突っ伏したままのエレオノーラの言葉に応えてくれるものはいない。ただ、黙ったまま兵士がその場を後にした頃、再び景色が埋められるように、グニャグニャと歪んだ空に消えていった。


「何だ今の?」

「奇病じゃ……身体がボロボロに朽ちて行く。原因不明の、な」


 エリーの苦々しい瞳には、新たな光景が映し出されている。台の上に磔にされ、住民から囲まれ一心不乱に祈られるエレオノーラの姿があった。


『神に捧げよ!』

『病を打ち倒すための生贄を』


 なんとも愚かな行為だと思うが、それを止めるすべは今ここにはない。エリーが教えてくれるのは、病に対して効果的な対策を打てなかった事への仕打ちだそうだ。


「たった一人に責任を?」

「それが、当時の妾の役目じゃったからな」


 嘆息するエリーだが、光景の中の彼女は納得していないようだ。無理もない。空に映る光景から、確実に今よりも進んだ高度な文明で栄えていた時代だと分かる。現代日本にも負けじ劣らず、いや、現代日本よりも上をいくだろう文明において、疫病の解決方法が〝生贄〟では納得など出来るはずもない。


 それでも……魔法が身近にあり、不死者が歩き、精霊が遊び、神の存在が近い世界ならば、最終的な手段としてはあるのかもしれない。当人は全く納得などしていない様子だが。


 今も『生贄など、意味がない事を』と磔のまま叫ぶエレオノーラは、ランディと同じ考えなのだろう。


 それでも祈り続ける住民が止まる事はない。


『生贄など……もう間もなく、間もなく魔法式が完成します――』


 叫ぶエレオノーラの声は誰にも届かない。代わりに響いたのは、音響設備でも使っているかのような、男の声だ。


『聞け! 無辜の市民たちよ……彼女は、自らの命を持ってこの疫病を止めてくれると仰っている!』


 響く声に、住人たちのボルテージが上がり、『違う!』と叫ぶエレオノーラの声をかき消していく。


『私はここに宣言しよう……彼女の意思を継ぐ組織を結成し、必ずや神のもとへ諸君の声を届けることを――』


 磔にされたエレオノーラの後ろから、一人の男が現れた。


『彼女は、犠牲となって神との道を我々へと見せてくれる……いわば様だ』


 その声にボルテージが上がった住民が『聖女』の大合唱だ。


「広域の催眠魔術がかけられておるの……あの頃は気づかなんだが、何とも稚拙な手に負けたものじゃ」


 自嘲気味に笑うエリーの視線の先で、男は台から飛び降り、一度エレオノーラを振り返ってボソボソと呟いた。


『私の好意を踏みにじったのだ……処刑すら生ぬるいというのに、大好きな民のために死ねる事を喜ぶんだな』


 ニヤリと笑った男に、画面の中のエレオノーラがわずかに眉を寄せた。


『君の作った魔法式は、我々が受け継ぎ人々のために使おう。君のお陰で私の株も上がると言うものだ』


 相変わらず眉を寄せるエレオノーラには、恐らく聞こえていないだろうが、今ここにいるエリーとランディには聞こえていたわけで……


 醜い顔で笑う男に、「おい、こいつムカつくし殴ろうぜ」とランディが窓辺へと歩み寄ろうと……するその身体を、ルークが慌てて後ろから羽交い締めにした。


「馬鹿か。お前が歴史が変わるだなんだって……」

「知るか。こいつ、マジでぶっ殺そうぜ。とりあえず三回くらいよ」


 暴れるランディに、「よさぬか」とエリーが静かにため息をついた。


「もう終わったことじゃ――」


 エリーがそう言い放った瞬間、再び景色が切り替わった。そこには、磔られたまま放置されたのだろう、完全にミイラのように干からびたエレオノーラの姿があった。街のど真ん中にあるというのに、既に住民達は彼女に何の関心も持つことはなく、見向きもせずにその脇を通り過ぎていく。


「生贄とか言ってたくせに……誰も祈りすらしねーのかよ」


 あまりにも酷い光景に、ランディが奥歯を噛み締めた頃……


『全て……全て呪ってやる……この世界の全てを――』


 ミイラになったエレオノーラから声が響き、身体から黒いモヤが立ち昇った。あのヴォイドウォーカーすら可愛く見える、邪悪で禍々しいオーラだ。それが立ちどころに周囲へと広がり……街は一瞬で阿鼻叫喚の地獄と化した。


『来い……万象律の杖エレクシオン


 ミイラ化が回復したエレオノーラが呟くと、その手に見覚えしか無い杖が現れた。それはどう見ても、エレベーターの動力源にされ、カメラのシャッター係として使われたあの杖だ。


『全てを呪え!』


 宙へ浮いたエレオノーラが杖を思い切り放り投げた。向かう先は、巨大な神殿だ。


 そこで再び景色が切り替わり……今度は全く知らない女性とエレオノーラだったものが向かい会うシーンだ。


『ノーラ……ごめんなさい。私が時の塔にかまけて――』

『退け、シャル。私は……この世界を人を滅ぼさねばならない』

『退かない。私はあなたにそんな真似させない』

「私の……邪魔をするというのか。お前も、お前も私を――』


 ぶつかりあった二つの魔法が、窓全体を真っ白に照らした。


 それが収まった頃には、窓の外は沈黙したように真っ暗で景色一つ映していない。ただ、『ごめんなさい、ノーラ。あなたを止めるには――』とノイズ混じりの音が聞こえただけで、後は何も映すことはない。歪んでいた景色すら映らない、真の暗闇に、誰かがゴクリと唾をのみこんだ。


「結局、何も分からなかったの」


 ため息をつくエリーに、「「いやいやいや」」とセシリアとルークが大きく首を振った。


「エレオノーラ様が聖女?」

「しかも恐らく初代ということは、教会の発端?」

「あの杖。ならあの血は……」


 思わず飛び出したリズも交えて、三人がエリーへと詰め寄っている。出てきた情報量の多さに、全員が混乱する中ランディは一人黙ったままエリーを見ていた。


 そんなランディの視線に気がついたエリーが、「なんじゃ?」と自嘲気味に笑ってみせた。


「妾の昔に同情でもしてくれておるのか?」


 笑顔のエリーに黙ったままのランディがゆっくりと近づく……そして両肩をがっしりと掴み、真っ直ぐな視線をエリーに向けた。


「な、なんじゃ」


 思わずのけぞるエリーに「お前……」とランディがゆっくりと口を開いた。


「全然ボン・キュッ・ボンじゃ、ねーじゃん」


 真面目な顔のランディに、「は?」とエリーが呆けた声をもらし……そして顔面が見る間に紅潮していく。


「ば、馬鹿か! 貴様は馬鹿なのか! もっとこう、言うことがじゃな――」


 真っ赤な顔で「馬鹿だ、阿呆だ」と叫ぶエリーに、ランディは少しだけ微笑んだ。本当は心底腹が立っていた。あの光景にも、それのきっかけになっただろう、クソみたいな男にも。今も心底腸が煮えくり返りそうだが、それを吐き出したとてどうしようもない。


 だから……だから……。


「お前の過去が聖女だろうが、魔女だろうが、今のお前はエリーだろ。なら、結局俺のやることは、あの時言った事と全く変わらねーよ」


 ぶっきら棒だが、どこか優しさを含んだランディが続ける。


「忘れてんなら、思い出させてやる。俺は絶対お前の身体を探し当て、お前を過去の因果から解き放ち、幸せいっぱい――」


「わー! あー!」


 赤い顔で叫びだしたエリーに、ランディが「急に大声出すなよ」と眉を寄せた。


「い、今はそれは良いじゃろう!」


 顔を赤らめるエリーに、ランディは「お前が言えとだな……」と不満が止まらない。今もじゃれ合う二人を見るセシリアとルークは苦笑いだ。


「まあ、本音を言うと腹が立ってるんだが――」


 鼻を鳴らしたランディが続ける。


「ムカついてはいるんだが、過去は変わんねーし、変えられねー。あのバカどもをぶっ殺しちまったら……もう二度とお前にも、リズにも会えねえだろ」


 視線を窓に向けたランディの言葉に、エリーの顔が更に赤く染まった。そしてルークやセシリアは信じられないものを見るような顔で、ランディを見ている。無理もない。それは既に愛の告白とも取られかねない発言だ。


 それをあのランディがサラッと言ったことに――結構言ってるが、二人は知らないので――二人は驚きを隠せないでいる。


 そしてエリーはというと……


「……引っ込んじゃいましたけど」


 苦笑いのリズが、「あまり虐めないで下さい」とランディに頬を膨らませた。


「虐めてるつもりはないんだが……」


 頭を掻くランディに、「でも……」とリズが少し遠い目をして虚空を見上げた。


「少しだけ羨ましいです。幸せいっぱい、お腹いっぱい……そう言ってもらえる事が」


 そう言って少しだけ淋しげに笑うリズに、ランディが「何いってんだ」と眉を寄せた。


「そりゃ、お前にも言ってんだぞ、リズ」


 その言葉に、リズが「へ?」と思わずと言った間の抜けた声を発した。


「ちゃんと言っただろ。俺はお前に対して責任を持つって。お前も一緒に幸せいっぱい腹一杯になるんだ。いや、してやるからよ。ちゃんと覚悟しとけ」


 ケラケラと笑ったランディが「まずはヴィクトールをもっと豊かにして――」と幸せ計画を続ける。その言葉に、一気に紅潮したリズが俯きつつも小さく頷いた。


 ちゃんと自分も見てくれていたことへの気恥ずかしさか。

 それとも妙な嫉妬心を抱いた恥ずかしさか。


 だがそれらを全部吹き飛ばすランディの笑顔を、リズはチラリと盗み見てまた恥ずかしげに顔を俯かせた。


「よっし。そうと決まれば帰ろうぜ。腹も減ったし、風呂にも入りてー」


 腹を叩いたランディに、赤い顔のままのリズがもう一度頷く。



「何を見せられてるんでしょうね」

「さあ?」


 苦笑いの二人の前では今も、「おい、エリー出番だぞ」とランディが赤い顔のリズの肩を軽く叩いていた。







「よ、よし。そろそろ戻るぞ」


 ようやく戻ってきた赤い顔のエリーに、ランディが「そう言えば」とまた手を打った。


「お前、昔は『のじゃ』口調じゃねーのな」

「い、今はそんな事は良いではないか!」


 口を尖らせたエリーが、装置の数字を調整し水晶に触れた。四人を再びグニャグニャと歪む景色が包みこんだ。


「よっし。帰ったら飯にしようぜ!」

「今って何時くらいですの?」

「分かりません。一週間くらい過ぎた気がしますが」

「時間が止まっておるのじゃ。来た時同様、真夜中前じゃ」


 楽しげに笑う声が時空の渦へと消えていった。





『ノーラ、あなたの身体は、この■■■に――。いつか、いつか……』

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