第80話 悲しくとも明日が待ってる

 グニャグニャと歪む景色が収まってみると、そこにあったのは長閑な田舎の風景だった。


 広大な森と巨大な山脈。

 ポツポツと点在する麦畑。

 丘の上の小さな屋敷。


「ヴィクトール領……か?」


 眉を寄せて呟いたランディに、エリーが勢いよく楕円形の装置を振り返った。


「どうやら成功のようじゃな」


 頷いたエリーの言う通り、装置の中央には七年前を示す日付が記されていた。


「千二百年前だとかなんだとか言ってなかったか?」

「分からん。そもそも妾とて、時渡りは初めてじゃ」


 渋い顔で装置を見つめるエリーに「そりゃそうか」とランディも呟く。ここは経由地だと言っていたので、次に塔を起動した時に何かが起きるかもしれない。


「とりあえずは、この時代に来た目的でも――」

「俺の、家だ――」


 窓から外を見下ろしていたルークがポツリと呟いた。慌てて窓辺に駆け寄ってみると、なるほど真下にはルークの生家である小さな一軒家が見えた。ヴィクトールの人々を気遣って、あえて町外れに住んでいたルーク親子の家は、何度も遊びに行ったランディにも見覚えがある風景だ。


 ルークの母が亡くなってから、ルークはランディ達と一緒に屋敷で育ったため、それっきりだが、何度も足を運んだ家は今でも良く覚えている。


「間違いないか?」

「はい」

「そうだな」


 頷くルークとランディに、エリーが再び中央のシートで水晶に触る。


「ここと、あの家を繋ぐ通路を構築する……猶予はそうないぞ。あと――」

「心配すんな。誰にも見られねーようにするからよ」


 振り返ったランディに、エリーが黙って頷き水晶を再び起動した。一瞬だけ景色が歪み、そして窓の向こうに一軒家が映った。どういう仕組みか分からないが、これで通路とやらを通ってルークの家に行けるのだろう。


 そう思っていたランディ達の目の前に、光の道が現れた。真っ直ぐに家へと伸びるそれが、通路なのだと理解したランディ達の目の前で、「うるせえ! 誰がそんな事頼んだんだよ!」と叫び声を上げて小さなルークが飛び出してきた。


「あれが……」

「ガキの頃の俺です。クソ、生意気言いやがって」


 拳を握りしめるルークに、「言ってる場合か、急ぐぞ!」とランディがその背中を押した。


 ランディの記憶が正しければ、ルークが家を飛び出して数時間後には母グレースがお見舞いと称してここを訪れる筈だ。そしてその時には既に容態が急変しており、慌てて神官を呼びに走ったものの……もう助からないという状態だったそうだ。


 そこからは多くの人間がルークの母の元を訪れ、そして少年ルークが帰って来る少し前に、彼女は多くの住人に見守られながら神の元へと旅立ったという。


 つまり母グレースが訪れるまで数時間。だがルークの母の容態が悪くなるまではどのくらいの時間があるか分からない。モタモタしている暇はない、とランディはルークを光る道へと押しやった。





 光る道を通って、家の中にたどり着いたのはルークにセシリア、そしてランディの三人だ。エリーは一人塔に残り、何か不測の事態があった場合に直ぐに対処出来るようにしてある。


 見覚えのある家を真っ直ぐに進み、ルークが一つの扉の前で足を止めた。ノックをしようと、握りしめた拳を軽く持ち上げ、そして……躊躇うように、何度かそれを扉の前で止める。



 そんなルークに「早くしろ」などとは誰も言えない。二度、三度躊躇ったルークだが、震える拳でゆっくりと扉を叩いた。


『……はい?』


 扉の向こうから聞こえてきたのは、弱々しい女性の声だ。聞き覚えがある、聞き覚えしか無い声に、何故かランディも胸が締め付けられる思いだ。


 ルークが未だ震える手でゆっくりと扉を開いた――


 そこに居たのはベッドの上で身体を起こす、ルークの母、マーサの姿だった。ルークに良く似た整った顔と金髪。病でやつれた顔でも美しく見える彼女の髪を、窓から吹き込んだ風が柔らかく揺らした。


「……ルーク?」


 七年も経ったというのに、一目で見抜くあたりやはり母親なのだろう。


「母さん……」


 瞳に涙を浮かべたルークが、マーサに駆け寄り抱きしめた。


「ど、どうしたのよ急に……出ていったと思えば、大きくなって帰って来るし」


 困惑したマーサとランディも目があった。上裸にローブ姿、しかも右手を吊っているという完全不信者の出で立ちだが……


「ランドルフ様も大きくなられてますね」


「ご無沙汰してます、マーサさん」


 バツが悪そうに頬を掻くランディに、「昨日も会ったじゃないですか」とマーサが困惑した笑みを浮かべた。


「色々と事情がありまして……未来からやってきました」


「未来、から?」


 首をかしげたマーサに、ルークが「そうだ、母さん七年前の……じゃなくて――」と慌てたように今朝の喧嘩について謝った。


「そんな事を言うために、未来から?」


 驚いたマーサが目を見開き「危なかったんじゃないの?」とルークに非難めいた瞳を向ける。


「あ、危なくなんてねえよ。俺とランディがいれば、何だって出来るんだから」


 口を尖らせるルークは、間違いなく七年前の少年のままだ。そんなルークの様子に優しく笑ったマーサが、「変わらないのね」と優しげな瞳でルークの頭を撫でた。


「やめてくれよ……もう一九だぜ?」


 照れた表情のルークだが、言葉とは裏腹にマーサの手を振り払う素振りなど無い。


 しばらくそうして親子のスキンシップを続けた二人だが、マーサが悲しげに窓の外へ視線を向けた。


「そう……七年も先から。なら、私は今日でお別れなのね」


 悲しげな顔のマーサに、「そんな事無い」とルークが強く首を振った。


「こうして、俺が謝ったし、何も気にする事なんてないから――」


 縋るようなルークに、マーサは首を振って枕元にある小瓶を見せた。それは強い鎮痛剤だ。痛みを止め、苦痛を和らげる……もう助からない人間を、少しでも苦痛から開放する為の薬だ。


 それが示すのは、マーサは既にいつ死んでもおかしくないという事だ。


「嘘、だろ……謝れば……」


 膝をついたルークは、ずっと気にしていたのだ。


 あの日、比較的元気だったはずの母の容態が急変したのが、自分と喧嘩したせいではないかと。だから、ここに来て謝ればもしかしたら母を……とそう思ってたのだろうが、現実はそう甘くない。


 迫るのはタイムリミットだけだと言うのに、ルークは未だ膝をついたまま「嘘だ」と呟いている。自分が何も考えずに遊び呆けていた頃、既に母は助からない身体になっていた。


 打ちひしがれるルークに「ルーク……」とセシリアが思わず瞳に浮かぶ涙を拭った頃……


「おいルーク…………ルーカス・ハイランド!」


 ……大声ではない。だが、腹の芯を揺らすようなランディの声に、ルークが振り返った。


「ルーク、顔を上げろ。お前はここに何しに来たんだ? 七年経っても、甘ったれなお前の姿をマーサさんに見せるためか?」


 眉を寄せるランディに、ルークが「なに、を……」と呆けた表情を向けた。


「お前が言うべき言葉はもう、一つしかねーだろ! お前は何のために、ここに来たんだ?」


 ランディの言葉に、ハッとした表情を浮かべたルークが涙を拭って顔を上げた。


「母さん……俺、今日から続く未来で頑張ったんだ。だからさ、


 そう切り出したルークが話すのは、これから七年先まで続くルークの冒険譚だ。必死に訓練をして、時に死にかけながら、でも楽しくランディと成長したこと。


 ヴィクトール領で騎士になったこと。


 今はとある任務で、隣国の伯爵令嬢の護衛についていること……


「彼女が今、俺がお仕えしているセシリアお嬢様だ」


 ……セシリアを紹介したルークに、マーサは本当に嬉しそうにセシリアに笑顔を向けていた。


「セシリア・フォン・ハートフィールドと申します」


 優雅なカーテシーをみせるセシリアも交えて、三人で始まった会話に終わりは見えない。


 ルークが騎士としてどれだけ優秀か。


 そういった話はもちろん、普段の生活から、ちょっとした楽しかった事まで、延々と続く三人の会話に、ランディは小さく息を吐いた。ここに来てから既に結構な時間が経っている。そして少しだけ辛そうにしているマーサは、そろそろ限界なのだろう。


 もう少し会話を楽しませてあげたいが、これ以上は……そう思ったランディが気配を感じて顔を上げた。そこには呆れた顔のエリーが立っていた。


「いつまでも帰ってこんのでな」

「帰れなくてな」


 肩をすくめたランディの向こうに見える光景に、「なるほど」とエリーが呟いて、三人の元へと歩いていく。


「ルークとやら、時間切れじゃ」


 冷たく言い放つエリーに、「もう……ですか」とセシリアが残念そうに俯いた。


「ご母堂、もう既に身体は限界じゃろう。横になると良い」


 エリーの言葉に、「母さん?」とルークが呟き、ようやく彼女の額に滲む汗に気がついた。


「これ以上は身体に障る……過去を変える可能性になりかねん」


 ため息混じりのエリーに、ルークが「……分かりました」と頷いて立ち上がった。


「が……妾とて鬼ではない」


 そう笑ったエリーが、杖を掲げるとマーサの身体を淡い光が包みこんだ。


「寿命は伸ばせぬ。だが、死がそなたを抱きとめるまでは、苦痛を感じぬくらいは出来よう」


 それは、いいのか?とランディも野暮な事は聞かない。史実では母グレースが訪れた頃には、既にマーサは虫の息だったはずだ。苦痛に顔を歪め、そして慌てたグレースが様々な人を呼び集めたのだ。マーサと親交があった人達を。


 だが苦痛を感じなくなれば、その未来は変わりはしまいか、と思ったのだが、エリーがやるならば問題ないのだろう。


 再び動ける用になったマーサだが、どうやらもうすぐ時間切れなのは間違いない。窓の向こうに見える道に、小さく馬車が見えるのだ。……グレースが乗っているだろう馬車が。


「ルーク……」


 窓を顎でしゃくったランディに、ルークも状況を理解した。これ以上の長居はどのみち無理だという事に。


 だから……だから最後に……


「母さん、安心してくれよ。俺、竜を倒せるくらい強くなったからさ」


 ……少しだけ脚色した話だが、半分は真実だ。その証拠の写真をルークが見せた。


「これは……」


 それを見たマーサが微笑んだ。


「馬鹿ね。心配なんてしたこと無いわ。あなたは、私の自慢の息子だから」


 微笑むマーサを、ルークがもう一度抱きしめた頃、ランディが「記念撮影だな」とテキパキと三脚とカメラをセットした。フィルムも少しだけ残しておいてよかった、とランディが画角をセットし……


 またもやリズの杖がフワフワと宙を舞う。


「では、とりますね――」


 そうして撮られた二枚の写真は、一つは「絶対に誰にも見せないように」と念押ししてマーサに手渡し、そしてもう一つはルークが大事そうに懐にしまった。


 丁度その頃、家の前で馬車が止まり……


「じゃあね、母さん……俺、天まで名前が届くくらいの男になるから」

「フフ……楽しみにしてるわ」


 頷いたマーサに後ろ髪を引かれる思いで、ランディ達はその場を後にした。何度も、何度も手を振って。そして次元の壁へと消えていったランディ達と入れ替わるように……


「マーサ、体調はどうかしら?」


 ……グレースが顔を覗かせた。


「グレース様……今、とても気分が良いんです。出来たら、街の皆と話したいくらい」


 そう微笑んだマーサに、「あらそう?」とグレースは嬉しそうに人を走らせ、街でマーサと親交のある人間を呼びに行かせたのだった。


「グレース様、少しお話しませんか?」


 そうしてマーサとグレースは、お互いの息子の未来を想像する話に華を咲かせるのであった。





 それから二時間ほど後……ルークの母マーサは、史実の通り多くの人に看取られてその生涯を閉じた。


 幸せそうな顔で。














「あなた……これ、何かしら?」


 グレースの手にあるのは、一枚の写真だ。そこに映っているのはもちろん、この時代より成長したルークやランディと見知らぬ令嬢が二人。そして彼らに囲まれるのは、ベッドで身体を起こし微笑んだマーサの姿だ。


 写真を手渡されたアランは、一瞬目を見開き、そして苦い顔で微笑んだ。


「……グレース。今見たものは忘れなさい。絶対に、誰にも話しては駄目だ。これは、我々が見て良いものでも、触れて良いものでもない。マーサの棺の中に、静かに収めておきなさい」


 いつもとは違う夫の雰囲気に、「え、ええ」と頷いたグレースが、葬儀前のマーサの棺の奥にそっと写真を隠した。


 その姿を見ていたアランが、虚空を見上げてため息をついた。


「全く……未来の私も苦労してそうだな」


 そう呟いたアランが、悲しみに震えるルークの肩を叩いた。


「アラン様……俺、俺、母さんに――」


「気にするな、と言っても今は無理だろう」


 首を振ったアランが優しくルークを抱きしめた。


「だから今はたくさん泣くといい。たくさん泣いて強くなれ。天国のマーサに、君の名声が届くくらい、強く、そして大きく――」


 頷いたルークが溢れる涙を乱暴に拭った。


「さあ、行こうか……。悲しくとも明日が待ってる」

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