彼女は天然魚!

崇期

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 わたしの名前は朽木くちき龍遇之使りゅうぐうのつかい。ふざけた名と思われるかもしれないが、ウェブ界隈で活動する作家である。

 数年前、『あのパッセージみたいに、夕日を浴びたグラウンドで龍に遭遇したら……』という、自分のペンネームに由来する長編小説で「ウェブ作家とウェブ作家が選ぶウェブ小説ならではの小説大賞」の最終候補にノミネートし、それなりに話題をさらった。


 それが功を奏したのか、今回知人の紹介で、わたしのファンとおっしゃる女性と会うことになった。

 わたしの源泉は幼少期から親しんできたクラシック音楽であったり、ゲーム・漫画のような近代アートであったり、人間哲学、物理学なども血肉であったり……。友人・知人らも創作活動をやってはいても、地道というか孤高というか、静かに魂を燃やす者たちばかりで、ピカソのようにたくさんのミューズ(芸術の女神)に囲まれ刺激を受ける、というタイプではなかった。

 知人曰く、「ミューズなんて、我が家は洗面台の上にしかいないよ……(薬用ミューズ)」と、前髪に隠れた目を悲しげに伏せる者ばかり。どこまでも除菌された世界に住んでいると言わんばかり。まあわたしも、似たようなもので、仕事や日常生活にかまけて人との付き合いから遠く離れていたので、これを機に視野を広げてみるのもいいだろうと、そのひとときを楽しみに待った。




「先生ェ〜」


 待ち合わせの駅前広場。西口の雑踏から飛び出してきた元気のよいシルエット。白い手を振りながら駆けてくる若い女性──まだ二十歳かそこらではないだろうか? わたしは四十代なんだが、話が合うだろうか? 早くも不安がもたげてきたぞ……。


「はじめまして、サヨリと言います」

 対面してすぐ、やわらかな笑顔を浮かべ、ぺこりと頭を下げるサヨリさん。

「サヨリさん。はじめまして、朽木です」

「先生にお会いできて、光栄です。わたしも先生と同じく魚の名前なので、ずっと親近感を抱いていたんです」

「先生はやめてください」くすぐったさに思わず肩をすくめる。「わたしの名前はペンネームだし、少々奇をてらっていますがね。サヨリさんはご本名で?」

「わたし……」サヨリさんは再度微笑んでから、スッと真顔になる。「本名はハモ(羽茂)っていうんです」


 ハ……!


「子ども時代は、みんな『かわいい名前』って褒めてくれたんですけど、そのうち男子から『ハゼ』とか『オコゼ』って呼ばれるようになって、それで、悲しくなって自分で『サヨリ』って名乗るようになったんです。……ほら、難解な名字の方が、飲食店で予約表に名前を書くときに、めんどうだから『タナカ』とか仮名にするってよく聞くじゃないですか。そういう感じで、わたしも他人ひとからの質問や苦笑を牽制する意味で、もうサヨリでいいやって」

「そ、そう……」


 親御さんは無類の魚好きなのだろうか……。しかしはもとは、思い切ったチョイスをしたものだな。へたに返答して機嫌を損ねてはいけないと思い、黙っておくことにした。

「朽木さんは、お友だちからは『龍ちゃん』って呼ばれてるんですか?」

「作家仲間は『朽木』……ですかね。下の名前は長いのでね」


 頭上を覆う街路樹の枝葉。その隙からこぼれる日差しを浴びて、舗装の黒い影を辿りながら、並んで歩く。

 自然公園の入口が現れたので、なかを通っていきましょう、と提案した。突っ切って北の方へ行けば、カフェやショップ、美術館などがある。なにか観ていれば、話題に困ることもないだろうと踏んで。

「朽木さん、見てください」

 まだ公園の只中だというのに、サヨリさんが声をあげたので、驚いて指差している地面を見た。真砂土が敷かれたところにゴルフボールが埋まっていた。

「公園はゴルフ禁止のはずですよね? 鳥が運んできたのかしら?」


 と、鳥が?


「うーん」とわたしは考えるふりをした。「犬がくわえてきたのかも」

「どうして埋まっちゃったんでしょう」

「あれじゃないかな。その……公園整備の車とか通るから、タイヤに踏まれて埋まったのかもですよ」

「あー、なるほどー」


 ゴルフボールがそんなにめずらしかったのだろうか。この子、もしかすると天然なのかな。



 公園を抜けると、わたしたちは美術館の扉をくぐった。無料展示として、「門外漢アート」なるものが目についたので、覗いてみることにする。腕章をつけた係員がサヨリさんに近づいて、作品の説明をしだす。

「こちらは、ゴッホが詠んだ俳句になります」

「ゴッホって、俳句も作ってたんですね!」驚きの声を発するサヨリさん。

「彼が日本の芸術に影響を受けていたことはよく知られていて──」


 わたしの目の前には「アンドレ・ブルトンが自動書記していた最中に乗り移った大工の手によって造られた椅子」が十二脚並べられていた。随分長い憑依で……。わたしは上着のポケットから携帯端末を取りだすと、美術館について調べてみる。

 やはり、これらは一種のインスタレーション・アートらしい。プロの芸術家が、いわゆる「餅は餅屋」に反旗を翻し、「門外漢」な世界での表現に挑戦した……という想像世界の産物を展示してある空間。こういうユーモア、嫌いじゃないが。


「朽木さーん」

 

 ガラスケースを前にサヨリさんが手招きするので行ってみると、彼女は興奮気味に話した。「これ、宮沢賢治が縫合した皮膚だそうですよ! 今回、展示するために患者さんにお願いして、人工の皮膚と交換してもらったんですって。ということはこれ、本物の皮膚ってことですよね?」


 こ、この子……。


「ブラックジャックみたーい。やっぱ、賢治って天才だわ」


 本物だと思ってるのか!


 わたしは息を飲んだ。その赤みが差した頬、輝く目の色。サンタクロースを信じている子どもがそこにいた。イノセントワールド!


 

 ひととおり味わい尽くすと、わたしたちは館内にあるカフェに移動した。窓際の席に着いて、注文の飲み物を待つ間、サヨリさんが訊いた。


「朽木さんは、どの作品が印象に残りました?」

「あ、えと……」


 改めて我が脳内で確認するが、インスタレーション・アートは、空間自体が作品という体験型アートだ。たとえば、早口言葉という言語遊戯がある。


・生麦生米生卵

・青巻紙赤巻紙黄巻紙

・バスガス爆発

・隣の竹垣に竹立てかけたのは竹立てかけたかったから竹立てかけたのだった


 これらを挙げて、「生麦生米生卵」と「バスガス爆発」、どっちが好きか、とかいうのは、あまりにも不毛な議論と言えまいか。しかし、そんな、愚かしいまでもわかり切ったことを口にして、この時間、このたおやかな空間を汚すつもりか? 朽木! 


「ああ、うん。あれだ、秋元康先生が塗ったアップリケつきエプロン……かな」とわたしは答えた。

「あー、かわいいエプロンでしたね」とサヨリさん。「芸能人も、皆さん多才ですよね」

「そだね……」


 わたしたちのテーブルに飲み物が運ばれてきた。わたしはアイスコーヒー。彼女はジンジャーエール。

 そのほのかな琥珀に乱れ飛ぶ泡を見つめながら、サヨリさんがつぶやく。

「わたし、ジンジャーエールが昔から大好きで。なんていうか、生姜って、すごく体に良いじゃないですか。だから、イオンサプライ界が生姜を応援しているっていう姿勢に共感できるというか」


「ぷぐっ……!」


 わたしは慌てて口元を抑えた。そっちのエール(yell)! それにイオンサプライ界って、飲料メーカーのことを言ってるの? ダメだ……もうこらえきれん。天然が過ぎるだろ。さすが魚介の名前を持つだけのことはある。


「朽木さん、大丈夫ですか?」サヨリさんが眉をひそめ、心配そうにわたしの顔を覗き込み、店員に向かって手を挙げた。


「すみません、ミルクと砂糖を三つか四つ、追加で」


「!?」


 唖然とするわたしに、サヨリさんが言った。「朽木さん、お疲れなんじゃありません? 空きっ腹にブラックコーヒーはよくないそうです」


 いや、吐き気をもよおしたわけじゃないから! 君が笑わせてるんだろーが。



 このままサヨリさんと過ごし続けたら、未知の扉がバンバン開きそうな気がした。やはり除菌石鹸で我が手を洗う冬の朝(ぬるま湯)……みたいな世界に浸りきって満足していてはいけない、と思った。こんなかわいい女性。きっと彼氏の一人や二人、いるはず。彼らはどうやって彼女との会話を(噴きだすことなく)乗り切っているのだろうか。興味深い。


 空に夕日の色が差して、駅前広場に戻ってきた。

「朽木先生、今日は本当にありがとうございました!」深々とおじぎするサヨリさん。

「いやいや、こちらこそ。楽しかったです」


 西口へ向かって、少し駆けだしてから立ち止まり、振り返る彼女。

「またカクヨム読ませていただきますね! 新作、楽しみにしてます」

「ありがとう。仕事が落ち着いたら更新、頑張るから。よかったらコメントくださいね」

「はい! では、アディダース!」


 アディオスだよね。


 その美しき天然魚は身を翻すと、人群をかき分けてぐんぐんと泳ぎだしていった。


 




 

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