クレヨンさん

@mayonama

クレヨンさん

もう何十年も前の話だけど、ふと思い出した事がある。よかったら聞いてくれ。


これは僕が小学5年生の時の話。


当時の僕は、勉強もできなければ運動もできない、おまけに友達もいないという、何のために学校に来ているのかわからないような子で、僕にとっての学校生活は教科書の余白に落書きをするというだけの時間だった。今思えば、おとなしいタイプの問題児だったと思う。

その頃のことを思い出そうと思っても空白のため、何も思い出せない。

そんな僕でも、唯一鮮明に覚えている出来事がある。



隣のクラスにも問題児がいた。彼女のことを仮に、りえちゃんとしよう。

おかっぱ頭で切長の目。なぜか体操着を着てることが多かったな。


りえちゃんは授業中に、何の前触れもなく暴れだすんだ。手当たり次第に机や椅子を掴んでは放り投げる。そして散らばったモノの中からクレヨンを握り締めて、一心不乱に床に塗りたくっていく。

その様子を野次馬の後ろの方から見たことがあるけど、同じクラスの子たちも、なぜりえちゃんがそんなことをするのか誰もわからないみたいだった。

これが月に2度ほどあるから、気の弱いおばちゃんの担任はたまったもんじゃなかったと思う。

一度、野球部のS君が暴れているりえちゃんを止めに入った事があるけど、落ちていた縦笛で頭を殴られて大怪我をおわされてからというもの、誰も手出しをするような事はなくなって、体育会系の先生が駆けつけ、りえちゃんを押さえつけるまでは、その騒ぎを見守るしかなかった。


無表情で涙を流すりえちゃんを、みんなは怯えた目で見ていたが、僕はなぜかかわいそうだなと思っていた。



ある日の放課後、教室の床を掃除するりえちゃんを見かけた。騒動があった後の教室の床はクレヨンでドロドロになっているからだ。

気がつくと僕は、自分の教室からモップをとってきて床掃除を手伝っていた。

「こうすれば早いよ」

と言って床に水をぶちまけて、足でモップを踏みながら汚れを落としてみせた。

今思うと、僕と同じように友達がいなかったりえちゃんを仲間と思っていたのかもしれない。掃除を終えた僕らは、そのまま一緒に下校した。夏の暑い日だった。


りえちゃんとは帰り道が同じと言うことを前から知っていた。その途中の川でりえちゃんが寄り道をすると言うことも。その日は僕もその寄り道に同行した。


りえちゃんは高架橋の横から、慣れた感じで川へ降りていく。僕も真似しながら降りて行った。

りえちゃんは川につくとおもむろにランドセルを下ろし、大きな石を探してはそれを川の縁に並べ始めた。

その場所を見ると、すでにたくさんの石が積み上げられていて、以前からここでりえちゃんがこの作業をしていたことがわかった。

僕が「橋でも作ってるの?」と聞くとその通りなんだと。

川の幅は5メートル位で深さもそんなに深くはない。向こう岸に続く橋を作るとなれば簡単ではないが、なかなかの重労働で何日かかるかわからない。当然僕もその橋作りに参加した。

向こう岸はコンクリートの斜面になっていて、下の方は雑草が生い茂っているだけ。橋が完成して向こう岸に行けたとて、特に何かあるわけでもなかったけど、僕にとって共同作業というのは新鮮で、夢中になってやっていた。


りえちゃんは口数は少ない方だったが、その時だけはよく話してくれた。時折水面から亀が頭を出すということや、石の下に小さな蛇がいた話、雨が降ると石が全て流されてしまうことなど。

おかっぱ頭の横からは汗が流れていて、強烈な西日が、それをキラキラと輝かせていた。


僕はなんとなく聞けずにいた、あのことを聞いてみた。『なぜ授業中、急に暴れるのか』ということ。

その瞬間、りえちゃんは作業の手を止め、そのまま押し黙ってしまった。そしてランドセルを背負って、歩き始めた。


しばらく2人で歩いているとりえちゃんが聞いてきた。

「幽霊…見たことある?」と。


ここからは、りえちゃんが話してくれた事。



ソレを初めて見たのは5年生になってまだ間もない頃。


授業を受けていると、教室の後ろの方からすすり泣く声と、それと同時にヒタヒタと走る足音が聞こえてきた。

なんだろう?と振り返ろうと思った瞬間、何かが前を横切った。見ると、同い年位の丸坊主の男の子の後ろ姿があったのだが、不思議な事に教室のみんなにはその子が見えていない様子。


その子は全身濡れていて、なぜか両手で顔を覆い隠していた。

そして急に立ち止まっては生徒の顔を覗き込み、指と指の隙間からじーっと見て、しばらくすると、また泣きながら教室内を走りだす。

まるで誰かを探しているように、その奇妙な行動を繰り返していた。


何か見てはいけないような気がして、慌てて下を向き、教科書を読んでいるふりをした。

しかし、その子の「うっ…うっ」という泣き声とヒタヒタヒタヒタという足音が、頭の中でどんどん大きくなってくる。

次の瞬間、横からその子の顔がぬっと現れた。泣き声はキーンという音に変わり、粘土のような匂いが鼻をつく。

酷く汚れた手。その指と指の隙間から、黒目がピクピクと動いているのが視界に入っている。

絶対に目を合わせてはいけない。見えている事を気づかれてはいけない。そう思えば思うほど、恐怖で膝がブルブルと震え、机に足が当たり、ガタっと音を立ててしまった。

その瞬間男の子は


「あああ?」


と言い、顔を覆っていた手をバッと開いた。

大きく開いた口、その中には無数のクレヨンが詰まっており、それがモゴモゴと蠢いていた。


そこで意識を失って、気がつくと先生に押さえつけられている。



ここまで話を聞いて、とても恐ろしかったけれど、子供ながらに怖いそぶりを見せてはいけないと思い、なるべく平静を装い

「へー、そうなんだぁ」

と言った。


りえちゃんは安心した様子で話を続けた。



その男の子に「クレヨンくん」という名前をつけたら怖くなくなるかなと思ったけど、やっぱり怖いままで、最近は泣き声が聞こえてきたら、すぐ机に突っ伏して、居なくなるまでやりすごす。でも、急に現れたときは、もうどうしようもない。

一度クレヨンくんの事を母親に話した事があるけど、病院に連れていかれそうになってしまって、それからは誰にも言えずにいたんだと。




僕はなんだかりえちゃんの力になれた気がして、少し嬉しかった。そして、話を終わらそうと思って

「そっか…僕は幽霊が見えなくてよかったな」

というと、りえちゃんが言った


「そうだよね、さっき掃除してる時もずっとクレヨン君いたからね」


それを聞いた僕は、反射的に走り出していた。逃げ出したんだ。りえちゃんをおいて。


その時一度だけ振り向いたけど、りえちゃんは夕日の逆光で真っ黒でどんな顔をしているのかわからなかった。ただ、ランドセルからぶら下がった給食着入れの袋が、悲しげに揺れていた。


その後僕は、学校でもりえちゃんを避けてしまうようになった。放課後に、あの川で橋を作るりえちゃんを見かけた事があったけど、早足で立ち去った。

今考えるとひどいと思うけど、その時はただただ怖くて、それだけだったんだ。




台風が近づいてきていたある日の事。

高架橋の上で傘もささず雨に打たれているりえちゃんを見かけた。流されていく手作りの橋を残念そうに見つめていた。


僕がりえちゃんを見たのは、この時が最後だった。

それからしばらくして、りえちゃんが学校に来なくなったという噂を聞いたんだ。



この話を思い出したのは、今年当時の僕と同じ歳になった娘から

「クレヨンさん」というお化けが学校にいるんだという話を聞いたからだ。

クレヨンさんに追いかけられて捕まると殺される、捕まる前に川の水で手を洗うと消える、といった、いかにも学校の七不思議にありそうな話だけど、僕にとっては背筋を凍らすほど怖い話だった。

そして、娘は話をしながら「クレヨンさん」の絵を描いてくれた。

それは、アゴが外れんばかりの大口を開け、その口の中には色鮮やかなのクレヨンが詰まっている、汚れた体操着を着た、おかっぱ頭の女の子の姿だった。

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