生きてくださいと言いたくて

紫鳥コウ

生きてくださいと言いたくて

 会心の出来の短篇小説を作り終えて、予約投稿をしてしまうと、もうそろそろ寝ようと思った。きっと明日の朝には、いつもより多くの「ハート」がつくことだろう。そうなるであろうことを期待できるほど、良い出来栄できばえなのだ。

 一応、予約投稿をしたということをSNSでしらせた。すぐに「いいね」がついた。しかし、健太けんたは喜ぶことなどしなかった。この人たちは、誰の投稿にでも「いいね」をつけて、つけ返してもらうことを目論もくろんでいる、ということを知っているからだ。

 こんなリアクションに反応することなどなく、ベッドの半分に横たわり毛布にくるまって眠った。こうしておけば、熟睡をすることはない。自分でも納得のいく「作品」を作り終えたのだから、いまならさらに、良い「作品」を作り上げることができるはずだ。

 眠気を手っ取り早く飛ばしてしまって、すぐにでも次の短篇を書きたい。投稿サイトのコンテストに応募する一篇を書くときは、いまだ。


 三時間後、眼を覚ました。スマホにはなんの通知も入っていなかった。急いで閲覧数を確認したが、ひとりにしか読まれていないようだった。健太はがっかりした。というより苛立いらだった。なぜ、この納得のいく「作品」が評価されないのだろうか。

 そうだ。予約投稿をしたが、投稿したことをしらせていない。それに、まだ一時間しか経っていない。これから読んでくれるひともいるだろう。健太はSNSを開き、新作を投稿したことを報告することにした。

 しかしその投稿は、間もなく「イツメン」に「いいね」をされるだけだった。結局、閲覧数は「3」で終わった。

 SNSを見ていると、物書きどうしが、「この作品いいね!」と褒めあって「きゃっきゃ」としている。こうしたいが嫌いだから、健太は、このノリに乗らないでいる。

 だけど、この人たちと仲良くなれば、閲覧数は増えるし評価のボタンも押してもらえるだろう。別に卑怯な手段ということはない。ただ、そういう手段を、健太は浅ましく感じていた。そう感じることも、浅ましいくらいにひねくれた、スタンスではあるのだが。


 櫻子さくらこの死は、健太を打ちのめした。すぐに実家へと帰った。

 ひきこもりの姉は、大体、このような書き置きをしていた。


 働きたくないという気持ちはない。働きたいけれど、働けない。自分に見合った仕事がないということではなく、自分の性格からして、働くことができないという結論になってしまう。

 だけど、社会はそれを、ゆるさない。甘えだというだろう。繰り返すけれど、性格……というか運命として、どうしても働くことができない。そういう結論になってしまう。このつらさを、誰も分かってくれなかった。誤解をされることはあっても、理解はされなかった。

 こういうなかで生きているのは、たいへん苦しい。


 要約するとこうなるが、姉の最後の叫びは、何十枚もの便箋びんせんにまとめられていた。

 まだ大学生の健太は、卒業をすればなにかの職について働いているだろと、ぼんやりと思っていたし、ひきこもりの姉をどこかで軽蔑してもいた。

 姉への最後の印象が「軽蔑」であったことが、健太を苦しめざるをえなかった。それに、なんとなく分かったのだ。働きたいけれど、働けない。どうあがいても、働けないという結論に至ってしまう。直感だった。だけどもしかしたら、突き詰めていけば、具体的な言葉にできるかもしれない。

 健太は、去ってしまった姉にした人物を主人公にした、長篇小説を書くことに決めた。書きながら、主人公を――姉を理解したいと思った。ただひとつ、このことだけは曲げないでおこうと考えていた。

《主人公は最後に、生きることを肯定される》

 投稿サイトへの小説の掲載も、物書きどうしの慣れ合いが目に入り、ストレスを感じざるをえないSNSも、パタンと止めてしまった。

 この長篇をものにしたい。そして、多くのひとに注目されたい。そうすることで、姉のようなひとの苦しみを、訴えたいのだ。

 健太の残りの学生生活は、この長篇との格闘で終わった。


 多くのひとに注目されたい――という気持ちから、文学賞に応募した『生きてくださいと言いたくて』は、なんの賞も受賞することはなく、文庫となり広く読まれるという夢は叶わなかった。

 櫻子の入った墓の前で手を合わせた健太は、最初は趣味として始めた小説の執筆を、姉のためにも、本業にしてみせるという決意を伝えた。

 陽光は墓石に斜めに走っていた。光も影も与えていた。夏の朝は、暑いというよりも、寒さのなかに熱がこもっているという感じがした。

 散歩がてら山裾やますそにある集合墓地へ来たわけではない。命日には、外せない仕事がある。その前に、突発で郷里に帰ってきた。昼には、向こうへ戻ることになっている。

 楽しそうに仲間内で「きゃっきゃ」としていた、元知り合いたちは、いまなにをしているのだろう。まだ、あの小さなコミュニティのなかで、お互いを褒めあっているのだろうか。

 しかし健太は、もうそこへ戻るつもりはない。返礼や繋がりのために「いいね」を押したり「読み合い」をしたりするような人たちに、姉の死を受けてもがき苦しみながら書いた自分の小説が、目を通されるなんてしゃくさわる。

 いま自分が書いているものは、そうした馴れ合いのところへ投じるほど、軽佻浮薄けいちょうふはくなものではない。ひねくれているだの、嫉妬をしているだの……さんざん、バカにすればいい。

 陽が昇っていくにつれて、朝の細やかな涼しさは溶けていった。


 健太はその後、立派な小説家にはなれなかった。もしかしたら、今後――三十歳を越えてから「小説家」になることができるのかもしれない。

 それはともかくも、健太はいま、書くことに対して使命と幸福とを持っている。

 文学賞に応募することも、同人誌即売会で手製の本を売ることも……健太に「やりがい」を与えてくれている。

 姉の死を理由に、生きる原動力を得るという結果になったわけだが、そうした経緯を振り返ると、なんだか後ろめたい気持ちもしてしまう。

 しかし、姉のような境遇にいる人たちのことを描いていきたいという想いは、肯定されても良いのではなかろうか。



 〈了〉

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