あるお話
あの夜。
理沙お嬢様に完全に支配されてから、私はお嬢様と肌を重ねる事に頭の中が支配されていた。
気がつくと理沙お嬢様を目で追いかけている。
二人の逢瀬は、奥様のいない時間か寝入った夜中に行なわれる。
奥様にバレたら……
自分の娘と使用人の爛れた関係を知ったら、どんな事を思うだろう。
お暇を出されるくらいならかいい。
きっとそんなものじゃ済まない。
そう思うと恐怖に震える。
「どうしたの? 佳子さん、さっきからじっと見て。この格好変かしら」
「いえ、そんな事は……」
そう言って顔を逸らすと、お嬢様は私に近づいて両手で頬を包み込む。
「じゃなかったら、何でみてたの? 答えるまで離してやらない」
「それじゃ、お仕事が……」
「しなくていい。私だけを見てなさい。で、お腹が空いちゃったんだけど」
その言葉に私は胸の奥が妖しくときめくのを感じながら、そっと着物の前を広げる。
理沙お嬢様はそのまま私の胸に歯を立てる。
鋭い痛みを感じたけど、今ではそれも心地よい。
その内、胸からお腹へと暖かいものが伝うのを感じる。
お嬢様、満足してる……
皮膚に伝う血の感触に安堵する。
ちゅっ、じゅる。ぴちゃ。
生々しさを感じる音が胸の奥をくすぐるようで、思わず笑みがこぼれる。
「お嬢様……今夜はお腹……空きませんか?」
お嬢様の耳元でそっと囁くと、お嬢様はクスッと笑いながら私の顔を見上げる。
「そうね。せっかくだから頂こうかしら。あ、でもその前に彼女のお相手をしないと」
え……?
私は横を見ると、全身の血の気が引くのを感じた。
そこには凍り付いたような表情で目を見開いた奥様が立っていたのだ。
「あ……ああ」
私は身体を震わせながら、奥様とお嬢様を交互に見た。
だけど、お嬢様は構わず私の胸に吸い付いた。
「え……!? お……お嬢様! やめて下さい。奥様が……」
「いいのよ。私が呼んだんだから。お話ししたい事がある、って」
「な、何で……」
「だって、これからはあなたに決めたんだもの。あの人はもうおしまい。口で言うより、見てもらった方がいいでしょ?」
あの人って……母親に……
私は慌てて奥様を見たけど、そこにはすでに奥様の姿は無かった。
「さ、続きを始めましょ。恐怖に震えているあなたを見てたら、ドキドキしてきちゃった。凄く色っぽくて……」
それからお嬢様にどれほどの時間、愛されたのだろうか。
今回のそれはあまりに濃厚で、着物を何とか直したけど足取りはフラフラしている。
早く……眠りたい。
そう思っていると、廊下の先に立っている人影を見て、私はギョッとした。
そこには奥様が立っていた。
でも……いつもの生気は全くなく、まるで今にも消え入りそうなほど。透けて見えるのでは? と思うほどだった。
私は言葉が浮かばず、ペコリと頭を下げると祈るような気持ちで横を通ろうとした。
その時。
「……ようこそ」
と、聞こえるか聞こえないかの声でつぶやく声が聞こえた。
え……?
今、自分の耳に入ってきた言葉の意味が分からず、奥様の顔を見たけど薄笑いを浮かべているその表情からはなにも伺えなかった。
「あ、あの……奥様。さっきのお嬢様との事は……」
そう言いかけると、奥様は小さな声で笑い出し、その内それは調子外れな高く、低く、奇妙な抑揚をつけていた。
「あなたも一緒。ようこそ。あなたも一緒」
そう言って奥様は私に背を向けた。
「そうだ。玄関を掃除してくれない。あなたはとっても綺麗に掃除してくれるから」
「は、はい……」
「きっとよ。お約束破ったら許さないんだから」
そう言うと、奥様は廊下の向こうへ甲高い笑い声を上げながら歩いて行った。
私は、子供のように涙を流しながらその場でしゃがみ込んだ。
それから、何とか頑張って立ち上がると、言われたとおりに玄関の掃除に向かった。
いつもと同じ事をする。
それだけが私を現実に繋いでくれる唯一の方法のように思えた。
そして玄関の掃除をしていると、目の前に何かが落ちてきた。
それは、バチン、ともグキョ、とも言えるような変な音を出した。
それは奥様だった。
落ちてきた奥様の身体からは、どす黒い液体が鼻を突く鉄の様な匂いをまき散らしながら、まるでお嬢様の着物の色のように、鮮やかに広がっていた。
なに……これ。
呆然としていると、後ろからお嬢様の声が聞こえた。
「あらあら、早かったわね。あっさりとお片付けしちゃって」
「お……片付け?」
「ええ、そうよ。いらなくなったオモチャは片付けないと。でも、こんな大きなのは無理よ。自分から片付いてもらわないとね」
オモチャ……
片付ける。
私は奥様が言った言葉を思い出した。
ようこそ。
「お嬢様……奥様は……本当に奥様なのですか?」
あなたの……お母様なのですか?
もしかして……奥様は……
そして、私は……
「さ、これを片付けて頂戴。はい、スコップ。私はやりたくないわ。その代わり、終わったら……また可愛がってあげる」
「私……私は……」
「なあに? 早くして。あなたが言うのは『わかりました』でしょ?」
私の目の前にまるで霧が覆っているようだ。
耳の奥には奥様の声が……
ひゅるる~
ひゅるる~
ようこそ
「わ……わ……」
「早く。あなたはいいオモチャなんでしょ」
「わたし……」
私はお嬢様の背中を見ていた。
美しい着物……まるで……血のようだ。
そう。
美しい血の色。
「私……死にたくない」
そうだ。わたし、死にたくないんだ。
私は、お嬢様の頭に向かってスコップを……
※
ふう、疲れちゃった。
頑張って話し過ぎちゃったわ。
どう? これが私の昔話。
少女の私が死んじゃったお話。
過去は美化される、って言うけど本当ね。
あの日。
お屋敷から逃げ出して、山を彷徨った後で街に降り……色々あったわ。
で、今に至る。
あんな思い出でも、今になると美しく甘い思い出になる。
……あら、そんな硬い表情でどうしたの?
あなたの小説のお役に立てたかしら?
え? 作品にはできない。
どうして。
こんな出来事、まず聞かないでしょうに。変な人。
さて、私のお話は終わったけど……って、あら? もう帰るの?
充分話は聞けた?
そうなの……
最後に一つ聞いてもいいかしら。
あなたって、ご家族はいらっしゃる?
……そうなの。いるのね。
それはそれは。
ところで、私あなたに一つ謝らないといけないことがあるの。
実は今までのお話……全部、聞いたお話なの。
そう、すっごく丁寧に何度も何度も聞かせてくれたお話し。
とっても好きなお話しだったから覚えちゃったの。
まるで我が事のように話せるわ。
あのおもちゃも思わぬ形で役に立つのね。
あの玄関での出来事のことまで聞かせてくれたから。
あの子、あんなこと考えてたんだ、って楽しかったわ。
……え? 帰らせて?
どうしたの?
なんでそんなに震えてるの?
大丈夫よ。
私に任せて。あなたには薬を盛ったから動けないはずだし。
ジッとしてた方が、すぐ楽になれるわ。
ねえ……私、とっても寂しいの。
あなたならいいおもちゃになってくれる。
佳子さんなんかよりずっと。
【完】
氷柱 京野 薫 @kkyono
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