夜のささやき
それからの私の日々は極彩色のような原色に彩られた、キラキラする日々だった。
いつも穏やかな笑顔で、包み込んでくれるような奥様。
この世の物とは思えない美貌と人を食ったような態度だけど憎めない理彩お嬢様。
その2人との生活は私に心からの幸せと充実感をもたらした。
なんて刺激に満ちた生活。
故郷で乾いた土を相手にする事に比べて、ここは潤いに満ちている。
ここでずっとお二人を支えるんだ。
そんな10月のある夜。
一日のお仕事を終え、お風呂にも入った私は後は寝るだけとなり、お部屋で床の準備をしていた。
眠たくてぼんやりとした頭で布団をし終わったその時、ふとお風呂場に忘れ物をした事を思い出し、取りに戻ることにした。
ほんと、そそっかしいんだから……
自分にうんざりしながらも、明かりを半分以上消していたせいか、薄暗くなった廊下を歩いていると、浴室から仄かに明かりが漏れるのが見えた。
このお屋敷の浴室は他所なら考えられないことだけど、使用人の私と理沙お嬢様、奥様の3人が同じ場所を使っている。
それも3人と言う人数の少なさゆえの事なのだが……
そのため、この明かりの主は理沙お嬢様か奥様だ。
どうしよう……
逡巡したけど、私は意を決してそっとドアを開けた。
さっと取って部屋に戻ればいい。
もし、見つかったら正直に話そう。
そもそも女性同士だし、問題ないだろう。
そう思い中にそっと入ると、木の扉の向こうでは水音が聞こえる。
薄っすらと見える影は……理沙お嬢様だ。
その時、私は何故か分からないけど、正直に言いたくなった。
こっそりと忘れ物……手ぬぐいを持っていくのが妙に見苦しく感じたのだ。
「あの……お嬢様。すいません、忘れ物をしたので取りに来ました。すぐに出ていきますので」
そう言うと、中から理沙お嬢様の声が聞こえた。
「佳子さん、丁度良かった。夕方に肩をぶつけちゃって背中が洗えなかったの。よければ背中を流してくれない?」
正直、眠気も強かったので早く部屋に戻りたかったけど、お嬢様の言葉では否やはない。
それに、私の目に始めてあったときの雪のような真っ白な肌が浮かんで、胸が高鳴った。
これも使用人のお仕事だ。
「分かりました。では、失礼します」
そう言って中に入ると、お嬢様が背中を向けて小さな浴室用の椅子に座っていた。
あの時と同じ不純物が一切無い純白とも言える白い肌。
同性愛者では無いはずなのに、酷くドキドキする……
私は手ぬぐいを持つと、石鹸を付けてお嬢様の背中を洗い始める。
まるで手ぬぐい越しに理沙様の肌の質感まで伝わってきているようだ。
なんて綺麗……
髪の毛の純白ともいえる白は、衰えによる白髪とは全く異なり、まさに「純白」だった。
そんな髪がぬれて理沙様の背中や胸に垂れているのは、非現実的な色気を感じさせる。
焦った私は出来るだけ明日の仕事の事を考えて、お嬢様の肌を見ないようにしていた。
本当に美しい肌……
自分の中に浮かんだ不埒な気持ちに蓋をするように理沙様の背中を拭っていると、突然理沙様の手が私に触れた。
え……
心臓が大きく跳ねたように幹事、反射的に手を引っ込めようとしたけど、お嬢様の手はがっちりと掴んで離さない。
「あの……お嬢様……お背中」
でも、理沙様はそれに答えずに振り向くと、そのまま無言で私の手を強く握った。
そして、ふっと緩めると今度は指先で私の指に添って、這わせていく。
石鹸の泡のぬめりと理沙お嬢様の指先の感触で、身体の奥深くに仄かな電気が流れたような不思議な感じがした。
くちゅ、くちゅ。
そんな妖しい音を立てながら、理沙お嬢様の指が私の指を一本筒、骨から関節まで優しくいとおしむように触る。
指の関節をゆっくり撫でられると、頭の奥がしびれてくる……
なに……この気持ちは……
自分の初めて感じる心地よさと怖さの混じる気持ちに、怖くなり思わずイヤイヤするように首を振った。
「お嬢様……もう……やめ……」
「なんで? ただ、握手してるだけでしょ。お友達だったら普通にするじゃない。わたし、あなたとお友達になりたいの」
「お友達になります……でも……これは」
理沙お嬢様の真っ白な髪と肌に仄かに染まった桃色。
それは現実感を損なわせていく……
「佳子さん、座って」
何故か言われるままにその場にしゃがみこむ。
ご主人に言われたら……
恐怖と期待の混じった不思議な気持ち。
夢の中を歩いているような心地の中で、お嬢様の唇が私の唇に触れた。
ああ……これが……
こんな……形で。
お嬢様の舌が私の口の中へ。
そして、飴玉をなめるように私の舌をなめていく。
こんなに柔らかいんだ……
そんな事をぼんやりと考えていた私の意識は突然唇に走った痛みで断ち切られた。
え……
驚いて唇を離そうとしたけど、理沙お嬢様の両手で頭を持たれていて、離せない。
痛みに涙がこぼれる。
くぐもった悲鳴を上げると、ようやく唇を離してくれたけど、身体は動かない。
「やっぱりだ……あなたって、すごく美味しい」
そう言って恍惚の表情を浮かべる理沙お嬢様の唇は私の血で赤く染まっていた。
いや、口の周りもだ。
雪の肌に朱が汚していく……
「痛い……なんで……」
私は唇と舌に痛みを感じ、泣きながら言った。
「大丈夫。噛み切っては居ないから。すぐに止まる程度。少しだけ飲ませてくれればいいの……あなたの血を」
なにそれ? 血……飲ませて?
泣きながら必死に首を振る。
でも、理沙お嬢様は唇の端を吊り上げて私の目を覗き込んだ。
緑色の瞳が息を呑むほど美しい……
そして、真っ赤な唇から舌を出して、私の唇に沿って舐め始めた。
くすぐったいような、ぞっとするような。
まるで、背骨の奥を触れられているようにぞくぞくとする。
理沙様の指先がいつの間にか、私の鎖骨から腋の下、胸の周囲を優しく沿って触れていく。
思わず吐息が漏れてしまう。
痛みが……痛いのに。
ぼんやりとしていると、また口づけをされた。
そして、ちゅるちゅる、と言う生々しい音が耳をくすぐる。
胸の周囲から感じる、くすぐったさ……いや、心地よさに全身鳥肌が立つ。
身体が勝手に震えてくる。
そんな不気味な感覚のもたらす怖さから逃れるように、私は理沙お嬢様の瞳をひたすら見つめながら、背中に手を回す。
誰かにしがみついてないと、怖くてたまらない。
それから永遠にも感じる時間が終わり、理沙お嬢様は私から離れた。
唇の痛みは何故かすっかり消えていた。
「お暇を……下さい」
しゃくりあげながらやっとそれだけ言うと、理沙お嬢様はゆっくりと首を振った。
「ダメ。あなたの事気に入っちゃった。今のおもちゃよりずっと。あなたの事は覚えたわ。逃げても無駄だからね」
泣きながらなおも首を振っていると、理沙お嬢様は私に近づいてくる。
必死に後ずさりしようとしたけど、背中に手を回された。
「あなたがこのまま逃げてどうなるの? またあの暗くて寒い村に戻る? ここなら貴方の望むものを全部上げるわ。今のおもちゃを片付けた後、あなたに私の全部をあげる。あなたを周囲の人間みんながうらやむようになる。そして……こんな事も」
そう言うと、理沙お嬢様は私の太ももから、その奥まで指を這わせる。
身体の奥にまた、あの怖くてしびれるような疼きが出てきた。
なんで……
「ゆっくり、あなたに教えてあげる。色んなことを。逃げたいなんて……二度と言えないくらい」
※
あらあら、すっかり紅茶が冷めちゃったわね。
それ……声を残しておける機械なの?
凄いわね、最近の機械って。
わたし、そういうのに疎くって。
詳しい人が羨ましい。
はい、新しい紅茶をどうぞ。
チョコレートも良かったら。
外国から取り寄せたとっておきなの。
いつかお客様が来たらぜひ、と思っていたとっておきなのよ。
え……もういらない?
遠慮しなくて良いのよ、お客様なんだから。
それに、ここまで聞いてくださってるんだから、もう私にとっては家族も同然。
遠慮なんて水臭い事しないで。
さて、結論を言うと私は逃げなかった。
詳しくは恥ずかしくて話せないけど、私はあの後身も心も理沙お嬢様に支配された。
そうそう、話は変るけどあなたって「物事の終わり」ってどんな風だと思う?
……自分の周囲の景色が、段々と変わっていく。
へえ、あなたって文学的表現がお上手ね。
え? あなたって作家志望なの?
すごい! そんな才能ある方にお話し聞いていただいてるなんて、感動するわ。
……でもね、答えは50点かな。
物事の終わりってね、ある日突然あっけないほど簡単にやってくるの。
ずっと続くと思う日々も、ある日突然こんな風に真ん中から割ったチョコのように半分を永遠に失う。
あれは理沙お嬢様との夜から2ヵ月後の寒い冬の日だった……
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