氷柱

京野 薫

ある無邪気な少女の終わり

 さあ、遠慮せずに座って。

 久しぶりのお客様なんですもの。

 こんな田舎のポツンとあるお家に来て頂くだけでも感動するのに、私の話を聞きたいだなんて……嬉しくてまるで少女の頃に戻ったみたいにワクワクするわ。

 

 ……私があのお屋敷に居たときの事を知りたい、と言ってたけど、いいの?

 そんなに面白いお話しじゃ無いんだけど。


 そうなの? そんなに興味あるのね。

 じゃあ、頑張ってお伝えするわね。

 長くなるから、そのポットから好きなときに紅茶を召し上がって。


 じゃあ、まずはお屋敷に入る前からお話しするわね。

 ここも私の事をお伝えするには大事な所だから。 


 ※


 まるで永遠に続くのでは無いか、と思うような長い長い戦争の日々が終わったあの日の事は今でも良く覚えている。

 空気が急に澄み渡ったようで、太陽の光ってこんなに眩しかったんだ! って感動したわ。 

 今まで空を見るときは空襲に怯えるときだったので……

 玉音放送から聞こえる天皇陛下の声は広場に人が多すぎるのと、雑音ばかりでろくに聞こえなかったけど、周囲の大人の「日本が負けた」と言う糸が切れたようなつぶやきが私に事実を雄弁に教えてくれたの。


 やっと自由になれる。

 これから私の人生は始まるんだ! と喜んだのは昨日のことのよう。


 当時、私……二江美子ふたえよしこは12歳だった。

 それから3年後、私はとある大きなお屋敷の前に立っていたわ。

 私の出身地は寒村だったので作物も育たず、出稼ぎに行かなければまともなお仕事も無かった。

 なので、お金のある家庭に奉公に出ることはよくある話。

 

 後の物語では良くこれを「貧困故に親から引き離され、人買い同然に……」みたいに悲劇的に描くことがあるけど、当事者である私からすればあなたたちが故郷を離れて都会で大きな会社にお勤めになるのと感覚としては大差ない。

 

 地元じゃ望む働き口が無いから、都会で働く。

 それを人買いなんて言う人はいないでしょ?

 

 私はあの寒村にほとほと退屈してたから、あんなお屋敷で使用人として働けるなんて、嬉しくて飛び跳ねたものよ。

 まぁ、特に特徴の無い容姿の私があんなお屋敷に雇って頂いたのは、別の理由があったんだけどね。

 ともかく、当時は光に包まれた扉が開いたように感じた物よ。


 ……ふふっ、まあその後の事を思うと、あれはひょっとしたらポッカリ空いた深淵への扉だったのかも知れないけどね。


 さて、前置きが長くなったわね。

 ここから本題。

 あのお屋敷での私たち3人だけのお話し。


 わたしと理彩りさ様。そして、そのお母様の絵美えみ様の。


 ※


 凄い……

 

 私は、目の前に立つ2階建ての洋風建築の建物が、村長さんが持っていた絵本に出てくるみたいなお城のように見えた。

 こんな立派な建物が同じ日本にあるなんて……

 そして、今日からこのお屋敷で働ける。

 

 私は自分の幸運に身震いした。

 故郷の村……いっつも寒くてお野菜もまともに育たず、みんなボロボロの服ばかり。

 将来はお母さんや叔母さん、大好きな八重子お姉ちゃんのように生活に疲れ果てた日々を送るようになる。

 そういう運命なんだと思っても、やっぱり嫌だった。

 それが……こんな。


 ここでメイドとして勤め上げたら、みんなに仕送りも出来る!

 頑張らないと。


 緊張しながら、大人の背よりもさらに高い門をくぐって、中庭に入る。

 目の前の扉にレンガ……って言うんだっけ? 赤茶けた石が道を作っていた。

 そこをカチコチになりながら歩いていると、突然近くの花壇の方からクスクスと笑い声が聞こえてきた。

 

 緊張しきっていた私は慌てて声の方を向くと……そのまま、呆然と立ちすくんだ。


 そこに立っていたのは、目に鮮やかな漆黒に真っ赤な牡丹の花をあしらった、見たことも無いほど立派な着物を着た少女さん恐らく12~3歳ほどだろうか。が、赤い傘を差して立っていたのだ。

 だが、その少女に目を奪われたのはそれだけではない。


 その少女は、大きな瞳。

 それと対照的な小ぶりだけど形の良い唇は、故郷の村では産まれて一度も見たこと無い、まるで絵本に出てくるお姫様のようだった。

 そして………なにより彼女の髪と瞳。

 髪と肌は雪のように真っ白で、瞳の色はうっすらと緑色だった。


 まるで……外国の人みたい。

 驚きで言葉も出なかった私に少女は言った。


「あなた、足と手が一緒に出てるじゃ無い。緊張するにも程があるわ」


 言われて、初めて自分がいかに滑稽な事をしていたか気づき、カッと顔を赤くして俯いた。

「す、すいま……せん。今日からこんな立派なお屋敷におつとめ出来るんだ……って思ったら、その……緊張して」


「あら? あなたなのね。今日からこのお屋敷の使用人に来てくれるっていう人は」


「え? じゃああなたは……」


 少女はまたクスクスと、今度は片手で口を押さえて笑った。


「『あなたは……』って、このお屋敷で声をかけたんだから、ここの人間に決まってるじゃ無い。私は浅傘あさがさ理彩。よろしくね」


「わ、わたしは二江佳子って言います! よろしくお願いします、お嬢様!」


「佳子さんね。ふふっ、楽しそうな人。ワクワクしてきちゃった。さて、じゃあ早速だけど中に入りましょう。私、あんまり長くお日様の下に居られないの」


 ※


 理彩様……あの方は、アルビノだった。

 生まれつき身体の色素が極端に少ない病気。

 アルビノの特徴として、とっても紫外線に弱いの。

 だから、あの方はいつも日中に外へ出るときは真っ赤な傘をさしてた。


 でも、主に活動するのは夜だった。

 昼間に寝て夜に行動する……まるで吸血鬼のように。


 あらあら、遠慮せず紅茶を飲んでね。

 クッキーもどうぞ。

 とっても有名なお店のなのよ。

 お話は始まったばかりなのに、今からそれじゃ疲れちゃうわよ?

 

 ※


 私はお屋敷の中に入ると、早速女主人である絵美様と会った。

 理彩様のお母様である、絵美様。

 この屋敷の主人である朝傘仙三に嫁入りしており、理彩様はその連れ子。

 だが、結婚して半年後に仙三様が突然自らの命を絶ち、それからは絵美様が屋敷の主人となった。


 だけど、女主人という言葉には似合わないくらい、雪のように儚げな美人さんだった。

 そのため、目の前で見ているとドキドキする。

 理彩お嬢様と言い、そりゃ今は亡き仙三様も夢中になるよね……


「佳子さん、今日からよろしくね。私も理彩も二人っきりで色々と戸惑うことが多かったから、本当に嬉しいわ」


「は、はい……所で、他のメイドの人たちは……」


「ああ、それ」


 そう言った所で、隣に立っていた理彩様が言った。


「みんな辞めちゃったの。お父様が居なくなって行く末が不安になったのかしらね。分からないけど。だから、とにかく長く頑張って下さる人が欲しくて」


 ああ、なるほど。

 それで事情を察した。

 なぜ私なんかがここでお勤めできたのか。

 寒村の貧乏一家の3女なら、多少の環境でも逃げることはないだろう、と言うことか。

 

 でも、そう思ったとしても特に何と言うことは無い。

 そんなわかりきった事実に比べ、こんな美しい親子と絵本に出るようなお屋敷で生活できる方がずっと貴重だ。

 頼まれたって逃げるもんか。


 ※


 あそこが私の分かれ道だったわ。

 あそこで引き返してたら、今頃どんな人生だったんだろ……ってたまに考えるの。

 間違いなくこの場でこうしてあなたとお話しなんてしてなかった。

 良いのか悪いのか……

 

 ねえ、あなたも気をつけた方がいいわよ。

 神様って意地悪だから、分かれ道って気付かないように


 で、こちらを選んだ私の選択の最初の答え合わせは、それからひと月後の虫の音が聞こえた10月16日の夜だった。

 あの日の事は今でも覚えているわ。

 

 鈴虫の音が綺麗な夜……

 

 あの夜にそれまでの私。

 無邪気な少女の私は……死んだ。

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