第一夜 ドカ盛りラーメン -其の四-

火山の底で煮えるマグマのようにスープは熱く私を待ってくれていた。器に手を添えてみて咄嗟に手をひく。火傷をするのではないかと思うほどだった。麺も決して伸びることなく、だがしっかりとスープの旨味を吸い込みながら待ってくれていたのだ。


麺。穀物を加工した食品であり、細長く整形することで表面積を最大化させ味を纏う。古今東西、食文化の伝統には麺がある。世界にある文化の数々。赤道から極地まで、内陸から沿岸に至るまで麺はある。麺は人類の本能に根差した食品なのだ。


中華にその起源を持ち日本で千差万別の出汁に浸かり発展したラーメン文化においても、いかなる味でさえ見事に纏ってしまう。事実、私の目の前にある麺は実によく豚骨の旨味を余すところなく伝えてしまう。また麺に備えて残した高山の残骸、といえば少量に聞こえてしまうが一食分の食事としてまだ十分な量の野菜炒めと肉塊。小麦の風味、麺が伝える豚の濃厚な出汁、それら三位が合わせることで今までとは別物のように感じる感動がある。


これもまたラーメン。私はまたラーメンを知った。


しかし、だが、なぜだろうか。山を崩す私の箸はまさに高山を制する登山家の足取りを思わせるように力強かった。そして雄弁であった。先ほどまでの私の姿を見ていた者は私の得た身を貫く感動の一端を受け取ったことだろう。


しかし箸は語るというにはリズムもなく、またすっかりと重みを持ってしまっている。


何度か味わったことがあるこの店のラーメンをまるで初めてのように語った罪悪に溺れているからではない。


人類は記憶する。毎日同じものを食べ続けたとして食事は楽しいものではなくなるだろう。同時に人類は忘れる。同じものを食べ続けたとして、それから一ヶ月も経てばまた感動することができる。


最たる例をあげれば家を出るまで食べ続けた母の味にいつしか飽き飽きしたにも関わらず、別れを告げて十年も経てばその味に涙を流す。一見軽薄にも見えるが、その瞬間にこそ母の味を理解したのだとも言える。


私は都度8度目のこの味の反復を経てより深くこの味を理解したと胸を張って言える。


ならば私の生気のない箸の根源は味の問題であろうか。8度目にして店の味に陰りが見えた。17時半に開いて21時には売れ切れになる忙しさの中で味が落ちたと言うのだろうか。決してそんなことはない。


そうだ。

ただただ、満腹なのである。


繰り返そう。

ただただ満腹なのである。

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ドカ食い気絶文 ぽんぽん丸 @mukuponpon

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