エピローグ
2022年3月14日(月)――
「お邪魔します」
「どうぞどうぞお入りください〜」
陽子はわざと敬語を使っておどけてみせた。友郎は緊張した様子で玄関をキョロキョロと見ていた。
「狭いでしょ。前の家だともう少し広かったんだけど……」
「いや、そんなことないよ。――あれ、お母さんとかは……?」
「あぁ、今日ね、パパもママも仕事忙しいみたいで残業なんだって……だからご飯も私一人なんだ」
「えっ、あ、そうなの?」
友郎は安堵したような表情を見せた。それでもまだ緊張した様子で、陽子の部屋ではしばらく正座をしていた。
「物少ないでしょ。まだ引っ越してきて一週間しかたってないからね。色んな物捨てちゃったから荷解きも楽ちんだったよ」
「そうなんだね。なんか、それでも女の子の部屋って、落ち着かないなぁ……」
「あははっ……っていうか正座やめなよ」
「あっ、うん……」
友郎は足を崩し、横に置いていたカバンと卒業証書の入った筒を部屋の隅にずらした。
「卒業式、泣いた?」
「いやぁ俺は泣かなかったねぇ。陽子ちゃんは?」
「私結構泣いちゃったよ……。中学校楽しかったし、寂しくなっちゃってさぁ……。トモくん、よく泣かなかったね」
「俺を泣かせたら大したもんだよっ」
彼がいつものようにおどけてみせ、陽子はいつものように笑った。
「今日、クラスの集まりとか行かなくてよかったの?」
友郎は少し心配そうな顔をした。
「うん。私はトモくんと過ごしたいから。学校こそ違うけど、思い出作りは彼氏としたいから」
「――ありがとう……俺も、陽子ちゃんと過ごしたかったよ」
彼は恥ずかしそうに、けれども嬉しそうに微笑んだ。
「高校生になったらさ、俺たち毎朝電車で会えるね」
「――……そうだね。きっと、幸せなんだろうなぁ……」
それからなんとなく、そういう雰囲気になり、二人はキスをした。
普段は外でしか会わないため、人目を気にしない部屋で交わすそれは、新鮮でいつもより心地よく感じた。
陽子はチラッと時計を確認した。親が帰ってくるまでまだまだ時間はある。
――ゆっくり、ゆっくりでいい。焦らないでいい。しっかりと、最後までトモくんを感じたい……。
陽子が再び時計を確認した時には、十九時半を過ぎていた。友郎はベッドの上でスヤスヤと眠っていた。陽子は彼の寝顔に笑みが溢れ、頬にキスをした。もう一生、このままこのベッドの上で眠り続けたいと思った。
ブラウスのボタンを留め終わり、陽子は彼の携帯を、落ちているズボンのポケットから取り出した。パスワードが二人の記念日であることは知っていた。連絡先から自分の名前を探し、指を止める。ふぅっと短く息を吐き、削除ボタンを押した。
ポタっと一滴、涙が床に落ちる。
また指を動かし、自分とのトーク画面を表示した。つい数時間前までしていたやり取りが、当たり前のようにそこにはあって、これからも続いていくような、そんな表情をしていた。
ポタポタっと二滴、涙がまた床に落ちて小さく音が鳴る。
目の前が涙で滲み、上手く画面が見えなくなる。少し息切れもしてきた。呼吸を整え、震える指で削除ボタンを押した――。
それから自分に関する履歴は全て削除をした。写真や動画、通話履歴や愛那と憂樹とのやり取りまで、自分という存在を彼の中から消す準備を整えた。それを終える頃には、涙は止まっていた。
最初で最後の人は友郎がよかった。彼でなければ嫌だった。そして、彼にとっての最初も自分がよかった。
――きっと君はそれを知らないまま明日を生きていくよね。そして私はそれを秘めたまま、いつか来なくなる『明日』を願って、毎日生きていくね。神様……最後の最後に、私のわがままを、どうか許してください。
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明日を知らない少年と、明日を希う少女。 @kugatsu_naoki
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