赤い方位盤

灯村秋夜(とうむら・しゅうや)

 

 大学生のころはお金がない、なんて言いますよね。私も、親からの仕送りが最低限だったのと、……当時はまだまだガキっていうか、仕事をなめてまして。今の事務仕事はすごい楽にやれてるんですけど、飲食のバイトがブラックだとか、まじめにやってたらちっとも稼げないとか、そんな噂ばっかり聞いて、尻込みしてたんです。

 メイクも最低限で服もやっすい着回しして、できるだけ生活費を切り詰めようって思ってはいたんですけどね。でもやっぱり、限界はあるんです。安くなったお惣菜とかをいつでも買えるわけじゃありませんし、それまでごくごく普通の生活しか知らなかった人が、かんたんに節約術を身につけられるわけもなくて。結果、くさい女子になっちゃいました。


 いじめられたりとかはないですけど、生活費のめんどう見てくれる同級生とかいませんしね。そんなことできる人いたらびっくりしますよ――って、普通なら思うじゃないですか。同じ講義に出てた先輩……女性なんですけど、ちょっとやつれた感じの美人さんがいて。仮にFさんとします。Fさんが「ウソを前提に聞いてね」って、すんごい誘い文句をかけてきたんですよ。

 若い女性限定で、三日に一回ある場所に行って所定の手順で作業するだけ、一回一時間もかからない……しかも交通費支給、時間は応相談で食事の用意もある、なんて。どうしても来てほしいけど人が集まらないから、スポンサーが焦って給料を釣り上げまくってる、だから日給十万円だ、って。

 ぜったいウソですよね。AVの撮影とかそれ以外に危ない仕事とか、いろいろあるじゃないですか? 女子大生にかける誘いなら、そのくらい相手が想定してるって考えるのは当然だと思いますよね。Fさんもけっこう色気あるタイプでしたし、そっち系だろうなって思ってたんですよ。でも、次のひとことでぎょっとしました。


「霊感ある? ない方が楽よ」って。


 ただごとじゃないのは伝わったんですけど、何をするのか全然分かりませんでした。でもその……お金欲しいですし、顔とかなんとかどうでもいいの、って言われたのにちょっとムカッと来たっていうか。面接もあるんだし、仕事内容がやばそうなら逃げたらいいよねって思っちゃって。場所聞いて、行きました。


 天文台というか、美術館というか……アトリエみたいな。全部まぜこぜにしたような建物でした。名前は言えません。展覧会開くときだけ一般公開されるみたいなので、コネがある人以外は入れないと思います。アルバイトの面接に来ましたって言ったら、警備員さんがものすごく嬉しそうな……や、安心したような? 感じの顔になって、奥に通してもらえました。

 入った瞬間にもういい匂いがしてて、びっくりしました。すごく品のいい、たぶん木材の香りですかね。芸術品って、長く嗅いでると頭痛くなりそうな匂いがしてるイメージだったので、ほんとに驚きました。いやほら、なんかマヨネーズみたいな匂いとか、粉っぽい刺激臭とか? しますよね。

 品のいい男性が出迎えてくれて、またまた驚きました。ふっつーの女子大生を、なんか貴族宅の執事さんみたいな人がですよ? 面接も難しいことは聞かれませんでしたし、講義の少ない日に帰りがてら寄る、お昼ご飯も出してもらえるってことで、すぐ決まりました。試しにって出してもらったご飯もすごくおいしかったですよ。

 で、何をするかの内容なんですけど。奥まった部屋に置いてある、紫のビロードの布に置かれた十五個のサファイアと、ひとつだけルビー。方位盤って言ってましたけど、あれの写真を撮るだけです。あらかじめ床に線が引いてあるので、そこからデジカメで撮って、担当の人に渡すだけでした。Fさんが言ってた通り……や、言ってたよりはるかに楽そうだし、こんな仕事辞めちゃうなんてって思いましたよ。


 でも、パソコンに取り込んだ画像を担当と確認してもらう、って作業。先輩は、たぶんあれがいやで辞めたんだと思います。


 二回目はまだ気付かなかったんですけど、三回目になって、毎回ルビーの位置が変わってるみたいだ、って気付きました。規則正しく並んでるのに、ルビーの位置だけが毎回変わってるみたいなんです。それに、たまにサファイアがルビーに変わってるような……十六個の宝石の中で、ふたつが赤くなってることがあったんです。

 普通の考えだったら、点灯してる色が違うとか、わざわざ入れ替えてるとか、そういうことも考えたと思います。途中までは私も思ってたんですけど。でも、あの部屋にはなぜか、監視カメラがついてなかったんですよ。その方が楽だし、そうするのが自然でしょ? そもそも、とくに時間を決めずにチェックするってこと自体、すっごい変じゃないですか。チェックってそういうものだと思うんです。時間ごととか、利用ごととか、ね?

 一か月くらい……三日に一回なので、十回目くらいでしょうか。いつもよりビロードの布が乱れてる気がして、石の配列はいつも以上にきっちりしてるのにな、って思ったことがありました。泥棒が荒らしたとか、変なドッキリだったならこれで種明かしかなとか、思ったんですけどね。なぜか、その日はチェック係の警備員さんも険しい顔つきになってて、画面いっぱいに画像を大写しにして「何が見えますか」って聞いてきたんです。


 宝石……じゃなくて、お葬式の様子みたいな。赤い女の人が仰向けに棺の中に入ってて、青い人たちがそれに向かってひれ伏して泣いてる。そんな風景でした。でも、全員があの宝石の定位置に収まってて、ゾッとしました。撮ったときも、カメラのファインダーをのぞき込んだときも、こんなものは見えなかったんです。画像を加工する暇もないし、後ろから見てて別の画像を出してくるわけもないって分かるんです。

 何かあったのは分かりましたけど、そのあとも仕事は続きました。ときどき、そういう宝石じゃないものが見えることはありました。パーティー会場みたいな場所で一人だけ色が違ったりとか、マンションみたいなものがいくつも赤くなってたりとか。何かは分からないんですけど、そういうのを見つけたときは五割もボーナスがもらえました。画像を拡大して、どんな形だどんな表情だ、って細かく報告するのはちょっと大変でしたけど、お給料すんごいですから。がんばりましたよ。


 それで、なんですけど……とうとう“その日”が来ました。


 方位盤は、ガラスかなにかをかぶせてあって、申し訳程度の防犯みたいな措置を取ってたみたいなんです。持って帰るのは簡単かもしれませんけど、入るのも大変ですし、けっこうアクセス悪いし、盗みに来る人はいなかったんじゃないかなって思います。そのガラスが、まったく別のものに変わってました。総ルビー製になってたんですよ。

 これ絶対おかしいですよって言って、取り替えなくていいんですかって言ったんですけど、責任者らしい執事さんまで出てきて「撮影してください」って怖い顔で言われて。絶対ちゃんと映りませんよって言いながら、いつもみたいにデジカメで撮って、警備員さんにカメラを渡しました。

 画像ファイルにアクセスして、パソコンの方に移動して……ダブルクリックで開いたそのときに、思わず「ひっ」って声が出ました。何が映っているんですか、どういうものに見えますかって問い詰められて、震えながら近付いて、ちゃんと見ました。


 地獄絵図でした。


 血と涙にまみれた人が、真っ赤な風景の中に倒れてたんです。みんな宝石の定位置なのに、なんだか位置関係が分かっちゃって……それに、全員見覚えがありました。パーティーみたいな風景が見えたときにいた、あの人たちです。口を半開きにしたり、形がちゃんとしてなかったりして、全員が死んでるのが分かりました。

 何がどんな風になってるか、それぞれどんな特徴の人なのか、細かく聞かれました。人の死体の写真なんて見たことなくて、吐きそうで……それに、断末魔の表情があんまりすさまじくて、その日はご飯も拒否しました。好みも覚えてもらえて、こっちの気分もなんとなく察してもらえるようになってたのに、なんて。バカなことも思いましたけど、執事さんの言葉でぜんぶ吹っ飛びました。


「この仕事はなくなりました、今までありがとうございました」って。


 丁寧にお礼も言ってもらって、月初めなのに一か月分のお給料ももらって、それであのアルバイトは終わりました。何が何だか分からなくて、次のアルバイトの日に来てみたんですけど、建物が取り壊し中になってました。もうめちゃくちゃに壊れてて、あれだけいい雰囲気だった場所も、ちょっと曇り気味の太陽にさらされちゃうとぜんぜん味気なくて……。本当に終わりだったんだなって、理解せざるを得ない感じでした。

 ちゃんと貯金してたので、半年分……六百万円のお金で普通の暮らしができて、実家にもかなり余裕をもって帰れました。就活に苦戦してても問題ありませんでしたし、今もまだちょっと残ってて、貯金はつねにプラスしていこうってモチベになってますよ。


 あれが何だったのかは、いまだに分からないままです。ただ、あの顔……目に焼き付いて離れないあの顔。絶対に日本人じゃなかったです。あの執事さんも、たまーに発音が英語っぽくなってましたし。日本じゃニュースにならないようなどこかで、あんなふうな大事件が起きてたんだとしたら……。


 あれが現実じゃなかったら、って思ったことはありますよ。でも、お金はまだ手元にあるんですよ。少なくとも、女子大生にお金を出すような何かがあったのはほんとなんです。それに、過去に八人もやめたっていう仕事が……八人って数字はウソかもですけど、先輩があんなにやつれた何かが、あったんですよ。

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