呑気な辺境伯令嬢は、隣国王子からの愛になかなか気づかない
彩瀬あいり
01 美しき辺境伯令嬢、かく語りき
ゼフロ王国の社交界において、美しいと褒めそやされる評判の令嬢は幾人か存在するが、そのひとりが『白百合の姫』と称されるコーデリアである。
王国の西にあるドラコ領を治める辺境伯の娘は、今年で十八歳。貴族学校を卒業しそろそろ婿を迎えるのではないかと噂され、そこに名乗りをあげようと試みる令息たちは多い。
それは彼女が社交界デビューをしたときから後を絶たないが、未だ成立していない理由は彼女の父親が認めないからだともっぱらの噂だ。
なにしろドラコ将軍といえば、我が国きっての豪将軍。国防の要を担う男の前に立ち、その眼光に堪えられる若者はわずかばかり。儚げで楚々とした美人のコーデリア嬢とは似ても似つかない雄々しい将軍なのである。
コーデリア自身も派手な場は好まないようで、夜会への出席率も低いため、噂だけが先行している状態でもあった。
さて、そんな分厚い壁が不在の本日――ゼフロ国の第一王子アレニウスの立太子式典は、コーデリア嬢に声をかける絶好の機会だ。彼女だけではなく、年頃の娘たちが多く集まる夜会は、令息だけではなく、令嬢たちにとっても出会いの場。
二十三歳を迎えた王太子にはすでに婚約者が内定しているが、第二王子は未だフリー。次世代を担う周辺国の王子も集まっており、国内外の未婚男子の博覧会と化しているのだ。婚約者の
(ガンコ親父のお父さまが不在の今がチャンスってものよね。いままで夜会への出席はことごとくつぶされてきたんだし、ここで素敵な男性と出会っておかないと!)
扇で口許を隠してはいるが、笑みを浮かべ、うっすらと染まった頬は外から見て取れる。それを離れた場所から目撃したどこかの令息たちは、胸を撃ち抜かれたように悶えた。
「美しい」
「なんと可憐な」
「ああ、コーデリア嬢とお近づきになりたい」
「おい、勝手に動くなよ」
「わかっているさ」
これら称賛は男たちだけにとどまらず、令嬢たちにも波及する。
病弱らしく、学院に入学するまでは故郷であるドラコ領から出ずに過ごしてきた美しき姫。茶会にもあまり出席しないコーデリア嬢とお近づきになりたいと思う者は存外に多い。言葉少なく、おとなしい彼女は、同世代の憧れの的なのだ。
(ふふふ、これでようやくわたしもぼっち卒業。ヒソヒソされて、なんかいっつも遠巻きにされてるけど、だいじょうぶ、よね。煙たがられていないわよね、わたしっ!)
光輝く白金色の長い髪、新緑を思わせる明るめの緑眼。
精巧につくられた
美女と野獣と呼ばれた夫婦のあいだに生まれ、国防の要である要塞城で、腕っぷしの強い兵士たちの近くで育った。広々とした自然豊かな土地で馬に乗って野を駆け、野生動物を狩り、森に分け入って自然の恵みを頂戴し、なんだったら野宿も辞さなかった野生児である。
そんな彼女も就学に際し、どうやら己が少々お転婆がすぎるらしいと自覚し行動を改めた。学院デビューをするにあたって、公爵令嬢である従姉のセルリアを真似、『深窓のご令嬢』を装うことに成功。ゼフロ国の妖精と謳われた母の容姿に感謝したのは言うまでもない。
家族からは「おまえのそのままを受け入れてくれる男のほうがいい」「無理をしたってどうせ続かない」といったことを言われ、縁談らしき縁談もないまま気づけば卒業の年だ。このままでは嫁き遅れてしまうと焦ったコーデリアはセルリアに頼みこみ、父親を出し抜いてこの夜会へ出席しているというわけだ。
ちなみに従姉は本日の主役の隣で微笑んでいる。おめでたいかぎりだ。
(セリ姉さまの気遣いを無駄にしないためにも、わたしは今日こそ決めるわ!)
ぐっと拳を握る。
腕についている筋肉は、肩まである手袋でうまく隠せているはずだ。だいじょうぶ、今日の自分はか弱いご令嬢に見えていると信じ、ひとが集まるフロアの中央へ足を踏み出したとき。どよめきが生まれ、コーデリアも音の方向へ顔をやる。
アレニウス殿下へ挨拶をする列に加わったなかに、異質な存在が見えた。
そこには居たのは黒いひと。
髪が黒く、着用している礼服も黒い。肌もやや浅黒く、異国からの客人であることがわかる容姿。
「黒太子さまだわ」
近くのご令嬢が囁いた。
「それって、あのイベラ国の?」
「単騎で敵将を討ち取った黒衣の悪魔騎士って噂だけど、全然そんなふうには見えないわ」
「わりと素敵じゃない」
「十九歳になったばかりと聞いたけど、まだ婚約者がいらっしゃらないのよね」
「国内が安定して、これから探すって噂よ」
「じゃあ、もしかしてそのために来たのかしら」
伝播する女たちの囁きを耳にしながら、コーデリアは目を見張った。
視線の先で王太子に礼を執る姿は凛々しく、いましがた彼女たちが噂したとおり、悪魔からは程遠い貴公子だ。
だがコーデリアは知っている。彼――ハドウィック・イベラは、数年前の戦で復興を果たした隣国イベラの王子であり、かつては辺境伯領へひそかに身を寄せて再起を図っていたことを。
ハドウィックはコーデリアにとって、幼少期を六年ほど共に過ごした幼なじみなのである。
出会った当時はひ弱で引っ込み思案で泣き虫で、コーデリアが発破をかけてあちこち連れまわしていたものだが、随分と立派になったようだ。
最後に顔を合わせたのは、ようやくイベラ国を取り戻すための戦力が集まり、再起に向けて動き始めたころ。コーデリア自身も学院入学のために都へ居を移すこととなり、あわただしい別れとなってしまった。
また会おうね!
十二歳にもなれば、そんなふうに軽々しく言える情勢ではないことはわかっていた。
コーデリア自身が戦いの現場に赴いたことはないけれど、怪我を負った兵士たちの姿はずっと見てきたから知っている。ハドウィックが身を投じるのは、それよりももっと厳しく苛烈な、命にかかわる戦場なのだ。
けれど、だからこそコーデリアは言わなければならない。
戦いへ赴く者を見送る立場にある母は、たおやかな姿で皆の前に立ち、震えをこらえて笑みを浮かべる。それをコーデリアはずっと見てきたから。
「ハディ、また会える日を待っているわね」
「僕のこと、忘れない? 待っていてくれる?」
「当たり前じゃない。わたしがハディを忘れるわけないもの。そっちこそ、わたしのことなんてすっかり忘れちゃうかもしれないでしょ」
「そんなわけない。絶対、そんなこと、あるわけがない」
いつになく強く言ったハドウィックが、コーデリアの手をとる。
出会ったばかりのころは背丈も低く、コーデリアのほうが丈夫で元気で大きかったはずなのに、気づけば彼はコーデリアの背を追い抜いていた。
手のひらには剣ダコができて、分厚くなって、腕だってがっちりと太くなってしまった。
いつもは単純に「悔しいなあ」と思っていたはずなのに、今日はなんだか、そのことが違った印象で受け止められた。
ハディは。
ハドウィック・イベラは、コーデリアとは違う人間で、異性で、男の子なのだ。
「落ち着いたら絶対に会いに来るから、待ってて」
「……うん」
約束とは、未来があることが前提なのだと、コーデリアは知った。
約束をすることで、未来へ希望を馳せることができるのだと、コーデリアははじめて知った。
以後は、状況が状況なだけに文を交わすこともなく、王の同意を得て助力していた父の部下を仲介してなんとか生死を確認していた。ずっと怖かった。
勝利し、彼の祖国が復興に向けて動き始めていることも知っていたが、まさかこの場にやってくるとは思っていなかった。
いつか落ち着いたら、顔を見られたらいい。
父に頼めばなんとかなるだろうと考えていた矢先に目の当たりにしたことで、コーデリアはどう振る舞っていいのかわからなくなってしまった。
多くの視線を感じたのだろう。ハドウィックがフロアへ顔を向けた。
彼の視線が端から端へゆっくり移動し、一点で動きを止めた――ように見えた。
目があったような気がしてドキリとしたコーデリアだったが、対するハドウィックは冷たい眼差しのままフロアを一瞥し、ふたたび王太子へ向き直る。
何事か会話をしたのち眼前を辞す。そしてそのまま部屋を出て行ってしまったため、令嬢たちのため息が漏れた。
しばらく待ってみたものの彼の姿を見ることはなく、夜会は終了。未婚の令嬢たちは追い出されるようにホールを後にし、コーデリアもそれに倣う。
この祝祭は一週間続く。明日からは昼の集まりもあり、コーデリアは王太子妃主催の茶会へ招待されていた。
令嬢たちの茶会へ出席するのは、幼いころ以来なので緊張が否めない。従姉はそれを見越して、初回の場として自身主催の茶会へ招待してくれたのだろう。
用意された客室へ案内されながらも、コーデリアは夜会で見かけた黒髪の青年の姿を、未だどこかで探していた。
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