後日談 ハドウィック・イベラ、かく語りき<後編>
「あのね、みんなが言っていたの。婚約者とダンスを踊るのがとても楽しみって」
「そうか」
「他の方と踊るより、婚約者と一緒に踊るほうが何倍も楽しい。それはお相手のことがとても好きだから、だから楽しいし、うれしいし、幸せな気持ちになるのですって。わたし、そんなふうに考えたことなかった。ダンスの相手はいつも親族だったし」
「俺と踊るのは楽しくなかったのか」
「まさか。とっても楽しかったの。うれしかったの。身内以外と踊るダンスも楽しいのねってわかったんだけど、でもね、たくさん申し込みをいただいたのだけど、その方々と踊ることを考えたけど、あんまりワクワクしなかったのよ。ハディのほうがいいなって思ってしまって」
ハドウィックは息を呑んだ。
コーデリアの内心に変化が生じている。
夜会でのダンスからこれまで、我慢強く水を打ってきたが、
ここで攻めずいつ攻めるというのか。
ハドウィックは肩で息をつき、コーデリアに向かった。
「コーディの友人たちは、婚約者を相手にしたダンスがよいと言ったんだろう?」
「ええ、そうよ。やっぱり好きな方とのダンスは素敵なものなのね。本で読んだとおりだわ」
「それでコーディは他の男より俺とのダンスのほうがいいんだろう? それは彼女たちの気持ちと同じだよ」
「でも、ハディはわたしの婚約者ではないし」
「婚約者になればいい。俺はずっとそうしたいと思っているし、ドラコ将軍にも申し出をしているんだ」
がばっと勢いよく顔をあげたコーデリアが、ハドウィックを見る。
「将軍は『娘の意に沿う』とおっしゃった。俺はコーディと結婚したいと思ってる。君のことが好きだから、他の女はいらないんだ。コーディがいればいい。コーディしかいらない。ずっと、昔から、俺はコーデリア・ドラコという女の子が大好きで、もういちど会いたくて、会いたくて。そのために必死で生き抜いたんだ」
ハドウィックの言葉にコーデリアの瞳から涙がこぼれる。
「ハディが、生きていてくれて、わたし、本当にうれしかったの。また、会えて、うれしかったの。いつか絶対に会いにいこうって決めていたの」
「会いにいくから待っていてって、俺が言ったのを忘れたのか?」
「ううん、憶えてる。来てくれるとは思っていなかっただけ。だってハディは王子さまだもの。わたしは外国の田舎娘でしかないし」
「ドラコ将軍はイベラでも名の知れた方だよ。彼らの助力がなければ、こんなに早く制圧はできなかった」
コーデリアは己の立場を過小評価しすぎではなかろうか。
しかし、それもまた彼女らしさといえるだろう。ハドウィックは、そんなコーデリアが好きなのだから。
「コーデリア、俺が王子じゃなく、ただのハドウィックだったとしても、俺は君のことが好きだよ。ドラコの流儀では、勝者には勝利の女神から褒美が与えられるだろう?」
「そうね」
「俺が望んだ褒美を憶えてる?」
兵士たちに揉まれて、一度も勝てなかった。
子ども相手にも彼らは容赦がなかったが、その日々があったからこそ、ハドウィックは戦乱を駆け抜けられたのだ。
「……憶えてる」
「じゃあ、君がなんて答えたのかも?」
「お、憶えてるわよう」
顔を赤らめたコーデリアが涙目になる。
ハディはなにがほしいの?
僕はコーディがほしい。もしも勝ったら、僕のおよめさんになってくれる?
わたしがハディの?
いや? 僕のこときらい?
そんなわけないでしょ。わたしはハディが大好きよ。
じゃあ、やくそくだね。
「勝ったよ、コーディ。約束どおり、お嫁さんになってくれる?」
「ハディはわたしでいいの?」
「ずっと君だけを愛している。コーディは?」
囁くように問うと、コーデリアはついに小さく呟いた。
「わたしだって、ずっとハディが大好きだもの」
歓喜のあまり抱き寄せると、彼女はなんの抵抗もなくこちらの胸に落ちた。間近に迫った赤く染まる顔がたまらなくて、ハドウィックは薄く色づいたくちびるを掠めとる。
驚き、震え、固まるコーデリアが可愛い。
扉の外で素知らぬ振りを貫いてくれているグレッグの気遣いに感謝しつつ、ハドウィックはしばらくのあいだ、そのやわらかさを堪能しつづけた。
◇
長く滞在したゼフロの王城を辞するにあたり、方々へ挨拶をした。
ドラコ辺境伯令嬢との婚約も知れ渡り、
そんななか、国境を越えるための書類を受け取るために赴いた部屋で、ハドウィックに声をかけてきた男がいた。イベラの訛りをもつ共通語を話し、文官職には似つかわしくない火傷の痕を顔と手に残す男に、ハドウィックは既視感を覚えた。
「失礼だが、貴殿はイベラに縁がある者か」
「はい。ディエゴ・ホライと申します、殿下」
「ディエ、ゴ?」
懐かしさを感じるその名前。目を見開いて男の顔を凝視する。
ハドウィックはくちびるを噛みしめ、はくりと苦しげに息を吐いた。
「貴殿、は、
「お懐かしゅうございます殿下。よもや憶えておいでになるとは思いもしませんでした。なんと光栄なことでしょう」
ハドウィックの胸に熱いものが込み上げた。炎に焼きだされ、命からがら抜けだした。なんの保障もなく国境を越え、隣国へ向かった三か月が頭をよぎる。
「すまなかった。王族の確執に巻き込まれ、武の心得もない貴殿らにとって、俺はさぞ厄介な存在であっただろうに」
「そのようなことは」
「よいのだ。あのころの俺はひどく我儘な子だった。泣いてわめくばかりで、迷惑をかけた」
隠れなければならない身の上なのに、目立つことばかりだった気がする。情けないと詫びるハドウィックに、ディエゴは笑みを浮かべた。
「当然のことです。六歳の子が泣いて、責める者がおりますか。それに、殿下。不敬を承知で申し上げさせていただきますと、あなたは私たち夫婦にとって、安らぎでありましたよ。突然息子を亡くした妻は、殿下の存在に救われたのです。あなたを守ることで、私たちのこころは守られました。感謝申し上げます」
「……奥方は息災か?」
「はい。息子と娘に囲まれて、元気でやっております」
「そうか」
「妻の実家に身を寄せたあと、そちらの伝手で文官職を得ました。イベラを含んだ諸国の事情に通じていることもあり、今もこうして城勤めをさせていただいております。今の私があるのは、あのとき、殿下とともに出国したからです。あなたが私たち夫婦を生き永らえさせてくださった。生きるちからを、気力を、命を繋いでくださったから、今の暮らしがあるのです」
「……そう、か」
涙まじりの声が漏れた。
それ以上の言葉が出てこなくて、ハドウィックは顔を伏せる。頭の上でディエゴが苦笑した。
「泣き虫なところはお変わりないようですね」
「この年になって情けないものだ」
「なにをおっしゃいますか。殿下は私からすれば、まだ可愛い子どもでありますよ」
「ディエゴ。感謝しているのはこちらのほうだ。そなたたちのおかげで、俺は生きている。共に過ごしたのは三か月程度ではあったが、俺にとって、そなたらは父であり母であった。ぬくもりをありがとう」
あのとき、ハドウィックは王子ではなく、ただの子どもだった。
国の名を背負った王子ではなく、親に庇護される、ただの六歳だった。
ディエゴは自分を救いだと言ってくれたが、救われたのは間違いなく自分であったのだ。
ハドウィックの思いはきっと正しく伝わったのだろう。今度はディエゴのほうが息を呑み、絞り出すように答えた。
「――光栄です」
「奥方にもよろしく伝えてくれ」
「ええ、伝えますとも。ハドウィック殿下、ご婚約、まことにおめでとうございます」
王位に就いた両親。
隣国へ導いてくれた文官夫婦。
この身を受け入れ、鍛え上げてくれた辺境伯夫婦。
自分にはたくさんの親がいる。
そして次は自分が親となり、子を導いていけたらいい。
この命、あるかぎり。
呑気な辺境伯令嬢は、隣国王子からの愛になかなか気づかない 彩瀬あいり @ayase24
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