後日談 ハドウィック・イベラ、かく語りき<前編>


 ハドウィック・イベラは、六歳で故郷を離れた。

 家族はバラバラになり、乳母も護衛もいなくなった。



 粗末な衣装に着替えさせられ、わざと体に泥をつけたハドウィックの前に連れられてきたのは、城の文官。ディエゴと名乗った彼とともに城下へおりると、もう遅い時刻だというのに町はひどく明るい。半年ほど前に見た祭りの景色のようだったが、あとのときとは違い、今の光源は家屋を焼く炎である。


 反乱が起きた。

 国王である祖父は斃れ、父は王に代わって指揮をとる。そこに六歳の子は邪魔でしかなかったことは理解できるが、当時はただただ混乱し、ハドウィックは泣いていた。

 ディエゴは城下で妻と合流し、明け方に出立。彼らは隣国ゼフロの出で、そちらへ疎開するという名目で、ハドウィックを逃がす役割を担っていたのだ。

 王族であるハドウィックを連れていることを不審がられなかったのは、夫婦には息子がいた・・から。この争いに巻き込まれ、幼い命を散らした五歳の息子を装うことで、ハドウィックはなんとか逃れることができたのだった。



 馬車にもろくに乗れず、追っ手を避けるために遠回りをしながら歩くこと三か月ほど。ようやく辿りついたのは国境の町。ゼフロ側にあるドラコ領。

 その地を治める長であるドラコ将軍のもとで、ハドウィックは暮らすことになった。ハドウィックの父がしたためた書簡を手渡し、夫婦は辞した。妻の生家を頼るというディエゴにドラコ領主は幾ばくかの謝礼を渡したというのは、あとで知った話。

 ハドウィックが記憶しているのは、彼らとの別れだ。



「殿下、どうかお元気でお過ごしください」

「貴方さまの無事を祈っております」


 対する自分はなにも言葉を返せなかった。

 頷きひとつ、まともに返すことができず、ただ黙りこむばかりの子を責めることなく、旅路のなかでいつもそうしてくれていたように、抱き寄せ、背中をゆっくり撫でてくれた。





 ドラコでの生活は鮮烈だった。

 将軍にはハドウィックと同じ年の娘がいた。綺麗な服を着て、母親の隣で笑っている少女にひどく腹が立った。

 自分はこんなにもひどい目にあっているのに、どうしてこの子には両親がいて、頑丈なお城で暮らして、おいしそうなご飯を食べているのだろう。

 この子は夜通し街道を歩き、襲撃者から身を隠すために森へ逃げ、なにとも知れない獣の声に怯えたことなんてないに違いない。

 理不尽だ、不公平だ。

 体が疲弊していなかったら、怒鳴り散らしていたかもしれない。


 コーデリアと名乗った少女は翌日、城内の案内と称してハドウィックをあちこち連れ回した。

 ひとつひとつの部屋の扉を叩き、中にいるひとに紹介していく。すべての部屋をめぐり、兵士たちが暮らす別棟にも案内され、なんとそこで夕食を馳走になった。

 兵士と同じものを供された。城主のひとり娘に対して、なんとも不遜なことである。

 その後、敷地沿いにある森へ向かい、迷子になった。

 周囲は急速に暗くなっていくのに、少女は困ったようすがない。それでも多少は焦りがあったか小走りになり、一心に歩き続ける。しかし結局どこへ向かえばいいかわからなくなり、大木の傍で腰を下ろした。

 遠くで聞こえる獣の声。

 うるさいほど響く、なにとも知れぬ音。

 ぎゅっと拳を握るハドウィックに、コーデリアは明るく言った。


「ごめんなさい、すっかりよるになってしまったわ。きょうはここでねましょう」

「ここで、ねる?」

「さすがにつかれたもの。こういうときはね、うごかないほうがいいのよ」


 言って、ゴロリと草地にころがったのだ。信じられない。身を起こしたままのハドウィックを見てコーデリアは「ねないの?」と不思議そうに問う。ますます信じられなかった。


「こ、こんなところで。いっぱいへんな音が鳴ってるのに」

「音?」


 周囲一帯に響くこの音に気づかないわけがないだろうと睨むと、コーデリアは上半身を起こして周囲を見渡し、ハドウィックへ問うた。


「虫のこえのことをいっているの?」

「む、むし? なんの虫」

「わからないわ。たくさん種類がいるし、どの虫が、どんな声で鳴いているのか、わたしはくわしくないの。でも、こんなのふつうでしょう? よるになると、いろんな虫が鳴くものよ」


 なにを当然のことを言っているのか。コーデリアの顔はそう言っていて、ハドウィックは焦る。そのとき耳に届いた獣の声に反応し、これは普通じゃないだろうとばかりに主張する。

 しかしコーデリアはこちらにも無反応なうえ、意外なことを言ったのだ。


「あれはどうぶつのおはなし声よ。あなたもいま、わたしとおはなしをしているように、あの子たちもおはなしをしている。それだけじゃない」

「で、でも、だって、森のどうぶつはあぶないって、ディエゴがいってたぞ」

「こっちがこうげきしなければ、どうぶつもおそってこない。お父さまがいってたわよ。それにね、どうぶつの声がきこえるのはよいことなのよ」

「どうしてだ」

「そこには生きものがいるからですって。いざというとき、狩って食べることができる。いのちをもらって、いのちをつなぐことができるから、森にどうぶつがいるのは、とってもたいせつなことなの」


 ハドウィックは驚いた。

 いままで、そんなことを言ったひとは近くにいない。ディエゴですら、森に住む獣を危険視していたのに、自分と同じ年の子どもがそれらを当然のこととして受け止めていることに衝撃を受けた。

 コーデリア・ドラコという少女は、ハドウィックにさまざまな驚きを与えてくれたが、これはそのはじまりだったと思う。



     ◇



 ゼフロ国の立太子記念式典、その最終日。強引に約束を取り付けたハドウィックはコーデリアとともにホールへ足を踏み入れた。

 注目が集まり、隣でコーデリアが震えたことがわかったが、ハドウィックは安心させるように微笑みを向ける。


「大丈夫だよ」

「でも、嫌われ者のわたしがハディと一緒にいて、迷惑なのじゃなくて?」

「そんなわけないだろ。むしろ誇らしい。この場においていちばん可愛い女の子が俺のパートナーなんだから」

「か、かわっ」


 コーデリアは褒め言葉に弱いらしい。

 意外だった。本人は「遠巻きにされてきた、嫌われてるの」と言っていたが、事実はまったくの逆である。

 ハドウィックが祝祭中に耳にしたのは、辺境伯令嬢の可憐さと美しさだ。なんとか彼女と懇意になりたい、妻に迎えたいと熱っぽく囁き、牽制し合う男たちの姿なのだ。


(先手を打っておいて、本当によかった……)


 内心で安堵の息をはく。

 イベラの王位を奪還して即位した父のもとには、ハドウィック殿下への縁談がひっきりなしに舞い込んできたという。しかし父は、ハドウィックの縁談を政略には使わないと言った。


「おまえにはひどく苦労をかけたからな。妃ぐらい、自分が好いた相手を迎えなさい。誰であろうと反対はしないから」

「本当に誰でもよいのですか」

「無論。それが隣国ゼフロの者であったとしても、かまわないよ」


 きっと父は知っていたのだろう。

 ハドウィックがなにを胸に抱いて前に進んでいたのか。

 なにを支えにせいを渇望していたのかを。


 そしてイベラ王家はゼフロ国に対して、ドラコ辺境伯のコーデリア嬢とハドウィック第一王子の婚姻の申し入れをおこなった。

 ゼフロ王家からは「辺境伯に一任する」と返事があり、辺境伯からも「娘の意に沿う」と返事があった。それとはべつに、辺境伯家からはハドウィック個人に宛てた文があり、懐かしい力強い筆跡で伝言があった。


 我が娘は難攻不落。牙城を崩すのは容易ではなかろう。

 無事に攻め落とせたら顔を出せ。待っているぞ、息子よ。





 事実、コーデリアじょうを落とすのは容易ではない。

 門戸は開かれているのに、話し合いには応じてくれない。意図を汲んでくれないというべきか。

 戦乱のなかにあったハドウィックは、色事に縁遠い日々を送ってきたと思うが、そんなハドウィックよりも恋愛事情に疎いのは何故なのか。

 表舞台になるべく立たせないようにしていたドラコ将軍の狙いは、娘の神秘性を引き上げるためだったのかは知らないが、そのおかげで彼女に攻め入るつわものが居なかったのは、ハドウィックにとっては幸運だった。


 最終日の夜会でダンスを踊り、他の男の手は取らせなかった。唯一無二の相手として、自分の存在は対外的に示すことに成功したと思う。

 しかし、コーデリアが通っている貴族学校は不可侵の場。外野であるハドウィックが干渉することは叶わず、だからこそ令息たちは姑息にもそこに勝負をしかけたらしい。

 ゼフロでの滞在を延ばし、ドラコ家のタウンハウスへ足しげく通っているハドウィックは、卒業式での舞踏会についてコーデリアから知らされた。

 王太子妃の茶会を通して知り合った令嬢たちと、学院でも話をするようになった。婚約者のいる彼女たちは、卒業式典におけるパートナーを婚約者に頼んでいると聞かされ、自身はどうしようかと悩んでいたようだ。


「そうしたらね、たくさんのひとに声をかけられたの。わたしがひとりぼっちだから同情してくれたのかしら。優しいわよね」

「たくさんって?」

「えーっと、憶えていないぐらい。たくさんの殿方よ」

「……ほう」


 現在、貴族学校に通っている最高学年の子息をリストアップしなければ。

 あれだけ牽制したにもかかわらず、なんとも勇気のあることだ。イベラの悪魔王子に喧嘩を売るとはいい度胸である。

 いくらでも買ってやろう。狩ってやるともハイエナどもめが。


 ハドウィックの内心など知らないコーデリアは、困ったように、それでいてめずらしく言いにくそうにして俯き、言葉を詰まらせた。


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