05 隣国の王子からの求愛は
「やっぱりグレッグもそう思う? ハディってまだお友達が少ないままなのかしら。あのころはわたししか身近にいなかったせいで執着していたように思うけど、いつまでもそれじゃダメよね」
「そうだよなあ、同じではいられないよなあ、そんなつもりは毛の先ほどもないと思うんだが、肝心の相手に通じてないから意味ねえよなあ」
「でも、ナサなんとかさんも、さすがに身に染みたようだけど?」
「うん、ナサニエルのことじゃないんだが、まあいいか」
今後に期待だ。グレッグがなにやら楽しそうに言う。
久しぶりに王都に来て、古巣の演習に参加して、思うところがあったのかもしれない。
「グレッグはここに復帰したい?」
「まさか、俺の故郷はもうドラコ辺境伯領ですよ。ハドウィック殿下は隣国との親善大使としてゼフロ国へ来ることも増えますでしょうし、その際に真っ先に出迎えるのは我がドラコですからね」
たしかにそうだとコーデリアは気づく。
これからまた、彼に会う機会は増えるだろう。彼が邸に滞在して、昔のように一緒に過ごすことができる日が来るかもしれない。
ひそかに夢想していたことが現実になるかと思うと顔がほころんでくる。
グレッグと話していると、ハドウィックがこちらに顔を向けた。
強張った表情をしたかと思えば、一歩こちらに踏み出す。そして持っていたコーデリアの鉄扇を手渡しながら言った。
「コーディ、明日のことなんだけど」
「明日? なにかあったかしら」
「最終日の舞踏会」
「ああ、そういえば」
「パートナーは決まってるのか」
ざわり。騎士の男も見学をしていた女たちも、一様にどよめいた。
そういえば祝祭期間のメインイベントたる舞踏会。最終日のそこに向けて、未婚の男女が頂上決戦をしている最中だったことを思い出し、その戦に参加すらできていない自分に気づいてコーデリアは落ちこんだ。
「相手にもされてないわ。もうあきらめてるの。ハディは――」
黒太子さま、素敵ね。
ここ数日、そこかしこで囁かれていた声が脳裏に響いて、コーデリアの胸が大きく脈打った。
うっかり美味しいものを食べすぎてしまったように胃のあたりが重たくなって、それでいてなぜか気持ちが沈む。
初日の夜会から始まり、昼間の茶会においてもハドウィックは話題の主だった。
子どものころに祖国を追われ、成長してみずから剣を取り、敵を討ち、国を奪還した若き王太子。さならが物語のような激動の人生だ。
そもそもハドウィックはまだ王子の身分で、国を取り戻す際の中心にいたのは、彼の父親である国王なのだが、同世代の者にとって身近なのはやはりハドウィックであろう。
これまでは『地獄から蘇った悪魔』だの『暗黒王子』だの、負の方向での噂が大きかったのだが、こうして間近で見ることによって、印象は良いほうへ修正されていったようだ。
少々目つきは悪いけれど、それは逆に戦を生き延びた覇者として周囲に映り、逞しく精悍な青年として受け入れられている。コーデリアとしては、子ども時代の可愛いハディも好きなのだが。
なにはともあれ、どうやらハドウィックは引く手あまたで、ぼっち仲間にはなってくれそうもないと気づく。
彼が人気者になって嬉しい反面、なんだか寂しい気がしてならない。
「我儘よね、わたし」
そっと呟いたコーデリアに、ハドウィックは口許をゆるめる。
「そんなのいまさらだろ。コーディが自分本位なのはいまに始まったことじゃない」
「それ褒めてないよね」
「まあたしかに褒めてはないけど、そこが悪いとは言っていない。だから、俺と一緒に参加しよう」
なにが『だから』なのかわからないけれど、ハドウィックがそう言った。
「一緒にご飯を食べるの?」
「なんでだよ」
「最終日もたくさん美味しいものが並ぶわよって、セリ姉さまが言っていたわ」
「どこの国に、男に舞踏会に誘われて飲食の誘いだと思うやつがいるんだよ」
「だって、むかしはよく一緒に夜の晩餐会にこっそり忍び込んで、ご馳走を食べたじゃない。そして翌日にお腹を壊したのよね、ハディは」
なぜかコーデリアは平気だった。繊細な容姿とは裏腹に、体がとても頑丈なのがコーデリアである。
ぐっと言葉に詰まって、ハドウィックは俯く。
しかしわずかののちに復活し、ふたたび言葉を重ねた。
「俺はコーディとダンスがしたい」
「こちらの流儀を思い出したいのね。練習したいなら今からでも付き合うわよ?」
辺境伯領では一緒にダンスを習った。同じぐらいの背丈の子は他にいなかったので、ふたりはいつもパートナーだった。とても大切な思い出だ。
なつかしいわね、とコーデリアは柔らかく微笑む。
ハドウィックはその笑顔に息を呑み、周囲にいたひとたちもまた、男女問わず彼女の笑顔に見惚れた。「なんと可憐な」自然と漏れた誰かの浮わついた声。
そこでようやく我に返ったらしいハドウィックは、焦ったようにコーデリアへ言葉を放った。
「ファ、ファーストダンス。その次も、そのまた次も、コーディと踊りたい」
三度続けて踊るのは、夫婦、あるいは結婚を約束した男女であることを周囲に明かすことと同意だ。
顔を赤らめたハドウィックにコーデリアは答える。
「お友達がいないのはわたしも一緒だから、それはやぶさかではないのだけれど、いいのかしら。ハディはこれからうちの国と仲良くしていくわけで、今回の式典はその足掛かりなのでしょう? もっと他の方にも声をかけたほうがいいわよ」
コーデリアの苦言にハドウィックは別の意味で息を呑んだ。やや肩も下がった。どこか哀愁が漂う。
突如始まった辺境伯令嬢と王子の私的なやりとり。醸し出される場の空気に、いつしかみんな呑まれていった。男も女も、全員がふたりの攻防を見守り態勢だ。
そんな周囲をよそに、ふたりはなおも微妙にかみ合っていない会話を続ける。
舞踏会へ誘いたいハドウィック。
戦勝国の王子としての立場を尊重したいコーデリア。
どちらの言い分も正しくあり、間違っているわけではない。そこにあるのは相手を慮る気持ちなのだ。
ただ、年頃の男女としては、外交よりも、恋情に重きを置きたいと思ってしまう。ままならないものである。
「他の女はいらない。俺は君がいいんだ、コーデリア」
ひたと彼女を見つめ、これまで以上に真摯に告げた隣国の王子。
ついに踏み込んだハドウィックの言葉に、騎士たちは拳を握った。
ご令嬢たちは頬を赤らめ胸を押さえた。隣同士、小声で囁きあい、熱のこもった言葉を贈られた辺境伯令嬢を羨ましく思う。自分もあんなふうに誰かに一途な言葉を貰いたい。
そう思わせる状況のなか、コーデリアは言った。
「もう仕方ないわねえハディったら、人見知りは健在なの? わたしも頑張ってお友達を作るから、ハディも一緒に参加してお話し相手を探しましょう!」
コーデリア以外の全員が固まった。
まだ、駄目なのか。
あれでも駄目なのか。
ハドウィックに対して同情の視線が集まるなか、当の本人は低く、絞り出すように言った。
「……俺と一緒に参加するんだな?」
「ええ」
「他の男の誘いは絶対に受けるなよ」
「そんなひといないわよ。さすがに哀しくなるから言わないで。わたし、そんなに近づきたくないかんじなのかしらね」
念押しするように言ったハドウィックに、コーデリアの眉根が下がる。そんなコーデリアにハドウィックは安堵したか微笑んだ。
「何を言ってるんだ。コーディは可愛いよ。ずっと、昔から、変わらず、誰よりもいちばん可愛い」
「! そ、そんなのはじめて言われたわ」
「まさか、嘘だろう」
「ハディは知らないでしょうけど、わたしって学院ではお友達が全然いない、ひとりぼっちなのよ」
「それとこれとは関係ないだろう」
「褒めてくれるのは、親戚や、うちの兵士たちだけよ。それってただの身びいきで、身内の欲目じゃない」
だから、男の子にそんなこと言われたことないもの。わたし、嫌われ者だもの。
モソモソと呟くコーデリアを見たハドウィックは、笑いをこらえる。
こんなコーデリアは知らない。
彼女は、自身に関することにはのんびり屋であるが、他者に対してはいつだって強引で怖いもの知らず。ハドウィックを振り回してばかりだったのに、自分の他愛ないひとことで、こんなに動揺するとは思ってもみなかった。
すごく可愛い。
本当に、本当に、可愛くて仕方がない。
口許がゆるみ、自然に笑みが浮かぶ。張りつめていたものが弛緩し、なんだか焦っていたこころも落ち着いた。
「じゃあ、俺が言うよ。これからずっとコーディだけに言う。誰よりも可愛いよ、俺の愛しいコーデリア」
ドスン。
その瞬間、コーデリアの手から鉄扇が落下した。
「……お嬢、意外とああいうのに弱かったのか」
グレッグが呟く。
コーデリアの父である辺境伯から、事前に話は聞いていた。イベラ王家からコーデリアへ対して、婚約の打診があったと。
正式な申し込みは本人に任せるということなので、ハドウィックとの仲を見守るように言われていた。あまりに空振りすぎて何年かかるかと思っていたが、この調子ではそこまで時間はかからないのかもしれない。
落下した衝撃で土に埋まった扇をほじくりだすコーデリアの赤い顔を見ながら、ゼフロ国境警備隊長グレッグは、ハドウィックの背中を叩いてエールを送った。
若人たちに幸あれ。
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