04 これが辺境伯領のひとびと


「ハドウィック殿下、隣国で名を馳せた剣士である貴殿はたしかに、若いながらも名将かもしれませんが、さきほど言ったようにか弱いご令嬢に無礼な物言いはおやめいただきたい」

「ナサニエル殿、相手は隣国の王太子、無礼というのであれば貴殿とて」

「グレッグ殿。部外者はくちを出さないでいただきたい。これは王立騎士隊における問題です」


 コーデリアに代わって反論したのはグレッグだった。

 しかし、辺境伯から一時的に派遣されているに過ぎない兵士に己の弁を遮られるのは、侯爵子息であるナサニエルの癇にさわったらしい。

 明らかに下へ見た発言に驚いたコーデリアが顔をあげると、視界の先でグレッグは肩をすくめており、コーデリアのまなざしに気づくと苦く笑った。

 彼は四十を迎える年齢で、二十代半ばのナサニエルにとっては大先輩にあたりそうなものだが、このボンクラ侯爵子息は頓着しないらしい。まったく、無礼はどちらだ。しかし、当のグレッグがなにも言わないのであればコーデリアがくちを出すことでもない。

 若干モヤモヤしながら聞いていたが、ナサニエルが小声で「一度滅んで地獄から蘇った悪魔王子が偉そうに」とハドウィックにだけ聞こえるように呟いたときは、もう我慢がならなかった。



「無礼はどちらですか。あなたのほうでしょう、ナサなんとかさま」

「なんとかっておまえ」

「ハディは黙っていなさい。なによ言われっぱなしで。泣き虫のくせに、おうちのことを悪く言われたら、いつだって怒っていたじゃないの。体格のまったく違うおじさまたちにも立ち向かって、まあもちろん腕の一振りで転がされていたけれど、見どころがあるってみんな褒めていたのよ」


 コーデリアが言うと、グレッグが腕を組んで重々しく頷いた。

 同意を得たコーデリアはなおも言いつのる。


「ハディはね、とっても努力家なの。背が低いことを気にして、木にぶら下がれば伸びるって言われて実行してみたり、まあ、それはみんなの冗談だったんだけど。それからね、好き嫌いがあったけど、それを頑張って克服しようとしていたし、度胸をつけるためにお化けが出るって噂の洞窟へ一緒に乗り込んでいったりもしたのよ。そのとき、わたしってばうっかり転んでしまって不覚にも足をくじいてしまったのだけど、ハディったらわたしより小さかったのに頑張って背負おうとしてくれて、結局へばって途中でふたりで休んでいたらグレッグが迎えに来てくれたことあったわよね」

「そうですね、お嬢」


 グレッグが合いの手を打ち、コーデリアは続ける。


「王子さまだから、それまではとってもいい暮らしをしていたはずなのよ。それがお城を離れざるを得なくて、故郷を追われて、ご両親とも離れて供もつけずにたったひとりで知らない家にお世話にならなくっちゃいけなくなるって、とても大変なことだわ、あのときハディはたしかまだ六歳だったのよ。暮らしの質を変えるって本当に大変だと思うの。いまにしておもえば、ハディを案内しようと思って、うちに来てまだ二日目なのに森へ入って迷子になって夜を明かすはめになったのは悪かったわよね、ごめんなさいハディ、いまさらだけど謝罪するわ」


 夜を明かすといっても、森の出口はすぐそこで、日の出と同時に救出された。

 じつは数名が近くで待機していて、危険がないかを見守りながらの一夜であったと、お説教とともに知らされた。


「いい荒療治だったと思いますよ、殿下だけでなくお嬢にとっても」

「まあ、そうね。みんなにすごーく怒られたわね。会うひと会うひと、順番に怒られたわ。あんなのはじめてだったわ。そういえばあのときに助けに来てくれたのがグレッグだったわよね。あなたも王都から来たばかりのころだったのに大変だったでしょう」

「赴任早々、辺境伯の娘が森で迷子。でも放置でいいって言われて。翌朝、夜明かしした小さなお嬢さまはけろりとして『おはよう!』ですからね。辺境伯領っておもしれーところだなーって思いましたので、それほどでも」

「ならいいのだけど」


 コーデリアのくちは止まらない。

 名前を適当に済まされたナサニエルはくちを開けて固まっている。

 ハドウィックは頭を抱え、告げられる内容に慌てたり青くなったり赤くなったりと忙しい。


「あなたのお飾りの剣より、小さなハディが必死に振っていた小刀のほうがよほど強いに違いないのよ」

「お嬢、そのへんでやめてさしあげてください」

「どのへんよ、まだ言い足りないんだけど」

「レグラット坊っちゃまに言いつけますよ?」


 弟の名を出されて我に返る。そういえば「姉さまはしゃべらないで」と言われていた。普段の半分以下ではあるけれど、話をしすぎたような気がしないでもなかった。

 おそるおそるナサニエルに目をやると、形相が変わっていた。怒りのためなのか、美しい顔が朱に染まっている。


「こ、この俺を愚弄するか、すこしばかり可愛い顔をしているからといって図に乗りおって。せっかく俺が声をかけてやったというのに小賢しいことばかり言って、まったく可愛げのない」

「あなたが勝手に話していただけじゃない。頼んでもいないことを恩着せがましくいうのはよくないわよ」


 すました顔で、取ってつけたような優雅な言動をしているより、いまのほうが我が見えていいのでは、このひと。言動はすごく小物っぽいけど。


 などと考えたコーデリアへ、憤怒の表情をしたナサニエルが右腕を振り上げた。

 隣に立つグレッグはそれを傍観し、ナサニエルの背後にいたハドウィックは、その右腕を掴もうとして遅れを取った。


「コーディ!」


 ハドウィックの焦る声と、周囲から上がった悲鳴を聞きながら、コーデリアは一歩うしろへさがり、持っていた扇でナサニエルの拳を叩く。

 バシンと、扇にしては大きめの音が響き、ナサニエルが赤くなった己の右拳に目をやるのと同時に、コーデリアは膝を曲げる。ナサニエルの視界からコーデリアが消えたかと思えば、コーデリアは彼の左側をすり抜けるようにして背後へまわり、持っていた扇を背に突きつけた。


「ガラ空きだわ。背中から射られたら死んでいるわよ、あなた」


 言って扇を軽く払った。再度バシンと音が響き、呻き声をあげたナサニエルの体が傾ぐ。

 一連の流れを呆然と見ていたハドウィックが訊ねた。


「……コーディ、それは?」

「お母さまがくださったの。女性が護身用に持ち歩くのなら、鉄扇のほうがいいって。仕込み日傘もいいのだけれど、今日は持っていないのよね」


 コーデリアはハドウィックに扇を手渡した。「なんだこれ、重っ」と驚いたように呟いたが、納得したのかグレッグに目を向ける。


「グレッグが動かなかったのは、コーディのちからを信用しているからだったんだな」

「だとすればうれしいけど」

「さすがの俺も、相手を見て動きますよ。お嬢は大事なあるじですからね。そうでなくとも、嫁入り前の娘さんに傷をつけるわけにはまいりません」


 嫁入り前の娘に対し、公衆の面前で暴力をふるおうとしたナサニエルにちくりと嫌味を言うグレッグ。

 未だ背中の痛みに耐えているらしいナサニエルに声をかける者はおらず、やがて騒動に気づいたのか上官と思しき男がやってきた。騎士たちが揃って背を正すなか、上官はグレッグに目をとめ、最敬礼をする。


「先輩、大変ご無沙汰しております。王宮へいらしているとは聞いていたのですが、なかなか顔を出せずに申し訳ありません」

「気にすんな。王太子警護の指揮をとってるって聞いたぞ、やるじゃねえか」

「先輩がたのご指導の賜物ですよ」

「言うねえ」


 グレッグは元王立騎士隊の所属。精鋭揃いの第一師団の長を勤めていたと聞いている。どこかの貴族と喧嘩をして左遷されたので辞めて、辺境伯領の国境警備隊に再就職した変わり者なのだが、古巣にはきちんと仲間がいるようで、コーデリアは安心した。

 辺境の熊男だと思っていたおっさんが、上官が頭を下げるほどの伝説の武人と知った騎士たちは蒼白になり、完全に下へ見て文句を言っていたナサニエルにいたってはもう土気色だ。


「おい、あんた」

「ひぃっ!」


 追い打ちをかけるようにハドウィックに呼ばれたナサニエルは、震えながら立ち上がる。令嬢に秋波を送られていた姿はもはやどこにもない。


「俺のことは何を言ったところで気にしないが、コーデリア嬢にはきちんと謝罪していただきたい」

「それは、もちろん」

「ナサニエル殿だけのことではない、彼女の噂をしていたすべての者に告げておくが、今後、彼女に下卑た視線を向けることは俺が許さない。不用意に声をかけることもだ」


 ギロリと周囲をねめつけて、睨みをきかせるハドウィック。

 やだ過保護だわ。

 コーデリアが呟くと、隣でグレッグは大きなため息をついた。


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