吸血鬼の夜
小日向葵
吸血鬼の夜
不老不死のはずの吸血鬼が、どうしてその数を減らしているのか。僕のその質問に対して、リサはさもくだらないと言った風に、僕へ軽蔑の眼差しを向ける。
「そんなもの、誰も望んじゃいないからよ」
そして、ガラスのローテーブルに僕が置いた皿を見て、鼻で笑う。
「なにこれ?」
「水菓子が食べたいって言ったろ?だから、水羊羹を買って来たんだ」
「菓子、水菓子って言ったら江戸言葉で果物のこと」
「だったら最初からそう言え」
僕が皿を下げようとすると、リサは素早く皿を手に取って水羊羹を口に運んだ。
「これはこれで食べる」
「食べるのか」
我が家には、吸血鬼が居候している。
リサに受け継がれた吸血鬼の力は少ない。空は飛べないし蝙蝠へ変身することもできない。人の血を吸って下僕にすることも、眷属とすることも出来ない。
その代わり、彼女はもう十字架を怖がらない。流れる水も渡れる。日の光だって敵ではないが、日焼けをしたくないという理由で、昼間の外出時にはつばの広い帽子を被る。大蒜も弱点ではないが、臭いものは嫌いだと近づけない。
彼女に僅かに残った力、それが不老不死だ。彼女はその艶やかな少女の姿で、もう五百年は生きていると言う。
「不老不死なんだから、増える一方じゃないのか?」
「ヴァンパイア・ハンターもいるし陰陽師もいる。敵は多いんだ」
「それにしたって」
「永遠の命が素晴らしいっていうのは、人間による偏見でしかないよ。だから吸血鬼は滅ぶんだ」
すっ、と立ち上がったリサは、僕のデスクから銀の十字架を手に取って弄ぶ。
「吸血鬼は吸血鬼同士でしか子を成せない。子を成すことで初めて、吸血鬼は死ぬことを赦される」
「赦される?」
「出口のない生なんてただの牢獄。だからあたしの一族は、ろくに子孫へ力も残さずに、時間の中に消えて行ったんだ。最後に続くあたしがどうなるかなんて、考えもせずに」
子を成した吸血鬼は、長い時間をかけてその子を育て、そして自らの力を子に与える。充分に力を与えられて育つことで、初めて人間でいう成人の姿を取れるのだという。
つまり、どう頑張っても女子高校生以上の姿を取れないリサは、育児放棄を受けた吸血鬼なのだ。
「子供さえ作れば、どんな不名誉な死でも赦される。永遠の命に飽きた吸血鬼は、そうやって死んでいくんだよ。でもなきゃ、間抜けなヴァンバイア・ハンターになんかやられるもんか」
「そんなもんかね」
「死ぬことが希望だなんて、皮肉なものよね」
僕は何も言わない。僕は人間、リサは吸血鬼。何度体を重ねても子供は出来ない。
「……だからさ、今夜も試そうよ。いつもよりほんのちょっとだけ多く、血を飲むからさ。あんたを眷属に迎えられたなら、それで万事解決なんだよ」
「もう何度も試しただろう。他に方法はないのか?例えば儀式とか」
「儀式」
小馬鹿にしたようにリサは嗤った。
「そんなものはないし、あったとしても絶えている。だから吸血鬼は滅びの淵にいるんだよ」
「そうか」
「どうせ滅ぶなら、あたしはあんたと滅びたい。でもそんな夢も、毎回毎回朝の光で現実に引き戻されるんだ。あんたとひとつになれたと思っても、全ては泡沫の夢でしかない」
銀の十字架を放り投げて、リサは悪戯っぽく笑った。
「でもね。もしあんたとの子供が出来たとして……それは、この吸血鬼の宿命を未来に残すことなんだ。あたしは死ねたとしても、子供はあたしと同じかそれ以上の苦しみを背負うことになる。だからね、子供ができないことにがっかりはしているけれど、安心もしているんだ。矛盾してるよね。希望に縋ってるはずなのに、それは本当は絶望なんだ」
しなだれかかるリサの金髪を、僕は優しく撫でてやる。香水の匂いがふわっと漂う。彼女が僕を誘う時の香り。
「だからさ、せめて今夜も夢を見させてよ」
夢でしかないと判っていても、リサは僕の血と体を求める。
手が届かないと判っているから。それが、夢だから。
救いがない、救われない。でもそれでいい。
僕もリサも、最初から救いなんて求めていないのだ。
……我が家には吸血鬼が居候している。
いつまでいるのかは、判らない。
吸血鬼の夜 小日向葵 @tsubasa-485
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