第5話 おまけ その後

 あのコンビニの不採用通知をメールで受けてから三日。おれは特に明確な理由もなく、最寄りのショッピングモールに来ていた。

 平日のお昼前だが、モール内にはそれなりに人がいる。とはいっても、土日のごみごみとしている状態に比べれば、少なくて相当に居心地はいい。


 なんで、落ちてしまったかなぁ。


 歩きながらそんなことを考える。いやいや、思い出せば問いかけるなんてことを通知を受けてからずっとしているから、気分転換にここに来たのではないか。これでは本末転倒だ。


 気持ちを切り替えようとした時、近くにクレープ店が見えた。


 甘いものは好きだ。座って食べていける所もあるようだし、ここは食べていくとしよう。



「こちら、商品と450円のお返しになります」


 なります。なります、か。お釣りは変化したものではないので、“ございます”が適切だ。しかし、ドラマや漫画などでも、この“なります”はいまだによく目にする。誤用だろうが浸透していれば正しくなる、ということだろうか。あるいは、分かってはいるけどこういう店員さんが多いからリアリティを求めて、であろうか。


『お返しでございます』


 夜子さんの接客を思い出す。


 ちゃんと“ございます”だったな。あの店長さんだったし、そのあたりはしっかりしているのか。いや、あの日も言葉遣いの注意を受けていたし……って、コンビニから離れろ。


 お釣りを財布にしまってから、クレープを受け取って席に行く。

 席の形は丸テーブルと、均等な角度で丸テーブルを囲んでいる三つの椅子。動かす必要はないが、丸テーブルと椅子のどちらも固定はされていない。

 おれは、まだ誰も座っていない席の椅子の一つに座る。


 さて、では。


 食べようと口に近づけると、生地と生クリームの甘くていい香りが強くなった。そして、その香りに引き寄せられるように、そのままクレープを少しかじって口に入れた。


 うまい。生地と生クリーム、そして具材の見事な調和。クレープを考えた人は天才ではなかろうかと思うほどの美味。店員さんも言葉遣いはともかく、腕は中々によいのかもしれない。これは、嫌なことも忘れられる。


「おいおい、いい年したおじさんが一人でクレープ食べてるよ。キモっ」


 忘れられ——。


 少し離れた所を歩いている、若い女性三人組の一人がそう言ったのが耳に入ってしまった。年は二十前後、十代かもしれない。

 ただの会話の一部であったようで、そのまま歩いていってしまう。


 うわぁ。なんで聞こえる所で言っちゃうかなぁ。


 今の女性が言ったようなことを、言いも思いもしない女性がいることは知っている。今の女性たちのような人とは深く関わることもないだろう。だから、気に留めることはない。ないのだが——。


 いちいち傷つくんだよなぁ。


 言葉というものはそれだけ強力だ。いくつになっても決して慣れない破壊力がある。おれが最近無職になる前に働いていた会社を辞めたのも、浴びせられる暴言に辟易したからだ。

 言葉の力に鈍感なのか、自分が傷ついた分は誰かに返そうと思っているのか、酷い言葉を浴びせる人間はいる。自分もそうなれたのなら、会社に溶け込むこともできれば、今の女性の言葉に傷つくこともなかったかもしれない。


 弱いおれが悪い、か。


 傷ついて落ち込むと、途端にクレープが砂の味しかしなくなった。


 参ったなぁ。まだ少ししか食べていないのに。


「あれ? おれくんじゃん。奇遇だね」


 不意に近くでかけられた声に反応して顔をあげると、そこにはなんと夜子さんがいた。おれの名前を知っているのは、採用試験の面接の際にあのコンビニで名乗っているからだろう。


「それ、新作? おいしそう。アタシもそれにしようっと」


 戸惑うおれを余所に、夜子さんは注文をしにいった。


 どうして、ここに夜子さんが。

 いや、いること自体は別におかしくはない。夜子さんはコンビニで夜勤もしている勤務体系。他に仕事をしているかどうかは知らないが、平日の昼間にショッピングモールにいることもあるだろう。ただ、こんな偶然もあるのかと思ってしまう。

 夜子さんの勤めるコンビニを落ちた三日後、どこかの女性に傷つけられた時に出会うなんて。


 いろいろと考えている内に、夜子さんがクレープを持っておれの席に近づいてきた。


「相席いい? てか座るね」


 そう言って、おれの返答を待たずに夜子さんが空いている椅子に座った。椅子の位置を特に変えてはいないから、おれの正面ではなく斜め前に座っていることになる。


 だ、大丈夫か。こんなおじさんが若い子と一緒にいて、通報されたりしない?


「うーん。おいしいぃ。クレープは新作でもはずれがないなぁ」


 おれの心配を知ることもなく、早速クレープを食べ始めた夜子さんが嬉しそうな顔で言う。


 本当に、美味しそうに食べるなぁ。


「折くんもクレープ好きなん?」


 唐突に夜子さんが聞いてくる。


「うん。……笑えるよね。こんないい年した男がさ」


 先程、あの女性に言われたことを繰り返すような感じでそう言った。言っていて空しくなるな。


「なんで? 好きだから食べてるんでしょ。笑うとこなくない?」


 心に優しい風が吹いた気がした。


 夜子さん、本当に君はあの子とよく似ているよ。


 おれもクレープを食べ進める。ちゃんと甘い。夜子さんのおかげで味覚が戻ってきたようだ。


「そういえば、残念だったなぁ。アタシは折くんと一緒に働いてみたかったんだけど」


 コンビニの採用についての話か。夜子さんならおれが不採用になった理由も知っているかもしれない。折角だから聞いてみることにしよう。


「本当にね。なんで落ちちゃったんだろう。店長さんとは気持ちよく話ができていると思っていたけど、実は心証が悪かったのかな?」


 まぁ、くそもらしやろう(もらしていないが)と働きたくなくても仕方ないが。


「え?」


 夜子さんが鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。こちらが『え?』なのだが、どういうことだろう。


「折くん、ひょっとして手紙読んでない?」


 手紙? メールでなく?


「メールは読んだけど。手紙って、封筒に入れて送るあの手紙?」


「そう」


 そういえば、久しぶりにポストを見たら何通かの封筒が入っていたけど、どれもろくに見ずに部屋にまとめておいていたな。あの中に入っていたのだろうか。


「見てない」


「はぁーあ。マジかぁ。だから、メールで送った方がいいって言ったのに」


 頭の中で疑問符が渦巻く。何が起きているんだ?


「店長さぁ、ちょっと古風なとこあんだよね。大切なことは手書きの手紙でってさ。折くんへの不採用の通知さ、メールで届いたのはテンプレのやつなんだけど、手紙には採用できない理由を丁寧に書いていたはずなんだよね」


「そ、そんなことをいつもやっているの?」


「ううん。もちろん普通はやらないよ。折くんはあの事件に居合わせた特別な人だからさ」


 さすがにそうだよな。


「あぁー、もう言っちゃうか。店長さ、折くんにかなり感謝してたんだよね。被害があの程度で済んだのは折くんのおかげだって。そんな恩人に仕事で注意することなんてできないってさ。あと、詳細は教えてくれなかったけど、折くん経歴が随分といいみたいじゃん? もっと給料や待遇がいい所で働けるはずだって。繋ぎで働きたいって言えばよかったかもしれないけど、本気で働いて社員になるつもりだったんだって? 店長も折くんの人生には責任を負えないってさ」


 そ、そんなに考えてくれていたのか。しかし、おれがあそこで働きたかったのだから気にせずに採用してくれてよかったのだが。いや、店長さんが無理ならどうしようもないか。


「そう。そんな理由があったのか。聞けてよかった。ありがとう、夜子さん」


 本当に。ただ漠然と人として何かが足りなくて不採用だったのなら、本気で死にたい気持ちが再燃するところだった。


「全然。単に報告しただけだし」


 夜子さんが顔の前で手を振りながら言う。

 いずれその手を下ろすと、夜子さんの口元にクレープの生クリームが付いているのが見えた。

 すぐに教えればよかったのだが、なぜか少し見つめてしまうことになってしまった。


「え? え? 何? 若い子と一緒にいて、なんかときめいちゃった?」


 何か勘違いされてしまったようだ。


「いや、口。口元にクリーム付いてる」


 そう言われた夜子さんが口元を指で拭う。クリームが付いた指をみて「あぁ」というような表情をして、指についたクリームを優しく舐め取った。


「若い子にときめかない。折くんは熟女がお好きですか」


 何だか随分と飛んだなぁ。確かに若い子は恋愛対象外ではあるが……。

 声を大にして言おう。男性は若い子が好きというが、人によると。

 おれは小さなころからずっと同じくらいの年齢の人が好きだ。

 あれ? 夜子さんからすれば、おれくらいの年齢の女性はもう熟女にあたるのか?


「まぁ、同じくらいがいいかな」


「ほほぅ。紹介しましょうか?」


 おれと同じくらいの年齢で紹介できる人がいるの? 交遊関係凄いな。


「いや、全然知らない人と関係を築けるほど社交的でもないから」


「もうすぐ来るから」


 人の話を聞こうか。

 え? ここにその人来るの? おれ問い詰められない? 若い女の子に何してるんだ! って。


 夜子さんがクレープを食べ終え、おれもその後すぐに食べ終わる。その時だった。


「あ、来た」


 本当に来たの? ど、どうしよう。落ち着け。別に悪いことは何もしていない。若い子とクレープを食べていただけ。……大丈夫なのか、それ。


「ん? あれ? 折じゃん」


 近づいて声をかけてきた女性には見覚えがあった。いや、見覚えどころではない。長い月日が経ってギャルメイクは落ち着き、十代のころの顔でもないが、すぐに分かった。忘れるはずはない。


 学生のころ、おれの心を救ってくれたあの子。秋野昼音あきのひるねさんがおれの目の前に立っていた。


「え? お母さん、折くんと知り合いなの?」


 ……今、なんと?

 お・か・あ・さ・んと聞こえた気がするが、気のせいだろう。


「知り合いも何も、高校の時の同級生だけど。何? あんたたち、どんな関係?」


 夜子さんがあの日の事件のことを主軸に、おれとのことを話していく。昼音さんは途中から席で空いている最後の椅子に座って聞いていた。



「あはははは。折、もらす一歩手前だったって? 何、その面白い話」


 おれには全く面白くないのだが。


「是非お母さんにはあの場で見ていてほしかったね」


 やめてくれ。

 そして、聞き間違いではないな。これは。


「あんたに関しては笑えないから。自分の安全を考えて動きな。何かあったら、私が泣くぞ」


 昼音さんの真剣な表情と言葉に、夜子さんがしゅんとする。

 この言って聞かせている感じといい、やはり間違いないのか。


「え、と、二人は親子ってことでいいのかな?」


「当たり前じゃん!」


 お母さんと呼び呼ばれ、何を今更と二人が声を揃えて言う。


 今まで濁してきたが、おれの年齢は今年三十九歳だ。同級生だった昼音さんも同じ。夜子さんは夜勤ができる年齢を考えれば、十八歳以上。高校を卒業してすぐに働いたとして、今年十九歳としよう。昼音さんは二十歳で夜子さんを産んだことになる。

 ない話ではないが、自分の同級生に成人している子供がいるなんて思いもしなかった。だからこそ、夜子さんが昼音さんに似ていたとしても、親子だなんて思わなかったのだ。


「じゃあ、昼音さんは今、百鬼なきり昼音さんなんだ」


 百鬼という人と結婚したのだろうから、そのはずだ。


「違うけど」


 はい?

 昼音さんの言葉に、わけがわからなくなる。


「お母さんは今、一人だよ。折くん」


 夜子さんが、耳打ちをするように手を口元に添えてやや小さな声で言う。

 明らかに昼音さんにも聞こえていると思うのだが、昼音さんはそれを無視して続ける。


「夜子が小学生のころ、夜子の父親とは別れてるんだよね。だから、今の私は秋野昼音。……誤解しないでね。夜子の親権は私。夜子は小さかったけど、名字は百鬼の方がいいっていうから変えなかったんだ」


 そういえば、子供はどちらの姓でも名乗れるとか聞いたことがあるな。


「秋野より百鬼の方がカッコいいもんねぇ」


 秋野夜子。百鬼夜子。どちらも素敵ですよ、お嬢さん。


「あ」


 そのお嬢さんが、何かに気がつくと立ち上がった。


「ごっめーん、お母さん。友達見つけちゃった。お昼一緒はキャンセルね」


「は? ちょっと」


 昼音さんの言葉も聞かず、夜子さんは友達と思われし人の所に行ってしまった。


「やっほー」

「あれ? ヤコじゃん。どうしたの?」


 何やら声が聞こえる。ヤコと愛称で呼んでいるところをみると、友達というのは間違いないようだ。

 少しだけその場で何か話していたが、すぐに二人で歩き始めてどこかへ行ってしまった。


 昼音さんと二人きりにされてしまった。

 とりあえず、何か話そう。


「別れてから、ずっと一人?」


「そう」


「大変だったでしょう? 一人で夜子さんを育てて」


「ううん。あの子は大人になるのが早かったから。いや、私が早くしちゃったのかな。父親と別れてからは本当にそうで、親子で暮らしてるというよりも友達と同居してるみたいな感じだったな。だから、大変なんてことはなかった」


 なんとなく、思い浮かぶ気がするな。さっきまでの二人を見ていても、親子を感じることもありながら距離感の近い友達のようでもあったから。


「ねぇ、あの子にお昼フラれちゃったんだけど、よかったら一緒に食べない? 安心して。無職にお金なんて払わせないんだから」


「いや、そんなわけには」


「駄目。今は預金を切り崩して生活しているんでしょ? どんどん減っちゃうよ。気にするなら、そうだね。折の新しい仕事が見つかったら、高級レストランにでも連れてってもらおうかな」


「高くつくことで」


 あの時のように他愛のないことで笑い合う。

 おそらくは、あの時のように昼音さんはおれが目の前にいるからこんな話をしているだけだろう。食事も相手がいないからで。

 でも、今はそれでいい。


「じゃあ、行こうか、折」


「そうだね」


 二人で立ち上がって、ランチへと向かう。

 差し当たっての目標は、そのランチでお腹を壊さないことかな。




 生きてまたあなたに会えたのなら、あの日に死ななくてよかった。

 生きてまだあなたと会えるのなら、もう少し生きていってみよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

急降下する爆弾 成野淳司 @J-NARUNO

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ