完全犯罪《パーフェクトクライム》

田無 竜

完全犯罪《パーフェクトクライム》


 とんでもないことをしてしまった。

 いや………………違う。

 私は正しいことをした。正しいことをしたんだ。

 だから、私は間違ってない。後悔する必要なんてない。


「…………血……」


 目の前には、横たわる中年の男が一人。

 私は手に付いた血を確認する。

 その血は間違いなくその倒れている男のものであり、出血の原因は──私のナイフ。


 ああ、そうだ。そうなんだ。

 私がこの男を殺した。殺したんだ。ナイフで一突きで殺したんだ。

 私に刺され、そもまま階段から転げ落ちていったこの男は、出血を止めるどころか衝撃で立ち上がることも出来なくなり、少しすると全く動かなくなった。


「……ッ」


 だから私はこの場から逃げた。

 逃げざるを得なかった。

 しかし、それに意味が無いということに気付くのは、ほんの数十分後のことだった──


     *


「君が犯人ですね? ユーリ・アンダーソン」

「……」


 男の名はシースケ・クロウホールド。

 ベレー帽を被ったトレンチコートの青年で、アジア系の顔をしている。

 彼は、まるで旧友を尋ねるかのような穏やかな表情で、私の前に現れた。


 豪華客船『飛鷹ひだかⅣ』。

 客として乗船していた私は、この船の中でまた別の客の男を一人、殺した。それがつい三十分前のことだ。

 だというのに、このクロウホールドという男は、当たり前のように私の部屋を訪ね、指を差してきた。


「……おい。どういうことだ? シースケ」


 どうやら困惑しているのは私だけではない。

 シースケとともにこの部屋に入って来たこの男は、警察のディルケン・ダルバーク。

 無精髭の目立つ背広の薄汚れた男だが、果たして何故警察の彼は、このクロウホールドという男を連れてこの部屋にやって来た?


「まあ、簡単な推理ですよ。ダルバーク警部補」


 そう言って人差し指を立てる。


「まず一つ。被害者が亡くなった時間、こちらの御仁は被害者と同様に席を外していらっしゃった。船上パーティの真っ最中だったのにです」

「いやだから、席を外していた人物が十数人いたから、まず誰から聞き込みをするかという話をしていたんじゃないか。何故お前は最初に聞き込みに来たはずの相手に、いきなり『君が犯人ですね?』とか抜かしたんだ?」

「犯人だからでしょうに」

「だから! 何故そう言い切れる!」

「その説明を、順を追ってしているところでしょうに」

「…………頭が痛くなってきた」


 ……緊張感がない連中だ。

 私はと言えば、既に手汗が止まらない。今にも窓から海に逃げ出したい気分だ。


「では二つ目。ユーリさん、君は……亡くなったドバイオ・ヘルベンスク氏と、ある特殊な関係にある。間違いありませんね?」

「……」


 駄目だ。震えが酷くて言葉を発せない。言い訳一つ思い付かない。というか何故この男は私とアイツの関係を……?


「ふむ。やはり間違いなさそうだ。以前にね、暇潰しにヘルベンスク氏の身辺調査をしたんだ」

「待てシースケ。その話は……」

「いやぁ彼には悪い噂が多くてですね。亡くなった後にこんなこと言うのは良くないですが、身から出た錆……という可能性を僕は考えたんです」

「……何?」

「ヘルベンスク氏は、ご存知の通り有力な資産家です。ですが、ただの資産家ではない。その裏の顔は……若者によろしくない葉っぱを売りつける、黒い組織の親玉です」

「……! それは……まさか、お前は尻尾を掴んだのか?」

「掴んでいたら連絡しています。ただ、彼を組織の親玉だと信じて、恨んでいる者がいるのは事実です。こればかりは覆そうもない」

「では……まさか……」


 ……この男……!

 私のことを……知っていたのか……!


「……被害者リストに、君の姉の名がありました。これもまた覆そうもない事実。ですよね? ユーリさん」


 そうか……だからこの男は、出会った時から私のことをファーストネームで呼んでいたのか。

 もしかすると、私がこの船に乗っていた理由も、もしかしたらこの男は勘付いていたのかもしれない。

 いやむしろ、この男と警察は、私と同じ目的でこの船に……。


「さて。ここまでは状況証拠と動機です。僕は君が怪しいと考えて、君から訪ねようとダルバーク警部補に助言しましたが……確実な証拠は、たった今発見されたのです」

「……」

「靴ですよ。ユーリさん。君は亡くなったヘルベンスク氏の遺体に近寄ったのでしょう。動揺していらっしゃった様ですが、血の付いたままの靴で部屋に戻るべきではなかった」

「……」


 ああ……そうか。そんな簡単な証拠か。

 私は初めて人を殺したことで、確かに注意を怠っていたらしい。

 もしも、最初からあの男を殺す計画を立てられていたら……。

 もしも、証拠が出ないように上手く立ち回れたら……。

 私は、完全犯罪を行えたのだろうか……?


     *


「…………え?」


 え? ど、どういう……どういうこと?

 おかしい。こんなことはあり得ない。

 あり得るはずが……。


「誰だッ!」


 怒鳴り声を上げてこちらに視線をぶつけてきた人物は──ヘルベンスクだった。

 そう、ここは、私がこの男を殺した船内地下倉庫。

 ああ、覚えている。

 階段の下に奴がいて、私に気付いた彼は階段を上がってこちらに向かってくる。

 私は奴が麻薬王だという証拠を欲しがっていたが、ここで失敗した。

 逃げるべきか、それとも隙を見て携帯しているナイフで刺し殺すか。

 当然後者を選んだのが私だ。何故なら、証拠など無くとも、この男が麻薬王であるのは、母国の全員が知っている事実だからだ。


「…………」


 そして、私はまた奴を殺した。

 時間が戻ったかのような感覚を味わったのは、きっと気のせいだ。

 私は殺意を抱いたその瞬間に、悪い方向に想像を働かせてしまっただけ。

 あの『探偵』に気を付けさえすれば、は成立するはず……!


     *


「君が犯人ですね? ユーリ・アンダーソン」

「……そん……な……」


 クロウホールドは当然のように現れた。

 私は階段を上がってきたあの男をただ突き落とし、その後に刺し殺した。

 自身の体に血が付かないよう、出血が酷くなる前にその場を離れ、死ぬまで見届けることもなかった。

 すぐにパーティ会場に向かえばバレないと考えたからだ。

 だが、このクロウホールドという男は、私が自室に戻ってからたったの三十分後に訪れ、先の台詞を吐いた。


「……おい。どういうことだ? シースケ」

「何故だッ!」

「!?」

「何故……何故私が犯人だと……」


 ああ、私はどれだけ馬鹿なのだろうか。

 こんな反応をすれば、もうダルバーク警部補も私を疑ってかかるだろう。

 いや、しかし……もう無意味か。


「まず一つ──」

「証拠は?」


 私は有無を言わせずに問いただした。

 何故かは分からないが、彼がこの後にする発言のうち、状況証拠と動機に関しては予想が出来ていた。


「……ナイフですよ。ユーリさん」

「え?」

「通常の客は、船内への刃物の持ち込みは基本的に禁止されています。ですが、ヘルベンスク氏を刺したナイフはあらかじめ船内に用意されている物ではなかった。切り口だけ見れば僕なら分かります。これはつまり、犯人は船内に何らかの特殊な方法で刃物を持ち込んだか、あるいは、昨日のこの船が主催するオークションで売られていたナイフを買った人物か……です」

「……私が買ったところを……見て……」

「もちろんです。オークションであのナイフを買った目的は、きっとヘルベンスク氏の出品物だったから……ですよね?」

「……」


 私は恐ろしいほどに馬鹿だった。

 何故犯人を特定出来る凶器を使ったのか。いや、最初は動転していたから仕方ないが……。

 そうだ。凶器を変えれば犯人は特定できないはず。

 状況証拠だけなら疑える人物はもっといる。

 完全犯罪は……まだ……出来る……はず……。


     *


「君が犯人ですね? ユーリ・アンダーソン」

「………………証拠は?」


 こんなことはあり得ないはずだ。

 だって、私は綿密に計画してあの男を殺したんだ。

 階段から突き落とすのはシミュレーション通りに出来ていた。頭から落ちれば死ぬと考えたのだ。何故か階段からアイツがどう落ちるか想像できたので、上手く落下死させられた。

 そう、最初はナイフで殺そうと思ったが、何故かそれだと失敗する気がしたんだ。

 今にして思えば、あのナイフはオークションで昨日買ったばかりの物だから、使うべきでないのは当然だ。というか何故今になってそこに気付くんだ私は。

 とにかく不思議な話だが、私は警察がすぐに遺体を発見して、私を容疑者だと睨んで聞き込みをしてくる気がしたので、すぐに気付かれる証拠は何も残さなかった。

 そう……残さなかった、はずなのに。


「ユーリさん。まだ気が付いてないんですか? ……衣服に彼の血が付いているのに」

「なッ!? そ、そんな馬鹿な! だって! アイツは階段から落ちて死んだはずで──」

「……どうして、ヘルベンスク氏の死因が落下死だとご存知なのですか?」

「……ッ!?」


 ああ……私はどれだけ間抜けなのか。

 でも仕方ない気がする。だって、人を殺すのは初めてなんだ。

 誘導尋問に簡単に嵌まるのは、それだけ精神状態が不安定だからだ。

 この『探偵』はそのことをよく理解している。

 いや……違うな。『初めてだから』とかは関係ない。

 人を殺して冷静でいられる人間は、きっともう心が死んでしまっている。

 復讐心でアイツを殺した私の心は、まだ死に怯え切っている生きた心なのだ。

 何度人を殺そうが、私がこの復讐心を殺さない限り、また何度もボロを出すのだろう。

 なら、私は……どうすれば……。


     *


「君が犯人ですね? ユーリ・アンダーソン」

「どうして……分かったんだ?」

「え?」


 クロウホールドは少しだけ驚いたような表情を見せた。

 実は私自身も自分の発した言葉に驚いている。

 だが、不思議ともう諦めがついていた。ああ、そうだ。私には、初めから殺人など向いてなかったのだ。


「……おい。どういうことだ? シースケ」

「……さあ? 分かりません。ダルバーク警部補」

「は?」

「少し席を外して頂けますか?」

「は? 待て待て。何故だ? どういう──」


 文句を言いたげな警部補殿を、この探偵様はとっとと部屋の外に追い出してしまった。

 この男、私と二人きりになって何か交渉でもするつもりか?


「……どうして、認めたんですか?」

「……さあ? しかし、今ならまだ逃げ切れる。私を逃がしたくなければ、とっとと確実な証拠でも見せてみろ」


 妙なことに、自暴自棄になると逆に頭が冷静になって、つい強気な態度を取ってしまう。

 少し立場が逆転しているようだが、クロウホールドはゆっくりと穏やかに語り出した。


「まず──」

「船上パーティに出席していた者は容疑者になり得ない。その時、私と奴は共に席を外していた。そして、私には奴を殺す動機がある。そこまでは良い。それで、証拠は?」

「……話が早いですね。まるで僕が何を言うか先読みしているかのようだ」


 実際何故か先読みできたから仕方がない。

 ……まあ、何故かは分からないのだが。


「……僕はカマをかけるつもりだったんですよ。君が犯人なら、人を一人殺しておいて、動揺を抑えられるはずがありませんから」

「……そうか。なら、私は無意味な自白をしてしまったのか……」

「まあ、そうなりますね」

「……分かった。まあいい。私を刑務所にでもどこにでも連れてくといい。いや、探偵の貴方の仕事ではないか。ダルバーク警部補を呼び戻さないと」

「いえ、その必要はありません」

「は? さっきはああ言ったが、私は逃げるつもりなんて……」

「だってそうでしょう? 君は────


 目が点の状態になった。

 この探偵の言っている意味が分からないのは今に始まったことではないにせよ、ここまで冷静でいられた私の心臓が、鼓動を激しく鳴らし始める。


「……毒殺ですよ」

「…………え?」


「ヘルベンスク氏の死因です。君は彼を階段から落としたかもしれませんが、それは直接的な死因ではありません。彼は……君が部屋に戻ってから死んだのです」

「ば……馬鹿なッ! そんはずが……そんなはずがない! だって! 私は出血多量で動かなくなったアイツを見ているんだ!」

「? 何を言っているんですか? 彼は出血などしていませんよ?」

「……ッ」


 そうだ。そのはずだ。そもそも私は、アイツを階段から落としてすぐ部屋に戻った。

 自分のやってしまったことが、後になって恐ろしくなったからだ。

 しかし…………何だ……? 妙な気分だ。


「……きっと、君は彼を落としたその瞬間、走馬灯のようなものでも見たのでしょう。丁度ナイフも持っていたようですし、それで刺した気にもなっていたのかもしれない。ですが、彼の死因は毒殺です。これは覆そうもない事実だ」

「……誰が……奴を……?」

「……あのヘルベンスク氏は、影武者です」

「え!?」

「君の母国を崩壊させた麻薬王は、彼を影武者にして警察の目を欺いてきていた。しかし、逆に影武者の彼が目立ち始めると目障りになる。だからこそ、麻薬王は彼の暗殺を命じた」

「そん……な……」


 ああ、そうか……そうだったのか。

 私は……本当に……結局何の意味も無いことをしていた……ということか……。


「しかしまあ、彼の打撲痕の理由が判明して良かった。暗殺者が二名いたとなると、話がややこしくなっていたところですから」

「……私は、殺人未遂罪ということになるのだろうか?」

「? 何がですか?」

「いや、『何が』ではなく、私の罪の話で」

「ふむ……何の話か分かりませんね。だって、僕は先程から言ってるでしょう? と」

「??? ………………────ッ!」


 探偵・クロウホールドは、悪戯っぽく笑ってみせた。

 彼はこのためにあの警部補殿を追い出したのか? いや、それともあの警部補とこの探偵は旧知の間柄に見えたから、実は既に話を合わせているのか?

 ……いずれにしろ、私の復讐はもうここで終わっておくとしよう。

 こんな男につけ狙われた麻薬王が、最終的に逃げ切れるとは思えない。


「……探偵、貴方はどうしてこの船に?」

「影武者の動向を追っていたのですよ。ま、毒殺の犯人は実はもう分かっています。そこから麻薬王の正体に辿り着くといいですが……」

「……自信が無いので?」

「敵は強大です。君も、一人で立ち向かうべきじゃなかった。どうです? 僕と組みませんか? 味方は多い方が良いので」

「……私に断ることは出来ないだろう。先程弱みを握ったばかりのくせに」

「おや? 何の話ですかね? とにかく、昨日のオークションでの君の手腕は興味深かった。試しに影武者にどう対応するかを確認させて頂きましたが……まあ、そちらの才能は無さそうだ。十分利用価値はありますがね」

「……は? 今何て?」

「目には目を。歯には歯を。ダルバーク警部補は優しい性格ですが、僕は初めからどんな手を使っても良いと思っていますので。ほら、相手が相手だし。ねぇユーリさん」

「……よくもまあ抜け抜けと……」

「フフ。とにかく、君のやったことは絶対に明るみにはなりません。結局組織の力を使うのが一番です。良いですか? これが──」


 探偵は、やはり穏やかに悪戯な笑みを見せる。


「完全犯罪の作り方です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

完全犯罪《パーフェクトクライム》 田無 竜 @numaou0195

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説