坐禅ガール

@notepi

第1話 坐禅がある

 いろはは、どことなく憂鬱だった。柄にもなく、通学路に咲いている花をしげしげと見つめて溜息をついたり、そうかと思うとまた浮かない顔で歩きだして、遅刻のことなど全く意に介していないようだった。明確に形のある不満はなかったが、わたあめのような、掴まえ所のない、ぼんやりとした不安に憑りつかれていた。思春期というやつだろうか。

 最近亡くなった猫のチビを思い出した。チビは、ぐったりと動かなくなって、物みたいに硬直していた。庭の木の下へ埋めたけれど、あの甘えた声が忘れられない。

 学校に行きたくない。明るい級友たちに囲まれて、愛想笑いをしている自分のことを想像すると、余計に行きづらくなる。先ほど通った道を、また引き返す。花を見つめる。どうやら気が付かないうちに、同じ花壇を行ったり来たりしていたらしい。七月の太陽は眩しくて、いろはの影は薄く延びていた。どうせなら雨でぐちゃぐちゃになりたいと思った。

 なんとか学校への時間を引き延ばしたくて、電柱に貼ってあるチラシを隅々まで読む。「円相寺 毎朝8時 坐禅会」というチラシを読んでいると、後ろから声がした。

 「お嬢さん、坐禅、興味あるの?」

 「え、ええ?」

 「最近の若い者にしては立派じゃな。立派なもんじゃ。のう?」

 「は、はい…」

 お爺さんが、顎でこっちへ来いと合図をして小道に入っていったので、彼女もついていってしまった。なんだか、知らない場所へ続いている気がしたのだ。彼女には少し空想的な部分があった。


 小道の先に少し長めの階段があり、そこを上ると小ぢんまりとした寺があった。自分の町にこんな場所があるなんて知らなかった。帰宅部のいろはは肩で息をしているが、お爺さんはさすがに階段に慣れていて、全く呼吸が乱れていなかった。いたずらっ子のように、すいっと寺の縁側へ移動し、パイプ煙草をスパスパと吸い始めた。

 「名前をきいとらんな」

 「あ、いろはと申します」消え入りそうな声で答える。

 「いい名前じゃな、ワシは沢木じゃ」少し目が細くなる。

 沢木は寺の住職らしく頭を剃っていたが、顎髭の手入れはしていないらしく、顎から伸びる白い髭がチャーミングだといろはは思った。

 「お爺ちゃん、制服着てる子連れて来ちゃダメじゃないの!」

 見覚えのある顔。確か隣りのクラスの……沢木さんだ。沢木あかりさん。

 「坐禅に年齢も性別も関係ありゃせん」

 「もうー。坐禅バカなんだから。ごめんね、いろはさん」

 急に名前を呼ばれてどぎまぎする。

 「そっか。喋ったことないもんね。いろはさんが友達に名前を呼ばれてる所見たことがあるから。でも、学校はどうしたの?」

 「学校はその…なんか行きづらくて…ごめんなさい」

 「あたしに謝られても困るよ!あたしも今日サボるつもりだし。それならさ、少し坐禅していかない?タダだし」

 眼を真っすぐに見つめられる。どうやって断ろうかと思案している間に、あかりは寺へさっさと入って行ってしまった。円相寺の中は、古い木の匂いがして心地よかった。

 

 沢木住職に教えられた通りに、足を組む。てっきり正座でやるものだと思っていたけれど、初心者はあぐらでいいと言われた。線香が1本燃え尽きるまでの間、つまり45分間、このまま坐っているらしい。

 薄く開いている眼から、沢木さんとあかりさんの背中が見える。二人共、背骨が鉄でできているみたいに真っすぐ坐っていて、実物よりも、大きく、凛々しく見えた。沢木さんからは、神々しささえ感じる。一方いろはの背骨はぐにゃりと曲がっていて、ちっぽけだった。

 夏風が吹いてきて、風鈴がチリーンと涼しい音をたてた。いろはの靄がかかったような心も、心なしか少し涼しくなってきた。

 


 

 

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