花火と煙草

雨虹みかん

お姉さんと私

 夏は煙の匂いがする。

 手持ち花火がジリジリと燃える。お姉さんが私を見る。いや、お姉さんが見ているのは私じゃない。花火だ。お姉さんは花火から出る緑色の煙を見ていた。

「帰らないの?」

「お姉さんこそ」

「私はいいの」

 お姉さんはそう言うと花火セットから線香花火を取り出し、先に火を付けた。

 私たちは小さな花火大会を見つめた。そして火の玉が地面にぽとりと落ちると、お姉さんは困った顔で静かにこう呟いたのだった。

「はは、私みたい」





 夏休み明け初日の学校の帰り道。中三の私はもう部活は引退したから真っ直ぐ帰宅すればよかったのだけれど、今日はなんだか寄り道したい気分だった。九月になったというのに外は暑い。夕焼けのオレンジ色で目が眩んだ。

 通学路から少しはみ出たところにある河川敷に着くと、私はベンチに腰掛けた。ちょうど日が沈むところだった。空を見上げると半分は夕焼け空で、もう半分は生まれたての夜空。

 ぼんやりとしていると、金髪のお姉さんに声をかけられた。

「君、ひとりでこんなところにいたら危ないよ」

「私、よく高校生に見られるので大丈夫です」

「ふうん」

 お姉さんは私をにやりと見つめた。

「なんですか?」

「お子様にしか見えないけどね。それに制服着てるし」

「なっ……」

 私が顔を赤らめて俯くと、

「今日だけ本当のお姉ちゃんのふり、保護者役するから」

 お姉さんが微笑んだ。


「何年生?」

「中三です」

「中三かー。私も君と同じ中学校に通っていたよ。七年前、君と同い年だった」

「君、って言わないでください。私、ミホっていうんです」

「じゃあ、ミホちゃん」

「……それはそれでなんか、照れる。お姉さん、七年前に十五歳だったってことは今は二十二歳ってことですか? 大人ですね」

「ミホちゃんよりは大人かもね。そうだ! 花火しようよ」

 お姉さんのそのキラキラとした眼差しは子どもみたいで、私はちょっぴり胸がどきどきしてしまった。

 

 お姉さんと近くのコンビニに行くと、お姉さんはコンビニで売ってる中で一番大きな花火セットを買ってくれた。

「なんか、お菓子買ってあげるよ」

 お姉さんがそう言うから、私はソーダアイスを選んだ。

「お姉さんはお菓子いらないの?」

「私はいいよ」

 お姉さんはそう言って笑うと、レジで何やら数字を唱えた。するとコンビニの店員さんがレジの後ろの壁から煙草の四角い箱を取り出した。お姉さんの財布は、私が雑貨屋で買った二つ折りのものとは違って大人っぽかった。長財布で、どこかで見たことのあるようなロゴが描かれていた。

「お姉さん、煙草吸うんですか?」

「うん」

「煙草っておいしいの?」

「さあ、どうだろうね」

 そんな会話を交わしながら私はソーダアイスを舐めた。再び河川敷に戻ると夏の虫が鳴いていた。


 夏は煙の匂いがする。

 手持ち花火がジリジリと燃える。お姉さんが私を見る。いや、お姉さんが見ているのは私じゃない。花火だ。お姉さんは花火から出る緑色の煙を見ていた。

「帰らないの?」

「お姉さんこそ」

「私はいいの」

 お姉さんはそう言うと花火セットから線香花火を取り出し、先に火を付けた。

 私たちは小さな花火大会を見つめた。そして火の玉が地面にぽとりと落ちると、お姉さんは困った顔で静かにこう呟いたのだった。

「はは、私みたい」

 お姉さんは、はーっとため息ついたあと、四角い箱から煙草を一本取り出しライターで火を付けた。そしてお姉さんの艶やかな唇が開くと、白い煙が空気を舞った。

 私はごくりと唾を飲む。

 お父さんが家のベランダで吸う煙草の匂いは苦手なのに。煙草の匂いに魅了されたのか、お姉さんの唇に魅了されたのかは分からない。だけど、お姉さんの口元から目が離せなくなったのは確かで。

「お姉さん、私にも一本ください」

 気が付けば私はお姉さんにそう言っていた。お姉さんは私の瞳をじっとみつめると、白い煙を吐き出しながら、

「子どもだからだーめ」

と私を茶化すように笑った。

「私、もう大人ですよ。十五歳」

「十五歳は子どもなの」

「大人です」

「子どもでーす」

 私たちはなんだかおかしくなって吹き出してしまった。お姉さんは笑うとき、子どもみたいな表情になる。

 その時、お姉さんのスマホの通知が鳴った。お姉さんはびくっと肩を震わせるとすぐにLINEを開いた。


「おい」

「どこにいるんだよ」

「誰といる?」

「早く帰ってこい」


 私は見てしまった。


「おい」

「おい」

「返信しろ」

「ふざけんな」


「殺すぞ」


 お姉さんの顔から血の気が引いていく。

「おねえ、さん?」

「ごめん、私そろそろ帰るね」

 まって。私はお姉さんの腕を強く掴んだ。

「いたっ」

 お姉さんがその場にしゃがみ込む。

 私が掴んだところを見ると、大きなアザがついていた。

「おねえさん大丈夫……?」

 お姉さんは、笑っているのか怒っているのか分からないぐちゃぐちゃになった表情で、

「私、もうわかんなくなっちゃった」

と泣き出してしまった。


 お姉さんには大好きで大切な人がいて、お姉さんはその人に殴られると言っていた。私はお姉さんの腕のアザを優しく、優しくさすることしかできなかった。無力な私は、やっぱり子どもなのだと思い知らされた。





 あれから四年が経ち、私は十八歳になっていた。今は大学一年生で福祉について学んでいる。福祉の授業であの日のお姉さんみたいな例を知った。お姉さんが傷ついていた背景には名前があること、そしてお姉さんの傷ついた気持ちは間違っていないということを学んだ。

 今ならお姉さんにどんな言葉をかけられるだろうか。私は十八歳。お姉さんは二十六歳。あの日のお姉さんの年齢にまだ達していないからきっとまた子どもだと笑われるだろう。

 だけど私は十八歳になって知った。あの日のお姉さんは、きっとまだ完全な大人ではなかったってことに。本当の大人ってなんなのか、まだ私には分からないけれど。

 私は四年前の夏のことを思い出しながら二限の教室に向かう。大きい階段教室のスクリーンに文字が映し出される。


『恋人からの暴力~あの日の私の腕のアザ~』


 スーツを着た黒髪の女性が教室に入ってきた。

 そして。


「DV相談支援員の山野です。本日はよろしくお願いします」


 そう微笑んだのだった。

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花火と煙草 雨虹みかん @iris_orange

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