あの夏の死体写真

馬村 ありん

あの夏の死体写真

 初めて人の死体を見たは高校生の時だった。二年生。僕は十七歳だった。


 誕生日に親からポラロイドカメラをプレゼントされ、写真を撮るのが好きになり、友人の顔写真を撮って回った。それに飽きると家の周りを撮った。それに飽きると今度は山間部へ撮りに行くようになった。

 地方都市というものは市街地から離れるとすぐ山間部に行き着く。特に、僕の出身地は日本アルプスのお膝元であったから、深い緑が身近にあった。


 その日はよく晴れていて、強く吹く風が肌に涼しかった。僕はキャンプ場にほど近い川べりを歩いた。

 水面に浮かび上がる川魚の姿を、川に遊ぶ鳥たちの姿をカメラに収めることができた。草むらからガサガサと音がしてリスが顔を出した。すぐに姿を消した。

 リスをカメラに収めようと、僕はけものみちを進んだ。木々の長い枝と丈の高い雑草に邪魔をされながら道を進んでいくと、開けた場所についた。


 藪を抜けた瞬間、人間が倒れているのに気づいた。髪の短い中背中肉の男性だった。微動だにしないその様子に心臓がドクッと高なった。急いで僕は駆けよった。

『大丈夫ですか』

 声をかけようとしてグッと息を飲み込んだ。男は全身の血が引いて青白く、あんぐりと口を開けていた。

 明らかに死んでいた。額についた茶色いものは固まった血だろうか。

 血。そう、死体には外傷があった。全身の至るところに。特に酷いのは右脇腹で、彼の身にまとったTシャツの色が変わるほどだった。

 見開かれた目には縦に割いたような傷が走っていた。目の違和感の正体に気がついた時、僕は昼に食べたハンバーガーを戻しそうになった。

 眼窩のなかにあったのは、眼球ではなかった。眼球はおそらく取り出され、代わりに黒々した面の粗い金属が収められていた。

 一体なんだ?

 誰がこんなおぞましいことをしたんだ?

 誰がなんのために?


 恐怖にすくみ上がる体に追い打ちをかけるように新たな真実が浮かび上がってきた。死体の置かれた草地の地面に、うっすらと白線が描かれていたのだ。それは正確な円で、ちょうど男を囲むように描かれていた。

 魔法陣。

 映画や小説でしかお目にかからない単語が頭に浮かんできた。

 間違いない。

 これは儀式殺人だ。

 僕はポラロイドカメラのシャッターを切った。証拠を撮って誰かに知らしめようとしたのだ。

 写真に撮像が徐々に浮かび上がっていく……。


 顔を向けた先から足音が聞こえた。生い茂る藪をかき分けて、何者かがこの場所に接近していた。木々の後ろに僕が身を隠したのと、連中が広場に入ってきたのはほぼ同時だった。

 木の影からそいつらの姿をうかがった。そこで僕は危うく悲鳴を上げるところだった。

 全身を赤く塗り込んだ異様な風采。黒墨のようなくまどりにふちどられた、黄色がちな目玉が、抜かりなく辺りに向けられていた。真っ赤な体を包むのは、歌舞伎の黒子が着るような服装だった。

 何者なんだ、こいつらは?

 ドッと背中に汗が吹き出した。

 とても嫌な感じがする。僕は昔話に出てくる鬼を想像した。

 儀式殺人の実行者は間違いなくこの男たちだ!


「やはりここは里の方に近すぎる。解体して持っていこう」

 男のひとりが言った。しわがれた声だった。その手には切れ味のよさそうな鉈があり、木漏れ日にキラリと刃が光った。

「儀式は急がれている。速やかに行うぞ」

 男は死体の腕に鉈の刃をあてがった。

 ぽきり。僕の背中が木の枝を折った。無意識のうちに背中を押し付けていたのだ。ごく小さい音だったのに、それは異様に存在感を持って響いた。

「誰だ!」

 男と目が合った。カスタードみたいに黄色く淀み、赤く血走った目が、僕に向いていた。

「捕まえろ!」

 男が叫んだ。

 僕は一心不乱に走り出した。木の枝に皮膚を引っかかれても、地面の石が足の裏に食い込んできても、ただひたすら男たちから遠ざかることを考えた。

 汗まみれで走った先にあったのはキャンプ場だった。そこに大人のグループがいたので、僕は訳を話すのだが、支離滅裂な言葉しか出てこなかった。大人は首をひねるばかりだ。

 そうだ。

 写真、死体の写真は。

 論より証拠だ。自分の撮った死体写真を見せれば、大人たちは僕の言いたいことを分かってくれる。

 ポラロイド写真はなくなっていた。

 逃げる途中で落とすかどうかして失われたのだ。

 その時、僕の背後からガサガサと音が聞こえた。あいつらに追いつかれたかと思いきや、姿を現したのは小さなリスだった。

 その後僕は逃げるようにその場を後にした。


 今になって見ると、あのとき見たものが幻だったのではという気がしている。

 非日常の世界は日常の世界とはあまりに遠い。

 夢だったのではないかと言われても否定できない自分がいるのだ。

 あの夏に置いてきた、あのポラロイドカメラの写真が証拠として残っていれば、いまだに僕は自分の正気を疑わなくて済むのだが。


終わり

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