蝉の鳴き声

クロノヒョウ

蝉の鳴き声





 私がそのカメラを拾ったのは中学生の頃だった。

 親友だった美保と夏休み、バスに乗って遊園地に遊びに行った時だった。

 遊園地の中にあるフードショップの前のテーブルに座って休憩している時、美保がトイレに行くと言って席を立った。しばらくすると私の目の前をたくさんの風船を持ったピエロが横切った。

「あっ」

 その時ピエロが小さな箱のような物を落としたのを見て私は急いで立ち上がりその箱を拾った。それはどうやらカメラのようだった。真ん中にレンズが、箱の上にはボタンがついていた。

「あの! これっ」

 そう言って顔を上げた時にはもう、ピエロの姿はどこにもなかった。

「どうしたの真梨恵」

「美保、ピエロが」

「ピエロ? どこに?」

「わかんないけど、これを落としていったの」

「何それ、カメラ?」

「そうみたい」

「ねえ、ちょっと撮ってみてよ」

「ええっ」

「カメラかどうかわかんないしさ、そのボタン押してみようよ」

「う、うん」

 私は不安に思いながらも美保に言われるがままカメラを美保に向けた。

「撮るよ」

 そしてボタンを押した瞬間だった。

「美保?」

 美保の姿は一瞬にして消えていた。残ったのはカメラから出てきた美保の姿が写った写真。

 それから私は遊園地の従業員に助けを求め美保を探してもらった。閉園までたくさんの人たちが美保を探してくれたけど美保は見つからなかった。何度もピエロの話をしたけれど、ここにはピエロなんていないと言われるだけだった。美保の両親と警察が来ていろいろと聞かれたけれど、もうこれ以上何も話すことはなかった。

 それから五年という月日が流れた。

 美保のことを思いながらも私は中学校を卒業し高校を卒業し大学へと進学した。大学へは実家から通っていた。なんとなく、地元を離れられなかったからだ。

「真梨恵! 大変よ!」

 家に帰ると母が血相を変えていた。

「美保ちゃんが、美保ちゃんが戻ってきたって!」

 話によると美保は突然あの遊園地のあのフードショップの前に姿を現したそうだ。

 後日私は母と一緒に美保の家にお邪魔した。

「美保!」

「……真梨恵?」

 美保はあの頃の、中学生の頃のままの姿をしていた。そして美保の五年間の記憶はなく、美保は何もなかったという。私と一緒にいたと思うと周りの景色が変わって私がいなくなっていたそうだ。幸い五年前にもそこで働いていた従業員の方が気づいて警察に連絡してくれたそうだ。

 美保にとっては何も変わっていないだろうが、私はもう大学生で環境もずいぶんと変わった。そんな私と美保が以前のように仲良くできるわけもなく、美保とはそれから会っていない。美保は中学生からやり直すということだった。

 思えばあの遊園地に行った日も美保が戻ってきた日も同じ日付けだった。そのことから、このカメラで撮って消えた人は五年後の同じ日に同じ姿で同じ記憶を持ったまま戻ってくるということがわかった。私は大切にとっておいた、あの日の美保の写真をアルバムから取り出した。思ったとおり、写真の中の美保は消えていて真っ黒だった。

 大学も無事に卒業し社会人になった今、私には後悔しか残っていなかった。

 美保が消えてからしばらくは、気味が悪くてこのカメラは机の引き出しにしまったままだった。なのに私は高校三年生の夏、このカメラを使ってしまったのだ。

 あれは本当に一時の気の迷いだった。ずっと美保が消えたのは自分のせいだと責任を感じていたし美保のことを思うと頭がおかしくなりそうだった。そんな時に友だちから紹介され、自暴自棄になっていた私は出会い系サイトで何人かの男の人と関係をもった。その中の一人に私はしつこく脅されていた。付き合わなければ親と学校にばらすと言われストーカーのように付きまとわれた。今思えば高校生に手を出したほうが悪いのだが、当時の私がそんなことを知るはずもなかった。だから私はこのカメラでそいつを撮った。そいつを消した。なのに五年で戻ってくるなんて。しかもそいつの記憶は以前のまま。もしも戻ってきたら真っ先に私のことを探すだろう。そして他にも……。

 もうすぐその夏の日から五年が経とうとしている。

 私には今、真剣にお付き合いしている人がいる。人生で初めて心から愛した人だ。彼にだけは私の汚い過去を知られたくない。私の過去を知ったら彼はきっと私に愛想をつかすだろう。彼だけではない。今まで出会った人たちもきっと。そんなもの耐えられない。

 私は引き出しからカメラを取り出した。そしてもう一つ、鍵のかかった引き出しを開けた。

 そこには今までこのカメラで撮った人たちの写真が何十枚も重なりあっていた。

 私はなんてことをしてしまったのだろうか。もうどうすることもできなくなった私はカメラを自分のほうへ向けた。

 シャッターを押す瞬間、私の耳に蝉の鳴き声が聞こえた。目を閉じると、あの日のピエロが私を見て笑っていた。蝉の鳴き声はいつの間にかピエロの笑い声へと変わっていた。



           完






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