第三回 若き獅子の遍歴

1、アレクサンドロスという名前

 物語は、一度父から子へと移る。なにしろ彼が主人公なのだから。


 夫のフィリッポス二世が戦場を駆け回っている一方で、妻オリュンピアは王都ペラにて赤子の誕生を待っていた。オリュンピアはこれから生まれてくる子供が男の子であると確信していた。なにしろ予言があったのである。


 それは、結婚して間もない頃の話である。フィリッポスは寝床で夢を見ていた。その夢で、我が妻のお腹に獅子の意匠が浮かび上がっているのだ。まるで封印でもされているかのように。


 朝起きたフィリッポスはこの夢をどう捉えるべきか、予言者たちに相談したのである。多くの予言者たちはこの夢を良くないものと考え、用心することを助言した。しかし、一人だけは違った。


 希代の予言者アリスタンドロスは言う。封印しているからには、おそらく腹の中に誰かがいるということでございましょう。お喜びください、王様。お后様は妊娠しておられます。きっとその赤子は勇敢で獅子のような子であることでしょう。


 彼の言うとおり妻は妊娠していたのである。


 紀元前三五六年七月三〇日、オリュンピアスの希望通り男の子が産まれた。

 吉報に聞きつけたフィリッポス二世は、大いに喜んだ。なにしろ待望の男の子であるからだ。この子こそが、我がマケドニア王国を引き継いでくれるに違いない。


 さて大事な未来の国王陛下にならせられる男の子の名前はどうするか?

 フィリッポス二世の中では、すでに決まっていた。息子の名前は、アレクサンドロスにしようと。


 その名前に決めたのには、ちゃんと理由がある。

 アレクサンドロスが生まれた年に幸運にも、オリュンピア大祭にてマケドニア代表が戦車の競技で優勝したのである。


 オリュンピア大祭と聞いて、ぴんとくる方もいるだろう。今日ではオリンピックの名で知られている。元々ギリシアで行われた競技大会にして、神々に捧げる祭典であった。


 この大祭の出場は、ギリシアの一員として認められたということ。競技大会で優勝したということは、ギリシア男性の羨望を浴びたということ。半ば野蛮な国としてみられていたマケドニアにとって、これほど嬉しいことはなかった。


 マケドニアが初めてオリュンピア大祭に参加できたのは、百二十年前。当時のマケドニア国王自ら参加したのが始まりである。王の名前は、アレクサンドロス。


 オリュンピア大祭に優勝した年、その祝福の名の下に息子の名前をアレクサンドロスと名付けたのである。


 ちなみに、このとき妻の名前もミュンタレからオリュンピアスに変わっている。どれほど優勝が嬉しかったか、その喜びが現れている。


 さてアレクサンドロスという名前は、母にとっても無関係ではなかった。母の弟の名前もまた、アレクサンドロスであった。


 アレクサンドロスは、トロイの王子パリスの別名である。英雄アキレウスの血が流れるモロッソイ王家生まれの彼女にとっても、息子の名は特別なものであった。


 戦争で忙しい父の代わりに、息子を育てたのは母であった。

 もちろん愛情をこめて育てたの間違いない。しかし悲しいことに、彼らがいる環境は普通ではなかった。


 マケドニア王国は、一夫多妻制の国である。オリュンピアスは、四番目の妻であった。だからといって、日本のようにこの時代のマケドニアには正妻と側室という区別はまだなく、必ずしも王位を継ぐのは長男という決まりもなかった。


 王位を決めるには有力貴族たちの支持が必要であり、時に王位継承を巡り国内で激しく対立しあう。

 状況に左右されやすい王家で母オリュンピアスと息子アレクサンドロスは運命共同体の仲であり、並々ならぬ愛を注ぎこんだのであった。


 母から受け取ったのは、なにも愛だけではない。血筋もまた、脈々と受け継いでいた。

 少年アレクサンドロスには好きな詩がある。それは、“イーリアス”というトロイア戦争をうたったホメロス著作の叙情詩。母方の先祖アキレウスが主人公なのである。


 私たちにとっては神話であっても、彼らにとっては歴史である。少年アレクサンドロスにしてみれば、半神半人のアキレウスは実在しているのだ。


 自分のご先祖様アキレウスが、いかに文才ホメロスが語られる詩で八面六臂の活躍をみせ、悲しすぎる死を迎えたのか。イーリアスを聞くたびに、胸をわくわくさせたり締め付けられたりとアレクサンドロスを魅了させた。


 人は神になろうとしないが、英雄にはなれる。少年のあこがれは、先祖アキレウスであり、彼のようになることであった。

 父方の血筋にはヘラクレス、母方の血筋にアキレウスという二人の英雄の血をひくアレクサンドロスの目の色は左右で異なり、オッドアイの瞳は輝いていた。


2、もう一人の父

 英雄に夢中な少年アレクサンドロスであったが、いつまでも夢を見ているわけにはいかない。


 戦争にかかっりきりで王宮にめったにいない父であったが、息子の教育に気を配っていた。なにしろ自分も幼少時代テーバイでの海外留学がなければ今のような強固なマケドニアは生まれなかったのだから。


 養育としつけ係はレオニダス、文法の教師にはポリュネイケス、音楽の教師はリムナイ出身のレウキッポス、幾何学の教師はペロポネソス出身のメンムノス、弁論術の教師はアナクシメネス、そして哲学の教師にはスタゲイラ出身でニコマコスの子アリストテレス。


 数多の教師の中でリーダーは、厳格なレオニダスが務めた。彼は母の親戚であり、たとえ王子であったとしてもアレクサンドロスに容赦しなかった。


 しつけ係としてレオニダスは、王子の部屋へきては、ベッドや衣服の箱をあけて検査する。そのわけは、母が息子のために好物とか贅沢品を送ってきていないかどうかをいつも調べていた。


 やかましい委員長のような養育係だが、彼は日常生活だけでなく食事でさえ注意をむけていた。レオニダスは、王子のために立派なシェフをつけるほどだ。シェフの料理が美味しいので、アレクサンドロスとしても文句ひとついえなかった。


 一方でアレクサンドロスも小うるさい養育係にやり返したりもしている。


 神への儀式の際に、アレクサンドロスは両手でお香をつかんで焚いたことがあった。お香は東方からの輸入品であり、贅沢品であった。もちろんこれをみたレオニダスは悲鳴をあげそうになる。


「王子がお香の産地を征服なさった暁には、そんな風に贅沢にお香をお焚きになられてもよろしいかと存じます。しかし、今お手元にある品は大切にお使いなってください」


 そのことを覚えていたのだろう。アレクサンドロスがお香の産地を征服した時に、大量のお香をレオニダスに贈っている。「あなたが神様にお香をケチっているだろうから、大量にお送りしました」という手紙も添えて。


 私生活の面でレオニダスが教育した一方で、心の育みや知への渇望という面で多大なる恩恵を与えたのは、哲学者のアリストテレスであった。


 アリストテレスの父は先代アミュンタス三世のかかりつけ医であった。その縁もあって、プラトンの学園アカデメイデの卒業生にして哲学者の中で最も学識ある彼を、父は招いたのだ。


 しかし父は、息子の性格が頑固そのものであり、強制だと反発する。気骨心のある息子とほめたたえたいが、苦労もたえない。一方でちゃんと筋が通っていれば言うことを聞いてくれるのだ。父は命令するよりも説得しようと試みた。


「父親の私から王国を継ぐという思いではいけない。お前には自分の力で王国を建てる思いでなければならない。それにはアリストテレスの教えをちゃんときいて、哲学を学ぶといい。私は時に自分のやった行為を後悔することがある。お前には将来そういうことのないようにすべきだ」


 父は息子にそう告げた。


 哲学を学ぶということはギリシアにおいて、自身を磨くことであり、国家を治める帝王学と考えられていた。ゆえに最も信頼していたアリストテレスに王子の教育を任せたのである。


 ミエザ近くのニンフの聖域のもとで偉大なる先生の教育を少年アレクサンドロスは三年間学んだ。


 アリストテレスは一哲学者だけではなかった。論理学、物理学、天文学、気象学、動物学、植物学、形而上学、倫理学、政治学、文学、弁論述学、科学、医学、詩学、演劇学といった学問を分類し、それらの体系を築いた万学の祖と呼ばれるギリシア最大の学者である。


 彼は、知を得るというよりも知を愛するがごとくどん欲に求めた。その知への愛は、生徒アレクサンドロスへのそそぎ込まれる。


 彼が読書好きになったのは、アリストテレスのたまものだろう。その証拠に、先生が校訂した「小箱のイーリアス」と呼ばれる本を携え、短剣と一緒に枕元において眠ったという。


 この学生時代、アレクサンドロスにとって充実したものであったのだろう。特にアリストテレス先生には感謝している。後に「生きていることは父のおかげだが、よく生きるようになったのは先生のおかげだ」と言っているほどである。


 学生といえば、学びの園ミエザでアリストテレス先生のもとで学んだのはアレクサンドロス一人だけではなかった。他にも生徒たちがいた。王の友と呼ばれる者たちが。


3、王の友

 ミエザはアレクサンドロスだけでなく、マケドニアの貴族の子供たちにとっても寄宿学校のような場所であった。十代なかばから数年間王の身近に仕え、王に対する忠誠心を鍛え上げていく。


 プトレマイオス、カッサンドロス、リュシマコスなどミエザ教室の生徒の多くがアレクサンドロスの友人であり、将来の将軍として成長していく。


 友人たちの中で群を抜いて最も仲が良い人物は、ヘファイスティオンという名の少年であった。彼は親友アレクサンドロスとともに育ち、互いに秘密をすべて共有するほどの仲であった。


 アレクサンドロスが好きなイーリアスには、パトロクロスという人物が登場している。彼は、少年時代人を殺してしまった罪で故郷を追放され、父の縁を頼って、ペレウスのもとで居候となった。


 このペレウスこそ、アキレウスの父親である。パトロクロスは、最初アキレウスの従者として仕えていたが、共に過ごすうちに二人は親友となったのだ。


 もちろんアキレウスを尊敬しているアレクサンドロスにとっては、自分とヘファイスティオンの仲をアキレウスとパトロクロスの仲と一緒だと喜んだ。それほどもまでに、ヘファイスティオンは唯一無二の親友と言っていい。


 このミエザに通う生徒たち以外にも、アレクサンドロスには友人がいた。それは、人間ではない。馬であった。


 ある日テッサリアの商人がフィリッポスのもとへと訪れた。テッサリアといえば、名馬の生産地として有名である。もちろん商人が持ってきた商品は、馬であった。


 馬の肩に牡牛の頭の烙印があったことからブーケファラス(牡牛の頭)と名付けられた馬を、商人は十三タラントンで売ろうとしていた。


 一タラントンさえあればお金持ちと言われる。金山で儲けたフィリッポスだけれども、馬一頭に十三タラントンは破格である。しかし見るからに立派な馬であることがわかる。そこでフィリッポスは試乗することにした。


 しかしブーケファラスは誰も乗せようとせず、後足で立ち上がり、かたくなとして拒否をした。これにはフィリッポスも買おうとしなかったが、たまたま居合わせたアレクサンドロスが嘆くように父に申した


「気性が荒いからと、これだけの馬を手放すなんてもったない」


 その言葉にフィリッポスは黙っていたが、アレクサンドロスが馬に乗ろうとした人々にあれこれ言ってるのを見て、さすがにむっとした。


「あまり無茶を言うな。お前ならアレにうまく扱えると言うのか」


 アレクサンドロスはにこりとほほえみ、「そうですよ」と答えた。傲慢不遜な息子に鼻で笑うも、じろりと目を向ける。


「そこまで言うのならばやってみろ。しかし、もしもできなかったら罰を与える」

「結構です。できなかったら代金は私が払いますよ」


 突然の勝負に周囲がわく。王か王子か。どっちが勝利するか見物であった。


 アレクサンドロスはすぐに馬のもとへ駆け寄り、手綱をとって馬を太陽の方へと向ける。馬の影が前から後ろへとうつりゆく。王子は早足で進む馬と併走しながら、軽くたたいて落ち着かせた。


 だんだんと冷静になっていく馬を見て静かにマントを脱ぎその背へとしっかりとまたがった。


 周りの人々は最初はらはらしながら黙っていたが、王子が見事じゃじゃ馬を乗りこなすのを見て歓声を上げる。


 馬が暴れていたのは、ゆらゆらと動く自分の影にビビっていただけであることアレクサンドロスは見抜いていたのだった。


 歓声わき上がる人々の元へと笑いながら戻っていくと、父が彼に向かって「おお、我が子よ、お前にふさわしい王国を捜すが良い、マケドニアにはお前の居場所がない」とほめたたえたという。


 このエピソードが本当にあったかどうかわからない。しかし、ブーケファラスは王子にとって戦場の友であるのは間違いない。戦場のすぐそばに、常にこの名馬の影があったからである。


4、大王への一歩

 父の人質生活とは異なり、息子は恵まれた環境のもとですくすくと育っていった。あれほど小さかった赤ん坊が、いつの間にか立派な青年へとなったものだと、父も感心したのだろう。アレクサンドロスが十六の年を迎えたときのことである。


 相も変わらず王フィリッポス二世は戦に明け暮れていた。王が不在の間、マケドニアの国政をまだ若い息子に託したのだった。もうおまえなら大丈夫だとばかりに、王国の意志決定を承認する玉璽を彼に与える。


 そんな父の期待に答えようと、アレクサンドロスもはりきる。しかし王の期待に反して王子をなめてかかる者たちがいるのも確かであった。


 隣国トラキアに、マイドイ族と呼ばれる部族が住んでいる。マケドニアからも近く、たびたび戦争を繰り返してきた仲である。そんなマイドイ族であるが、今王国を治めているのが息子のアレクサンドロスだと知るとすぐさまにマケドニアを攻撃した。


 恐ろしいのはフィリッポスであって、十六歳の若造なんぞ怖くはないとマイドイ族はそう思ったことだろう。しかし、アレクサンドロスは初陣にも関わらず彼らを見事撃退した。そればかりだけではない。逆に彼らの都市を占領するまでにいたる。


 マケドニアを支えるのは何も父だけでない、私がいる。ギリシアに宣言するように、占領した都市に各地からの住民を集めて、父に倣いアレクサンドロポリスと名付けた。


 この頃からアレクサンドロスにとって、父は追いかける存在ではなかったのだろう。もちろんマケドニアを強くした偉大な父であったが、それ以上に父は息子にとってのライバルであった。そのことを示すエピソードがひとつある。


 王子は王都にいながら父の便りを聞く。有名な都市を攻め落としたとか、噂に聞く戦いで勝利したとか。もちろん王国にとって喜ばしいことであったが、王子の顔はどこか浮かない様子。


 どうして喜ばないのだろう。アレクサンドロスの友達は不思議に思う。それを察してか、彼はその答えを話してくれた。


「なあ君たち、父上は戦場の名誉を何もかも先に取ってしまわれる。私には何一つ下さらないのだ」


 彼にとって勝利による富や快楽は二の次であった。それよりも自分の名が広く知れ渡ることにこそ、彼にとって最高の栄誉であるのだ。


 父から受け取るものが多くなれば多くなるほど、自分で勝ち取る成功がそれだけ少なくなると考えてしまう。


 憧れは英雄アキレウスであって、父は大いなる壁である。英雄は富や贅沢を求めない。戦闘、戦争、名誉。アレクサンドロスはそう望んでいた。


 その願いがすぐにかなうことなった。


 紀元前三三八年八月二日。

 場所は、キフィソス川沿いの谷の町カイロネイア。


 三万二千ものマケドニア兵とともに、アレクサンドロスは立っている。彼の瞳の先には、アテナイとテーバイの同盟軍三万五千。


 若き獅子が歴史の表舞台へと乗り出すカイロネイアの戦いが始まる。

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戦術の七英雄 板橋閑古 @itabashikannko

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