第二回 王が生まれる

1.兄の弔い合戦

 マケドニア王国国王フィリッポス二世は、先のイリュリア人との戦いで四千もの兵を失ったが、テーバイでの人質生活の経験を活かして、見事マケドニア軍を再建した。


 国内の政敵を下し、残る敵は兄の仇相手であるイリュリアだけであった。


 もう一つの脅威であったパイオニアにはどうしたのかと思うだろうが、幸運なことにパイオニアの王アギスが亡くなっていたのだ。

 パイオニアとは金品などの贈り物で懐柔していたが、それももはや必要とないとばかりに、フィリッポス二世は機を見るに敏のごとくパイオニアに進軍し、マケドニアに服従させていた。


 ゆえに、イリュリアとの戦いに注力できるというわけである。


 しかし相手は、大敗させられたイリュリアである。西方の蛮族たちに俺たちが勝てるのか、そういう気持ちが兵士たちの心の中にあったことだろう。


 そんな兵士たちの前に、王は立ち、雄弁を振るう。


「今までマケドニア人に欠けていたものは勇気ではない。王が欠けていたのだ」


 その言葉に兵士たちが思い浮かぶのは、アテナイの傭兵を率いたアルガイオスの反乱軍との戦いであった。我々は王のもとであのアテナイの傭兵に勝利したのだ、負け続きだったマケドニア軍が勝利したのだ。勝利の経験が、王の言葉の真実性を証明している。


 かくして一万の歩兵部隊と六百騎の騎兵を率いて、西方の地イリュリアへと進軍した。



 マケドニアの進軍を聞きつけたイリュリアの老王バルデュリスは、フィリッポスへ使者を送る。もちろん和平交渉のためである。


 その和平交渉の内容というのは、これまで我々が勝ち取った君たちの土地はそのまま我々が今後も治めつづけようというようなものであった。


 この内容はつまり、我々と戦っても君たちはどうせ負けて領土を失うだけなのだから現状維持で満足しなさいとも捉えられる侮辱した内容であった。


 もちろんフィリッポス二世は、これを受け入れるはずがなかった。平和はもとより望んでいるが、君たちが我々の町々から出ていかない限り平和は訪れない。フィリッポス二世は徹底抗戦を主張して、使者を送り返した。


 先の戦いの大敗を忘れたのかとばかりにイリュリアは、一万の歩兵部隊と五百騎の騎兵をもってマケドニア軍と衝突する。


 紀元前三五八年、エリゴン渓谷の戦い。


 ギリシアの歴史家ディオドロス・シケリオテスがこの戦いに関する記録を残している。


 マケドニアとイリュリアの両軍が接近し、大声で叫びながらお互いの兵士たちが激突した。


 右翼を率いるフィリッポス二世は、騎兵へと指揮を飛ばす。蛮族の陣を抜けて側面から攻撃せよ。


 その一方で王自らがマケドニア軍の精鋭部隊とともに正面から敵に襲い掛かり、激しい攻防が繰り広げられる。


 負けてなるものかとイリュリア軍もまた、隊列を組んで勇敢に戦いへと加わる。


 両軍の並外れた勇敢さにより、多くの死者とさらに多くの負傷者が出、戦況は兵士たちの勇敢さに常に左右され、一進一退を繰り返し長い間戦いは均衡していた。


 しかし、フィリッポス二世が命じた騎兵がイリュリア軍の側面へと突撃する。この騎兵の攻撃によってイリュリア軍は瓦解し、敗走せざるを得なかった。


 この戦いによって、イリュリア人は約七千人が亡くなったと言われている。

 マケドニア軍の大勝である。


 エリゴン渓谷の戦いの勝利によって、イリュリア人をマケドニアから追い出すだけでなく、リキニティスの湖畔までマケドニア王国を広げることができたのだった。


 フィリッポス二世は盛大な戦勝祝賀の会を催した。勝利の美酒を浴びながら、さらなる野望をその心のうちに秘めていた。


 イリュリア人を破った翌年、フィリッポス二世は結婚する。お相手は、エペイロス王ネオプトレモスの娘。


 彼女の名前は、ポリュクセナ。後に、オリュンピアスと呼ばれている。


2.オリュンピアス

 ここで、一度王妃となるオリュンピアスの生い立ちについて語っていこう。


 オリュンピアスの生まれたエペイロスは、彼女の父ネオプトレモスを長としたモロッソイ王家が統治している。


 モロッソイ王家には、ひとつの伝承があった。


 はるか昔、およそ八百年前の紀元前一二〇〇年頃の話である。


 かつてギリシアが二分するほどの大戦争が起きていた。その戦争は、後にトロイア戦争と呼ばれている。


 きっかけは、トロイアの王子パリスがスパルタの王様から妻ヘレネを奪い取ったことから始まったとされる。


 この男女を巡る愛憎劇はギリシア全土を巻き込み、十年にもわたる長き戦いとなっていた。 


 長引く戦争の中で、ギリシアの英雄が生まれた。英雄の名前は、アキレウス。根は心優しいのだが、一度怒れば誰も止められないほどの凶暴さを兼ね備えていた強き兵であった。なにより、彼は不死身の体を持っていた。


 そんな彼にも唯一といっていい弱点があった。


 それは足の腱である。英雄の終わりははかなく、相手が放った矢がその弱点に刺さり、アキレウスは命を落としたのだった。


 しかし、話はここで終わらない。アキレウスが死しても、彼の息子は生きていた。


 アキレウスの息子であるネオプトレモスが戦後エペイロスへと赴き、王となったのだ。

 そして彼の三番目の子供モロッソイが王位を継ぎ、モロッソイ王家が開かれた。


 我々には英雄アキレウスの血が流れていると、モロッソイ王家は信じている。遠き昔の英雄とのつながりを示すように、エペイロスの王は子供たちにアキレウスとゆかりのある名前をつけている。


 オリュンピアスの幼名であるポリュクセナも、またアキレウスと関係していた。一説によれば、ポリュクセナはアキレウスの恋人であったと言われている。


 このようにモロッソイ王家とアキレウスは密接に結びついていた。


 彼女の出自について軽く紹介したところで、今度はフィリッポス二世とオリュンピアスにまつわる一つのラブロマンスを紹介したい。


 ギリシアに包まれたエーゲ海に浮かぶ数ある島の一つに、サモトラケという名前の島がある。島を両断するかのように山脈が東西に走る緑豊かな島であった。


 この島は、豊穣にして航海の神カベイロスをまつる秘儀信仰で有名であった。カベイロスの密議には、トラキアやマケドニア方面から多くの信者が訪れている。


 その中の一人に、フィリッポスがいた。当時のフィリッポスは両親を失ったばかりの若者であった。神にすがりたい思いでカベイロスの密儀に入信しにきたのかもしれない。


 白い大理石のサモトラケ神殿の石碑には、入信の儀式を済まさざる者この中に入るべからずという文字が刻まれている。フィリッポスは、意を決して神殿へと一歩踏み入る。そこで一人の少女と出会ったのだった。


 彼女こそオリュンピアスであった。


 当時の名前は、ミュルタレ。密儀の入信とともに名前を変えていた。

 ミュルタレの意味は、白き花のギンバイカ。花言葉は高貴な美しさ。花言葉に負けないほどの彼女の美貌に、フィリッポスは恋に落ちてしまう。


 その後彼は、オリュンピアスの後見人であるアリュッバスに頼んで、婚姻の約束をしたという。このような愛の物語が後世で語り継がれている。


 もちろんフィリッポス二世とオリュンピアスの結婚は、そんなラブロマンスの恋愛結婚ではなく、実利のある政略結婚である。しかし、その実利とは何か?


 モロッソイ王家とマケドニア王国には共通の敵がいた。それがイリュリア人であった。


 エリゴン渓谷の戦いで大勝したとはいえ、西方の脅威は完全に去ったとはいえない。


 敵の敵は味方という言葉があるように、モロッソイ王家とマケドニア王国は手と手をとりあうことにしたのだ。

 それこそが二カ国間の同盟であり、フィリッポス二世とオリュンピアスの政略結婚だったというわけである。


 紀元前三五七年、深き森の地マケドニアにてフィリッポス二世とオリュンピアスは結婚をした。


3、王の町

 国内外の敵を排し、妻をめとり、国民の羨望を浴びるフィリッポス二世であったが、新たな悩みに頭を抱えていた。


 その悩みとは、お金である。軍事改革で大きくなった軍隊の維持費や、さらに先の戦いで国庫のお金が大幅に減っている。

 戦争とはかくも湯水のごとく金を費やすものかと、フィリッポス二世はため息をこぼした。


 マケドニアの農産や余りある木々では軍費をまかないきれないと思ったフィリッポスは、次なる戦略を思案する。


 答えはシンプルであった。お金がなければ、お金を増やせばいい。


 幸運なことに金の生る木はすぐに見つかった。それは、かつてアテナイが欲していた港町アンフィポリスであった。


 アンフィポリスには、三つのメリットがある。


 マケドニア王国と隣国トラキアの間に流れるストリュマン川。その川沿いにある重要な戦略拠点がアンフィポリスであり、アンフィポリスは下流の渡河地点を支配しており、隣国トラキアとの交通路となっていた。つまりトラキア侵攻への足がかりとしても重要な場所であった。


 二つ目は、アンフィポリスは港町である。海を渡って経済を活性化させて国庫を潤しうる貿易の町であるのだ。


 三つ目は、アンフィポリス近郊にはパンガイオンなどの金銀鉱山がある。アンフィポリスは、この鉱山地帯を支配している。つまりアンフィポリスを獲れば鉱山がおまけでついてくるというわけである。


 もちろんデメリットもある。アンフィポリスをとるということは、アテナイと事を構えることを意味する。日本の一つの地方都市が、首都である東京にケンカを売るような感覚である。


 もちろん正面からアテナイと事を構えるつもりはない。


 紀元前三五七年、フィリッポス二世はアンフィポリスの包囲を開始した。アンフィポリスの市民たちは、すぐにアテナイに助けを求めたのである。このままでは、アンフィポリスの嘆願によってアテナイ軍が来てしまう。


 そこで、フィリッポス二世はアテナイに言い訳をすることでこの援軍を止めさせたのである。


 当時アンフィポリスにはアテナイ派と反アテナイ派という二つの勢力で分かれていた。フィリッポス二世は、そこをアンフィポリス侵攻の言い訳に使うことにした。


 アテナイの皆さん、聞いてください。アンフィポリスの市民の中には私に悪意を持っている者がいます。そのことが私には我慢ができません。私はやむをえずアンフィポリスに兵を出しますが、もちろん占領するつもりはありません。事が落ち着けばアテナイの皆さんのもとに譲るつもりでございます。


 アテナイにはそういった内容を手紙で送る。フィリッポス二世に悪意を持つ者とは反マケドニア派にしてアテナイ派のことであるから方便であった。

 彼からの手紙に、アテナイは信じたというよりかは信じざるを得なかった。


 もちろんアテナイの中には、この手紙は嘘だろうと考える者もいる。しかし、フィリッポス二世には以前アンフィポリスを一度占領したが結局アテナイに譲渡した過去がある。きっと今回も同じことだろうという気持ちが強かった。


 それに当時のアテナイは、アンフィポリスに援軍を送る余力がなかった。アテナイと同盟国との間で戦争が勃発しており、アンフィポリスまで手が伸ばせなかったのである。だから、フィリッポス二世の手紙を信じることにしたのだ。


 たとえアンフィポリスから逃げてきた者が「アテナイが今抱えている問題を解決するカギは、アンフィポリスを確保することだ」と訴えても、アテナイはアンフィポリスに援軍を送らなかった。


 アテナイに見放されたアンフィポリスは、フィリッポス二世の敵ではなかった。


 ここで登場したのが、攻城兵器である。


 この時代からすでに攻城兵器は存在していた。紀元前四世紀初頭に、シラクサにて王を名乗るディオニュシオス一世がギリシア中の技術者を呼び集めて、攻城を用途とした大弓型の投射兵器―――カタパルトを発明していたのだ。


 紀元前四世紀初頭にカタパルトが発明されたので、比較的最新兵器なのである。この最新兵器をフィリッポス二世は実地で採用することにした。アンフィポリス包囲戦に投入させ、アンフィポリスの城壁を破ることに成功し、軍が町へとなだれ込み、アンフィポリスを陥落させた。


 アンフィポリスが獲られたことで焦りだしたのは、海向こうにあるアテナイではなく、地元にあるカルキス同盟と呼ばれるカルキス人たちの集まりであった。彼らの代表は、オリュントスという都市であった。


 アンフィポリスは、オリュントスたちがいるカルキディケ半島の首元であり、要衝でもあった。このままで我らがいるカルキディケまで侵略してくるのではないかと、オリュントスはフィリッポスの領土的野心を恐れたのだ。


 オリュントスは、すぐにアテナイと同盟を組んでフィリッポスに対抗しようとした。しかし、アテナイは依然としてアンフィポリスがもらえるものと信じているので、はねつけたのである。


 がっかりしたオリュントスの落ちた肩に手を置いた男がいた。フィリッポス二世である。ここで彼の外交のうまさが光る。


 飛ぶ鳥を落とす勢いのある彼とて、オリュントスとアテナイが手を組むのは怖かった。だから、彼らにとって非常に有利な条件でアテナイよりも先に同盟を申しでることにした。


 君たちは我々に侵略されるのが怖いと聞いた。ならば、その領土を侵略するのではなく、君たちに与えよう。

 オリュントスとの同盟の一環として、フィリッポスはカルキディケ半島のポディダイアを占領し譲渡することを約束した。


 なぜポディダイアなのか?

 ポディダイアはカルキス同盟の領土ではなく、アテナイの植民地であった。そしてカルキディケ半島を牛耳る憎き町でもあり、オリュントスが喉から手が出るほど欲しい町であった。


 領土を譲ることでオリュントスたちを安心させるだけでなく、元々がアテナイの植民地なのでポディダイアをもらうことは必然とアテナイの敵となるという逃げ道をふさぐ思惑もあった。


 オリュントスとフィリッポス二世が手を組んで、次なる目標は決まっていた。しかし、その行為は眠れる獅子を呼び起こすことを意味する。


 紀元前三五七年か三五六年、下マケドニアの要地ピドナを占領した。ここもまたアテナイの地である。アンフィポリスを返してもらうばかりか奪われたのだ。ようやくアテナイはフィリッポス二世が裏切ったのだと知ったのである。


 いくら自分たちが弱まったとはいえ、かつて繁栄を意のままにした覇権国としての価値は、北方の野蛮国に踏みつけられるほど安くはない。


 ここにおいてアテナイはマケドニアに宣戦布告したのだった。


 アテナイの魔の手が迫りくるマケドニア王国であったが、フィリッポス二世はクレニデスという市に来ていた。トラキアの西部に位置する鉱山都市であり、彼はここを占領していた。


 彼がクレニデスに目をつけたのは、もちろん金である。


 歴史家ディオドロス・シケリオテスが語るところ、フィリッポス二世は領土内のごくわずかで取るに足らない金鉱に目を向け、改良によってその産出量を大幅に増やし、千タラント以上の収入をもたらすようになった。そして、これらの鉱山ですぐに財産を築いたので、彼はその豊富な資金でマケドニア王国をますます優位な地位にまで引き上げたのだという。


 クレニデスにかけるフィリッポス二世の情熱は、並々ならぬものであった。それは決して一つの鉱山都市にかけるものではない。


 彼は、クレニデスという名前を改める。一つの時代を築き上げる気持ちをこめて、彼は町の名前をフィリッポイへと変えた。名前の由来は、もちろん王の名前からである。


 王の町として、鉱山都市フィリポイヘは金貨を鋳造する。これからのマケドニアを見ておけとばかりに、そしてもう野蛮な国と言わせないとばかりに金貨に王の顔を刻み込む。フィリッペイオスという金貨は王に似て、他国へと流通していくのだった。


4、王が生まれる

 金銀のあがりで王はまだまだ戦争ができた。


 戦力の余力を残しているフィリッポス二世が向かうのは、オリュントスとの約束の地であるポディダイア。かの地を手に入れようとマケドニア王国軍が包囲する。


 いずれおちるだろうと考えていたフィリッポス二世のもとに、一報が届く。イリュリアがまたマケドニアを攻めてきているのだという。フィリッポス二世は、馬鹿なという気持ちに陥る。


 イリュリアはエリゴン渓谷の戦いにおいて我々が完膚なきまでに叩きのめしたではないかと。イリュリア復活の裏には、大国アテナイがいた。


 戦略の女神アテネの名を冠した都市国家アテナイは、その知略でもってフィリッポス二世の侵攻を阻止しようとした。


 西はイリュリア、北はパイオニア、東はトラキア。かつてはそれぞれがにらみ合うような宿敵同士であった。皮肉にも彼らを結束させたのは、フィリッポス二世という強き王の出現であった。


 フィリッポス二世包囲網。イリュリア、パイオニア、トラキアの三国が手を取り合い、打倒フィリッポス二世を掲げたのである。もちろんその裏で糸を引いているのは、アテナイであった。


 爪を噛みちぎりたい気分にさせられる。フィリッポス二世はポディダイアから動くことはできない。ここで撤退の姿勢を見せたら、せっかく結んだオリュントスたちとの同盟が崩れるかもしれない。


 たとえ苦しくても、フィリッポス二世はイリュリアへと軍を分けざるを得なかった。そして、イリュリアとの戦いは決して負けられない。対イリュリア軍を任せられるのは、彼の右手以外に他はいなかった。


 右手の名前は、パルメニオン。フィリッポス二世に仕える将軍である。フィリッポスにして、「毎年十人将軍が選ばれるアテナイは全く幸福だよね。自分なんかは一人の将軍しか選べない。それがパルメニオン、彼だよ」と分かりにくい皮肉を飛ばすほどの名将であった。そして絶対的な信頼をよせるほどの誇りであった。


 パルメニオンならばやってくれるだろうと、フィリッポス二世はポディダイアの包囲に集中できた。そして、陥落しえたのである。


 そして同時期―――ポディダイアを占領した時に、フィリッポス二世のもとに三つの朗報が入ってきた。


 一つは、パルメニオンがイリュリア人を打ち破り大勝利したこと。

 二つ目は、オリンピア大祭でマケドニア代表が戦車の競技で優勝したこと。

 そして最後は、王都ペラにいる妻オリュンピアスが男の子を出産したという。


 この男の子が、征服王にして二つの角の王にして神の子にして大王と呼ばれるアレクサンドロスであった。

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