戦術の七英雄

板橋閑古

一人目 古代世界征服王アレクサンドロス三世

第一回 征服王の父フィリッポス二世

1、若年期のフィリッポス二世

 古代ギリシャ―――別名ギリシアは、王国というよりも国々の集合体であった。


 戦国時代の日本のように、それぞれの地方が力を持ち、都市国家を形成している。中でも、最先端を行く都市国家はアテナイとスパルタであった。この二つの都市国家が、ギリシアの代表と言っても良い。


 それぞれの国家を築きながらも、自分たちがギリシア人であるという自国意識を持てたのは、ギリシア神話の影響が大きい。我々はギリシア神話に出てくる神々の子孫なんだという誇りが、ギリシア人を結びつけている。


 北方にあるマケドニア王国もまた、ギリシアの一員であった。しかし同じ言語を話して同じ宗教を信仰していたとしても、マケドニア人はギリシアでは異民族として捉えられていた。


 それは、ひとえに民主政のアテナイや寡頭政のスパルタに比べて、王政にして一夫多妻制を採用しているマケドニア王国を半ば野蛮な国とみなされていた。


 ギリシアであって、ギリシアにあらず。

 それが、当時のマケドニア王国が持つイメージである。


 このギリシアでも辺鄙な王国が、どのようにして―――ギリシアの地理学者ヘカタイオスが描く世界地図の全てを征服した大帝国にのし上がったのかを書き上げていきたいと思う。


 物語は、アレクサンドロス三世が生まれる二十六年前までにさかのぼる必要がある。


 マケドニア王国に一人の男の子が産まれる。名前は、フィリッポス。

 アレクサンドロス三世の父親にして、ギリシアの弱小国であったマケドニア王国を強国へと変えた立役者であった。


 もし父の功績がなければ、アレクサンドロス三世の天才的な戦術をもってして大帝国を築き上げれなかっただろう。

 父が帝国の基礎を完成させ、子は世界征服の栄光を完成させた。

 それほどまでに、父フィリッポスは名君であった。


 父マケドニア王アミュンタス三世の第三王子として生まれたフィリッポスであるが、彼の青年期は散々たるものであった。

 それもそのはず、彼は当時テーバイで人質生活を送っていたのである。


 原因は、母の再婚相手プトレマイオス・アロリテスにあった。


 父が亡き後、国王を継いだ長兄のアレクサンドロス二世。その後見として、有力者であったプトレマイオス・アロリテスが務めた。

 このプトレマイオスが問題であった。彼は野心家であり、常に王位を狙っているのである。


 テッサリアの援軍要請で、国王はマケドニア王国を留守にした。その隙を、プトレマイオスが見逃すはずがなかった。王位簒奪を狙った陰謀を企てたのである。


 陰謀の噂を聞きつけた国王であったが、あいにくテッサリアでの戦いで消耗していた。悔しいことに、プトレマイオスを倒せるほどの力が王にはなかった。


 しかしアレクサンドロス二世には天運があった。同時期にテッサリアの援軍に来ていたテーバイのペロビダス将軍に仲介を頼んだのだ。


 この仲介によって、プトレマイオスは陰謀を企てた罪を無くす代わりに王位を断念させられた。こうして王国の平和が保たれた、と思われた。


 誰もかれもが、プトレマイオスの野心を甘く見ていた。

 とある日の酒宴の席でのことである。プトレマイオスが、国王アレクサンドロス二世を殺害したのだ。マケドニア王国はまたしても大混乱に陥る。


 しかしこの暗殺は、悪手である。せっかくペロビダス将軍が仲介を申し出たのに、彼の顔に泥を塗るような形であるのだ。


 プトレマイオスとて馬鹿ではない。すぐさまペロビダス将軍に金を送り、アレクサンドロスの弟たちに王位を継承させること、そしてテーバイの敵であるアテナイは共通の敵であることを約束した。


 結局、暗殺は何も起こさなかったかのように思えるが、代償としてプトレマイオスが手に入れたのは女性であった。

 彼は亡き父アミュンタンス三世の妻であった未亡人エウリデュケと結婚したのである。次なる王の義父という立場を、プトレマイオスは手に入れたのだった。


 自分の息子を殺した男と結婚する羽目となったエウリデュケの心中は、どれほど絶望に染まったことだろうか。

 悲劇はそれだけでは終わらない。

 息子の一人を異国に送ることになったのだ。それが、フィリッポス二世であった。


 プトレマイオスがテーバイに送ったのは、金品だけではなかった。

 二度と約束を破らないように、人質をとったのだ。その人質の一人が、マケドニア王国の第三王子だったのである。


 テーバイへのおべっかとして人質にされた十五歳の青年フィリッポス二世であったが、幸運なことにテーバイでの生活は陰うつとした人質生活ではなく海外留学のようなものであった。


 さらに幸運なことに当時のテーバイはギリシアの覇者であった。

 陸軍最強国スパルタを打ち破り、テーバイが覇権を握ったのである。それには、一人の男の存在があったからである。男の名前はエパメイノンダス。天才であった。


 ギリシアの覇権国テーバイでフィリッポス青年が目の当たりにしたのは、最新鋭の軍事である。


  百五十組の男性の恋人同士によって編成された精鋭歩兵部隊の神聖隊。

 その強固な結びつきの神聖隊による重装歩兵の密集陣形(ホプリーテス)。

 そして、天才エパメイノンダスによって考案された鉄槌にも似た美しき布陣、軍隊を斜線状に配置した斜線陣。


 天才将軍からフィリッポスが学んだのは、軍事だけではなかった。 居候先である政治家のパンメネスはエパメイノンダスとはつてがあった。その縁故から、軍事のみならず最先端の学問であるピタゴラス派哲学も同門の先輩として教えを受けた。


 エパメイノンダスの後を継ぐ者はテーバイで生まれなかったが、マケドニアで生まれた。 


 十五歳からおよそ十八歳までの多感な青年時代、まるで高校生活のようなフィリッポスの海外留学は三年続いた。


 三年目の年、フィリッポスは故郷へ戻ることを許された。マケドニアで一つの事件が起こったのである。


 憎き兄の敵であるプトレマイオスが殺されたのだ。彼を殺害したのは、もう一人の兄であるペルディッカスであった。


2、兄の死

 暗殺された兄アレクサンドロス二世の後を継ぎ、国王として即位したのは次兄ペルディッカス三世であった。


 兄が暗殺され、弟はテーバイの人質にされ、かたわらにいるのは仇敵のプトレマイオス。加えて、母はその男と結婚している。

 テーバイやアテナイといった外部の力を借りなければ、そして教育係にプラトンの弟子であるエウフライオスがいなければ、まだ青年のペルディッカスに自分の王位を継続できなかった。これが功をなした。


 マケドニア王国という辺境に、ギリシア文化が流入し、文化水準が高まり、王国への発展へとつながった。エウフライオスを師とあおぎ、青年から立派な国王へと成長していった。


 そして大人になったペルディッカス二世が、プトレマイオスを殺害するに至ったのである。


 プトレマイオス殺害後、ペルディッカスは動き続ける。いつまでも他の都市国家に頼ってばかりではいられないと、ペルディッカス二世は、軍事の面でアテナイの海軍に依存していたが、アテナイの財政がうまくいっていないのを見るに、すぐに手を切った。


 次に今まで金を払うことでイリュリアとの平和を保っていたが、ペルディッカス二世は支払いを突っぱねった。


 これらのことがアテナイとイリュリアがマケドニア王国に対して敵対するのは火の目を見るに明らかであった。イリュリアにいたっては毎度のことながら我が国を侵入し略奪している。そんなおりにテーバイから心強い仲間が帰ってきたのである。弟のフィリッポスであった。


 まずはイリュリア人を討つべしと、ペルディッカス二世は立ち上がった。国内には弟もいるのだからと、四千の兵を王自ら引き連れて、イリュリアの地へと向かい、そのまま帰ってこなかった。紀元前359年ペルディッカス三世は、イリュリア人との戦いで戦死してしまった。


 マケドニア王国の大部分をイリュリア人にとられ、次なる王はまだ六歳の子供。マケドニアの未来はフィリッポスの双肩にかかっていた。まだ二十三歳の若輩であった。



3、マケドニア王国再建

 マケドニアが抱える問題は、イリュリアやアテナイといった外部の敵ばかりではなかった。敵は内部にもいた。


 異母兄のアルケラオスや、父の代から野心を抱くアルガイオス、かつて長兄の王位を巡って次兄と対立したパウサニオス。いずれも、弱き王に変わり自分こそがと目をぎらぎらとさせている。

 アルケラオスには国内の有力者、パウサニアスには北方のパイオニア、アルガイオスにははるか海向こうのアテナイがいた。


 マケドニア王国は内外と混乱を極め、幼き甥では王国の存亡は難しい。それならば自分が徹底してやらなければと、フィリッポスの覚悟は決まった。


 まず国内の支持しかない異母兄のアルケラオスを暗殺した。


 次の標的はパウサニアス。それには、パウサニアスと彼の後ろ盾であるパイオニアを離す必要がある。これに対して、フィリッポスは外交でもって対処する。有力者を買収したり、パイオニアの王であるアギスに贈り物をして手を引かせた。そしてその手切りを皮切りに、後ろ盾のないパウサニアスを滅ぼした。


 問題は、アルガイオスである。彼の後ろには、低迷中とはいえ、あのギリシアの盟主アテナイがいる。

 そもそもアテナイがアルガイオスと手を組んでいるのは、アルガイオスが王になった時にはアンフィポリスというカルキデア地方の要衝をくれると約束したからである。


 ここでもフィリッポスの外交手腕が光る。

 今現在アンフィポリスを持っているのは、どちらか?

 マケドニア王国であり、反逆者アルガイオスではない。アルガイオスは口約束でアテナイにあげると言っているが、こちらに味方すればアンフィポリスの返還は現実のものとなる。

 そういう風に、フィリッポスはアテナイと交渉したのである。

 

 さてアテナイとしては、どちらを味方すべきか。アルガイオスの口約束か、フィリッポスの現実的な提案か。先に約束したのはアルガイオスだけれども、フィリッポスの提案も捨てがたい。悩んだ末に、アテナイは見に回ることにした。


 アテナイがアルガイオスのために送った兵は傭兵だけであり、軍は派遣しなかったのである。フィリッポスの外交という毒が効いたのだ。

 アテナイに裏切られたアルガイオスは、この傭兵を率いて、かつての王都アイガイを包囲する。市民に要求するは二つであった。アルガイオスを王と認めること、そしてアイガイの民は忠誠を誓うこと。市民たちは包囲されていようと、これを断った。


 アイガイは先祖代々王が眠る地であり、王への忠誠心が高かった。あてがはずれたアルガイオスは一度撤退したところに、フィリッポスは待ってましたとばかり急襲し、アルガイオス軍を打ち破ったのである。


 アルガイオスを破ったフィリッポスは、アテナイと対立するつもりなぞなかった。捕虜としていたアテナイの傭兵たちは無償で送りかえし、アンフィポリスもまたアテナイに返還した。


 アテナイもまた、友好のあかしとしてピドナという要港を返した。こうしてマケドニア王国とアテナイは友好関係を結んだのである。


 国内が安定したところで、次に相手するのは国外のイリュリアとパイオニアだけである。


 元々フィリッポスは幼き王のアミュンタスを支える摂政を務めていたが、今までの手腕を見ると、王国民はどちらが真の王と見るか明らかである。


 フィリッポスに野心があったかどうかわからないが、マケドニア王国の王制は血統によって完全に決まるわけではないのが特徴である。マケドニアの王は、有力な貴族たちによる選挙によって選ばれる。


 貴族たちは選ぶ。真の王は、フィリッポスであると。


 こうして紀元前三五九年、フィリッポスはマケドニア王国国王フィリッポス二世として即位した。


 ちなみに甥から王位を簒奪したフィリッポス二世であったが、幼い甥に危害を加えるつもりは全くなく、それどころか後に娘と結婚させるほどに丁重に扱っている。


4、マケドニア軍の再建

 さて国王となったフィリッポス二世がまず最優先に行ったことは、

先の戦いで四千人もの兵士を失ったマケドニア軍の再建であった。


 当時のマケドニア王国の軍隊は、ひどいものであった。

 後に息子のアレクサンドロスが語るには、兵士の大部分は羊の皮衣を身に着け、いつもは山で羊を飼うような牧歌的で、そんな彼らが常に訓練するはずもなく、戦時でさえ容易に集まることすら難しい。


 まずフィリッポス二世はそこから着手する。彼らを山から平地に下して農民にさせた。山よりも平地のほうがすぐに兵を招集できるからである。


 彼が構想する新生マケドニア王国軍は、重装歩兵(ホプリーテス)を中心とした軍団である。重装歩兵には頑強な肉体と素早く動ける足が必要だ。王は若い農民を中心に鍛え始めた。


 しかし、いくら若いといえど彼らは農民であり、一端の兵士ではない。農民を一から叩き上げて精鋭部隊にするには時間が足りない。


 王は強力な武器が必要だと考えた。

 そこで生まれたのが、長い長い槍〈サリサ〉である。通常槍の長さはおよそ2mだったのに、サリサはおよそ4mから6mほどの長さある。リーチの差と後ろの兵からも槍を突き出すことができるという利点があった。


 サリサを携えた重装歩兵陣形(ホプリーテス)は、マケドニア式の重装歩兵陣形として名前を改めて“ファランクス”と呼ばれる。


 このように農民を重装歩兵として鍛え上げる一方で、元来よりあった騎兵にも王は目を向けた。


 ギリシアでは四世紀以来騎兵の重要性に気づき始めた。

 しかし馬は高価であり十分に準備することは難しい。陸軍最強国であるスパルタでさえ、以前四百人の騎兵隊しか持っていなかったほどである。

 幸運なことにフィリッポスの父もまた、騎兵を重要視し、騎兵を六千ほど輩出している。

 

 そこでフィリッポスは騎兵の数を増やすのではなく、騎兵同士の連携を強める方針をとることにした。それはまるでテーバイでみた神聖隊のように、騎兵版の神聖隊を創り上げようとしたのだ。


 常備の騎兵隊をつくり、それを地方別に編成する。そうすることで、その地方で出来た血縁や同じ故郷の友として連携を高めたのである。


 フィリッポスによって、貴族たちの騎兵隊と農民たちの歩兵部隊を効果的に連動させ、機動性と柔軟性に富むマケドニア軍として新たに生まれ変わったのである。


 もはや弱小であったマケドニア軍はいない。新生マケドニア軍として、かつて大敗をきしたイリュリアへと再び立ち向かうのであった。

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