第9話 責務と責任

「蘇臣!今だ、顔を出せ!」

「おぉ!!わたっている連中を落とせ!!」


 帝国が動き始めたのはちょうど太陽が真上に昇ったころだった。

 最初に南門へ攻め込んできたのだが、突破された際の城内防衛に関する部隊編成に時間がかかっているため、その時間稼ぎをする必要があると、城門死守命令が下されている。

 これにより外城壁に配置された弓手隊が兵を1人も近づけさせない攻勢を仕掛け、さらには火計を用いて攻城兵器も多数破壊した。

 唯一かかっている橋といっても、大軍が大挙して押し寄せられるほどの広さではない。

 門に取りつかれなければ、とうぶんは耐えることが出来るだろう。

 しかし帝国もバカみたいなごり押しを仕掛けてくるわけではなかった。すぐさま強引な南門攻めを取りやめたかと思えば、東西門の突破に切り替えてくる。

 つまり深い堀に長すぎる梯子をかけて東西の門を突破しようというわけだ。

 そこで俺たちの出番がやってくる。


「東門の焙烙隊に伝令。もっと積極的に梯子を落とせと。奴らはまだまだ予備の梯子を持っているから、兵だけを狙い撃ちしていると弓が先に尽きると伝えてほしい」

「かしこまりました!」


 唐希様は約束通り俺に足のある伝令をつけてくれた。

 これのおかげで、俺が視えた景色を各戦線に伝えることが出来る。


「…」

「おい、泉!まだ顔を出せないのか」

「…」

「…またか!?」


 蘇臣の「またか」という叫び声で現実に引き戻される。

 しかしそれが決して良いわけではなかった。なんせ吐きそうな気持がグッと増してくるからだ。


「…ちょっとだけ吐いてくる」

「あぁ、早くしてくれ。お前がいなくなったら、たった10人でこの門を守ることは出来なくなる」


 もう戦いが始まってから何度目かの嘔吐。胃の中は昨晩同様わずかな粥しか入っていないはずなのに、胃液だけでも出てくるわ、出てくるわ。

 おかげで喉が焼けたように痛く、胃もイガイガが治まらない。そしてまた見たくなかった景色を視て、胃が荒れて嘔吐する。

 完全に悪循環に陥っていた。


「そんなに視るのが無理なら、もう視るなよ。時期だけ教えてくれれば俺たちがやってやるってのに」

「こ、この、場所だけならそれでもいいんだろうけどな」


 特に東門は城から離れた場所の情報を得ることが出来ない。

 あくまで内城壁から見えているのは、対岸にいる帝国兵の動向くらいのものだ。だからこそ、俺は視たくなくても視る必要がある。

 人が射られて死ぬ様を、梯子が外れて生きたまま深い堀に落ちていく様を。

 唯一の救いは景色は視えるが、音は聞こえないこと。悲鳴が聞こえないのは間違いなく俺の精神崩壊を踏みとどまらせてくれている要因の1つだと思う。


「なら1つだけ教えてくれ。お前はなぜそこまでして俺たちに協力してくれる」

「まだ俺のことを間者だと疑っているのか?唐希様が自らそれは誤りだったと認めてくださったのに」

「そうじゃない。お前は戦いが始まる前に言っていた。この世界に来る前は、人が当たり前のように死なない国で生きてきたと。第三者の介入で死ぬことなど、本当に稀なことで、人の死は病か寿命か。あるいは不慮の事故か。それくらいだと言っていただろう?」

「たしかに言ったな」


 筒に入れた水で口をゆすぎ、足元に吐き捨てた。それを見て、また何かが上がってくる感覚に陥るが、どうにかそれも我慢することが出来たらしい。

 何度も肩を跳ねさせている俺を見て、蘇臣はあきれたように肩をすくめる。


「人の死ぬ様をみるのですらそんな状態になる男が、即座に人を殺せるのか?」

「…戦う技術を持たない俺が最前線に出ることなんて今後あるはずがない。こんな奴がいても士気の低下を引き起こすだけの邪魔虫だ」

「評価がずいぶんと低い。よくそんなんで西門に志願したものだ」

「蘇臣との約束があるからな。誰よりも先に交わした約束だ。俺の力で必ず出世させてやると」


 だから唐希様にお願いして、弓手百人隊の第六小隊を預けてもらったわけだ。きっと部下の他9人は不安で仕方がなかっただろうが、ここを10人だけで守りきればそれだけで十分な戦功であると認められるだろう。

 どこまでいけるかはわからないが、今よりはよいところにおいてもらえるんじゃないかと勝手に思っている。

 だが今はそんな後のことを考えても仕方がない。


「蘇臣、そろそろ視る。全員に攻撃準備だけさせておいてくれ」

「あ、あぁ。わかった」


 明らかに心配のまなざしをこちらに向けていた。

 だがここで俺が役に立たなくなったら、蘇臣らは敵の投石機やら長弓隊に狙われ放題だ。1人欠けるだけでこの地の防衛は難しくなる。

 とにかく俺がへばらないように監視し続けるしかない。


「…今は梯子に2人、か。渡り始めたところだからもう少し引き付けよう」


 意識の外から蘇臣の声が聞こえてくる。

 俺の言葉をそのまま部下たちに命じているようだ。

 しかし小隊1つは少なすぎたかもしれない。いつか手が足らなくなるんじゃないかという恐怖が心の奥底で渦巻いている。

 今さらそんなことを言っても仕方がない。なんせどこも手一杯だからな。


「連中はすでに半分を渡り切り…」


 そこで俺はとあることに気が付いた。

 梯子を渡っていた兵の内、先頭に立っている男が何かを手にして立ち上がったのだ。そしてその何かをぶんぶんと振り回している。


「あれは!?」


 慌てて俺は言葉を発す。


「どうした、いず「急いで攻撃開始!奴ら、鉤縄を使ってこちらの壁に張り付こうとしている!」」

「何!?それはまずい!全員で一斉に射かけろ!」


 しかしそれが悪手だった。

 俺が視ていたのは梯子に乗っかる兵士のみで、対岸に待機している長弓隊を完全に見落としていたのだ。

 それに気が付いた時にはすでに手遅れで、1人の兵が飛んできた矢に肩を射抜かれて後ろへと吹き飛んだ。


「がぁ!?」

傳士でんし!」


 血が噴き出し、みるみるうちに血の池が出来る。しかし誰も傍に駆け寄れない。

 今持ち場を離れれば、奴らがこちら側に張り付いて来てしまうからだ。

 つまり動けるのは唯一この場で攻撃に参加しない俺だけということになる。


「ど、どうすればいい!?」


 衣服が血で染まることも、もはや目の前のことに気を取られすぎて気にもならない。とりあえず患部を手で押さえて血を止めようと試みるも、いっこうに止まる気配がなかった。

 とにかく城内にはいわゆる衛生兵と呼ばれる部隊が存在している。そこにさえ運び込めれば、最低限の治療を施されるはず。

 だが俺がこの場を離れるということは、たった10人で数百以上もある敵兵を食い止めなければならくなる。この状況を作り出した張本人である俺が持ち場を離れてよいはずがなかった。


「…指揮官殿、どうか私はこのままで。第六小隊のみなを、お守り、くださ、い」


 首がガクッと垂れたため、死んだのかと思って思わず手を放してしまった。俺の腕で支えられていた身体が強く地面にぶつかるように倒れたが、手首に触れたところまだ脈はある。

 どうやら痛みで意識を失っただけのようだ。


「クソッ、俺はどうすればいい!どうすればいいんだ!?」


 1人の命を救うために動くのか、他の9人を生かすために動くのか。これまでの人生で経験したことないほどの葛藤に苦しむ。

 それでも俺は多数の命をとるべきだと思った。今のこの感情があと9人、いや門を破られれば数百人分、同じ思いをすることになる。

 それはきっと俺の心が耐えられない。


「すまない。俺には」

「泉!さっさと傳士を後方へ運んでくれ!その間くらいは耐えてやるから!」

「だが!?」

「俺たちをなめるな!実力があるから厳楽様は俺たちの小隊を泉に預けたんだ!そうじゃなければよそ者に兵を預けたりはしない!」


 女に手を出そうとして殴られた奴の言うセリフではないが、まぁ小隊として信用されているからこそたった10人に西門の守備を託したという部分はあるのだろう。

 だがそれは俺の力込みの話。

 しかしここまで言わせて、やはり残ろうとは言えなかった。

 すぐに撃ち抜かれた兵である傳士を背負い、俺は城壁を降りた。次の被害者が出る前に戻ってくるために、力の限り駆けて。

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机上の軍師 ~異世界転移先は、隣国の帝国軍に包囲された激やばジリ貧領主の小城要塞だった~ 楼那 @runa-mond

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