業即ち人の本懐なり

 暗闇に一筋の光が切り込まれ、やがて上下へと広がる。

 それが視界であり、目覚めの瞬間であると理解するのはほんの一瞬のことであった。


 目の前に映り込むのは己がひどく小さく見えてしまうほどに青々と透き通る快晴の空。

 雲一つない景色はいつ見ても心が洗われると常々思う。



「(あれ…ボク、何してたんだっけ…?)」



 そんな世界を堪能すること数秒。

 彼女は己が置かれていた状況さえも思い出せず、自重さえ感じ取れないほどの浮遊感に包み込まれていた。


 まるで夢を見ているような感覚である。


 ふと、眼前に広がる青空へと手を伸ばす。

 何となくこのまま掴み取れば、この美しい景色も永遠にその手に収めて置けるような、そんな錯覚を覚えたのだ。


 あり得ないとはわかっていても、夢現の中、そんな希望を抱いてしまう。


 しかし、帰ってくるのは虚無。

 当然である。大空は自身の手中に収めるにはあまりに大きく、遠いものだ。


 だが彼女は違和感を覚える。

 不思議なことに手を伸ばす感覚も、それどころか一切の感覚が遮断されているかのように肉体の存在というものを感じ取れなかった。

 やっとのこと、浮遊感の正体にも疑念を抱き始める。



「(これ…誰かの…記憶、なのかな…?)」

 


 そこで漸く、アリアはその視界が己のものではないことに気が付いた。


 そういえば自身の呼吸さえ意識したって感じ取れない。

 よもや死んだのか、などと思うところであるが、今のアリアは不思議な夢程度にしか思えなかった。

 

 そんなフワフワとした感覚の最中、景色一杯の青の端から此方…視界の持ち主を覗き込む人物が現れる。


 アリアにはその人相に確かな見覚えがあった。



「(メアリス…さん、だよね? ちょっと怖いけど…)」



 陽光に煌めく金緑の長髪に、正体を主張するような尖った長耳。シミひとつない細やかな白肌と自然の美を圧縮したような双眸。

 そこに居たのは間違いなく、メアリスその人であった。


 違いがあるとするならば、アリアの記憶の中の彼女に比べ険の強いその表情だろうか。


 普段見るようなゆとりを感じさせる柔和な表情とは違い、眉間には深い皺が刻まれている。

 若干の苛立ちの混じる呆れを全面に押し出す様相は滅多に見るものではない。



『———』



 彼女は口をパクパクと動かしながらさらに顔を顰める。


 今更ながら自分は音が聞こえていないらしい事に気がつく。

 何か言葉を発しているようであるが、その様子からは叱咤にも違い感情を感じ取れた。


 一頻り彼女が喋り終えると、何処か不満そうにしながら視界から居なくなる。


 そうして次の瞬間、景色が大きく動いた。

 どうやら仰向けに寝そべった状態から起き上がったようだ。



「(野原…凄く綺麗だなぁ…)」



 青空の下に生い茂る大草原。

 微風に流れる鮮やかな緑がキラキラと輝いて見える。

 夢見心地の中眺めるその光景は宝石で形作られた桃源郷のようでさえあった。


 アリアが小さな感動に浸っていると、再び視界が切り替わる。

 背後へと振り返ったその先、そこには此方を眺める3人の男女が居た。


 1人は巨人…なのだろうか。

 巨人といえばこの世界における「力」の代名詞ともされる種族であるが、巨人というには少し小さいように見える。


 棍を担ぎその強面に浮かぶ眼光は相対すれば怖気付きそうなものであるが、睨みつけているというよりはやはり眺めているというのが正しいように思う。


 もう1人は赤のメッシュが走る黒い長髪の…恐らくは男性。

 後ろ姿であるが、裾や袖口の広い羽織を羽織っており、身の丈ほどもありそうな片刃の長剣を背負っている。


 アリアの記憶が正しければ、あの様な服装や武具は『天峰国アマツミネノクニ』と呼ばれる海上国家に存在していたはずだ。


 彼は勝気な笑みと共に肩越しに此方を覗いている。

 ぼんやりと、その全身から洗練された雰囲気を感じるのは気のせいではないのだろう。


 そして、最後の1人は空色の髪を流す美しい女性———少女だ。

 困ったように苦笑する表情には嫌味など欠片も無く、あどけなくも母性を感じさせる柔らかな笑みを浮かべている。


 アリアは覚えていないが、母とはこのような存在を指すのではないだろうか。

 そんな優しげな表情は、何処なくメアリスの見せる微笑みにも似ているように思える。


 視界の主が何かを喋っているのだろうか。

 暫く相槌を打つような仕草を見せながら三者三様に見守る彼らは、ふとした拍子に彼方へと視線を遣る。



「(あれは…何、だろう…)」



 同じように視界が動くと、その視線の先には翼を広げる巨大な何かが群れを成して迫ってきているところであった。


 ゾッとするような光景だ。

 きっと王都近くの森に住まう魔物が氾濫を犯したとてあれ程の雪崩のような群勢が出現することはないだろう。


 視界の端で巨人が担いでいた棍を下ろし、長髪の男性が腰を上げ身を翻す。

 女性の瞳は打って変わって鋭さを孕んでいた。


 鬱屈そうに彼らの前へと出たメアリスが無音でも理解できてしまう程の莫大な魔力を収束し、魔物の群れへと翳す。

 その時視界の主はゆったりと立ち上がり、鞘に収めた酷く見覚えのある直剣を眼前にて構えた。


 そうして開戦の狼煙を上げるが如く放たれた魔砲の極光に呑まれながら、純白に輝く宝剣が抜き放たれ———


































 

























 閃きの後、白の流線が斬撃となって駆け抜ける。

 白剣を薙ぐ少女と隻腕に旋棍を振るう男の攻防は、その刹那の判断全てが己の命を脅かす。


 剛腕の打撃を魔と武にて奏でる剣技が打ち砕き、その剣技を理合の人技にて凌ぐ。


 幾度もの閃きが交わされる地下空間、その苛烈な戦場は既に佳境へと突入していた。



「《他化自在———空多羅 かるたり 》」



 縦一文字に落とされた脚撃が斬撃へと至り、空気の震える異音と共に地を削る。

 生まれた亀裂は相応に深く、しかし横合いに構えた白剣がその進行を受け止めた。



「《阿頼耶外 あらやと 》」



 少女が後ずさる瞬間、前傾した男は数度見せた神通の如き高速移動で距離を詰め、剣身の腹に旋棍を突き立てる。

 耳を劈く音が発せられるも、剣身は僅かな軋みさえもなく甘んじて受け入れる。


 その不可思議なまでの手応えの無さは異様という他なく、少女の様子も相まって怪異の如く雰囲気を纏っていた。


 旋棍を斬り払い距離を置くことなく攻めに移行するアリアにガグは引くことなく応戦する姿勢を取る。



「ッ、どんなカラクリだ…?」



 腕一本に足技を絡めた技巧極まる立ち回りで斬撃を翻す。


 ガグの下段を狙う蹴りが彼女の脚を刈り取り、水平になった身体へと垂直方向に向かって手を添え、地に縫い付けるように押し込む。


 寸前、高速で錐揉みの如く回転する胴により狙いが外れ、重心が崩れた。


 そこへ、アリアのハイキックが炸裂する。


 一際思い斬撃がガグを退け追撃が来ると同時、彼は手刀に構えた手を突き出した。



「《沙末那———カク》」



 鋭峰に指先が衝突し、矛と矛が合わさるように火の粉が散る。

 刹那の間の後、拮抗なく剣が弾かれ、懐へと乗り込むガグが低姿勢から拳を打ち上げた。


 柄から片手を離したアリアは皮一枚にまで迫った拳との隙間に手を差し込み、追い払うように白光の魔力が爆ぜる。

 爆風に煽られ仰反る瞬間、倒立回転の要領で大きく距離を取った彼の着地を刈り取るように白剣が閃き、寸前で旋棍が阻む。


 彼は牽制に限界を迎えた旋棍を投擲し、その隙に腕を左手を前に、右を引くように構えた。



「我れ、今見聞し受持することを得たり———」



 一つ呟くそれは詠唱にあらず、魔力も纏っていない。

 しかし彼らに取ってそんなことは些事にもならない。


 技巧に注ぐ気力とそれを運ぶ常山蛇勢たる呼吸、湧き立つ骨肉の流動、柔剛を以て技と為す。


 金剛力士の如き悠々なる構に、尋常ならざる闘気が溢れ出した。

 

 旋棍を斬り飛ばしたアリアは一瞬追走の足を止めるも構わず前進し、勢いの増した輝光をその手に先手を仕掛けんと振るう。



「《———八萬四千砲門はちまんしせんのほうもん》」



 次の瞬間、拳打の雨が横殴りに降り注ぐ。


 先程の乱打とは似て非なる飛ぶ衝撃波の砲弾は、豪雨に見紛う激しさを伴い相対する者を打ち据える。

 壁から削り取られた欠片は剥がれ落ちたものから弾け飛び、塵となってゆく。


 迫り来るそれらにアリアは白剣を振るい、一振りから幾筋もの光の孤を放つ。


 一つ、二つと形なき殺意の暴雨が切り払われ、両者を繋ぐ道が開かれて行く。



「沸くなぁ…俺にゃあ勿体ねェくらいだ———!」



 やがて彼女の歩を止める壁は決壊し、更なる力を引き出すように白剣が熱を持つ。


 ガグは迎撃されたにも関わらず、抱く闘志に喜悦が混ざりその口角を釣り上げた。

 嗜虐も悪意もない眼差しがアリアを射抜き、魔力を交えた殺気が飛ぶ。



「《ごう———》」



 ———技に移行する直前、急激に加速した一歩にて肉薄したアリアの剣が顔面を浅く斬る。


 速い———などという話ではない。


 人体の力動原理を解剖したる武に身を置く者であるからこそ覚える違和感。

 遍く武技を鼻で笑うかのような挙動。

 まるであの怪物達を相手にしているかのような気配。


 それをここに顕すとは如何なることか。


 逸脱した力を曝け出し始める白亜の剣士を前に、ガグの笑みが一層深まる。


 突きを往なすべく全身で駆動するも魔力の濁流がそれを許さず、たちまち脇腹が抉られる。


 時を経るごとに白き戦意は勢いを増し、やがて力の及ばさる領域へと近づいているのかガグに刻まれる傷が増え始めた。


 それは決して今の彼女の異常性に因るものだけではないだろう。


 放つカウンターがアリアの喉と胸部の間に刺さる。

 剣の間合いの外へと退けるも、ダメージを軽減したのか即座に切り返し地を蹴る。


 反撃を予想していたガグは守りと観察に注力すべく防御を固めた。



「———」



 その予測は裏切られることなく、しかし無意味であったと証明される。


 神速の剣身が彼の胴に赤い辻を刻み込む。

 決して浅くはない傷、その痛みを誤魔化すように熱が募る。


 それはすぐそのまで来る死神の体温のようにも思えた。


 彼の視界に底冷えするような虚なる黄金が覗く。


 引き伸ばされる刹那の中、彼女がその一歩を踏み出した。



「———ッ」



 ———その時、不自然にも剣の軌道が逸れ、不恰好にもアリアの体が地面へと転がる。


 その行動にガグは誘いを疑うも、戦闘中とは思えないほど緩慢な動きで身を起こす彼女に意図的なものではないと判断し、眉を顰める。



「あぁ…そうだよな、そりゃそうだ」



 だが彼女の唐突な変化に彼は合点がいったようにそう溢す。


 アリアは姿勢を崩し、剣で身を支えるようにして片膝を立てた。

 それはとても次なる攻撃に備えられた様子には見えない、隙だらけの姿。

 剣を振るう度に、彼の攻撃を受ける度に薪を焚べてゆくように勢いを増していた白の魔力も凪いで行く。



「どういう原理かしらねェが、無理やり動かしゃあそうもなる」



 そう告げる彼の表情は実に白けたものであった。

 極上の料理が期待に及ばなかった———あるいは、腹を満たすには余りに皿が小さ過ぎた。


 血を被る姿に似ても似付かぬ錯覚を覚えるほど、大きな失意を露わにする。



「…まあ、もう良いか」



 彼は拳を構える。

 粗雑、なれど抵抗もできない子供一人を沈めるには有り余る力だ。


 そうして、硬く握り締めた拳骨を振り下ろす。

 実に単純な作業であった。



「……まだやんのかよ」



 ———しかし、その拳が捉えたのは既に罅に覆われた地面のみ。


 彼は真下へと向けていた視線を上げる。



「…技を力で叩き潰すってか?」



 そこには萎いでいたはずの純白を纏い、全身で燃え上がらせる少女の姿があった。


 残された力全て燃料へと変えているのか、立ち姿には依然とした研ぎ澄まされた様子もない。


 ただ無視できない厖大な力を以て牙を剥く。

 それは時として神算鬼謀の知略をも容易に噛み砕く脅威となる。


 直感というべきか、ピリつくような感覚を己の奥底にて感じ取った。


 次の彼の選択は防戦への移行———ではなかった。

 生存本能を闘争心が上回った戦士は凶行へと走る。


 彼は澱みない動きで三肢と欠けた一本を動かし、勇者を見定める。

 そうして、その構えを完成させた。



「———やってみろよ、やれるもんならな」



 ———それを合図として一斉に傾れ込む魔力の濁流と共にアリアが隻腕のガグへと迫る。


 それに対し、彼は荒々しい彼女とは対照的に静かな足運びで彼女の剣へと手を添えた。











「———無三悪趣むさんまくしゅ











 力が歪曲するように剣が往なされ、僅かな隙に差し込まれる脚撃。

 再び魔力による迎撃が放たれるも、先程の競り合いが嘘のように受け流され分厚い白の鎧を穿つ矛が撃ち込まれる。




不更悪趣ふきょうあくしゅ———」




 多少の負荷をものともしないアリアは攻勢を捨てることなく魔力を注ぎ、敵へと斬り込む。

 しかし両者の位置は互いの間合いにありながら間合いになく、魔力に肌を灼かれながらも剣を捌くガグは二手目を打つ。




悉皆金色しつかいこんじき———無有好醜むうこうしゅ———令識宿命りゃうしきしゅくみょう




 次々と紡がれる念誦に合わせ放たれる一撃に次ぐ一撃。


 隙間ない連撃は折り重なる紙が一冊の書へと成るように、編まれた糸が一枚の布と成るように、一筋の軌跡を描く技へと至る。




 ———冷得天眼天耳遥聞れいとくてんげんてんにようもん他心悉知神足如意たしんしっちじんそくにょい不食計心必至滅度ふとんげしんひっしめつどこ光明無量寿命無量うみょうむりょうしゅみょうむりょう———




 九手目にしてアリアの攻守の比率が逆転し、防勢へと傾く。

 二十二手目にしてアリアが散りばめていた攻め手の全てが抑え込まれ、完全な防戦へと移行する。


 アリアの剣筋の鋭さは変わっていない、むしろその魔力と共に勢いを強めているほどである。

 だが不可解なほどに、その動きは鈍重なものへと変質しているように見えた。


 それ程までに、ガグはその動きに加速を得ていた。



「———随意聞法ずいいもんぽう———聞名不退もんみょうふたい———得三法忍とくさんぼうにん



 ———紡がれること四三と五。


 とうとうアリアの剣を凌駕し、防戦一方であった彼女に綻びが生まれる。


 ガグはアリアの頭部を掴み、地面へと叩きつける。


 そうして己の最奥にて渦巻き、全身を反響、流転するエネルギーの全てをその掌へと集約し————




「これにて大成———」




 ———放つ。




「《———四十八本願しじゅうはちのほんがん》」




 ———瞬間、石材の床が砕け散り、押さえ込まれる少女の胴が衝撃に跳ね上がった。


 破壊の波紋は硬い地面を伝い一瞬にして周辺へと広がり、四方八方へと亀裂が走る。

 壁を駆け抜け、最後には天井にまで到達した傷痕は、両側から昇り天頂にて合流したところで漸く拡大が止む。


 数枚の瓦礫が剥がれ、落下した。


 だが地下空間は奇跡的にもその形を何とか保っており、それ以降パラパラと欠片は落ちてくるも終ぞ崩落することはなかった。


 ガグは完全に動きを止めた少女から手を離すと立ち上がり、相変わらず虚ろを向く瞳を見下ろす。



「……」



 浅いものの呼吸はしており、生きていることは間違いない。


 轟々と揺れていた魔力は見る影もなく、今や残り火さえない灰のように鎮まっている。

 しかしその手には剣が握られ、その内に微かな熱が燻っているように見えた。


 ともすれば、先の名残が幻となって映されているのかもしれない。




「…積み上げる時間っつーのは軽くねェもんだ…今回は勝たせてもらったぜ」




 何処か得意気にそう言い残す。


 そうしてボロボロの肌をそのままに、彼はその場を後にする。

 骨が剥き出しとなった、千切れかけの腕を揺らしながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王が討伐された後の平穏な世界に巨悪として斬り込むことになった奴等の話 @mochimochikinniku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ