第7話
沙英雪乃が俺を殺そうとしている。
そう確信したのは、二人きりで登校するというギャルゲイベントにて、萌えによる臨死体験をした日の夜のことだった。侵略すること火の如く。一気呵成に畳み掛けるとはこのことである。
宣戦布告はインターホンにより行われた。ピンポンが聞こえた瞬間に雪乃がそこに立っていることをこの身が悟ったのだ。宅急便も両親もしばらく来ないからな。
ドアを開けると雪乃が立っていた。パジャマ姿で。一度見られたからいいとか思ったのかもしれない。こっちは何度だって興奮できるというのに。それを悟られないようにする男の努力がいかに大変かを女って奴らはわかってない。
で、何が起こったかというと、今は、雪乃が俺の部屋のど真ん中に座っている。四角いテーブルの前に置かれた座布団に正座して、キッチンで怯えている俺が出てくるのを待っている。お茶を出さなければならない。
にしたってヤンデレでもあるまいに、うら若き乙女が気軽に男の家に来すぎである。人様の家のインターホンを軽々しく押してよいなどと教育を受けたのだろうか。
俺のこと好きなのかな。
「──えっ、わっ……!」
自爆。グラスに注いでいたお茶をこぼした。もし雪乃が俺のことを好きなのだとしたら、それは大変なことなのだ。雪乃に手を出してはならないという不文律を破ることは、死と同義である。
ど、どっ、どどどどどうすればいいんだ。いくら告白をされたいからって、俺が彼氏はマズいだろ。もっとよく考えろよ。お前は、俺の世界じゃ、世界で一番可愛いんだよ。俺なんかと付き合うな。
「大丈夫ですか……?」
雪乃が心配してキッチンまで来てしまった。全く以て大丈夫ではない。
「大丈夫だよ。すぐ行くから」
俺はグラスをガタガタ言わせながらどうにか二つを机の上に置いた。
対面に座って、予定調和の気まずい時間を迎える。緊張しないためには斜めに座れが鉄則らしいが、この空気感でのそれは相手を軽視しているようでできなかった。なお、雪乃が俺の部屋に入ってきたときのひと言は「入れてもらえますよね」だ。なんて不遜な女だろう。これだけ不躾に訪ねておいて、断られるだなんてことを一ミリも考えていないんだ。
「で、あの。ご用件は」
「えーっと、そうですね……」
意気揚々と乗り込んできたくせに、この期に及んで雪乃は考え込む。ゆるっとした服を着ているせいか、制服のときよりも胸の輪郭がリアルに見えた。女の子が夜に着けるブラジャーってワイヤーは入ってないんだよな? 隠れ巨乳ってやつだろうか。さすがに谷間を出すほど着崩してはいないから、どこまでが実部かはわからないけども。でも、パジャマってことは、風呂に入ってきたんだよな。肌艶が良すぎる。当然のことながら匂いも良すぎる。童貞を殺しにきてる。
「私たち、上手にお喋りできてないなーと、思って」
「雪乃さんもそういう感覚あったんだ」
それはよかった。よかったよかった。
「それで、どうして俺の部屋に?」
「ん……? どうしてって?」
「今の話だと、お喋りするためだけに来た感じになるけど」
「それはまあ、そういう……」
雪乃は俺にそう言われて、しばらく思案し、何かちょっぴり恥ずかしいことに気づいたような反応をしてから、またムスッと俺のことを睨んできた。
それだよ。お喋りしづらい理由は。そんな怖い顔されたら、ただでさえ女の子とのお喋りレパートリーが少ない俺の会話の選択肢がなくなるだろ。
もうここは、勇気を持って聞いてみるしかないか。今際の際だ。
「あの、さ。その……なんでちょくちょく、俺のことを睨むの?」
俺がそう訊くと、雪乃は目をパチパチさせてキョトンとしていた。
「えっ、あっ……私、佐藤くんのこと睨んでた?」
自覚なかったのかよ。
「ごめんね。ちょっと待っててね」
今になって、ようやく自分が怖い顔をしていたことを自覚したらしい雪乃は、ハムスターみたいにほっぺを揉み揉みする。
「ん……。これで……どうかな」
すると、雪乃は愛らしい目を丸くして、小首を傾げて俺を見つめてくるのだった。
(ウッ──!)
そのあんまりな可愛さに心臓がバコンと跳ね上がった。待って待って好きになっちゃうこんなの可愛すぎるだろまじで殺すつもりか。手を伸ばしたら触れられる距離で女の子がこれだけ愛らしい表情を俺に向けてるなんて俺の男がさすがに男になる。
「私、緊張しちゃうと目つきが悪くなるんですよね。どのレベルからそうなるのかよくわからなくて……」
「学校ではなってないだろ」
「あっちはまあ、どんな顔をしてるのか自分でわかってるので」
なるほどな。そういう仕組みか。だとしたら、雪乃の素ってどれだ?
「じゃあなんだ。俺の前でだけ緊張するってことか」
「別に佐藤くんがってわけではないんだけど。慣れないことをすると、っていうのが正しいかも」
「学校でもよく男子と喋ってるだろ」
「んー……目的の違いというか……」
雪乃は言いづらそうに目を逸らす。これは誤魔化しているそれだ。
「仮に、その緊張しいの雪乃が素だとして。どうして学校で振る舞ってるみたいに頑張るの?」
これは、なんというか。ズルい質問だった。男子からたくさん告白されたくて、という答えを俺は知っている。だが、雪乃は俺が知っていることを知らない。その認識合わせのための質問──のつもりだった。
「中学生の時に言われたんです。お前、そんな性格じゃ、一生処女だぞって」
なんかとんでもない回答が返ってきた。
「だ、誰から?」
「当時仲良くしていた友達です」
「本当に仲良かったのか……?」
どう考えても友達として配慮のある発言とは思えないが、当の雪乃は胸を張って自信ありげだった。
「もちろん。小学生の頃からよく遊んでましたから」
「その友達はいまどうしてる?」
「中三の夏に付き合い始めた彼氏と同じ高校を受験して今は見事にラブラブ学園生活を送っています」
そうか。友情より男を取った友人に捨てられたのか。可哀想に。
「ちっとも羨ましくはありませんが」
「そうだな。ちっとも羨ましくないな」
「ええ。まったく」
いつもよりわかりやすくムッとしている。だいぶ悔しそうだな。本当はその友達とやらと一緒にうちの高校に来るつもりだったんじゃないのか。
そして、これは、緊張とかじゃなくて、本来の感情としての不満顔だな。
うん。この顔は、可愛いな。
好きだ。雪乃。心の中でだけ告白させてくれ。そしてこの想いを成仏させてくれ。こんなにも近くに居てくれることなんて、もう二度とはないだろうから。
「さて。では、そろそろお暇しますね」
マジでお喋りだけして帰るんか。まあいいか。雪乃の可愛い一面が見れたし。なんというか、思ったより可憐な少女って感じだったな。雪乃の本当の姿が見れて俺はよかったよ。よかったよかった。
「本当に、こんな短い時間のお喋りだけでよかったの?」
玄関での去り際、俺は一応の確認をしてみた。下心は当然あったものの、引き留めたかったわけじゃなかった。ただ、せっかくお喋りをしにきてくれたのなら、もっともてなしができた気がしたのだ。
もし趣味が合うのなら、漫画やアニメの話をしたり。ちょっとしたスナックやジュースをつまみながらくつろいだり。たった数秒で帰れるお隣だからこそ、部屋に入ってさえしまえばあとは気兼ねすることなどないはずなのだ。
「ん。まあ」
しかし、これがまた。沙英雪乃というのは単純なやつではまったくなくって。
「男の子の部屋に入った、ということで。十分かなと」
それだけ言って、雪乃は自分の部屋に帰っていった。
その意味を、俺はリビングに戻ってから脳内CPUのバックグラウンド処理で考え続ける。
グラスを片付け、これって雪乃の唇が触れたやつだよなとか思いながら、余計なことをする前に洗って干して、またリビングに戻ってきた。
そのタイミングで、雪乃の去り際の発言の意味を理解した。
(えええぇぇええぇええええええ!?)
これって、そういうこと!? 男子の部屋に入ったことがなかったから、実績が欲しくてうちにきたの!? めちゃくちゃ世間体を気にするやんか! しかも……それでっ……それでいいのかよ! たまたまお隣さんになったオタクの部屋に数分転がり込んだだけで……!
純情すぎてびっくりする。なんだあの生き物は。そんな程度のことなら、別に経験がなくてもあるって嘘つけばいいだけのことだろ。
「……まあ、でもあいつ、嘘つけなさそうだしな」
意識して外面を発揮してないときは、かなり思ってることが顔に出やすい奴な気がする。
なんだか可愛く思えてきた。いや、最初から思ってたけどな。
「雪乃……」
俺は疲れた体をベッドに沈める。このままいいように使われてたら、俺、お前に恋をしてしまうかもしれないよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます