第6話
結論から言うと、雪乃から俺を誘ってきた。
雪乃と会ったらどんな顔をすればいいかな、なんて考えながらマンションのドアを開いた、その直後である。
扉が開閉する左側の壁に沿って、一人の人物が外を見るように立っており、俺が開け放った勢いでスカートが揺れるのを視認した瞬間、俺はそれが雪乃であることを確信して、そのままドアが閉じるまで玄関に突っ立っておいたのだ。
「ちょっ」
ギリギリ、雪乃がこちらを向いたところまでが見えた。ドアノブが捻られて、流石にそれ以上はマズイと我に返ったのだろう。何事もなかったかのようにノブを戻して、また静寂が訪れた。
外にはきっとまだ雪乃が立っている。しかも、こちらを見るようにして。ホラーゲームかな? 目を潰されそうで覗き穴も見ることができない。
とはいえ、このまま家にいても遅刻するだけなので、俺も観念して再びドアを開けた。案の定というか、そこにはビシッと姿勢を正して俺のことを睨みつけている沙英雪乃が立っていたのである。まあ今回に関しては、昨夜の失礼な態度のことがあるので、その顔に文句をつけることもできない。まあそもそも俺みたいなモサ男が人様の顔にケチをつけるなどおこがましいにもほどがあるのだが。
「なにかな」
俺も外に出て雪乃と向かい会うと、雪乃は小さく咳払いしてから顔を上げた。
「あそこの、信号……」
雪乃は廊下から見える家の、その奥にある信号機を指差した。ここから視認できるわけではないのだが、俺にはわかる。正確には、俺と雪乃の二人だけには、それがどこを指しているのかがわかる。
俺たちの住むマンションは、学校から徒歩圏内にあるとはいえ、ほぼすべての生徒にとって通学路に当たらないところに立地している。が、雪乃が指差した信号機を渡った先に行くと、多くの生徒が渡る通りに出るのだ。
「の、手前に、コンビニがありますね」
「そうだな」
「その手前の角の電柱のあたりまで、行ってみるのはどうかと、思いました」
「う、うむ」
小学生の感想かな。
めちゃくちゃ保険をかけられまくってるし。まあ、告白されまくりたくて頑張ってきて雪乃にとって、俺みたいなミジンコ程度の男が相手であっても、変な噂を立てられると困るだろうしな。
「いっ、いっ……し……よ、横に並んで……って、ことですよね」
「はい」
何か話がしたいらしいな。付き合ってやるか。俺の足はすでに震えているけれど。そいつは武者震いってやつだろう?
そういうわけで、俺はなんと女子と二人で登校するというイベントを体験するに至ったのである。いよいよ俺の人生がギャルゲーじみてきたな。人間が一生に持つ運のほとんどを今この一瞬に注ぎ込んでいる。最高にスリリングな生き方だと思わないか。
「で、どんな話なんだ? わざわざ家の前で待ったりして」
まずは先制して俺から声をかける。ここは男を見せた。
二人で並んで歩くのは、思った以上に難しい。歩調を合わせるために速度を調整しながらも、どこかぎこちない感じが漂う。
信号機の手前のコンビニの手前の角の電柱までは、歩いて五分もない。話があるなら、早々に切り出してもらわないと困る。
「ただ、こうして歩くだけじゃ、ダメですか……?」
雪乃は手提げ鞄を前に携えて、長い髪を揺らす。
はあ? 殺す気か? キュンとして息が止まったところなんだが?
「あ、えっ。そうか」
てっきり、昨日の話の続きがしたかったのだと思っていた。しかし、雪乃は口にしたその言葉の通り、俺と一緒に歩くだけしかしなかった。
昨日の帰りのように睨まれるでもない。俺の方はともかく、雪乃にぎこちなさはない。横目で、景色と、俺の表情と、眺めながら、気のせいでなければ楽しそうでさえあった。
電柱までの道のりは、普段ならばすぐに到着するはずなのに、今日は異様に長く感じる。雪乃の存在が隣にあるだけで、こんなにも時をゆっくりに感じてしまうほど、女の子を意識してしまうものなのか。このままずっと、時が止まってしまえばいいのに。
……と、いうわけではなかった。明らかに、歩みが遅い。意図的に、歩幅を短くしている。あまりにも卒なくこなすものだから、その事実に気づくまで、雪乃が俺と同じようにしてつま先に力を入れて体がつんのめらないようにしていたことに気づかなかった。
「では……また」
──学校で、顔を合わせるときまで。
電柱のそばまで来た俺たちは、そこで分かれて、雪乃が先に行った。その姿が見えなくなるまで、一緒に登校したことが誰にもわからない距離になるまで、俺はその場で待った。
互いの意図は、完璧に汲み合っていた。そうでなければ、こんなスムーズな分かれ方はできなかったはず。
なのに、
(雪乃が何を考えてるのか、さっぱりわからない……)
雪乃の背中が追えなくなった後も、俺はしばらく電柱と並んで、呆然としたまま立ち尽くしていたのだった。
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